第24話 黒い炎


「まさか……逃げ――」


 ラビールのその疑念は、兵達の叫声でもって否定される事になった――


「ラビール様、左です! 左の兵達の中に奴がっ!」


 ラビールが認めるは、白煙に紛れた鴉紋が甲冑を引き裂いて駆け回る光景。


「こんの賊徒め……っ!!」


 憤慨したラビールは、鴉紋に向かって水の斬撃を繰り出していた。


「仲間切り刻んで楽しいかぁ?」

「――し、死体っ!?」


 傀儡の兵が、鴉紋の盾となってその斬撃を全身に受けていた。


「死人を扱うとはッなんと業の深い事をッ!!」


 余りの正論に白煙に紛れたフロンスは笑う。


「恥などとうに捨てました」

「だとよ崇高な騎士様!」


 兵が兵を喰らい、剣を突き立てられた顔を起こして立ち上がる。足を切られても地を這って爪を突き立てる。腕を落とされても大口を開けて牙を剥く。焦点の合わない視線が無数に漂い、そこには悲惨な光景が広がっていく。

 絶句した騎士達の不安を切り払うかの様に、ラビールは一人前に出て、勇猛な姿を彼等へと示していく。


「大罪人め! 僕が相手だ!」


 ラビールの体全体を、高速で回転する水のベールが包み始めた。


「『水衣ウォーターメイル』!!」


 それを見た兵達は剣を掲げて吠えていく。


「あの状態のラビール様には斬撃も魔法も効かない。超高速の水のベールが全てを弾き飛ばし、切り刻むのだ!」


 憤慨した騎士隊長を満足気に眺めた鴉紋は、猛烈に駆けて、ラビールの胴を下から殴り上げた。

 しかし――


「な!」

「自らの力を過信し過ぎだ鴉紋!」


 鴉紋の一撃は、その水のベールに遮られていた。圧倒的硬度の腕ゆえに切り刻まれる事は無かったが、拳と水のベールの接触した箇所に火花が散っている。


「神に背く哀れな背教者め! 僕ら神の代行者の前に灰燼かいじんと化せ!」


 ラビールが斧を振り上げて、先程より巨大な水の球体を作り始める。どうやら渾身の一撃を放つつもりであるらしい。

 ――しかし鴉紋は不敵に息を漏らし始めた。


「……く、くっくっ」

「何が可笑しい! 圧倒的力の前に戦意を失ったか!」


 堪えきれずに吹き出した鴉紋は、ニヤついた瞳でラビールを憐れんだ。


「何処見てんだ騎士様よぉ」

「は?」


 飛び退いた鴉紋が、遥か後方に待機していたその存在に向けて声を投じる。


「やれセイル。本気でいい」


 ラビールはその言葉に放心し、視線を遠く離れた鴉紋の背の方へと向かわせた。


「なんだ…………これ……」


 ラビールが驚くのも無理の無い事であった。

 何故ならば、彼が視線を投げたその先で、数十メートルにもなる――超大なが、たちまちに生成されていったのだから。


「『黒炎こくえん』!」


 セイルが言い放ち、その灼熱の塊をラビールに放つと、辺りにとてつもない熱気が拡散された。

 驚愕とするラビールを眺めた鴉紋が、愉悦に口を歪ませる、


「見せてくれよ崇高なる騎士様の威厳とやらを!」

「――おおおぉ、なんだこれは!? なんだコレはぁあ!? この……このぉぉおおおおお!!」


 ラビールは黒い火炎に向けて、全力の水の斬撃を繰り出した。しかし漆黒の火炎は何事も無かったかの様に石畳を巻き上げ、地形を抉って突き進み続けた――


「ラビール様ぁあっっ!!」


 兵が無数の防御魔法をラビールの前に張ったが、火炎は僅かにも失速せずに、連なった陣の全てを叩き壊していった。


「ふ……ふヤぁっ?!」


