第207話 それぞれは役割を見据え
*
時は少し遡り――――
地下牢から転移魔法で地上に出ると間もなくして、爆発で地が陥没した。
「きゃあ!」
「どぉうわっ! ンだよこれ!」
間一髪の所で地上に転移していたセイル達が胸を撫で下ろしていると、吹き飛ばされて来た不潔な兵が間抜けな顔をして足元に転がった。
「こ、殺される所だったっす……」
冷や汗をかいたポックに、フロンスは渋い表情を向ける。
「爆発物が仕掛けられていたとは気付きませんでした……私達は処分されたのですね、ギルリートさんに」
セイルが息を落ち着けてから辺りを見渡していくと、茜色の空の下で民達の死骸が散乱している事を認める。
それが光の魔人達を
周囲に散乱した魔石に、シクスが顎に手をやって思案する。
「魔物共が勝ったのか……まぁ幾ら数が居たとしても、同じ動作を繰り返す奴等なんざ手緩いわな」
「意思の無い人形に対応力はありませんからね。淡々と支持された動作を繰り返すのみです」
そこでセイルは、都を見渡しながらシクスに声を返すフロンスに問い掛けた。
「この混乱に乗じるしかないよね! フロンス、マッシュは何処に連れて行かれたの?」
フロンスが視線を渡らせていると、ポックが空に指を示した。
「あの丸くてデッカイ建物がそうじゃないっすか?」
全員が白く巨大なコンサートホールを見上げているとセイルが声を荒げ始める。
「あそこに鴉紋が……! 直ぐに行って助けなきゃ!」
するとフロンスが、彼女の肩を取って首を大きく振る。
「駄目ですよ、ただ闇雲に向かってもマッシュを人質に取られている以上、鴉紋さんの足を引っ張る事になりかねません!」
「でも鴉紋は……今だって一人で天使の子とっ」
「……」
「鴉紋が殺されちゃうよ! もしそうなっちゃうなら、私はマッシュを見捨ててでも……っ!」
動揺の色を隠しきれなくなってきたセイルの赤き虹彩が、真っ直ぐにフロンスを見つめ返す。
「……ふぅ」
するとフロンスは眉根を下げながら、彼女の想いの重さを受け止める。
「フロンス!」
「今貴方達の存在は、敵に補足されていますか?」
「え、いや……ここまで転移魔法で来て、兵達は皆倒したから多分まだ……」
フロンスはそこまで語ると、髪をかきあげて瞳を瞬いた。
「ならば取るべきは隠密行動でしょう……」
「隠密……隠れるって事?」
「そうです。そして万一セイルさん達の来訪が予測されていたとしても、今しがた処分された筈の私の存在は、彼等の思惑の外でしょうね」
二人の会話を聞いていたポックが、拳を振り上げながら明るい声を出し始める。
「マッシュさえ取り返せば、もう鴉紋様の足枷は無い筈っす! セイルさんの転移魔法があれば、出来なくは無いんじゃないっすか?」
セイルは彼等を見つめ返しながら、やがて薄く微笑んだ。
「うん! マッシュを救って、鴉紋と一緒にここを脱出しよう!」
前向きに意見が纏まり始めたその時、並外れた五感でいち早く異変に気付いたシクスが声を上げていた。
「おい……これって!」
遅れてセイル達も、シクスの感じたおぞましく、冷たい気配を感じ始める。
「なんすか……この、足元から冷たい何かに沈め込まれていくみたいに嫌な感覚は!?」
全ての者は示し合わせる事も無く、一斉に空を見つめ、そこを注視していた。
「あれっておい……兄貴のか?」
コンサートホールの天井を突き抜けて、闇の一筋が空に立ち昇っている。そして凄惨なイメージを叩き付けてくる暗黒は、そのまま巨大な天井を引き裂いていった。
鴉紋の闇に酷似した暗黒。しかしそこから受けるイメージが彼のものとは違う事に気付いたのは、
――彼を誰よりも思い、見つめて来た彼女だった。
「違う……鴉紋じゃない!」
先程その力を目前にしたフロンスが、彼の名を確信と共に口にしていく。
「ギルリート・ヴァルフレア……」
更に都の全体を半透明のヴェールが包み始める。その異様なエネルギーにシクスは気付く。
「んだよこれ……まるで都全体を、ぶっ壊しちまったホールの代わりみてぇにして」
彼に続いて、フロンスがそのヴェールの性質を肌に感じ、眉間にシワを寄せていく。
「簡易な結界を貼られた気配があります。もう都から一気に外に転移する事は叶わないでしょう」
「そん――――――」
愕然とした表情で口を開いたセイルの声は、都全体に響き渡り始めた楽想によってかき消されていた。
壮大で神聖な曲調。その余りのボリュームに全員が耳を塞いでいると、
――――ざわざわ、ざわざわと、
彼等の意識に重苦しい影を垂れるイメージが。
無数に、無限に、各所から現れ始める。
「何が起きてやがる……!」
シクスがそろそろと塞いでいた耳を開放すると、周囲全てから、風を切り、空を渡りながら魔物を
