第1-4話
◆
朝、仕事へ行くサラリーマンの背広の背中を見送り、改めて周囲を見た。
東京シティの外縁部によくある光景。すぐそばには集合住宅が日当たりを考慮して並び、その間をバスがひっきりなしに移動する。僕が立っている場所はそんな景色が見える程度に、やや都心からは離れていることになる。
築二十年は経っていそうな集合住宅は、どことなく象徴的で、それがデザインから来るのか、風化し劣化した外観からくるかは判断が難しい。
相棒は少し離れたところで、路地裏を見ている。
改めて僕は現場を確認。
森内から部外者の協力者に明かせる範囲での情報があり、すでにエルダーが現場検証していた地点だった。
大塚渚はこの場所の前後百メートルで姿を消した。防犯カメラの死角なのだ。
二百メートルというのは意外に長い距離で、その上、見通しの良い片側一車線の直線道路に面している。問題の時間に通りかかった乗用車を警察は探しているようだが、望み薄だろう。
告知が徹底されないということもあるが、それよりもこの辺鄙な道を乗用車が好んで通ることはない。自動運転車の登場による交通革命により、乗用車が走る道筋というものは極端に限定されるのが実際だ。
手動で運転する趣味人が、朝にこんな何もない道を選ぶ理由が思い当たらない。
仮に奇跡的に乗用車が通りかかったとしても、今度は大塚渚を拉致する誰かは、別の機会を狙うだろう。時間は選べないとしても、場所は選べる。それに乗用車がない時も選べる。
そうか、他にも防犯カメラの死角になる位置を把握するのは有意義かもしれない。だいぶ後手の調査ではあるが。
ずっと黙っているエルダーが何をしているのかと思うと、路地のところでしゃがみこんでいた。相棒が奇行に走っているのはさすがに不安なので、こっそり歩み寄ってみた。
路地を入ってすぐのところに、黒猫が見えた。
相棒は仕事より猫を優先しているらしい。
「ねぇ」
声をかけるが、エルダーは猫の方から視線を動かさない。
くそ。仕事をしてくれよ。
僕は元の場所へ戻り、そっと腰の後ろの剣に手を触れた。
右のアルダの柄を握り、門へ働きかける。
魔法とは無限に分岐する世界の、選ばれなかった世界、現実とはかけ離れた進化と深化を遂げた世界から、ありとあらゆるものを呼び出す能力である。
魔法使いはその意志力によって門を開放し、この門を起点として位相変換を励起する。
今、僕は右のアルダという多機能増幅刀剣を介して門により大きな働きかけを行い、自分が立つ場所への魔法的干渉をあぶり出していた。
魔法使いとは、一つしかないように見える世界を、無数に分割し、観察する技能者でもある。
人間を一人、消す方法はいくらでもある。
その人間の組成に干渉することもあれば、世界の情報に干渉することもある。
どちらにせよ、そこでは世界を書き換えたか、上書きした、もしくは消去した痕跡が残る。傷跡、継ぎ目のようなものだ。
僕の視線の先では、はっきりと四角い窓が見えた。今は閉じているので、かすかに輪郭しか見えない。
不可視のゲートに踏み込んだ大塚渚は、そのままどこかへ拉致されたらしい。
「おい、エルダー」
振り返ろうとした瞬間、目の前で火花が散った。
転げて距離を取る僕の前で、相棒が曲刀を引き抜き、魔法を発動する。
別世界の鎧が長身を覆い、刃もまたその形状を変える。
完全武装に移行する相棒の向こうに見えるのは、不気味な仮面をかぶった二人組だった。
一人は猫、一人は犬の面をつけている。
全くの無言で、二人ともが刀剣を構える。見たことのない型だ。しかし共通点はある。まっすぐの刃で、幅は狭い。鍔元に独特の形状が見えた。
犬の仮面の方が構えを変えるのと同時に、全身が鱗のようなもので覆われる。
構わずにエルダーが突進を開始。肉体の組成を置き換えたため、残像も残らない高速機動。
猫の仮面の方が剣を突き出す。
僕が反応するとエルダーも読んでいる。
僕の右手が完全に右のアルダを引き抜き、魔法を発動。
魔法干渉で猫の仮面の魔法を強制停止。いや、発動と妨害が拮抗し、盛大に青い火炎が舞い散る。小さな火の粉一つひとつが、アスファルトを溶かし、燃え上がる。
その業火の降りしきり、舞い上がる中を一瞬でエルダーが突破!