 遂には逃げ出したラビールだったが、間に合う筈もなく豪火に呑み込まれる。しかし彼は炎の中でいきり立って、纏い上げた水のベールを激しく回転させていく。


「やってやる! 民達に我が絶対の信仰のちち、力力……ぐ、ぐぎぃぃゃああああッ!」


 兵も民達も目を見張り、炎に呑まれた隊長の行く末を見守っていた。

 漆黒の火炎はそのまま後方の建物を打ち崩し、辺りに黒炎を振り撒いた。広場を火炎が包み、家を焼いていく。


「だ、大丈夫だ。ラビール様は鉄壁のベールを纏っておるのだぞ」


 ――誰かがそう呟いた。

 けれど黒炎の軌道に沿ってえぐれた地には、ラビールの姿は無かった。甲冑や斧すらも溶けて無くなって。言葉の通り跡形も無くなっている。


「ぁ…………っ」

「ラビール……さ、ま?」


 息を呑んだ民衆の最中さなかへと、フロンスの呟きが落ちていった。


「力を過信し過ぎだのは、貴方の方だったみたいですねぇ」


 押し黙る民。騎士が膝から崩れ落ちていく。


「嘘だ、そんな最強の水のベールが……そんな!」

「挟撃する予定だった第11隊は何をしているんだ、奴等が手筈通りに来ればこんな事には……!」

「逃げろ、奴等の傀儡となりたくなければ逃げるんだ!」


 彼等は沈黙を破って逃げ惑った。その豪火から逃れるように、その悪意から離れる様に、我先にと群衆を掻き分けて。


「うわああああ!!」

「きゃああああ神よ! 神の使徒よぉおお!!」


 叫喚を耳に、セイルが鴉紋の前に舞い戻る。


「よくやったセイル」


 フロンスもまた感心するような息を吐いた。


「相変わらず、火の魔法に関して類を見ない程の才覚に驚愕します」

「……うん」

「どうしたセイル」

「ちょっと疲れちゃった」


 フラついたセイルを鴉紋が抱き留めた。


「流石に魔力を使い過ぎましたね」

「大丈夫、まだやれるよ。……テレポートあと二回位なら……」

「瀕死じゃないですか」

「……」

「よくやったなセイル。しばらくは俺達に任せて後ろについてればいい」

「……うん! 私、鴉紋の役に立ったかな?」

「あぁ」


 鴉紋はセイルを抱き起こして、高き城を見上げる。肩を並べたフロンスは、落ち着き払いながら顎に手をやった。


「しかし……挟撃する予定だったとか言っていましたが、何だったのでしょうか」


 鴉紋は何かに思い至ったかの様に、辺りの屋根の上を見回し始めた。


「鴉紋さん?」

「いや……行こう」


 三人は堅牢な木の大扉を破壊して城内へと侵入していく。この都の神を地に引き摺り下ろす為に。


   *


 ――鴉紋がラビールとの戦闘を始める直前。


 ガッシュは都に建ち並ぶ屋根を伝い歩いて、一足先に特等席から広場を見下ろしていた。


「よりによってラビールかよ」


 ケセド最強の歌声高い、第12国家憲兵隊が鴉紋達の前で剣を握っている。

 隊長のラビールの水の斬撃の後に、兵達による水魔法の連続攻撃が始まった。ガッシュは身を隠してその様子を窺っている。


「あのロチアートのおっさんも魔法を扱うのか……でもどうすんだこの数……マジで正気じゃねぇって」


 兵達の連続攻撃に身を貫かれるかと思うと、セイルが特大の火炎を防御魔法の前にさらけ出して水魔法を打ち消した。ガッシュはそのでたらめな魔力を目撃して総毛立つ。


「あの姉ちゃん。俺の時にはあんな……ハハッ、むちゃくちゃだよお前ら」


 前方の兵に向かって特大の火炎を放ったセイル。必死の抵抗の末にラビールがそれを叩き切ったが、発生した白煙に紛れて兵達の中に飛び込んでいく鴉紋とフロンスの姿が、ガッシュからは良く見えていた。


