第1章

第3話 2049年12月20日 月曜日 5時30分、8時35分

2049年12月20日 月曜日 5時30分 横浜港


 まだ日も昇っていない港の朝、ここ横浜港にはいつもと違う不穏な雰囲気が漂っている。


「急げ、積荷の番号を間違えるなよ」


 男が数名ほどで漁船から積荷を降ろし、その積荷を最大積載量が十トンと見える大きなトラックに流れ作業で運んでいく。


「もうすぐ六時になる。日が昇る前にはここを出るぞ、急げ!」


 黒塗りの自動車から降りてきたスーツ姿の男が皆に呼び掛けた。流暢なロシア語である。


「監視カメラは?」

「妨害してあります。警備員も二名、排除しました」

「よし、積荷の番号を照会しろ」


 スーツの男に指示され、小柄な男がトラックに運び込まれた積荷の番号と、手元のタブレット端末に表示されているリストを見比べる。スーツの男は積荷の箱に腰を下ろして、頻繁に腕時計を気にしながらその様子を眺める。


「ローラン、全てあります」


 スーツの男は、その言葉を聞いて、すぐに立ち上がった。


「聞いたか、全員撤収だ!ルートは指示通りだ、急げ!」


 その言葉を聞くと、それぞれ、トラック、漁船、自動車へと乗り込み、手際良くその場を後にした。横浜港には、何もなかったかのようにいつもの朝が訪れようとしていた。


2049年12月20日 月曜日 8時35分 東京都千代田区 警視庁


「おはようございまーす」


 その男は、滲み出てくる程に気だるい様子で「刑事部」の扉をくぐっていく。


 彼の名は、里井孝太郎さといこうたろう、二十四歳、役職は警部補。若くして、捜査第一課に配属となっている、警視庁内の誰もが有望株として認める人間の一人だ。彼は、警視庁内で二つの顔を持つ特別な捜査官なのだが、ここでは明記しない。直、全てを知ることになる。


「里井、昨日のひったくり犯、やったのお前だろ?」


 席へ向かう里井に、横沢悟よこざわさとるが話しかける。年齢は三つ上で役職は警部補、里井の先輩にあたる捜査第一課の人間だ。


「ええ、まあ。私、昨日のこと誰にも話してないはずですけど、何で知ってるんですか?」

「ばか、三課にあんなことできる奴いるかよ、あそこまで派手にやって、得意顔して立ち去る奴なんて、そう何人もいるわけねーだろ」

「はあ」


 そう言って横沢は里井の方を激しく叩く。この毎回の、一連のやり取りは、もはや第一課のみならず、刑事部全体の名物と化している。


「あんたね、やりすぎなのよ、毎回毎回」


 溜息をつきながら自分のデスクにつく里井に、隣に座る上村詩恩かみむらしおんが言った。上村は課のメンバーであり、里井の正体を知る数少ない人間の一人である。


「いや、つい……ふざけた奴だとスイッチ入っちゃうんですよね。すぐに店を出たんで、今回は平気かと思ったんですけど」

「監視カメラにばっちり一部始終が映ってたわよ。あとは店にいた客が撮ったと思われる動画がネット上に投稿されてて、もう大騒ぎよ。誰がやったかなんて、火を見るよりも明らかにね。刑事部長とその他大勢がまたグチグチ言ってるらしいわよ。エアーガンの発砲がどうとか、業務の逸脱がどうとか、過剰攻撃だの器物損壊だの何だのって。目立っちゃいけない人間が、よくやるわよね。あたしは、知らないから。また始末書ね」


 早口で淡々とそう言い残すと上村は立ち上がり、お気に入りの赤いマグカップを手に持ち給湯室へ向かっていった。里井には、刑事部長含む上層部が騒いでいるという状況を容易に想像することができ、再び深い溜息をついた。その時、ポケットに入れている携帯電話が鳴り響いた。


「おい里井、私用携帯は電源切っておけよ」

「すみません、ちょっとだけ席外します」


 里井はそう言いながら立ち上がり、刑事部を出て、非常階段へ向かった。階段の踊り場で誰にも見られていないことを確認すると、里井はポケットから携帯電話を二つ取り出した。現在の警察官は、警部以上の役職者で無い限り、公用の携帯電話は原則支給されず、課ごとに用意されたものを皆で使用する。念のためだが、里井の役職は、警部補、である。里井は鳴り響いている携帯電話が私用のものことを確認し、もう一方で電話を取った。


「はい」

『出るのが遅いぞ』

「すみません、これから朝礼です。どうしたんですか、急に」

『何かなければこの番号は鳴らない。君自身がよくわかっているだろう』


 思わず、里井は電話相手に鼻で笑ってしまった。一年振りに着信を受けたこの電話の意味を思い出したからだ。


「そうでしたね。で、何があったんですか」

『緊急事態と言っておく。君にしか出来ない仕事だ』

「仕事なら、今日は強盗殺人の案件があったはずで、それで手一杯なんですけどね」

『同時並行でやってくれ。今回は、ランクSでの要請だ。例の場所に、10時30分にきてくれ』


 そう言い残し電話は一方的に切られる。里井には拒否する間も与えない。携帯電話をポケットに入れ、非常階段の手すりを握り締めながら東京の中心を見下ろす。この時里井はまだ、これから起こる事態の予兆を感じ取ることはできていなかった。



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