皇子殿下の嫁入り道具

紺堂 カヤ

第1話ーひかりみたいな

 ぽた、ぽた、と雫が落ちる音がしたような気がして、リザはいつもよりうんと早い時間に目を覚ました。部屋は真っ暗だ。窓が分厚い木の板で蓋をされていて、朝日のひとすじでさえ通さぬほどだからだが、リザにはその窓の外に光があふれているだろうことがはっきりとわかった。

 リザはベッドの中に潜り込み、手探りで着替えを引き寄せた。いつも寝るときに洋服を布団の中にうずめ、自分の体温で温めておくのだ。ベッドに潜り込んだまま器用に着替えたリザは、真っ暗な寝室から飛び出した。

「おはよう、マァマ!」

「あら。おはよう、リザ。ずいぶん早いじゃない?」

 暖炉の前で鍋をかき回していたリザの母・オリガは、一瞬驚いたように目を見張ってから微笑んだ。食卓と玄関と台所がひと続きになったような部屋は、リザたち一家がいちばん長くときを過ごす空間だ。

「……?」

 満面の笑みでとび出してきたリザは、部屋をぐるりと見回して首を傾げた。

「どうしたの?」

 オリガの声を背に、リザは窓に駆け寄った。寝室の窓とは違い、分厚い木の板の蓋は取り払われている。薄汚れたガラスごしに見えたのは、白く凍り付いた大地と曇った空だった。

「おかしいなあ……」

 きっと明るい光に満ちていると思っていたのに、とリザは唇を尖らせる。雪解けをもたらす春の訪れはまだ先のようだった。けれど、空を覆う分厚い雲は、少しだけ薄くなっているような気がした。それなら、まあ、ゆるしてやるか、とリザは小さな肩をそびやかす。つい最近おぼえた、「ちょっとおとなっぽいしぐさ」だ。

「お客様、おみえになった?」

 窓の前にはりつくリザに、オリガがそう問いかける。

「え? おきゃくさま?」

 リザははじかれたように振り向いた。

「そう。パァパが呼んだ用心棒さん。知らなかった? 早起きしてきたのはそれを楽しみにしていたのだと思ったのだけど、違うの?」

「ようじんぼうさん……」

 用心棒、の意味がリザにはわからなかったけれど、お客様がくる、ということはわかった。それはリザにとって滅多に出会うことのない、家族以外のひとがやってくる、ということで、途端に、小さな胸が高鳴った。リザは再び窓に向きなおり、食い入るように白い大地と曇り空の間を見つめる。

「あ!」

 ゆっくり、ゆっくり、馬の頭が見えてきて、リザは窓枠を握りしめて飛び跳ねた。

 馬の頭は、ふたつ。徐々に近づいてくる二頭の馬の上には、重たげな外套を着込んだ姿があった。ひとりはオリガよりすこし大きいくらいの背格好。もうひとりはその倍はあろうかというほどの大柄な体格をしていた。

 ふたりともしっかりと外套のフードをかぶっていたが、近づくにつれてその下に隠された顔が垣間見えた。小柄な方の「ようじんぼうさん」の顔が見えた瞬間、リザはハッと息を飲んだ。

 真珠のような頬、すらりとした鼻筋、細く整った目元はどこか愁いを帯び、引き結ばれた薄い唇はこの寒さでも荒れている様子がなかった。フードがつくる陰によって瞳の色がわからないのが残念だ、と思いつつ、リザは、つい、つぶやいた。

「おうじさま……?」

 リザが今までに見てきたひとのうち、その「ようじんぼうさん」は間違いなく、いっとう美しかった。

 目を覚ましたときに感じたのは、きっとこれだったのだ、とリザは思った。自分の予感は正しかったのだ、と。外には光があふれていた。

 あのひとが、光だ。

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