第31話 15時35分、15時36分

2049年12月21日 火曜日 15時35分 神奈川県川崎市多摩区 兼修大学 五十嵐教授研究室


 里井からの電話を切り研究室内に戻ると、最初に会った北里ともう一人のゼミ生、沢田祥子さわだしょうこが戻ってきていた。


「二人とも、申し訳ないわね。付き合わせてしまって」

「いいえ、大丈夫です。元々今日は、祥子と二人でこの部屋の整理しなきゃって、話してたんです」


 北里はそう言いながら、書籍棚の本を取り出しては中身を確認し、空の段ボールに詰めていく作業を延々と行っている。上村が大学に到着してから、3時間近く経っているのだ。沢田は不思議そうな顔をして上村を見つめる。


「刑事さん、何か見つかったんですか」


 上村はその問いかけを、仕掛けるタイミングと見た。


「ええ。色々とね。……ねえ、この研究室以外にも、五十嵐教授が使用する部屋って、あったかしら?」


 二人はそれぞれ異なる反応を示す。上村はそれを見逃さなかった。


「他に?教授は基本的に大学からは研究室一つしか与えられないんですよ。だからこんなに本がたくさん」


 答えたのは沢田だった。これで上村は確信する。ポケットに手を入れたまま、携帯電話を通話ボタンを押す。短縮ダイアルである人間に繋がるよう設定しているのだ。


「北里さんは、何かご存知ないかしら」


 北里は振り向かずに、ゆっくりと手に持った本をテーブルに置く。


「はい、無いと思います」

「そう、ありがとう。研究室内も一通り見れたし、そろそろ帰るわ。北里さん、一応大学の事務局にも報告だけ入れておきたいんだけど、案内してもらってもいいかしら」


 北里は振り向くと、頷いた。それに対して沢田が立ち上がる。


「成美、わたし行こうか?」

「大丈夫、祥子は戻ってきたばっかりでしょ?私、ついでに飲み物欲しいし。……行きましょうか」


 そう言うと北里は自分の荷物を持って部屋を出た。上村は沢田に「協力ありがとう」と言いながら頭を下げて部屋を出た。


「北里さん、お手洗い近くにあるかしら」

「ええ、そこを右に曲がるとありますよ」

「ちょっと一緒に来てくれる?見せたいものがあって。人前では見せにくいのよ」

「え?あ、はい……」


 我ながら何と下手な芝居か、と思いながらも北里と二人になることに成功する。里井の情報が正しければ、北里は嘘をついていることになる。

 女子トイレに入り誰もいないことを確認すると、上村は拳銃を取り出した。


「ごめんなさいね、北里さん。手荒な真似はしたくないわ。手短に言うわ。大学のどこかに、もう一つ五十嵐教授の研究室があるはず。あなた、それを知っているわね」


 上村は先ほどまでとは異なる声のトーンを発する。北里は急な展開に驚きを隠せない。


「あなたがどう関与しているかまだ掴んでないけど、さっき、沢田さんの前で嘘をついたわね。どうして?」

「……祥子は知らないから」

「あなたはなぜ知っているの?」


 北里は俯いて話そうとしない。上村は一歩足を出して、北里に近づく。


「話したくないなら、このまま警察に連行しましょうか。もちろん任意だけどね。五十嵐教授は、とても大きな事件に関わっている可能性があるのよ。しかも、その部屋で既に事件が起きているの。人の命が掛かってる。それでも協力してもらえないかしら」


 北里は俯いたまま口を開く。


「……治験に関わっていたゼミ生は、私だけです。だから祥子も他のゼミ生も、その存在を知りません。第二研究室は、この建物の地下にあります。表向きは大学の倉庫となっているんですけど、森崎教授と共同研究を行うことになった際、治験に場所が必要になって、五十嵐教授は大学に許可を得て借りたんです。そこはまだ、五十嵐ゼミに使用権があります」

「……覚えておきなさい。警察に嘘は、つくものじゃないわ。案内、ここまででいいわ。研究室に戻りなさい。手荒でごめんなさいね、こっちも必死で。また、何かあったら連絡するわ」


 そう言いながら上村は拳銃をしまい、立ち去る。その後ろから声をかけられる。


「事件って、何が起きてるんですか?」


「……ごめんなさいね。危険だから絶対についてこないで」


 上村はそのまま振り向かずに女子トイレから出る。歩きながら、携帯電話に接続された無線タイプのイヤホンを付ける。


「里井……聞こえた?」

『ええ、さすがです。よく吐かせましたね』

「あなたから北里さんがって聞いていたからね。それと、彼女は研究に関わっていると思うけど、根が悪い人間じゃない。ちゃんと話せばもう少し情報を得られるかもしれないわね」

