ある憂い


 狂っているのは世界か?

 あるいは自分自身か?


 5年付き合っていた彼女に振られた。


「あなたは結局自分の中で世界が完結しているのよ。あなたの中で世界が閉じている。現実の世界には全く無関心で、自分の中に存在している美しい世界を守れたら、それでいいと思っている。その内向性が外へと発露することはほとんどない。感覚を誰かと共有しようとは思っていないのよ。自分が感じた嬉しさや悲しさは、自分だけが知ればいいし、自分だけが感じていたらいい。自分の中で究極に美しい世界を築くことができたらそれでいい。そのあなたの世界の中に私は要らない。私にすら、あなたは無関心だった」

 大体そんなことを言われた。いくつか反論はあるものの、大方彼女の言っている通りだった。僕は内向的に過ぎる人間で、世界を自己に閉じ込めている。美しいのかどうかはともかく、自分の世界を築いていて、それが傷つけられるとひどく狼狽する。

 僕がおかしいのだろうか?

 時々考える。

 俺は正常か?

 俺は狂っているのか?

 でも答えは出ない。ナンセンスな問いなのかもしれない。前提が間違っているのか。

 世界。

 世界とは何だ?

 世界とは結局自分の主観的な感覚でしかないと僕は思う事がある。

 客観的な視点というものは本当は存在せず、全ては主観によって決定された感覚的な認識に過ぎず、論理なんてものは存在せず、僕らは正しいとか間違いとか、そういうことを全然判断することができないのではないか。

 全ては脳が映し出した幻覚で、世界は現実に存在しないのではないか。

 現実。

 僕は時々わからなくなる。

 現実とは何だ?

 どこからどこまでが現実だ?

 眠っている時に見る夢を、現実ではないとどうやって証明する?

 僕とは何だ?

 僕とは何者だ?

 何もかもがわからない。

 意味と無意味。その判断もつけられない。

 何が僕にとって意味のあるもので、何が無意味なものか。

 価値とは何か。

 例えば、戦国時代の人々にピカソを見せたとして、彼らは評価するだろうか?

 例えば、未来の芸術を見て、僕らは評価できるだろうか?

 価値は流転する。

 僕らもそうだ。

 諸行無常で、全てが流転し続ける。

 世界は一度たりとも止まってはくれない。

 過去に起きた事象から得た法則が、未来に適応できるのか。

 未来を予測することが、今を生きることに本当に良い結果をもたらすのか。

 僕らはどこへ行くのだろうか。

 何もかもが不可解。何もかもがわからない。

 僕がおかしいのか?

 世界が狂っているのか。

 何が善で、何が悪か。 

 価値は時代によって簡単にひっくり返る。パラダイムはやがて次の段階へと移行していく。

 僕らが飽き性なせいだろうか。好奇心が強すぎるせいだろうか。

 世界は進化を止めないし、僕らはいつまでも満たされることがない。

 幸せ。人生の意味。命の価値。

 人生は空転し、行き着く先が無闇な世界なら、僕は僕として、独りで生きていければそれでいいのかもしれない。

 何だか涙が出てきた。

 俺は孤独だ。

 結局は考え過ぎていて、誰かと触れ合いたいだけなのかもしれない。しかしその方法がわからないのだ。だからもがき苦しむ。誰かに愛されたいのだけれど、愛はあまりに不確かで、不可解で、僕はあれこれ理屈をつけたがる。

 僕は理屈が欲しいのか、感覚が欲しいのか。

 あるいは自分を肯定したいだけなのか。

 誰かと愛し愛されることが、人生の生きる意味ならば、僕は今日、それも失ってしまった。彼女には申し訳ないことをしてしまったと思う。僕は彼女と向き合うべきだったのだ。でもどうやって向き合えばいいのかわからなかった。

 いや、違う。

 おそらくわかっていたのだ。でもできなかった。

 否。

 やらなかった。

 傷付くのが嫌だったから。

 傷付くのが怖かったから。

 僕は僕の世界に、誰かを招き入れることをしなかった。

 誰かと傷付き、傷付けられることを拒んだ。

 愛し愛されることを拒んだ。

 どうすればいい?

 僕は、これから何をして、何をすべきでないのか。

 本当は全てわかっているのだろう。

 

 俺の憂いは、俺が自分で望んだことの結果だ。

 人とどう関わればいいのかわからない。

 それは、僕の至らなさの結果だ。

 考えすぎか。


 僕は夜の公園でベンチに座り、空に白い息を吐いた。

 混乱した頭を夜風が撫でて、僕の頭を冷やした。

 僕は風で涙が乾くのを待った。

 でもいつまでも、いつまでも乾くことはなかった。


 

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