第90話 双子のお茶会

 ******


 鴉紋逃走より間も無く、宮殿の茶室で大きな円テーブルに着いたヨフエとクラエが、二人だけで日課のアフタヌーンティーを催している。ヨフエの前にはアールグレイで割ったミルクティ、クラエの前ではウバのストレートが湯気を立てている。


「もー、シクスくんにも逃げられるし、せっかく捕まえたセイルちゃんも逃げちゃってる! 新しい作品の顔にしようと思ってたのに!」


 頬を膨らませるヨフエの前に、三段ティースタンドの一番下から取り出された白い皿がメイドによって置かれる。その皿にはサンドイッチが盛り付けられている様だ。


「…………うぅ」

「クラエ?」


 へそを曲げるヨフエへの返答も忘れ、クラエは瞳を潤ませて泣きべそをかいていた。


「僕のせいだヨフエ……うう、僕が終夜鴉紋の力を推し測れなかったせいで……うぅぅ、うわあああーーーん!!」

「あらあら」


 普段厳格に振る舞うクラエであったが、自分の思い通りにならない事が生じると、こうして12歳の少年らしく、鼻を垂らして大泣きするのだった。


「見てクラエ。このサンドイッチの肉ね、私が切ったのよ。ロチアートの内腿の肉なの、クラエの大好きな」

「ひぐ……ぅ……内腿の肉ぅ?」


 クラエが目前の皿に盛り付けられたサンドイッチのパンをめくりあげると、桃色の肉がパンとレタスの上でうねっている。


「食べよう?」

「ぅ、うん」


 一度サンドイッチにかじりつくとクラエの瞳は明るさを取り戻していく。大好きなロチアートの内腿、生きた新鮮な肉を口の中で転がして咀嚼しながら、二人は微笑みあった。


「ああヨフエ。素晴らしいよ。君の短剣『ヘレヴ ヤフキエル』で切った肉は、こんな姿になっても生き続けている」

「クラエはここの新鮮なお肉が大好きだもんね」

「本当に美味しいよ。こうして齧りつくと、肉が緊張して一瞬強張るんだ。そして咀嚼しているうちも筋肉は口の中で蠢き続け、やがて力無く喰われる事を受け入れる……この肉の宿主は、今何処かで内腿を細切れに擂り潰される痛みに悶絶しているんだろうね」


 いつもの調子を取り戻してきたクラエ。サンドイッチを食べながら二人はにこやかに談笑する。


「そういえばね、クラエの言った通り、シクスくんとセイルちゃんの二人が本物だったよ!」

「うん」

「時間も場所もピッタリで、やっぱりクラエは何でも知ってる! これもあのの力?」

「そうだけど、彼等の未来を予測するのはあくまで僕の思考さ。『セファー ラジエール』はあらゆるを記しているだけで、未来予測の力や、人の思考にまでは及ばないからね」


 クラエの手元に白く発光する魔力の本が現れ、宙に浮き始める。分厚い革張りで重厚な厚みであるが、この世の知識の全てを書き記してある、万物の本の異名を持つ書物にしては、開かれたページは真っ白の様だ。


「うーん、何回聞いても分かんないや」

「つまり僕自身は12年という人生しか送っておらず、それ相応の知識しか有していないのだから、という表現の方が正しいんだよ。僕はこの本に記された知識から、物事を推察しているだけなんだから」

「分かんない。何も知らないなら、どうしてシクスくんとセイルちゃんが本物だって分かったの?」


 ヨフエが目を白黒とさせながら口いっぱいにサンドイッチを頬張る。質問しながらも、まるで思考が追い付いていないのが分かる呆けた表情で微笑んでいる。


「彼等ナイトメアの悪行は、人から人へと語り継がれる事により、知識と化している。つまりこの本には、何者かに目撃されれ、不特定多数に語り継がれた、彼等のこれまでの記録が全て記されているんだ、分かる?」

「分かる!」

「この本に記された知識から、彼等の人と柄を考察すれば、直ぐにでもゼルの捕縛に激情して襲撃してくる事は火を見るよりも明らかだったんだ。それがどれ程無謀だろうとね」

「火? 火なんてどこにあったの?」

「けれど戦力で大幅に劣る彼等が正面から来る訳もない。そこで、兵力を偽れる夢使いのシクスの能力を使わない手はない訳だよね?」

「う……ん……?」

「そして終夜鴉紋は、ロチアートに慈愛を示すとこの本に記されている。つまりシクスくんをただ捨て駒として使う訳もなく、逃げの手段として、転移魔法のセイルを同行させる。……この『セファー ラジエール』があれば、誰でも分かる事だろう?」

「ん???」


 サンドイッチを食べながら小首を傾げるヨフエ。クラエは何でも無さそうに同意を求める。


「そうだよねヨフエ?」

「……うん!! そうそう分かる分かる!」


 サンドイッチを食べ終わった彼等の前に、メイドによってティースタンドの二段目からナイフとフォークで取り出されたスコーンが現れる。二人してそれをもぐもぐと頬張りながら、お茶会は続く。


「クラエは凄いね、なーんでも分かっちゃうから、なーんでも叶えられちゃう」

「そんな事ないよ」

「でも不思議ね。じゃあなんで私の大切な工房が終夜鴉紋に壊されちゃってるの?」


 クラエは温かいウバを口に含みながら、スコーンで奪われた口中の水分を、豊かな香りで満たしながら答える。


「君が予定通りに帰還していなかったから、終夜鴉紋に吹聴したんだ。この部屋を荒らさないでくれって」

「え! そんな事言うから余計壊されちゃったんじゃないの!?」

「そうだと思うけど」

「ひっどーい! 私に意地悪する為にわざと言ったって事!?」


 衝撃を受けてスコーンが宙を舞う。

 ヨフエが机に勢い良く手を着く事を予想していたかの様に、何事もなく、クラエは右手でソーサーを持ち上げ、足を組んで左手のティーカップからウバを啜っている。


「どうしてなのクラエ!?」


 逆立つ小さな翼。ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、ヨフエが円テーブルに身を乗り出してクラエを睨んでいる。するとクラエは指を鳴らしてメイドを呼びつけた。


「カーナ」

「はいクラエ様」


 準備していたかの様に、ティースタンドの三段目からイチゴのパフェが取り出されてヨフエの前に置かれた。


「うっわぁあ! イチゴだ、イチゴのパフェだ! イチゴ大きい、やったぁ!」

「今日は同じものでなく、お互いの好物を用意させてあるんだ」


 すっかりと気を良くしてしまったヨフエがニッコリと微笑んでいると、クラエの前にはガナッシュとチョコのパイが置かれた。


「やったぁありがとうクラエ!」

「ヨフエが喜んでくれて嬉しいよ」


 早速ヨフエはパフェをつつき始め、口の回りをクリームで汚し始めた。


「でもどうしてどうして? いつもは同じものを食べるじゃない? 今日は何か特別なの?」

「そうだね、前祝いかな。今晩はこの世界のだから」

「え、それどういう事?」

「お茶を飲んだらナイトメアを倒しに行くって事」

「えぇー! さっき逃がした所なのに、もう行くの!?」

「行くの」

「ぇえー眠~い!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る