第39話 2049年12月22日水曜日 7時30分、7時45分
2049年12月22日水曜日 7時30分 東京都千代田区 日比谷公園内
昨日と同じ風景だ。今日も変わらず、日比谷公園内にはのどかな時間が流れている。颯爽と公園内を歩く男は、いつもの場所で、いつものカフェオレを注文する。ただし、その表情だけは昨日と少し異なるようだ。
「おはよう、マイケル」
「……いつもより少し早いじゃないか、孝太郎」
「数十分ね。今日に決まったんだ、潜入。午後には、潜ることになる」
マイケルはそれを後ろ姿で聞きながらカフェオレを作る。こだわりの牛乳に、少量の甘味をプラスしている。カフェ・アルファの人気商品、特製カフェオレだ。机にマグカップが置かれると、さっそく里井はそれを口元へ運ぶ。
「……うん、旨い。このジャストな甘さ、マイケル、ここだけでしか飲めない味だな」
「それはどうも」
「で、手土産の方は?」
マイケルは言われる前から準備をしていた。孝太郎に差し出したのは、土産袋と封筒だった。静かに机に置く。
「ありがとう。本当に助かる。……念のため説明が欲しいかな、マイケル」
マイケルはそう言われると、土産袋を開ける。中からは「絹代」書かれた袋だった。
「まず一つ目は、寿司の名店、絹代の卵焼きだ。冷めても美味しい、手土産に最適な逸品だ。難点は、予約が取れないこと。テイクアウトで2年待ち。リーカーは、これが大好物だが、そういう状況の中で3年以上、口にできていないはずだ。あるツテを使って無理やり一人前、用意してもらった」
手土産と聞いて、里井がイメージしていたものとは少し異なったようだ。ただ、聞いた通り、普通の手土産ではなさそうである。どういうルートで手に入れたのか、謎が深まるばかりだ。
「感謝しろよ。それをただの土産物と侮るな。それがあれば話を聞いてもらえるところまでは、漕ぎ着けられるだろうな。想像以上に、リーカーはそれを欲しているはずだ。ああ見えてグルメにはこだわりのある奴だ」
「……分かった。助かるよ」
里井が返事をすると、もう一つ差し出された封筒の中身を取り出す。
「で、こっちが本命。これはCIAのイントラネットのパスワード。パスワードが日曜日始まりで1週間で変わってしまうんだが、重要なのはそこじゃない。これを入手できる人間だと伝えることが重要だ。これを見せた上で、電話番号を渡す。つまり日本におけるヘルプラインさ。必要な時に助けるよ、という意思表示が手土産だ」
里井はまじまじと封筒の中身を眺める。ランダムに並んだ数列を見て、マイケルの顔を見た。
「これ、完全に違法な手段で入手したろ」
「……用意しろって言ったのはお前だろう。必要なものは用意したつもりだ。野暮なことは聞くな」
「それはそうだな。助かるよ、本当に」
「構わないが、それを渡すような真似だけは、勘弁してくれよ。孝太郎、お前でも許さないぞ」
里井は、カフェオレを飲み干して席を立った。
「分かっているさ。そんなへまはしない。……さて、ブツは揃った。やってみるよ」
「昨日も言ったが、無茶はするな。できる限り用心して臨め。リーカーへの潜入なんて、CIAじゃ絶対に許可されない任務だ。異変に気づいたら、迷わず逃げることだけ考えろ」
「ああ、そうする。大丈夫。また明日、カフェオレを飲みに来るよ」
そう言って里井は机に代金を置くと用意された土産を持ち、販売車に背を向け歩き出した。
2049年12月22日水曜日 7時45分 東京都文京区 東欧大学 森崎教授研究室
自身のデスクで新聞を読みながらコーヒーを飲んでいると、研究室に誰かが訪れたようだ。
「どうぞ」
ドアを叩く音に森崎は返事をする。扉を開けたのは、北里成美だ。
「おや、北里さん。早いですね」
「早いって……あなたが呼び出したんでしょ」
「そうでしたね。いやはや、こうなると電話も危険なもので。詳しい話は直接会って話すに限ります」
森崎はそう言いながら、北里に着座を促す。
「……さて。さっそく本題に入りましょう。超記憶研究のことで、周囲に嗅ぎ回っている連中がいるようですね。昨日は君のところにも訪れたと……情報の共有をしておきましょう。互いのためにね」
「……あなたのため、でしょ。私は事務的な手伝いをしていただけで、研究そのものに関与すらしてないわ」
「知りませんか。共犯、という言葉。北里さん、あなたは何が行われていたか、私たち二人を除いては誰よりも知ってしまっていた。運命共同体ですよ」
「……いや、被害者家族もいるわ。五十嵐家、野矢家……そして相沢家。彼らも相応の情報を持っているわ」
森崎は、北里の様子を伺いながら話を聞いていた。
「北里さん……あなたは何が希望ですか」
北里は黙り込んだ。少しの間、俯いたのちに口を開いた。
「黒塗りにされた研究データ、これを世に出したい。五十嵐教授も、それを望んでいるはず」
「……そう来ましたか。さすがは五十嵐先生のゼミ生だ。ただあれは、私だけが手元に持っている」
「だから来たのよ、あなたを説得しに。もう、優くんが監禁されたり、おかしなことが起きてる。警察に、データを渡すべきよ」
森崎は立ち上がると、コーヒーメーカーの前に立った。
「……コーヒーでいいかな、北里さん」
北里は返事をしなかった。森崎は背を向けたまま、来客用のマグカップにコーヒーを注ぐのであった。
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