第19話ー影

 腹から腰にかけてを締め上げられ、リクは文字通り息も絶え絶えになった。

「な、なに、これ……」

「ん? コルセット」

 何を今更、とでも言いたげにジークが返す。

「いやそういうことじゃなくて。なんで俺がドレスを」

「そんなの決まっているよ」

 口を挟んだのは、白い布をまくりあげて着替えの場へ入ってきた殿下だった。

「いざというときに、お前に影武者になってもらうためさ」

「か、影武者……?」

「そ。ガーネットは、美しい顔をしているから。いけるんじゃないかと思って。うん、見立て通りだったね。似合っているよ」

 満足そうに頷く殿下を、リクは複雑な思いで見やる。絶世の、と評しても過言ではない美をそなえた皇子殿下に美しいと言われては立つ瀬がない。ドレスが似合う、と言われることにも素直に喜べない。

「私の代わりに死ね、と言うつもりはない。結果的に同じ意味合いになることはあるかもしれないけれど」

 殿下は笑みを消してリクに言った。

「ただ、目くらましとして影武者のような存在は必要不可欠だ。ガーネットには、そこを担ってもらいたい」

「……御意」

 リクは腹の苦しさを押し殺して叩頭した。殿下の言い分はもっともである。

「不満か? 自分の容姿を利用されることが」

「……いえ。不満はありません。不本意ではありますが。ただ、不本意ではあっても慣れてはいますから」

「慣れ、ね……」

 殿下は微笑んだけれど、その笑みはどこか寂しげであった。

「それにしても……、すごいですね、殿下はこんな苦しいコルセットというものを身に着けていて平気なのですか」

「平気なわけない」

 あっさりと殿下は返して、微笑みつつも静かな目をリクに向けた。

「平気なわけはないが、平気な顔ができる程度には訓練したのだよ」

「……それは、つまり」

 リクは息を飲んだ。リードラ公との婚姻が持ち上がる前から、殿下は性別を偽り、皇女として生きる覚悟があった、ということではあるまいか、と思い至ったからである。

「まあ、とにかく、リク・ガーネットには影武者としての役割も果たしてもらうことになろうぞ」

 それ以上の追求を避けるように、殿下はゆったりと微笑んだ。リクもこの話題は避けようと思いつつ、違う疑問を口にしてしまう。

「おそれながら殿下、無事に嫁入りを果たしたとしても、性別の詐称がリードラ公に知られるのは時間の問題と思われますが……」

 時間の問題どころか、即日バレるだろう。下衆な物言いになるが、初夜の床で素肌を晒すことになれば誤魔化しは通用しないのである。

「それはもっともな心配だね。性別の詐称など、脱げばすぐにわかることだ」

「殿下、それはあまりにも」

 あまりにも明け透けな言いようではないか、と話題に出したリクの方が慌てた。そんなリクを殿下は面白そうに見返す。

「そこはね、もちろん考えているよ」

 殿下はさらりと微笑んだ。

「どういうふうに乗り越えるかはね、今はまだ、秘密、だ」

「は……」

 ふふ、と鮮やかに微笑む殿下に、リクは頭を下げるしかなかった。

 そののちに、コルセットとドレスから解放されたリクは、ジークに教えられた道筋を辿って自室に向かった。貴婦人と呼ばれる女性たちがこのような苦しい思いを日々味わっているとは信じがたい、と思いながら。と、その道すがら。

「……ん?」

 ふと周囲を取り巻く空気に違和感をおぼえ、リクは立ち止まった。意図的に気配を消している、という気配が感じ取れる。リクはそっと右手を剣の柄に沿わせた。

 リクのその警戒を感じ取ったのか、違和感はほどなくして消え、その違和感のもととなる人物も姿を消していた。

「こりゃあ、なかなか骨が折れるんじゃ……?」

 こめかみを汗がつたってゆく感覚を覚えつつ、リクはそっと呟いた。第四皇妃が向かわせているという刺客の存在を、体感した瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る