『はい。けど今は、野矢優です』

「わかってる。アドバイス欲しいから、このまま繋いでいていい?」

『わかりました。美佐子さんとの話も続けたいので、第二研究室に着いたら教えてください』

「了解」


 上村は、そのまま足早に第二研究室へ向かうのだった。


2049年12月21日 火曜日 15時36分 東京都狛江市 某倉庫


 倉庫前に黒のSUVが現れる。そこから、二人の男が降りてきた。


「……テツ、助かった。翔、裏側を確認してくれ」


 五十嵐守は、そう言いながら携帯電話をポケットにしまい、ゆっくりと正面入口へ向かう。弟の五十嵐翔いがらししょうは、小走りで裏口へ向かう。

 中に入ると、がらんとした空間だけがそこにはあった。そして端で、柱に括り付けられた無惨な男の姿を目視した。五十嵐守は、ゆっくりとその男に近づいていく。


「猿田友弘……眉間に一発。正確な仕事だ、やはりあいつらか……」


 息絶えた猿田の髪を引っ張り顔を確認しながら呟く。後方から翔がやってきた。


「裏口に異常ないよ。……うわ、その人、誰?」

「探していた男さ。先手を奪われたみたいだ」


 そう言いながらも、守は冷静だった。まるで、予定調和だとでも言うかのように。


「翔、ベストコンディションでは無いと思うけど、少しやってもらえないかな」

「あれ?」

「そうだ。ここにあったものを確認しておきたい」

「わかった……あれは、興奮しないと正確にはできないからなぁ……あんまり自信ないけど」

「毎日訓練してるだろ?具体的なものまでわかる必要はないんだ。この場所に、どんなものがあったか、それを把握しておきたい」


 翔は、目を少し間つぶり深呼吸をすると、目を開き周りを見渡した。しゃがみ込み、床の傷、塵、匂い、五感で何かを掴もうとする。


「鉄の匂い、複数の足跡、薬莢の匂いもする……すぐそばにトラックが来ていて、荷物を運んだ形跡もある。この辺り、引きずってる。ウチにあった銃の匂いと似てる……」


 守は、それを見ながら頷く。


「翔、何か粉っぽい跡や匂いはないか、空中に浮遊しているとか」

「さすがに粉末が浮遊しているかはわからないけど……なさそう。銃器があったね、間違いない。これ、たぶんウチのだよ」

「十分だ。さすがにこの場で粉の中身は確かめなかったか……まあいい。猿田が死んだ以上、追うべきものは無くなったな。野矢優を迎えにいくぞ」

「え?もう銃器追わないの?盗られちゃったんでしょ?」

「ああ。取引相手にな。けど、あいつらを追っても無駄さ。どうせ二日後に会う。その時に返してもらうとしよう」


 そう言いながら守は出口に向かう。すると、出口に人が立っていた。


「き、君たち、契約者ではないね、何か用かい!」


 パイプか何か、棒状のものとヘルメットを被った男性が立っていた。翔は懐から何かを取り出そうとしたが兄はそれを制止し、歩みを止めず出口へ向かう。


「そう興奮せず……ここのオーナーさんですか?私は自分の荷物を探しにきたのですが、誰かに盗られてしまったみたいなので、帰ります。それとオーナーさん、奥で契約者の方がお亡くなりになってますので、警察に通報した方がいいですよ」

「え、なんだって、猿田さんか?君たちが殺したのか!」

「いえ、私たちが来た時には、既に息をしてませんでした。大変残念です。私たちは急ぐので、申し訳ありませんが、後をお願いします」


 あまりにも下手に出るその若者に対して呆気に取られてしまい、オーナーと思われるその男は五十嵐兄弟を出口で素通りさせ、そのまま車に乗り込み去っていく。倉庫内に入るや否や、悲鳴を上げてすぐさま110番をするのであった。


 去っていく車の中で、二人は会話を交わす。


「兄貴、さすがだよ。自然にすり抜けられたね」

「いいか、翔。暴力は最終手段なんだ。できる限り、そうならない方法を模索するんだよ。お前のその能力は、そのためのものだろう。あのオーナーを殺したら、痕跡を残すだけだ。俺たちに何のメリットもないんだぞ」

「ごめん、兄貴」

「いいんだよ、そのために俺がいる。俺なら、お前の能力を最大限活かせる。この計画に、なくてはならない存在なんだ。しっかりしてくれよ」

「うん、わかったよ。兄貴のことは、信頼してる。何でもやるから、任せて」


 車は軽快に来た道を進んでいく。五十嵐守は窓の外を眺めながら、何かを思案するのだった。

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