第267話 血の記憶ブラッドホーリークロス


「か……!」


 ルルードの直ぐ頭上に吊り下がった格好の神罰代行人。前開きになったスータンの左の心臓部分には、渾身の一針が突き立っている。


「憐れ、ロードシャイン。ヘルヴィム・ロードシャインよ」


 ヘルヴィムの鼻眼鏡アイグラシズ越しの苛烈な眼光は消え失せ、ただ一点の鋭利が肉厚な胸筋を貫いていた。

 瞳を閉じたルルードは、妹を思い囁く。


「こうしてるものだ……お前の様に力任せに脳髄をぶち撒けるのでは無くな」


 復讐を果たした男が、貫かれた腹を抑えて一歩後退したその時――



 ――ヘルヴィムの首元で千切れた何かが、音を立てて老騎士の足元に投げ出された。



「――――!!」


 を見下ろしたルルードの驚愕はとても計り知れないものであった。彼程に品格を保った男が今や口元をだらし無く開いたまま、わなわなと肩を震わせるだけになってしまっている。

 ――揺れる瞳は、心臓に針を突き立てている男にそろそろと向かい始める。


「――何故それをお前が持っている……!」

「……」

「妹をクズ同然に殺したお前の様な男が! 何故!!」


 額から滝の様な汗を流した老人は、ブレる視線を必死に抑え込みながら、つま先に転がった銀のロケットを拾い上げた。


「持っている筈が無い。お前が……貴様の様な男が……!!」


 見覚えのある緻密な銀細工のロケットペンダント。それはルルードが愛しき妹に贈った筈の婚約祝いの贈答品。

 針の一点で貫かれたそれは、開閉部が馬鹿になってアッサリとその内部を晒した。


「……っ!」


 心臓でも止まった様に息を吸い込んだままになったルルード。彼が手元に開いたロケットから、つがいとなった二つの指輪が姿を表す。


「――!!」


 それはヘルヴィムがから肌見放さず持ち歩き続けた、ルミナとの愛の証――

 彼がルミナを愛し続けている証明――


「あり……得ない……何故、何故……」


 放心したルルードが、頭上に糸を引き千切る音を認識して顔を上げる。


「返せよジジィ……」

「ヘル……ヴィム……」


 そのロケットの守護の元、銀の一針を心臓まで刺し込まれる事の無かった男が、レンズ越しに瞳を滾らせ始めていた。


「ぅぅぅ……ぅウウウォア……ッ!!」


 体に纏わり付いた魔糸を力強く引き裂き、ヘルヴィムは地に降り立つ。そして迫真の形相へと蘇ってルルードの前に立った。


「…………っ!」

「……あの日、お前達の身に何が起こったと言うのだ」


 ヘルヴィムの全身から溢れる血を浴びた、巨大な銀の聖十字がルルードの絶句した表情を反射している。


「ぅぅウウ……!!」

「……未だ、語らぬか」


 ――獣の様に唸り、捻れた髪を空に逆立てる。


「フゥウウウ……!!」


 禍々しいまでの男は長く荒い息を吐きながら、発光する銀の聖十字を腰の辺りに構えていった。


「本気でいくぞルルードぉぉ……」

「――くっ」


 ヘルヴィムの発し始めたその覇気に、ルルードは思わず後退っていた。


「ケェェエエエエエィァ゛――ッッ!!」

「……っ、『空間収納』――!」


 足元の白き空間より中空に投げ出されたヘルヴィムを、無数の針が襲う。


「『奔放なる針達ニードルズ・フリー』!!」

「――ぐ」


 幾らか針を被弾しながらも、その殆どを大槌で弾き落としたヘルヴィム。そのまま着地すると、間髪も入れずに頭上からのシャンデリアが彼を押し潰していった。


「『奔放なる針達ニードルズ・フリー』!」


 凄まじい物音を立てて壊滅していくロビー。積み上がった瓦礫に追い打ちを掛ける様に、ルルードの針が四方から降り注いでいく。


「――ぅ!」


 ――しかしルルードは肝を冷やす。

 瓦礫の合間からこちらを睨め付ける――紫の発光に気付いて。


