第5話ー違う空

 リクは、ロード帝国カザード地区の片田舎・ダンジェ村で生まれた。五人兄弟の真ん中で、姉がひとり、兄がひとり、弟がふたりいた。故郷は常に雪深く、空はいつもどんよりしていて暗かった。短い夏のうちに、何度か青い色を目にする程度、というのは大げさにしろ、リクにとってはそうした印象が強かった。

 ダンジェ村で暮らすひとびとは皆まずしく、リクの一家も例外ではなかった。リクは七歳で家を出た。どんよりしていない空を、こことは違う空を、見たかった。

 それから十年、リクはロード帝国内を様々に移動して、その日の食い扶持を稼ぐような生活を続けている。故郷へは一度も帰っていない。

「空、ね……」

 リクはひっそりと呟いて自嘲気味に笑う。ロード帝国では多くの土地で暗い空をしている、ということは、故郷を出ていくらもしないうちに気がついた。

 まだ夜が明けきらぬ時間だった。リクはガイとともにヒャベスの安宿に一泊していた。女将の態度は悪かったが部屋は清潔で、寝具も悪くなかった。

 ガイがみつけてきた武人大会とやらに、リクは結局、出場することに決めた。外がもう少し明るくなったら宿を出発して、馬で半日もかからぬ距離にある帝都・サラートペテルークへ向かう。

 見るからに上質なインクをつかっているらしいとわかる貼り紙は、「集え!」という活字が刷りたてのようにぬれぬれと踊っていた。ガイにそれを見せられたとき、リクの頭にまず浮かんだのは、胡散臭いだった。

「武人大会ぃ?」

「そうわかりやすく疑わし気な声出すなよ」

 ガイはくっくっく、と笑った。

「最近、結構な頻度で開催されてるらしいんだ、こういうの。主催が軍だったり、どっかの貴族だったり、皇帝陛下だったりといろいろだけどな。どうやら流行ってるらしいぜ、上流階級サマの間でさ」

「ふーん」

「まあ、もうちょっと聞けよ」

 あからさまに興味のなさそうな声を出したリクの肩をガイが軽くつかんだ。

「ただ上流階級サマの見世物になるような大会なら、俺だってお前を誘ったりしないさ。この大会はちょっとそういうのとは違うみたいなんだよ。ここを見てみろ」

「……? 参加者の身分は問いません。上位入賞者には軍から特別な褒賞と地位が与えられます……?」

「軍に属することになるんだろうが、単に一兵卒として入隊させるのであれば、こんな書き方はしないと思うんだよな。何か特別部隊でも新設されるんじゃないかな」

「お前、軍への入隊に興味があったのか?」

 リクは心底意外に思って、ガイの横顔をしげしげと眺めてしまった。リク以上に自由を愛し、権力とは無縁でいる……、リクはガイのことをそういう男だと捉えていたのだ。

「別に軍には興味がない。ただ、ちょっと面白そうじゃないか?」

「面白そう?」

「うん。身分を問わず人を集めていて、しかも、地位を与えると明言している。こんなことは俺の知る限りこれまでになかった。俺たちみたいなド底辺の人間が大会で勝ち抜いて、どんな地位が与えられるものか、気にならないか?」

 ガイが語る参加理由がまさしくガイらしくて、リクは内心でホッとしつつ、リク自身もガイと同じ部分に興味深さを感じていた。

「……それは……、まあ……」

「だろ? ヒャベスはおあつらえ向きに帝都に近いし、俺は明日、早速向かおうと思う」

 リクはその場では明確な返事をしなかったが、ガイと連れ立って酒場を出て、同じ宿の同じ部屋に泊り、今に至っていた。

 窓の外が明るくなってきたのを察して、リクは起き上がった。隣のベッドに寝ていたガイも、ふわわ、と大きな欠伸をしながら身を起こす。

「おはよー。……リク、お前、結局、どうする?」

「……行くよ」

「お、そうか」

 ガイは嬉しそうにニカリと笑った。眠気のかけらも見えぬ笑顔だった。驚くべき寝起きの良さだ。

「俺の口説きに応じてくれたってわけだな」

「気持ち悪い言い方するなよバカ」

 リクは顔をしかめ、手早く出発の身支度を始めた。

 実のところ、リクはガイほど武人大会に魅かれているわけではなかった。ただ、この十年の傭兵生活の間に、帝都へ赴くことはなく、他人からの伝聞以外、帝都がどんな場所であるかを知らなかった。武人大会がどんなものであるのか、入賞者にどんな地位が与えられるのか、ということよりも、帝都がどんなところであるのか、ということを知りたい気持ちの方が強かった。まるで子どものように。

「ただ……、違う空を見たいと思っただけだよ」

 小声で、リクは呟いた。

「お洒落な言い回しだなー、さすがおうじさま」

「やっぱり喧嘩売ってるな?」

 聞こえないだろうと思っていた呟きはガイの耳に入っていたらしく、リクは舌打ちしながらガイを睨んだ。

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