第17話ー光

 あっけに取られることに慣れてしまったのだろうか、リクを含め、一同にはもうさしたる動揺が見られなかった。殿下は目の前に居並ぶ宝石たちを眺めて微笑んでいた。その姿はいかにも貴婦人然としていた。

「リードラへ行きたくない、という者がいると困るのだけれど……、いかがか?」

 それを今尋ねるのか、とリクは苦笑したが、大会開催時に公にしておくことなどできないことを考えれば、不平を言う気にもなれなかった。

「行きます」

 はっきりとそう告げた声は、女性のものだった。名前はたしか、ネイ。おそらくはこの場でもっとも年若い……、子どもの域を出ていないとすらいえそうな見た目だ。赤毛を頭の高い位置でふたつに結び、その髪の先がきれいな弧を描いていた。

「あたしにはもう、行くところも帰るところもないんですもの。リードラにだってどこにだって行きます」

 行くところも帰るところもない。それはリクも同じようなものだった。おそらくはここに集う全員、似たような境遇であろう。

「旅芸人の一座にいた、あたしみたいな者にとってはむしろ法外の出世でしょう。一座も潰れてしまった今となっては、断る理由なんてひとつもありません。……まあ、こんなこと、きっとすでにお調べのことと思いますけれど」

 幼さの残る愛らしい顔から考えると意外にも思えてしまうほどのきっぱりとした調子のネイには、なるほどすっきりと澄んだアメジストの名がよく似合う。

「心強い返事をありがとう。今の指摘通り、たしかに諸君の出自や生業について調査済みだ。だが、それはこちらの安心材料として知っておきたかったにすぎない。それを材料にして無理に私の命を守ることやリードラ行きを強要するようなことはしたくない。ましてや、脅すようなことは。綺麗事を言っているように聞こえるかもしれないが、これは私のためでもあるのだ。無理強いは、禍根を生むからね」

 必要以上の隠し事や策がどのような危険を孕むのかを、殿下はよく理解しているらしかった。

「もちろん相応の礼をしたいと思っている。諸君が望むものはなんでも与えよう」

「望むものは、なんでも?」

 笑いを含んだ声で復唱したのは、ガイだった。笑うところだっただろうか、とリクは少し驚いてガイに目を向けた。その笑いにはどこか嘲るような響きが滲んでいたような気もしたから。

「ああ、すみません」

 ガイは軽く肩をすくめて見せた。悪意あっての発言ではなかったらしい。

「そんな言葉、おとぎ話でしか見たことないな、と思いまして」

「なるほど。たしかにそう日常的に耳にする文言ではなかろうね。なんでも、とは大きく出たものだと思われるだろうし。……だが……、今の私にとっては、なんでも、と提示するのはむしろ至極当然だよ。なにせ、諸君に命をかけさせようとしているのだからね」

 殿下は、穏やかに保っていた微笑みを消した。白いドレスの裾をばさりとさばき、玉座から立ち上がる。

「諸君には命をかけて私を守ってもらいたい。そして私も、諸君に命を預けている。諸君が宝石の名を受け入れようと受け入れまいと、この瞬間にすでに。諸君が第四皇妃のもとへ走り、私の秘密を話せば私は殺される。いや、それよりも手っ取り早いのは、市中に噂を流してしまうことだ。リードラ公へ降嫁する皇女殿下は実は男らしい、と。私のもとには調査が入り、事実とわかれば降嫁は取りやめ、それどころか死罪の可能性もある。命を取られるかもしれないことを思えば、他のものなど何も惜しくはない。なんでも、与えて進ぜようぞ」

 語る声は力強く、深く青い両眼が燃えるように輝いていた。金色の髪が肩口からさらりと流れる様は光の束が地上へ落ちるがごときまばゆさで、リクは声を失った。殿下が謁見室に入ってきたときに感じた衝撃を、改めて全身で受け取っていた。突きつけられるように。

 ああ、と感嘆する声すら、出せなかった。

 武力以外の力に圧倒されたことは、これまでになかった。こんなふうに、光に押しつぶされそうになることなど、リクの人生の中で、一度も。

 光。

 そう、光だ。

 リザ、と、リクは胸中で少女の名を呼んだ。依頼人であったイワンの娘・リザは、リクのことを「おうじさま」だと言った。そんな彼女に教えてあげたかった。自分など、本物の皇子殿下と比べられるものではない、と。

 あのひとが、光だ。

 あのひとは、光そのものなのだ。

「私の本当の名はアルテム。この嫁入りは、私の命をかけた戦いなのだ」

 光そのものであるアルテム皇子殿下は、戦いに挑むにふさわしい燃え滾るまなざしでリクらを見据えた。アルテム皇子殿下の嫁入り道具一同は、一斉に深く頭を下げた。

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