第209話 Confutatis【呪われた者】


【7.Confutatis】

(呪われた者)


 間髪も入れず、男達の激烈なる声が度重なっていく。


«Confutatis maledictis,flammis acribus addictis,»

(呪われた者達が退けられ、激しい炎に呑み込まれる時、)


 カルクスとエルバンスがリードするその一節は、爆発を度重ねていく様に迫力を連ね、暴発する衝撃が空気を揺るがしていた。


 瓦礫に埋もれた鴉紋が、茜色に何処までも伸びる六枚の悪辣を見上げる。

 見果てぬ先から垂れる膨大なる暗黒が、最早いたぶられるだけの鴉紋をあざける様にうねり、うごめく。


 激しかった楽奏が途絶えて、消え入る様なフォルナのソロが始まった。すすり泣くかの様な、その微かな声が。


“Voca me cum benedictis.”

(祝福された者達と共に私をお呼びください。)


 強い発光を帯び始めたマッシュの額の魔石。このおぞましい歌詞で、ギルリートが何を呼び覚まそうとしているのか未だ分からない。


「ギルリー…………ト」


 自らに残された最後の責務。その対象である少年を認めながら。残された気力だけが鴉紋の体を突き動かす。

 

「――あッ…………ぐ……!」


 未だ続々と降り注ぐ光の魔人が、そんな気力すらをも容赦も無くその牙で喰らい、刈り取っていく。

 走る激痛に悶え、声も無く双頭の異形を振り払うが、彼等はまたその数を増して、虚ろな目線で鴉紋を捕える。


「「キョォアアアアアアッ!!」」


 魔人から発せられる耳障りな男女の悲鳴。感情の無いと思われた彼等は一斉に、その鋭い口元を醜く吊り上げ始めた。


「「あハあハあハ……アハアハアハアハ!!」」

「……!」


 聞くに耐えない奇怪な笑いの最中さなかに立ち上がり掛けた鴉紋。


「ぐッ――――!!」

「「アハハーハーハ!! アハハーハハーハハーハ!!」」


 そこで無防備になった腹に、一人の魔人の膝が炸裂した。

 血反吐と一緒になって転がり回り、掠れていきそうな意識の中で、また男達の激しい楽想が始まる。


 獰猛な何かがすぐ目前まで迫り立ててくるような――


«Confutatis maledictis,flammis acribus addictis,»

(呪われた者達が退けられ、激しい炎に呑み込まれる時、)


 そのエネルギーは遥かなるまで――


「おい天使達よ……俺の玩具が壊れてしまうではないか」


 見上げると、赤の空が混沌に埋め尽くされていた。

 魔人達が退き、ギルリートは自らの腕からほとばしる闇に恍惚としながら靴を鳴らして歩み始める。


「素晴らしい力だ鴉紋……このまま我が物にしたい位だよ」

「……っ」

「気付いているか鴉紋? お前はこの闇の翼を、六枚広げるだけの可能性を秘めていたのだ。誇っていいぞ」


 ギルリートの背で闇の翼が空に噴出し、暗黒の風巻が周囲を吹き荒れる。


「うる……せぇ」


 潰されてしまいそうなプレッシャーを一身に受けながら、鴉紋はよれよれと、ガクつく足を地に立て始める。


「数十分にも渡り暴行され……ふぅむ、見上げた根性だ。しかし立ち上がってどうする?」 


 鴉紋が足を滑らせて転倒する。しかしそれでも彼は懸命に、立ち上がろうと全身を力ませる。


「何が出来る? お前の背負う役割という奴の為か?」


 黙したまま、産まれたての子鹿の様に何度も繰り返す男にギルリートは笑みを見せ、その右手に宿る莫大な闇を掲げた。


「良き道化だ。ならばそのまま踊り続けてみろ」


 ギルリートの豪快なる拳が、膝を折った鴉紋の頭を殴りつけ、壁に叩き付ける。


 壁の瓦解する物音に紛れ、またフォルナの静かなソロが始まっていた。


“Voca me cum benedictis.”

(祝福された者達と共に私をお呼びください。)


 上がった土煙が晴れると、そこにあった光景に、ギルリートはやや面食らった様子で静かに息を呑んでいた。


「……そこまでして、何がしたいんだ?」


 鴉紋は壁に頬を、そして全身を預けて押し付けたまま、這い上がる様にして身を起こしていた。

 これ以上無く無様で泥臭い醜態であったが、鼻息を荒くして壁にしがみつく男にある種の感動を覚えたギルリートは、感嘆の声を隠せなかった。


「ならば今一度聞いてやろう。お前の役目とはなんだ鴉紋?」

「マッシュを、マッシュ……だけは!」

「ほう……」


 鴉紋が未だ携える獣の瞳を差し向けると、静かなるホールに、掠れた少年の声が落ちてきた。


「助けて……アモん……」


 ホールに突き立った巨大な十字架の先から、意識を微かに取り戻したマッシュが囁く。


「マッシュ……?」

「怖い、こワいよ、アもン」


 だが彼の声音に、妙な気配が見え隠れしている事に鴉紋は気付いた。

 落涙しながら鴉紋を見つめて、額の魔石を輝かせた少年は続ける。


「おソロしイん……だ……僕のなカでナニか……ダレかが」


 ギルリートもまた少年に視線を移し、広角を上げて独り言を呟いていた。


「くだらん玩具だと思っていたが……良い演出をするじゃないか……くく」


「近付イて……クル……こワイよ……苦しイ」

「……!」

「僕何カ、悪いコトしたのかナぁ?」

「違うマッシュ、お前は何も! 悪いのは俺だ!」


 虚しく響く鴉紋の答えに、マッシュは白目を剥いていきながら声を返す。


「お願イ……だから鴉紋……」


 そして次に発した少年の声は、明らかに誰か別の、地の底から湧き上がって来たかの様な低い声だった。


「『たスけて』!」


 また意識を途切れさせたマッシュを、血の気の失った表情で見上げる鴉紋を、ギルリートが見つめる。


「何しやがった……」

「んん?」


 そして怒気を込めて、鴉紋は拳を握り込みながら叫んだ。


「マッシュに……マッシュに何をしていやがるんだテメェ!!」


 眉を下げながら舌なめずりをするギルリートの背後から、ディーヴァの静かな声が忍び寄る。


“Voca me cum benedictis.”

(祝福された者達と共に私をお呼びください。)

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