第124話 マリオネット
不可解な闘技場の様子に、トッタは怪訝な声で首を傾げる。
『謎の女はどうにも対抗する手立てが見つからず、おかしくなったのか……二人の会話がイマイチ聞こえないが、不審である事に変わりはない! 気をつけてくれニータ様!』
激情したニータが歯牙を剥き出しながら、不敵な魔女に向かって駆け出し始めた。
「何がおかしい!? 私の愛を疑うのか!」
リオンに向かって放たれたムチの一撃は、肉厚な氷の盾に阻まれる。しかしそこから際限無く溢れ出して来る赤い液体に、みるみると氷は溶け出していった。
「お前を完膚なきまでに打ち破れば、またラル様は私を見てくれるんだ!」
瓦解した氷の盾。そのまま突っ込んでくる炎の鎧の女騎士。しかしリオンは未だ不敵に笑みながら、両の手を胸の前でガッチリと組み合わせた。するとニータは炎の鎧毎に、足元から瞬く間に発生した巨大な氷塊の内部へと閉じ込められた。
捕らわれた騎士隊長に、民が動揺の声を漏らす。
「ニータ様の炎の鎧が凍っちまった」
「おい、動かないぞ! どうなってる、大丈夫なのか!?」
リオンはコツコツと靴を鳴らしながら、氷塊に包まれ、憤激した表情のままのニータと距離を開けていく。
するとその巨大な氷塊がカタカタと震え、溶け出し始めた。氷の内部から、ニータの炎が抵抗をしている。民が拳を握り締め、彼女を鼓舞する。
「生きてる! まだ動いてるぞ、凄まじい灼熱だ!」
「頑張れニータ様!」
「溶けてるぞ、どんどん溶けていってる!」
氷塊は溶け、やがて亀裂を走らせて崩れ去った。そこから憤激したままのニータが踏み出して、ムチを地に叩き付けて威嚇する。
「……お前の氷など私には通じない。この紅蓮は、私がラル様を思う気持ちと同じ程の灼熱なのだ」
民の歓声に構わず、再びに炎の鎧を纏ったニータが、距離の空いたリオンに向かって走り出す。
するとリオンは彼女の姿を眺め、また肩を飛び上がらせて笑いながら、こう言った。
「あなたの愛しているのは、ラル・デフォイットじゃないでしょう?」
その言葉にニータが立ち止まり、これ以上無い位に眉根を吊り上げていく。そしてやや呆然とした様な表情をしてから、額に深いシワを刻んで顔をピクつかせる。
「わた……しを……ッ私を侮辱するのか!!」
心酔する存在への愛を否定する発言が、ニータの逆鱗に触れる。それを証明するかの様に、今しがた解き放った言葉は酷く荒々しく、叫びつける声は民にまで届いていた。
「お前に、お前なんかに何が分かる……魔女の癖に、私のラル様への純粋たるこの思いの……ナニが分かるかっ!?」
ニータの纏う炎の鎧が肥大していく。メラメラと熱風を立ち上らせて、リオンの放つ冷気を飲み込んでいく。
しかしリオンは、そんな彼女を逆撫でする様に、飄々と口を開くのだった。
「あなたが愛しているのは彼じゃない……あなたが愛しているのは、
揺れ動く感情に同調している様に、みるみると膨張していく炎。ニータは最早、炎の魔人の様相と化していく。
「違う、そんな訳がない、そんな筈があるものか! お前に何が分かる糞女ッ! 私がラル様を思い続けるこの気持ちの何が!」
リオンはフードを被った頭を前方に突き出しながら、ニータの胸の中心を凝視する。
「だってそうじゃない……小汚い愛憎が、卑しくて
ニータの中で何かが音を立てて切れた。その恐ろしい三白眼でリオンを捉えながら、等身を超えた焔が、巨人のシルエットとなっていく。
「世迷言を……何をそんな、戯言をぉおッ!!」
猛烈な面相で手を伸ばしながら近付いて来る炎の巨人。今にもその魔人に丸呑みにされそうな迫力を目前にしながら、リオンは涼しい表情をしながらただそこに立ち尽くす。
体中を真っ赤に充血させたニータが発する激しい熱波に取巻かれながら、リオンはフードの影へと表情を隠していく。
もうリオンのすぐ頭上で、大口を開いた魔人が覆い被さろうとしている。そして猛火は激しい口調で話し始めた。
「お前に何が視える!! 目の無いお前に何が視えるものかッ!」
人成らざる出で立ちに豹変したニータが、リオンの眼前にまで迫り来たその瞬間――――
――リオンの深く被ったフードの影に、赤い煌めきが起こった。
「――フゥアッ!」
短い声を上げて、炎の巨人はビタリと、まるで時が止まってしまっている様に動きを止めた。
民達もその様子を恐恐と眺めるが、何時まで待っても時が動き出さない。しかし炎はメラメラと滾っている。辺りの氷も全て溶けて水と化しているままだ。