「アッハ!」


 鴉紋が兵を真っ二つに切り裂いて進軍し、フロンスが死人を自らの傀儡にして戦わせる。


「アハハぁッ!」


 まるで魔が襲来したかの様な、荒々しく禍々しいその戦い方に、ガッシュは思わず目を見張って口許を緩めていた。騎士達が引き裂かれて叫びを上げ、祈る民が動揺していく光景は、ガッシュにとって愉快で堪らない。


「……あ?」


 ――ガッシュの鋭敏な耳に、こちらに向かって進軍してくる甲冑の足音が聞こえてきた。

 彼がいつになく真剣な面持ちで振り返ると、鴉紋達を挟撃する腹積もりらしい第11国家憲兵隊の100の兵を眼下の大通りに認める。


「……」


 鴉紋達はその事に気付いていない様子である。


「ほらな、終わりだ」


 真正面から騎士と死闘を繰り広げる鴉紋。そこに第11隊による100の兵士による挟撃があれば、さしもの彼等も、至る結果は明白である。


「だから言ったんだ馬鹿だって……。さーてと巻き込まれる前に帰るかなっと」


 その場を立ち去る前にガッシュはもう一度、鴉紋に振り返る。


「……嘘だろあんた」


 目前の圧倒的兵力差を前にも進軍する、天も地も空も全て破壊しようとする様な、激烈な男の表情がそこに落ちていた。血に濡れて腕を振るい、ただ真っ直ぐに前だけを見据える、逆巻く怒りを携えた瞳が。


「そんなにも、何があんたを突き動かす。その猛々しいまでの殺戮の衝動は何処から来る」


 甲冑を鳴らし、いよいよ第11隊が広場に差し掛からんとしている。ガッシュは知らぬ存ぜぬと鴉紋に背を向けていった。


「あんたは一体何をしようとしているんだ」


 ――こんな無謀な戦いに勝機がある訳がない。


 ガッシュはもう一度振り返って鴉紋を見つめた。

 

 ――だが、何故だ……あんたを見ていると……


 ガッシュは屋根の上で立ち上がると、日射しの落ちる貧民街を眺めた。


「焼きが回ったなぁ、俺も」


 そして一歩踏み出したのは、逃走先の貧民街に向かってでは無く、屋根の下の第11隊の進軍する大通りであった。

 屋根の上から土煙を立てて着地したガッシュは第11隊の100の甲冑を目前にする。その存在を認めて騎士達は抜刀しながらに口を開いていった。


「何者だ、奴等の仲間か!」

「いや、待て。ガッシュだ、貧民街のガッシュだ!」

「何故お前が!」


 騒ぎ立てる兵をかき分けて、後方から豊満な四肢の大巨漢、第11隊隊長のハッド・ボールがガッシュの前に出た。


「ガッシュ。どういうつもりだか知らんがその行為の意味。わかっているんだろうなぁ~。最早貴様に生きる場所は無い。例え貧民街に逃げ帰ったとしてもだ~」

「愚かな。あのまま貧民街を出なければ生き長らえていたものを」

「人間もどきのならず者め。それくらいの知恵はあるものだと思っていたぞ」


 兵達の最もな言葉に、ガッシュにも笑いが込み上げる。


「カッハハ!」

「何がおかしいガッシュ~。貴様も反逆者となったのだ、その意味がわかるか~」


 話す度にタプタプと顎を揺らすハッドに向けて、ガッシュは惜しげもなく、混血の印――オッドアイを出す。


「んな事わかってんだよ全部。俺が信じられねぇ位馬鹿な事をしてるって事もな」

 

 ガッシュは腰から抜き出した黒い刀身のダガーを顔の前で構えて左目を覆い、開けた右の赤い瞳でもって100の兵に向かいあった。

 ――そして薄ら笑い、解き放つ。


「『げん』!」

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