第40話 8時10分

2049年12月22日水曜日 8時10分 東京都千代田区 警視庁 地下二階


 里井はエレベーターを降りると、正面にある「会議室」の扉を開く。まだメンバーは揃ってはいないようだ。


「孝太郎、早いわね」

「キャシーこそ。おはよう」


 そう言いながら里井は席につく。ウィリアムズと二人となる機会はそうそう無い。


「キャシー、本当に潜入を手伝ってくれるのか」

「ええ。上原さんが了承すればね」


 昨日話したプランは、まだ上原や増田は知らない。これから打ち合わせで確認することになる。


「俺が送った北原に送った情報の整理、キャシーも手伝ってくれたんだって?」

「そうね、バラバラに送るもんだから、和人も苦労してたわ……手土産は手に入ったの?」


 里井はそれに対し、無言で手荷物を机に置いてから、口を開く。


「率直に聞きたいんだけどさ、元CIAとしてのキャシーに。この手土産と今回の設定、うまく行くと思う?」


 里井は手荷物の中身を取り出す。あえて説明しなくてもそれが何か、彼女にはわかる。


「……絹代の卵焼きに、CIAイントラのランダムパス。用意したのは、マイケルね?」

「……その回答は控えておくよ」


 マイケル佐藤は、ウィリアムズの元同僚で一時期共に仕事をしていた関係だ。マイケルが里井の協力者であることは機密扱いだが、ウィリアムズだけ確信に近いレベルで認識している。当然、里井は表面上認めることはない。

 ウィリアムズは並べられた手土産をじっくり眺め、言葉を選ぶように口を開いた。


「そうね……手土産としての選択は悪くないと思うわ」

「さすが……ウチの情報屋」

「それより問題はタイミングと設定、これにはかなり無理があるわ。孝太郎と、飯田さんがいくら上手く演技したとしても、その確率はあまり上がらないと思う。危険が伴うことを承知で潜入することが大事よ」

「無理がある、か。正直だね、随分と。ただ元はと言えば、バイヤーとしての接触方法は俺が提案したこと。それは承知の上だよ」

「あなただから正直に言うのよ、孝太郎。もちろん、不可能とは言わないわ。けど、どう準備しても危険度は変わらない。リーカーはそういう男よ。マイケルは、よく知っているはず」


 里井はそれに返事をしなかった。すると会議室の扉が開いた。飯田と北原だ。


「おはようございます」


 言葉が重なり、そのまま二人は席につく。


「里井、早く来てキャシーと内緒話か?」


 北原が里井を呼ぶ。スマートフォンを眺める里井は、顔を上げずに返事をする。


「ああ、手土産を取りに行ったり、忙しいんだよ」


 北原と飯田には、里井の前に置かれた荷物が視界に入る。


「里井、それは?」


 飯田が声を掛けた。


「リーカーへの手土産ですよ。何回も説明するのも面倒なんで、打ち合わせの中で説明しますね」


 里井がそう言うと同時に、キャシーがモニターの電源を入れた。するとモニターには上原の姿が映っていた。


「上原さん、神奈川県警にいるから今日はwebで参加するわ」


『上原だ。みんな、おはよう。聞こえるか?増田は別件で遅れる。時間もない、揃っていればさっさと始めよう』


 この場にいる全員がその一言に居直り、上原が映るモニターへ身体を向けた。


『皆、キャシーから送信されたデータはチェック済みという前提で話を進めるぞ』


 昨日、里井が北原に送りつけたデータのことだ。監視カメラ映像や野矢美佐子から聞いた話などを羅列したデータで、これを北原とウィリアムズが整理していたのだ。


『まず昨日のことから報告しよう。経団連パーティでダボス・リーカー、ダイアナ・クロスと接触することができた。その中で明日、つまり23日に外せない予定があることを掴んだ。その後、尾けた結果、北原が特定した通り、帝国ホテル、1001号室に滞在していることを特定した。ちなみにダイアナ・クロスは別のホテル。おそらく方向からしてコンラッド東京だ』


 皆、報告を聞きながらスマートフォンを眺める。送信されたデータを見ながら、説明を聞いていた。


『あと里井から言われた件だけどな……運転手の写真を撮った。北原に解析をお願いしておいたはずだが……』

「はい、データベースの検索結果と一致しました。ローラン・ケリーで間違いないです。狛江市のレンタル倉庫のカメラ映像、横浜港の映像とも一致しました」

「……本当ですか?」


 里井はその報告に声が高ぶる。つまり猿田を殺害したのは、やはりリーカーの一味、ローラン・ケリーだったのだ。


「それなら殺人容疑で任意聴取は掛けられる……日本を出る前に、最悪はケリーに手錠をかけましょう」

「気が早いわね、孝太郎」


 ウィリアムズがそう言うと、モニターの上原も反応する。


『狛江の倉庫、そして横浜港に居たことは事実だろう。だが、殺しの証拠はない。殺した瞬間が映っているわけではないんだ』

「確かに……殺しの瞬間が映っていないなら、難しいかもしれませんね」


 里井はトーンを下げる。上原は冷静に続けた。


『大胆に姿は見せるが、肝心なものを残さない。それが彼らのやり方だよ。だから公的機関も、彼らを守りやすいんだ……それはとりあえず置いておこう。昨日の報告は以上だ。あとは、潜入にあたっての設定を再確認したい』


