第233話 Benedictus【祝福されますように】
*
【12.Benedictus】
(祝福されますように)
カルクス率いる管弦楽団の優美なる旋律が、壁も天井も瓦解して、もう焼け落ちていくだけのホールに鳴り渡る。
“Benedictus qui venit in nomine Domini”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
一人の女がそう歌い上げると、次にまた一人の女が続いていく。
“Benedictus qui venit in nomine Domini”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
カルクス、エルバンス、そしてフォルナと残された楽団員達は、逃げる事もせずに、炎に巻かれながら主君に熱い視線を贈り続けていた。
“Benedictus qui venit in nomine Domini”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
そして最も高音のアリアを奏でるフォルナの歌声があると、ギルリートは意識を取り戻し、自らが首を投げ出して岩盤にもたれ掛かっていた事を知覚していった。
「良い声だなフォルナ……そしてお前達も、誇らしい位……誠に良き、演奏だ……」
弱々しい口元を開いて奏者を称賛したギルリートは、呻いて前屈みになりながら、割れて滝の様な血を落としている頭を
“«Benedictus qui venit in nomine Domini»”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
優雅なる合唱は勿体ぶる様に長く続いた。外から吹き込んだ風に勢いを増して、火の手が急速に壇上を包み上げていくというのに。
奏者はテンポを変えず、血眼になったウェービーの振るタクトに合わせ、慈愛を持って楽想に接し、その作品の形を歪にしないようにと、これ以上なく丁寧に触れ続ける。
“«Benedictus qui venit in nomine Domini»”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
ただ、彼等の唯一に熱烈な視線はひたすらに主君へと注がれ、願い続けられた。
「もういいか、ギルリート?」
「待っててくれたのか……」
項垂れた彼の、赤き前髪のメッシュに炎が照りついていた。
「優しいんだな」
そしてギルリートは視線を上げて、
「意外と根性あるじゃあねぇか。もう骨も肉もグチャグチャになってる筈だ。もうお前の能力で形を保っているだけに過ぎねぇんだろ」
「王が膝を着いたら民が、そして配下が脅えるだろう……いかに深刻なダメージを背負い込もうが、仁王立ちして腕を組んでいるべきが王なのだ」
“«Benedictus qui venit in nomine Domini»”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
そしてエルバンスによるピアノのソロが始まった。
「破壊の天使達は……」
ギルリートはそう言い掛けたのを止め、盛る炎の翼を伸ばした少女を眺める。覚醒したセイルの周囲には、魔力の失われた魔石が山と積み上がっていた。
「何が起こっている……? 王に仇なす下等生物よ」
«Benedictus qui venit in nomine Domini»
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
一人の男が歌い上げると、それに別の男のソロが続いた。
«Benedictus qui venit in nomine Domini»
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
「貴様等に虐げられるなど、耐え難い屈辱だ……!」
ギルリートは背に六枚の暗黒を舞い上げるが、
「――――ぁウッ!!」
十二枚の闇をごうごうと立ち上らせた鴉紋の速度に遥かに意識を凌駕され、気付いた頃にはみぞおちに膝を捻じり込まれていた。
“«Benedictus qui venit in nomine Domini»”
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
「こ――――カっ…………ぁ゛――!!」
呼吸がままならず、無様に転げ回るギルリートをフォルナは涙を溜めて見つめる。
――彼女だけではない。命を賭けて壇上に立つ全てのアーティスト達が彼の姿に、全ての情熱と願いを向けているのだ。
«“Benedictus qui venit in nomine Domini”»
(主の御名において来る者は祝福されますように。)
吐瀉物にまみれたギルリートは鴉紋を視界から外した事で元の姿へと戻ってしまう。
再び伏した彼を見下ろし、鴉紋は地に掌を押し付けた。するとそこに巨大な赤き魔法陣が発生する。
「鴉紋、え……なんで?」
次に起こった光景に、セイルはハッと息を呑み込みながら驚愕するしか無かった。
――その赤き魔法陣に現れるは無数の魔物。それぞれが有する赤き目の双眸が、数え切れぬ程に闇夜に浮かび上がった。
「反逆の刻だ、闇に落とされた古の生命達よ」
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