別席からその場を見下ろしていたラルも、その光景に刮目しだした。
「氷では無い。あれはどういう訳だ……何が起きている? ……魔女の様子が良く見えんぞ!」
深くフードを被ってしまったリオンの表情を見つめているのは、彼女の目前に立ち止まったニータただ一人である。どういう訳か、彼女は先程までの凄まじい怒りすらも忘れ、だらだらと汗を流しながら、瞬きもせず、ただ呆然とそのフードの下へと視線を注いでいる。しかしそこに何があるのか、リオンがどんな表情をしているのかが、民達には影になって見えていない。
困惑したトッタの声がコロッセオに反響する。
『あ…………えっとぉ……何が起こっているのか、ニータ様、標的を目と鼻の先にしたまま動かない……あの、ニータ様?』
――そして魔女の静かな声は、ただ一人、目前の女を切り裂いていく。
「見苦しいおばさんね」
ニータはやはり瞬きもせず、眼下のリオンを眺めている。開いたままの瞳が炎で乾き、涙が溢れて来る。声も出せずに、僅かに呻いているだけだ。
「うぐ……ぅ…………」
「私ね、ずっと疑問だったの。あなたのように炎を纏う人って、火を熱いと思わないのかなって……私は冷たいから氷を纏う事なんて出来ないし」
民が、ラルが、騎士が、目を剥いてリオンの一挙手一投足を待っていた。時の止まった
「……ぁ…………う……」
しかし満を持して動き出したのは、予想を裏切り、ニータの方であった。
彼女は炎の鎧を消し去り、その生身の体を露わにすると、微かに苦しげな声を出しながら、右手に掴んだムチを自らの頭上に掲げる。
『ニータ様が動き出した……のか? しかし何か様子が……』
次に繰り広げられた光景に、会場は悲鳴に包まれる事になった。
ニータは頭上に掲げた銀のムチのボディを左手で引っ掴み、足元にまで落ちた何本かに分かれたテールの部分を、自らの顔面に向けて垂らしたのだ。
「あ……ぁが、う゛…………ッ゛」
頭上の鞭先からマグマが垂れて彼女の顔を焼き、溶かしていく。肉が焦げて、目も鼻も原型を失っていく。真っ赤になっていく顔面が、壮絶な苦痛を物語る。血の
「が! ……んぐぅ…………ぁ゛」
それでもニータは、何かに取り憑かれたかの様にリオンのフードの向こうを眺め続けたまま、目を充血させ、息を荒げ、自らの顔面をマグマで溶かしていくのを止めない。
おぞましい光景に、全ての者が絶句するか、悲鳴を上げる。
灼熱に顔を溶かされ、肉を燃え上がらせながら呻くニータ。
「ば……ばび……ゅゅ……がッ!」
しかしリオンは言うのだ。目前でそんな光景を見上げながらに、氷の様に冷たく。
――――どう? ……熱い?
「あ……か、が! ぁ、ぁ……ア……アヅゥィイイ゛ッ」
マグマに溺れ、器官を焼かれたニータが白目を剥いた。すると彼女はようやく呪縛から解き放たれて、地に倒れ伏す。
戦慄のコロッセオで、リオンが一人、歩み出した。
「なんだ、熱いんじゃない……」
数千の民が、実況席を一目散に飛び出していったトッタが、蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う。会場を絶叫と混乱が覆う。
狂乱の渦の中、ダルフに歩み寄っていくリオンに、2階席まで駆け下りて来たラルが語り掛ける。
「アッハッハッハハハ!! 凄いぞ、凄いじゃないか魔女!! アーッハッハッハ!!」
騎士隊長が葬られたというのに、嬉しそうにして興奮するラル。リオンは溜め息をつきながら、観客席から身を乗り出しながらこちらを見下ろしているラルを見上げる。
「良いだろう、そこの反逆者の死体は好きにするがいい! お前の様な魔女が甲斐甲斐しく死んだ男を思っているのも良い、実に良いんだ!」
「何が言いたいの?」
「言っただろう、俺様は強い女を屈服させるのが良いのだ! 一途に死んだ男を思う魔女を俺様の物にする……これ程興奮する事が他にあるか!? ァアーハハハ! 滾って来たぁあ!!」
悪趣味極まる発言に、リオンは首を振るしかない。しかしそんな感情など露知らず、酷く興奮したままラルは邪悪な笑みを見せる。
「俺様の側に居ろ魔女! 城内に部屋を用意してやる! アッハッハ!」
子どもの様に飛び跳ね始めたラルを静かに見上げながら、リオンはあっけらかんとこんな事を考えた。
――――この男も今ここで殺してしまおうかしら?
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