 その声にキャシーが答える。


「私から説明します。人物設定は、二人とも防衛省の役人。孝太郎は伊坂幸助、飯田さんは阿部剛として、昼過ぎに接触を試みます。二人の滞在用として帝国ホテルに部屋は確保済み。……シナリオを簡単に言うと、こうね。12月20日に横浜港へ運び込まれたもの、これが爆薬であることを捜査機関が掴んでいて、そこから仕入れルートがリーカーと推察していた。その中で総理宛ての脅迫状が届き、使われる爆薬がまさにそれではないかと推察している。ただし確証がない中で、また取引相手が分からない中で日本の捜査機関も独断で行動はできないし、結局のところ何も動けないまま。それを歯痒いと感じた伊坂幸助が上司の阿部剛と共謀し、リーカーから実力行使で爆薬を買い取ることを画策する。ここまでいいかしら?……当然、価格は分からないし、実質知る術もないわ。そこは出たとこ勝負。ただし、向こうの取引が明日なのだから、支払い条件はせめて現実的なものを用意すべきよね」

「……現金だな」

 

 里井は呟くと、それを見てウィリアムズは微笑む。

 

「そう。現金で5億円用意したわ。これはマックスの金額と認識して。”相手より高い金額で買う”ということに現実味をもたせるのよ……接触したら、金庫番であるエリサ・マクスエル・片岡に私が扮して、電話を掛けさせるのよ。すぐに金は用意すると、ね。可能性は低いかもしれないけど、それでリーカーが売る気になってくれたら、買い取るのがベストってことになるわ」


 里井はウィリアムズの話を聞きながら考えていた。説明は続く。


「その後の細かい展開は、正直読めないわ。どう出るか、こればっかりは想定できない。リーカーが一人なのか、ケリーとクロスも相手するのか……ただ孝太郎と飯田さんの顔は幸いにも割れてない。私も含めて、ね……上原さん、どうかしら、私が参加することは元の話になかったけど、エリサは実在の人物、より現実味は増すと思います。孝太郎と飯田さんは了承済みです」


 上原は少しの間、それを黙って聞いていた。皆、口を開くことなく上原の答えを待つ。


『……分かった。増田には私から話しておく。大まかな設定はいいだろう。接触するにあたって、潜入組からは提案はあるか』


 それに里井が立ち上がった。


「はい、いくつか。まずはこれです」


 そう言いながら、自身の目の前に置かれた袋から土産袋を取り出す。


「リーカーの信頼を得るため、手土産を持参します。一つは、この「絹代」の卵焼きです。ご存じの方もいるかもれませんが、テイクアウトで2年待ちの人気商品で、リーカーはこれが大好物。長年これを食べることができていないそうです。単純に、喜んで受け取ってくれるでしょう」

「……そりゃ知ってるけど普通に買えないだろ、どうやって手に入れたんだそれ……」


 北原が顔をしかめながら呟く。


「……あるツテを使ってね……で、もう一つです。CIAのイントラネットのランダムパス。1週間でパスは変わってしまいますが、これを入手できる人脈を持っていること、何かあったときにリーカーを助けることができることを暗示させ、相手の信頼を得たいと思います」

「またそれ、何がどうやったら入手できんだよ……」

『里井、それは本物か?』


 北原の呟きを掻き消すように、上原が反応する。あえて野暮なことは聞かない。


「はい、本物です。もちろん、これを相手に渡すような真似はしません。”これを入手できる人間”というステータスを見せつけたいんです。私たちはこれをもって、レセプションに我々が来ていることをリーカーに知らせるよう伝言を頼み、帝国ホテルのロビーラウンジで彼を待ちます」

「……リーカー、怪しんで来ないんじゃないか?門前払いされたら終わりだぞ」


 北原が言うと、上原がそれに応える。


『現実考えられるシチュエーションは、断られるか、向こうがラウンジまで降りてくるか、部屋へ呼ばれるか、だろう。確かに、それだけだと応じてもらえない可能性はある』

「はい、そこで妙案が」


 里井は、笑みを溢す。周りの目線は全て彼に注がれていた。何やら見覚えのある光景である。里井はいったん席に腰を下ろし、そのまま続けるのだった。

 








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