第18話 9時52分、9時56分
2049年12月21日 火曜日 9時52分 神奈川県横浜市西区 某カフェ
賑わう店内の中、入り口に最も近いカウンター席に、野矢は座っていた。あまり眠ることができず、予定より早く着いてしまったらしい。入店時に注文したコーヒーは、既に冷めてしまっている。
時計を見ると、約束の時間が近づく。昨夜を思い出しながら、彼女は自身の行動を顧みていた。
「おはようございます、野矢さん」
自分が別のことを考えていたから気づかなかったのか、男が気配を消していたのかは定かではない。昨夜の男は、何事もなかったように突然現れ、彼女に声を掛けた。
「さてと。さっそく案内してもらいましょうか」
そう言って、二人は店を出る。店を出たところで、野矢は言った。
「一つ、お願いがあるんだけど」
男は、足を止める。
「何でしょう」
「案内する前に、息子が無事かちゃんと確認したい」
男は野矢を見つめる。そのまま、答えた。
「いいでしょう。当然ですね。先に息子さんに会わせます」
そう言った頃、黒塗りのSUVが二人の前に停車した。
「迎えです。乗ってください」
そう言うと、男は助手席の扉を開けた。野矢は恐る恐る、後ろの席の扉を開けるのだった。野矢は、この男がすんなり要求を飲んだことに、違和感を覚えていた。
2049年12月21日 火曜日 9時56分 東京都千代田区 警視庁 地下二階
「里井君、妙案とは何かね」
増田が問いかける。里井は立ち上がり、説明を始める。
「考えたんです。取引の情報を正確に引き出すには、それ相応の近しい関係性でなくてはなりません。となると選択肢は、周囲に取り込むか、本人に近づくか、ですよね。ただ、いかんせん時間が無い。関係性を構築している時間はない。となると、一気に距離を近づけ、尚且つ取引に関する情報を聞き出すには・・・」
里井は、そう言いながら、北原を指差した。北原は予想外の指名に、慌てて考えるが、案が浮かばないようだ。
「取引相手になることです」
里井がそう言うと、皆、驚きの表情を浮かべた。
「里井が、取引を持ちかけるってことか?あのダボス・リーカーに?」
北原がそう言うと、里井は当然のように答える。
「そう、それが最も近道だと考えます。目的は取引の情報を聞き出し、リーカーと爆破予告犯の取引現場を押さえること、ですよね。だとしたら、予告犯より高い値で買うと、バイヤーとして接触するのが効果的かと」
『里井、案としては悪くないが、このタイミングで別のバイヤーが接触してくることは、不自然だろう。怪しまれないか?非常に危険な賭けと見えるぞ』
「ええ、怪しまれると思います、間違いなく。最低限の設定だけ整えて、後は出たとこ勝負・・・元々、時間もない中で危険な相手に接触しなければならないことは、昨日の時点で百も承知のはずです」
皆、次の言葉が出ない。里井の案がベストとは言えないが、他に案がないことも事実だ。リーカーは馬鹿ではない。上手く事が運ぶ確率は相当低いのだろう。皆の表情がそう物語っている。
「現場でのサポートが必要なはずです」
静かな空気を切るように、飯田が言った。
「リーカーに接触するのに、バイヤーが突然一人で接触してくるなんて、設定に無理があり過ぎる。人物設定はもちろん、見てくれも重要なはずです」
『飯田の言う通りだ。君が現場のサポートに付いてくれるなら、心強い。頼めるか』
飯田は、上原の言葉に頷いた。上原は続ける。
『北原、二人の設定を、早急に進めてくれ。穴がないようにな。出来次第、知らせるんだ』
「了解です」
そのやり取りを見ながら里井は席につき、再び口を開く。
「リーカーの件は、それでいいでしょう。もう一つ皆さんに共有しておきたいのは、捜査一課で追ってる事件の容疑者について、です。キャシー、資料と映像、スクリーンに映してもらえるかな」
ウィリアムズは頷き、関係資料と画像を映し出す。
