第2-4話
◆
エルダーの姿は東京シティの道場の一つにあった。
ヒマラヤ山脈に近い辺境の中の辺境である山岳地帯出身の魔法使いたちが、技を修練する道場である。東京シティの外縁部とはいえ、都市部である。
道場自体は地上には古びた和風建築があるだけだが、本体は地下にあった。どうやら大昔の地下鉄のための隧道を流用したようで、とんでもない広さがある。
それでも道場主の老人が笑って言うには、本気で魔法を発動すると落盤が起きて全員生き埋めになる、ということである。
エルダーは曲刀の烈火カルカローンを手に、剣術の型を繰り返していた。
ただ部族とだけ呼ばれるエルダーたちの集団は、大きく分けると三つで、それぞれに青の部族、赤の部族、黄の部族にわかれる。それぞれが源流を同じくしながら、複雑に枝分かれした剣術を身につけており、同時に複雑な魔法の系統を幼少期から叩き込まれる。
元々からして数が多くなく、今では魔法使い、それも魔法剣士として外へ出て、そこでの収入を故郷へ送ることで幼い者や老いた者の生活を支える者が大半だ。集落はどこも静まり返り、その中で老人が少年少女を鍛えていると伝え聞く。
エルダーは両親を出稼ぎで失い、祖父に育てられた。その祖父もすでに亡く、エルダーに残されたのは剣術と魔法による戦闘技能だけだった。
ピタリと剣を止めたところで、道場主が進み出てくるのがエルダーには見えていた。
「お前の剣には迷いがない」
低い声だが、日本語の発音は怪しい。道場では門下生の半数が、部族の血を引きながらも日本で育っているので、日本語でのやり取りが行われる。道場主はまだ部族が外部へ進出し始めて間もない時期に、海外に渡った世代だ。
「迷いがない剣は、柔軟性を欠く」
指摘しながら、道場主は腰から剣を抜いた。使い込まれた進行型変換刀剣の骨董品だった。
しかりエルダーには彼の技量のほどはよくわかっている。刀剣の古さなど問題にならない技量なのだ。
空間を青い電光が閃く。
エルダーの体と道場主の体が同時に装甲されていき、それが完璧になる前から両者が動き出している。
刃が交錯し、切り飛ばされた鎧の端がすっ飛んでいく。飛んだ欠片はすぐに分解され、塵となる。
再び刃がすれ違い、二人の足が床を削る。木製ではなく強化コンクリートの打ちっ放しだが、今、そこに新しい傷跡が付け加えられた。そしてさらに付け加えられていく。
空気が焦げるような錯覚。繰り出される斬撃に引き裂かれた空気が、まるで生き物の悲鳴のような音を立てる。
そういう殺陣であるかのように、二人の刃が相手を捉えず、しかし際どいところを切っ先は駆け抜けていく。二人の鎧にほとんど同時に亀裂が生じ、魔法が瞬時に修復、しかしまた別の亀裂が生じる。
どれだけの間、二人が剣を交えたか、甲高い音を立てて天井に突き立ったのは平行四辺形の板で、魔法の範囲を抜けたため、塵に分解されていく。
道場主の首元にはエルダーの刃が触れる寸前に占位し、一方、道場主の刃は半ばでへし折られながら、エルダーの胴体に残った刃を食い込ませようとしている。
エルダーの勝ちと見るか、道場主の勝ちと見るかは、難しいところだった。
「相打ちとしておこうか」
道場主の声は兜の中でくぐもったが、息が乱れているのははっきりしていた。
対して息ひとつ乱していないエルダーはやはり顔が兜に隠れていたからだろう、誰にもわからないように眉間にしわを寄せた。
道場主も老いた。そのことだった。
人は誰もが歳を重ね、あるところまでは伸びる一方だった能力が、やがて頭打ちになり、維持するのに必死になり、そしてやがてがどうしようもなく衰えていく。
この時、エルダーの頭にあったのは、自分もいつかその能力に限界を感じ、一線を退いて後進の指導とやらに日々を送るのか、という想像だった。
まるで現実感がない。
自分は戦場で生き、戦場で散る。
そのはずだ。
それ以外、許せるわけがない。
道場主の体から鎧が解けるように消えていく。エルダーも魔法を解除し、武装を解いた。
道場主の手元には刀剣が無事に残っている。エルダーの強引な魔法による一撃で折られる時、別世界から引用していた構成物だけが折られるようにしたのだ。それだけでも並の技ではないが、エルダーには自分も同じことができる自信があった。
技術は常に進歩する。
老いた者の技を若い者の技は容易く超える。
エルダーの体がやがては老いるように、エルダーの技もいつかは時代遅れとなるのだろう。
「そう悲しそうな顔をするな」
温もりを感じさせる声で、道場主が微笑む。
「お前には迷いが必要だが、迷うお前はどこか切ない。矛盾だな」
そんな言葉を残して、道場主は離れて様子を見守っていたまだ十代の門下生の方へ歩いて行った。先ほどの超一流の攻防を見たからだろう、その少年は真っ青な顔をしていて、道場主に畏怖の目を向けている。その視線がエルダーに移動するが、エルダーはそれから目を逸らした。
どれだけ剣術を極めても、どれだけ実戦をくぐり抜けても、決して突破できない壁がある。
自分はその壁を抜けるために、戦っているのだろう。
剣に命をかけるのは部族の剣士の常識だ。あの山奥の土地には、剣しかなかった。
しかしエルダーはあまりにも他の世界を見すぎたと感じていた。
東京シティで生きる人々は、様々なものに彩られた日々を、笑いながら軽やかに生きていく。
そこには剣もなく、血も死もなく、命は伸びやかだ。
エルダーはゆっくりと息を吐くと、手に提げたままだった剣を構え直した。
剣を振っている時だけ、忘れられる。
現実のこと。動かしがたい事実のこと。
自分のことを、忘れられる。
細く息を吐いて、剣を引き寄せ、突き出した。
虚空を切っているのか、それとも見えない何かを切っているのか、それはエルダーにもわからなかった。
(続く)
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