「やべぇぞこの数は……」
空を、そして大地を、二対の四肢と頭を持った光の化身が埋め尽くして来た。
「嘘っすよ、なんすかこの数、あの形は! ……それに魔物達が呆気なく」
その数は最早万を超え、背に伸びた羽で茜の空と死屍累々の大地を侵略し始めている。我が物顔で大地を占領した、赤目の魔物達を虐殺しながらに。
鋭い瞳になったフロンスが、翼を生やし、まるでそれぞれが天使の様にもなった異形達を観察し始める。
「意思が無い……無かった筈だ。だが、これは確かに……!」
無限の様な天使達は、空を大地を照らしながら、その不気味な目で笑い、鋭い牙を見せながら、魔物を殺しながら笑い、金切り声で叫んでいた。
男女の入り混じった奇怪な声で、まるで生命を陵辱して喜ぶ様に。
「おっさん、どうなってやがる? さっきまでとはまるで動きが違うぞ」
「分かりませんよ、そんな事」
奴等は魔物の軽快なフットワークを目で追い、互いに妙な声を上げて獲物を追い込み、狩り殺している。
その様はまるで意思を持って連携する様で、彼等が最早、生命体の息遣いをしているのに気付かされる。
迫り来る発光体を目前にしてセイルは、慎重に声を絞り出していく。
「ホールに向かってる……」
一斉に進軍来てくる光の群れは途方も無い数で、セイル達の後方にそびえるホールへと向けていた。都に
「行かせちゃ駄目だよ! あんな奴等まで来たら鴉紋に勝ち目は無い!」
シクスが目を瞑って聴覚に集中すると、みるみると魔物達の唸りが途絶えていくのに気付く。
そしてオッドアイの瞳を押し開いた。
「行けよお前等」
「え? シクスさん、今なんと?」
「時間がねぇんだろ!」
シクスは苛烈な物言いをしながら背中を向け、ダガーを取り出してくるりと回す。
「シクスさん、確かに彼等に意思が芽生えたなら貴方の『幻』も有効とはなりますが……」
シクスは頭をぼりぼりと掻きながら嘆息する。
「あーぁーうっせぇうっせぇ。俺の気が変わらねぇ内に早く行けよ。言っとくけど時間を稼ぐ事しか出来ねぇからな? とっとと兄貴とマッシュを連れて帰って来いってんだ」
固く握りしめた拳を胸に、セイルは彼の背中を見つめる。
「でも、たった一人でこんな数の敵を」
何時まで経っても走り出さない仲間達に肩を落としたシクスは、胸元から煙草を取り出して火をつける。
「一人じゃねぇよ」
「え?」
その時になってようやく、シクスの耳だけで無くセイルの耳にも、そのけたたましい声が聞こえ始める。
「鴉紋さまぁあァアアアアアッ!!! 今行きマずがらぁあァアッ!!」
こちらに向けて来るクレイスとグラディエーター達。彼等は破竹の勢いで魔物を屠り、陣形を組んで駆けて来ている。
「『反骨の槍』ぃいイア゛――ッ!!」
クレイスの放った巨大な槍が、空にひしめく魔人達を貫いて空を割っていく。
シクスは忌々しそうに唾を吐きながら、彼のせいでキンキン響く耳に指を突っ込んで顔をしかめる。
「チッ、あの野郎共が……わざわざ置いて来てやったってのに」
クレイスは白目を剥き、血を噴き出しながらも、その闘争心だけで都を駆けていた。
そんな彼の姿に感化され、グラディエーター達もまた、異様な程に闘志を燃やしている。
丸い目をしたセイルは、訳も分からずに肩を竦める。
「クレイスなんで……。動ける筈無いのに」
紫煙をオレンジの空にくゆらせながら、シクスはシッシと彼女を追いやろうとする。
「早く行けよ。暑苦しいのが来んぞ」
「……」
フロンスがセイルの肩に手を置いて首を縦に振っていた。
「行きましょうセイルさん」
「……うん」
「じゃ〜俺も残るっす」
セイルが展開し始めた魔法陣からポックはヒョイと出て行ってしまう。
「ポック?」
「隠密なら、人数は少ない方が良いでしょ? それに、人手が必要なのはこっちみたいっすから」
腫れ上がった頬を擦りながら、ポックは微笑む。
「うん……すぐ戻るから。少しだけ耐えて」
そうしてフロンスとセイルが魔法陣の中に消えていった。
「はぁ〜ぁあ」
するとポックは大きなため息と共にシクスの方に歩み寄っていく。手近に転がった血に濡れた民の剣を二本手に取って。
「貧民街の快楽殺人鬼って、実は人情味があって優しいんすね」
「うるせぇんだよ」
シクスは吸い終わった煙草をポックに向けて投げ捨てる。
「たかがガキ一人の為に……俺も落ちぶれたもんだぜ」
「へへッそんなシクスさん。嫌いじゃないっすよ俺」
都に鳴るオーケストラ。
目前には光の群れとオレンジの空。
うねる紫煙と苦い香り。
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