「――ヘェァアアァア――ッッ!!」

「なん――……っ!」


 その豪腕で振り抜かれた大槌が、山となったシャンデリアの残骸を一撃で壁に叩き付けた。

 キラキラと舞い光る金の装飾品の下で、ルルードは苛烈に踏み出して来る代行人を認める。


「舐めるな代行人……! 『魔糸傀儡マジック・スレッド』」


 降り注いだ針に繫がった魔糸が、真っ直ぐに歩んで来る男を雁字搦がんじがらめにしていく。


「ふぅうおアアァァ!!」


 しかし憤激した男の前のめりになった足は止まらない。一本一本がワイヤーの様な強度である筈の糸を、ただ無理矢理に歩む事だけで引き裂いていく。


「フ……フフ、まるで逆巻く烈火の様だな」


 思わず呟いたルルードは、困惑した面相のまま無理に笑っていた。


「……?」


 ルルードは豪快に迫り来る目前の男が、何やら懐から灰色の布切れを取り出し始めたのに気付く。

 そうこうしている間に彼は、魔糸による拘束を物ともせぬままに、その布を発光する聖十字へと巻き付けていった。


「それは……?」


 あえて普段の会話の様な調子でルルードが語り掛けると、ヘルヴィムが答えるよりも先に、布に包まれた聖十字が血の様な真紅に変貌していった。

 そこから溢れ出した超絶的な力に気付いたルルードは、目を見張りながらも平静を装う事しか出来なかった。


聖骸布せいがいふ……主の亡骸を包んだ布だ」

「ほう……してその慈愛の布が、何故そんな攻撃的な力を?」


 真紅の十字架を握り込んだヘルヴィムは、血反吐と共に不敬に吐き捨てる。


「知らねぇよ神だからだろ……!」


 丸いレンズの煌めいた男に向けて、ルルードは背後の空間からまた針を束ね始めた。


「くく……そうか」


 シワを刻み込んだルルードは、今度は柔和に笑っていた。


 ――そしてこう告げていく。


「『復讐のヴェンデッタ・一針ワン・スティング』」


 捻れ上がった数多の針の結晶体が、ヘルヴィムへと指し向いて輝く。

 そして躊躇ちゅうちょ無くそれは――


「受けてみせろヘルヴィム――」


 ――解き放たれた。


「…………ッ」


 迫り来る銀の流動体を前に、ヘルヴィムは紅き聖十字を頭上に掲げていく。正面から迫る風巻が周囲の景観を消し飛ばしていく――


「それを本当に受けるつもりかヘルヴィム?」

「……」

「お前といえど消し飛ぶぞ。無理をせずに回避に徹しろ」

「黙れ」

「……もっともそれを避けようと、私の空間収納によって『復讐のヴェンデッタ・一針ワン・スティング』は、また背後からお前に迫り来るだけだがな」

「……だァあまれぇええええ!!!」


 嘲笑混じりの旧敵の声も聞かず、ヘルヴィムは頭上に掲げた聖十字架を主張し続けた。


「ホォオオオザンナァァァァアアアアアアアアアアアアア――ッッ!!!」


 ――そして迫る鋭利の集合体を前に、彼は全力全開で力み――紫眼しがんを見開いた!!


血の聖ブラッドホーリー十字クロス――ッッ!!」


 ただ真っ直ぐに振り下ろされていった真っ赤な聖十字。それに対するは無数の長針の結晶体。

 だがそんな意地のぶつかり合いの結果は明白であり、それを理解していたルルードは微かに頭を振っていた。

 何故ならばルルードの復讐のヴェンデッタ・一針ワン・スティングは、対象に応じてその形状を変える事が出来る能力。

 ――すなわち、そのでは絶対に討ち滅ぼせず、敵の矛に合わせた形状へと変化して敵を貫通していく。いわば柔軟な矛を叶えた奇跡の結論。


「惜しかったなヘルヴィム」


 そして真っ赤な聖十字が、ルルードの復讐の一塊の尖端と接触する。

 ――ルルードの前には、ただなるべくして訪れる結果が返って来る……

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