「昨日の捜査で、かなり進展がありましたが、結果的に容疑者の猿田友弘、また現在荷物の持ち主から脅迫を受け行動している野矢美佐子、この二人はダボス・リーカーが経営に関わる、リーカー・トランク・サービス、通称RTSの共同経営を行ってました。フランチャイズなので、名借りして事業をやっていたようです。野矢美佐子の夫が殺害された酒屋、モンテネグロの地下倉庫にあった二千四百万円と、大きな荷物が消えています。で、脅迫の電話をしてきた荷物の持ち主が、野矢とともに猿田の行方を追っているという状況。今日、野矢を見つけるべく動きたいと思ってます。私は、荷物の持ち主が、リーカーの取引相手である可能性があると見てます」
『里井、そう関連付ける根拠はあるのか』
「証拠はありません。ただリーカーの関わりが確実であることだけでなく、この事業、相当の大金が動いてます。経済的にも社会的にも、この事業を利用できる人間は、数えるほどと言っていいでしょう。表向きに使えるサービスではないし、ネットで検索して出てくる会社でもありません。また荷物の持ち主の仲間と思われる安藤と言う男、彼が野矢に脅迫電話を行った本人であることは昨日北原が特定しました。余罪が多数あると思われるチンピラですが、彼にRTSを利用するほどの財力も、相応しい荷物を持っているとも思えないんです。そうなると、裏に仕切っている人間がいます。そして、荷物の中身、これを執拗に欲しているということは・・・中身は表に出せないが保管に場所を要するもの、それが仮に銃器類だとすれば・・・このタイミング、色々説明がつくんです」
里井はマシンガンのように説明する。息継ぎをし、そのまま続ける。
「野矢美沙子を見つければ、荷物の持ち主に繋がります。そして、猿田も見つけることができる。私の読み通りなら、荷物の持ち主に先を越されると、間違いなく猿田は殺されるでしょう。仮にですが、こっちの案件との関連性に読み違いがあったとしても、奴らが重大な犯罪者たちであることには変わらない。追うべきだと思います」
里井がそう言うと、ウィリアムズは微笑んだ。里井を初めて見た時、この若い青年にSIIの捜査官が務まるのか、と偏見を持ったことを思い出す。一年前、里井が捜査官に抜擢されることになった事件があった。その時も里井は、熱の入った説明で周囲を説得。当時は全員の理解を得ることができないながらも、己の判断を信じて誰もが難しいと思っていた任務を成し遂げた。彼も、もちろん失敗はすることはある。ただその正義感と自身の能力に対する信頼と確信、それがウィリアムズが彼を認める要素であり、彼が持つ非凡な資質なのだ。
里井は皆の表情を確認しながら、ウィリアムズが微笑んでいる様子を見て首を傾げていると、上原が口を開いた。
『いいだろう、里井。推測の域を出ないまでも、筋は通っている。捜査一課の追っている案件との一定の関連性を認めよう。先を越される前に、野矢美佐子を見つけるんだ。ただしリーカーの潜入は、明日。そこは変えないぞ。増田、それでいいか』
「ああ問題ない。里井君、皆さん、それぞれの役割を全うしましょう。敵は手強い、気を抜かずに慎重に。会議は、以上で終わります」
皆座ったまま一礼をして、席を立つ。里井は、ウィリアムズの元に近づいた。
「キャシー、さっき俺が説明してた時、気のせいか笑ってなかったか?何か可笑しなことでも言ったかな」
ウィリアムズは、その発言に笑みを溢す。顔をしかめる里井を見ながら、笑うのを止めて言った。
「違うわ、安心したのよ。孝太郎、あなたは紛れもなく、SIIの捜査官として適任だわ。そして、この国に必要な男よ。引き続き、頼むわね」
真顔でそう言い残すと、ウィリアムズはその場を去っていった。里井は、立ち去るウィリアムズの後ろ姿を見ながら、言葉の意味を、噛み締めていた。
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