第2話ー用心棒という人種
空は厚い冬雲でおおわれていたけれど、おそらく降り出しはしないだろう。リクは馬上からちらりと雲の様子を見てから、傍らでげらげら笑っている男を睨んだ。
「いつまで笑ってんだよ、仕事中だぞ」
「すまん、すまん。いやー、久しぶりに面白かったからさー」
げらげら笑っている男・ガイは、広い肩を揺らして悪びれることなく明るい声を出した。
「おうじさま、は初めてじゃないか? リク」
今朝、いとけない少女がリクを見て言った言葉が、ガイのツボに入ったらしい。
「すみません、娘が失礼を……」
馬車の御者台の上で、少女・リザの父親であるイワンが頭を下げる。
「いや、別にいいんですけど」
リクは小さく首を横に振った。イワン、オリガ夫婦も、娘のリザも、リクとガイのことを「お客様」として扱ってくれたが、正確にはイワンの方がリクたちの客なのである。リクとガイは、イワンの馬車を護衛するため、傭兵寄合所を兼ねた酒場の親父の仲介で雇われたのだ。
「まあ、リクは慣れてるもんな、こういうこと。どこかの令嬢みたいだとか人形みたいだとか言われることが多いみたいだから、お嬢さんの「おうじさま」って言葉はたぶん今まででいちばんの誉め言葉ですよ」
ガイがイワンに向かって語るのを、なんでお前が知った風に語るんだよ、と思いつつリクは結局口に出さずにいた。今まででいちばんの誉め言葉、というのはあながち間違いでもない。リクの容姿に向けられる視線や投げられる言葉はたいていが揶揄めいたものであったから。
「おぐしがきんいろだったら、ほんもののおうじさまね。でも、おめめはきっと、おうじさまよりお兄さんの方がきれいだわ。宝石みたいなあかいいろ」
イワンの家の暖炉の前で外套のフードを外したリクの顔をきらきらしたまなざしで眺め、リザはそう言った。リクは小さく苦笑しつつ、内心では驚いていた。黒髪にふちどられたリクの顔の、そのふたつの瞳は少々特異な色をしている。リザが言ったように、赤、なのだ。それも、あまり明るい赤ではない。どろりとした血だまりのような暗く濃い赤だ。きれい、というよりは気味が悪い、と言われることの方が多かった。
「おうじさま、ねえ……」
誰にも聞こえないくらいの声で、リクは呟いた。そんなもの、会ったことも見たこともない。おそらくはこれからも見ることはないだろう。
「リク」
「ん?」
「この森を抜けた先に牧場がある。そこで少し馬を休ませよう。イワンさんの知り合いの牧場なんだとさ」
「わかった」
ガイに頷き返しつつ、リクはぐるりと森を見渡した。自分たち以外に人の気配はないとわかっていたが、注意はしすぎるくらいでちょうどいい。この森が道中最初の難所だったのだ。無事に通り抜けられたのは幸先がいい。
「おふたりも、どうぞ休んでいてください」
イワンはぺこぺことふたりに頭を下げて、牧場主に挨拶をすべく馬車を離れた。リクとガイも馬を降り、牧場の脇で水を与える。
「あんなに腰の低い雇い主は初めてだな」
リクがイワンの背中を見送りながら呟くと、ガイがヴォドカをひとくち飲み、肩をすくめた。
「慣れてないんだろうさ」
「慣れてない、って、移動に?」
「いや、用心棒という人種に」
「人種て」
リクは苦笑したが、まあたしかにそうかもしれない、と思った。イワンのような、いわゆる庶民の身分の者が用心棒を雇うというのは簡単なことではない。主に費用の面で。
リクとガイが護衛しているイワンの馬車には、イワンたち家族がこの冬の間に制作した織物が積み込まれている。これらの商品の売り上げは、イワンたち一家がこれから生活していくに欠かせない財源となるだけでなく、次の冬を無事に越せるかにも大きく関わってくる。冬の長いロード帝国において、庶民は冬を越すための蓄えをつくるために働くのだ。そして、冬を越えるということは、生き延びるということと同義であった。
「このところ森や山に賊が出るらしい」
「すでに実害が?」
「何件か」
「そうか。……商品を丸ごと奪われるかもしれないことを考えたら、金銭的に痛手ではあっても用心棒を雇った方がまだマシ、というわけだね」
他人のものを奪って生きる賊には賊なりの理屈があるのかもしれない、とは、リクも思わなくはない。少なくとも、簡単な方法であることはたしかだ。簡単であるがゆえに、その方法を選ぶことを、きっと皆憎むのだろう。
「飲むか?」
「いや、いい」
ガイにヴォドカの瓶を差し出されたが、リクは短く断った。ヴォドカは穀物からつくられる蒸留酒だ。水を凍らすことなく持ち歩くことが難しい冬のロード帝国では、このヴォドカを水代わりにする者も多い。アルコール度数が高いヴォドカは水よりはるかに凍てつきにくいし、飲むことで体温が上がって暖を取ることもできる。
「お、そろそろ出発かな」
イワンが馬車の前に戻ってくるのをみとめて、ガイがヴォドカの瓶をしまう。護衛の仕事の、再開だ。
「……賊のおかげで俺たちの仕事があるんだな」
「ま、そういうこった」
特に感傷を含むでもなく、リクとガイが渇いた言葉を交わした。用心棒とは、そういう人種なのだ。
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