第15話ー皇族の秘密
リードラ地区の領主の功績を称えて褒美として皇女を降嫁させる。それはわかった、とリクは胸中で反芻する。だけれども。
「いや、あの、皇女が嫁ぐことになったんだよな? 皇子が皇女のふりをして嫁ぐ理由は?」
リクの疑問をそっくりそのまま声にしてくれたのはガイだった。いや、オニキスか。知り合いであればあるほど、新しい名に親しみにくい。
「おい、オニキス」
オパールが睨みつけたのは、敬語がきれいさっぱり消え去っていたからだろう。
「いいよ、ハンナ」
「は。……おそれながら、オパールでございます殿下」
「あー、ごめん。自分でつけておきながらこれだ。まあ、前の名前を捨てろという意味でつけたのではないし。えーと、とりあえず、名前の話はあとにしよう。私が性別を偽っている理由について、だけれど」
殿下は話を仕切りなおした。それにしても、とリクは頭の片隅で疑問に思う。皇族とはこんなにも砕けた調子で庶民と話すものなのだろうか。
「理由は、ね……、私が嫁ぎたかったからさ」
とんでもないことを、こともなげに殿下は言う。
「と、言ってもまだ説明にはならぬようだから改めて順を追って話すが……、リードラ公に皇女を降嫁させる、とお決めになった皇帝陛下は、我が子たちが暮らす皇子女宮殿へ使いを出してお尋ねになったんだ。『嫁ぐのにちょうどよい年頃の皇女はおらぬか。たしか、ひとりかふたり、いたと思ったが』と。そこで、私が名乗りを上げた。『今年十七になるエリザベータが、リードラ公に嫁ぎます』とね」
「お、お待ちを!」
シトリンが慌てたように声を上げる。
「殿下は今、皇帝陛下がお尋ねになった、と仰いましたか? それではまるで、皇帝陛下がご自分のご子息やご息女についてご存じないような言い方ではございませんか」
「ご存じないのだよ」
殿下が、静かに答え、シトリンが絶句した。
「皇族の情報は庶民に秘匿されている。が、実は庶民にのみ秘匿されているわけではない。貴族にも、また皇族同士でも秘匿されている。皇子も皇女も、自分たちに何人のきょうだいがいるのか知らないし、兄なのか姉なのか、弟はいるのか妹はいるのか、ということもわからない。もちろん名前も。話したことはおろか、お互いに顔を合わせたことすらないのだ。国民は皆、アレクサンドル皇子殿下の立太子の儀によって殿下の名前と姿を知ったことと思うが、私たちもね、そのとき初めて知ったのだよ。自分たちにはアレクサンドル皇子という兄がいたのだ、と」
リクの背中を、再び冷たいものが走る。これは、聞いていていいことなのか。
「この秘匿の規則は相当古いもののようでね。理由は諸説あって今となっては正しいことはわからない。まあ、慣習化されていると言っていいだろう。唯一、皇族の情報のすべてを把握できるのが皇帝陛下なのだが……、ご興味がないのだろうね、皇子女の人数も性別の内訳も、もちろんそれぞれの年齢も、ご存じないそうだよ」
「そんな」
「珍しいことではない。先代の皇帝陛下、つまり私のおじいさまもそうであったようだし。それが当然だと教えられて育てば、それが自然になるものだ」
殿下の語り口には、特に感情がこめられていなかった。感情をこめまいとしている努力も感じられなかった。
「まあ、そうであるからこそ私は性別を偽ることができたわけだが。降嫁に挙手をしたのは、私と、異母妹の皇女イネッサだが、イネッサは御年六歳。嫁入りには早すぎるとして私が選ばれた。実は現在、このイネッサの母に私は命を狙われているんだが、まあそれもあとで話そう」
「え、今、命狙われてるって言った?」
ついに、リクは驚きを声に出してしまった。謁見からまだたいした時間は経っていないというのに、とんでもないことばかりをこうもぽんぽんと口にすることができるものなのだろうか。
「ガーネット!」
オパールことハンナの叱責が飛んできて慌てて口をつぐんだリクを、殿下は面白そうに眺めた。
「私は先ほど、性別を偽っているのは、嫁ぎたいからだと言った。もっと正確に言えば、ここを出て行きたいからだ。この国では、次期皇帝、つまり王太子以外の皇子に未来はない。貴族にも庶民にも存在を秘匿され、皇帝陛下にすら興味を持たれぬ皇子に待っているのは、王宮に閉じ込められたままの死だ。セルゲイ叔父上は運がよかった。ロベーヌ公の失態のおかげで王宮を出てロベーヌの地で家族を持つことができる。だが、そんな例はほとんどない」
殿下はリクに微笑んだままそう語ってから、不意に、す、と天井を仰いだ。
「私は嫌だ。ここを出てやりたいことがたくさんある。……こことは、違う空を見たいんだ」
リクの両目が、大きく見開かれた。
違う空が見たい。
それは、リクが故郷を飛び出した理由と、同じだ。
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