第244話 支配者と神罰代行人

   *


 急勾配の丘を登り切り、北の大地の遠景に“炎の都”と呼ばれるケテルの都を一望すると、ピーターは語り始めた。


「彼の場所が炎の都と敬称されるのは、鋳造業が盛んで、方方から炎が立ち上っているからよ」

「……」

「殊更に天使の子メロニアス・エルヘイドは、特殊な炎を操って、あらゆる鉱物から自在の武具を創り上げる鍛冶技術に卓越しているわ。彼にしか打てない鉱物や、特殊な物質を繋ぎ合わせる技術もあるとか」

「エルヘイド……」


 俗世に疎いリオンでも、その姓には聞き覚えがあった。

 優雅なるエルヘイド家。皇族中の皇族。いわば、この世を統べる為に産まれてきたとまで思える支配者の家系。

 第1の都ケテルの天使の子は、歴代エルヘイド家が務める。9つの都の頂点に位置するケテルの王冠を被るという事は、実質的にこの世界の頂点に君臨した事を意味する。

 王都に君臨するミハイルを“象徴”とするならばケテルの天使の子は国家元首。実質的な支配権を持っているのは彼の方なのである。


「反逆者の太鼓判を押された私達が、自らそこに向かっているなんて滑稽ね」

「大丈夫よ〜。私達がミハイル様の庇護を受けているというのは周知の事実よ……歓迎は〜、されないでしょうけど」


 肩を落としたピーター。

 ここに到るまでに幾つかの集落に立ち寄ったが、どの村でも彼等が天使の子に剣を抜いた情報は周到に出回っていた。

 加えて二ヶ月前にゲブラーの都がナイトメアの手に落ちたという事実。

 未曾有の危機を側に感じ始めた民は、結果としてナイトメアの野望に加担した様に見えるリオン達に、これ以上無い程の嫌悪と敵意を解き放っていた。


 肩身の狭い思いを振り返り、ピーターは、物悲しげに腰をくねらせる。


「まぁ危害は加えられないわよ。ミハイル様に赦しを貰ったという事もみんな知っているのだから」

「……ふん」


 ミハイルの意志に反発しながらも、リオンがケテルへとダルフを連れ立って向かうのは、もう彼女には手の施しようがない彼に変化を求めた為であった。

 いつ牙を剥いて来るやも知れぬ敵の牙城へと、わらにもすがる思いで向かう彼女は、忌々しくもミハイルの啓示を信じるより他が無いのだった。


「ダルフ……」


 リオンが彼の力無く開かれた掌を見つめる。

 十二枚の悪意を広げ、より強大となってしまった宿敵。いよいよこの世界の喉元へと迫り始めたあの黒い手に、果たして彼は立ち向かう事が出来るのだろうか。


「いっそ何もかも捨てて逃げ出そうか……」

「……」


 何も答えないダルフの頭部を見つめて、リオンは些細な変化に気付く。


「あら、こんな所に白髪なんてあったかしら?」


 さらさらとしたダルフの髪をすくい上げるリオンは、彼の頭頂部に僅かに白髪の束が出来ている事に驚く。

 横目に眺めたピーターは、ダルフの頭を撫でて口先を尖らせた。


「ストレスよ。間違いなくストレス……可哀想にねぇ」


 都を目指して車椅子は滑り出す。ジトついた気候がそれぞれに玉の汗をかかせながら、強い日差しによる影が斜面に落ちる。


「もしかしたら、嫌な事ばかりじゃないかもよ〜?」


 木陰の下を歩きながら、ピーターはまた軽い口調で喋り出す。


「ケテルにはダルフくんの遠い親戚が居るもの。良い刺激になるかもしれない」


 小首を傾げたリオンは怪訝な声を返していた。


「親戚? ダルフは捨て子よ、親戚なんて……」

「あぁーもうそういう事をズケズケと言わないの。ロードシャインの方の縁よ。養子でもれっきとしたヴェルトさんの息子でしょう?」


 配慮の無いリオンの口元を、巨大な掌がワシ掴んで塞ぐ。


「んんー!!」

「私も話しに聞いただけなんだけど、ケテルの憲兵隊にヴェルトさんの親戚が在席しているのは有名な話だわ。噂には少し……いいえ、かなり強烈な性格をしているそうだけれど」

「んん、んんん!」

「セフトに在席していて彼の名を知らぬ者は居ない。長年1番隊の隊長を務める生ける伝説の様な男ですもの」

「ん、んん……ゲホッ、ちょっと何するのよピーター!」


 赤面する彼女に関せず、ピーターは思案げに首を顎に手をやって続ける。


「確か……ヴェルト隊長の父親の兄弟の……長男の遅生まれの息子だった筈だわ。ヴェルトさんより二十は歳下なのだけれど、彼こそがロードシャインの家の本家なんだって聞いたのを憶えてる。ヴェルト隊長の従兄弟いとこだから、ダルフくんにとっては従伯父じゅうはくふになるのかしら?」

「ややこしいのよ……でもまぁ、彼だけでも温かく迎え入れてくれたら嬉しいものだわ」


 リオンの手元で精製された氷の刃がピーターの頬を掠めていく。絶句した彼は青褪めながらも会話を続けた。


「彼が味方についてくれる程頼もしい事は無いわ。だって彼は“13番目の神罰代行人”の直系系譜、純然たる神の遣いなんですもの」

「神罰代行……13番目? 何なのよ」


 永年ウィレムの森に引き籠もっていた事で、俗世には疎い彼女にピーターは嘆息する。


「アンタ本当にこの話し知らないの? 私からしたら、クソをしたくなったらトイレに行くって位常識的な――」

「――黙れ」


 喉元に突き付けられていた鋭利な氷塊を、ピーターはいとも簡単に拳で砕いて舌を出した。


「ふん、まぁいいわっ。彼は古代より脈々と続く神罰代行人の末裔よ。話しにはミハイル様もその何番目かの代行人で、遠い祖先は肩を並べて闘ったって言われてるわ」

「またミハイルが出て来るの?」


 ウンザリした彼女にピーターは鼻息を鳴らす。


「ロードシャインの本家当主は、歴代その役目を引き受けて先祖の名を襲名するの。そして聖人となる」

「ふーん」


 そこまで興味の無さそうなリオンは、適当に相槌を打って緑の中を歩く。

 しかし勿体ぶったピーターは神の遣いの末裔であるという男の名を控えてほくそ笑んでいる。


「現存する人類の中で間違いなく最強だって言われてるのよ。あのヴェルト隊長も現役時代に、対面では彼に敵わないって言ってたわ」

「いつの話よ。そいつ今何歳なの?」

「今は50代の筈。私と同じ世代だからつまり――」

「ただのジジイ――」

「――まだピチピチのギャルって事ね」

「え……?」

「それはつまり、まだイケイケで人生の絶頂期である事を意味しているわ。肌ツヤも良く、コシがあるでしょう、私の様に……ね」

「……」


 頬に手を添えたピーターはどうやらフザけて言っている様子でも無く、リオンはただただ冷ややかな感情を抱えて彼の話しを待った。


「彼の名は“ヘルヴィム・ロードシャイン”。未だ現役で唯一の神罰代行人よ」

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