反応した犬の仮面の剣がエルダーの刃、烈火カルカローンの強化された超質量の一撃を受け流す。
受け流すが完全には不可能。刃が火花を散らし、両足で跳ねて転がり、それでやっと勢いを殺す。
仲間の不利に猫の仮面が方針転換、エルダーに向けて剣を向ける。
僕が干渉を維持、しかし右のアルダが余波で震えるほどの強烈な魔法の気配。
「エルダー!」
叫びながら僕は相棒の元へ。
素早く猫の仮面が剣を振り上げ、振り下ろす。
僕の左手が腰の後ろのもう一振り、左のオルタを引き抜く。
両手の剣による二重の魔法の発動。
左のオルタは本来的には僕の体を中心とした内的作用に特化しているが、右のアルダの補助にも使える。そもそも二刀流のための双子の剣なのだ。
頭上から何かが降ってくる。
僕とエルダーが合流。
寒気がするが、恐怖ではない。実際に周囲の温度が急激に下がる。
吐く息さえ凍るような極々低温が僕たちを包んでいた。
周囲が真っ白く染まり、その中心で僕はじっと動きを止めるしかない。
魔法干渉では対処不能な、強力すぎる広範囲魔法に対抗する方法は限られる。
今、僕は限定された空間を現実世界と切り離し、世界と世界の境界自体を防御のための壁としていた。
仮に制御に失敗すると、僕かエルダーか、二人ともが別世界に飛ばされかねない。もっとも、世界の境界を突破できる人体はありえないので、絶対に死ぬ。
世界の境界の制御が全ての魔法使いが行使する能力の基礎だが、境界を破る、越境することはあっても、今、僕が強行している境界自体を活用する魔法は高等技能とされる。
いつの間にか冷気は去り、僕はゆっくりと自分たちを包む別世界と本来の世界の境界線を解いていき、やがて現実の世界へ再び空間を完全に置き換えた。
風が吹き、くしゃみが出る。息が真っ白だ。
いや、それよりも何でもない春先の鄙びた住宅街が、極寒地獄と化していた。
アスファルトはもちろん、建物も、電柱も、電線も、木々さえもが凍りついている。地面には巻き込まれた鳥さえも氷漬けで落ちていた。
「さすがにやりすぎじゃないかな、これは」
僕が言いながら腰の鞘に剣を戻すのと合わせて、エルダーも武装を解除していく。
「国際法で、無差別魔法は原則禁止だな」
当たり前のことを相棒が口にするので、さすがに呆れてしまった。
「どこの国でも魔法による犯罪は重罪だ。ここで僕たちが消し炭になったり氷漬けになっても構わないというのは、犯罪行為も辞さない、という姿勢の表明かな」
「もっと単純に、この件に踏み込むな、という警告だろうな」
警告で殺されるのではたまったものではない。
「仕事はどうする?」
反射的に言葉が口をついたが、自分の言葉で自分の顔をしかめる結果になった。相棒はのんびりとしている。視線は路地の方へ向いていた。猫が気になるのだろうが、とっくに逃げただろう。
それにしても、仕事を投げ出した時の経済的損失は無視しがたい。
命と、命がけの仕事を天秤にかけないといけないのは、なんとも世知辛いことだ。
近所の住民が通報したのだろう、パトカーのサイレンが聞こえてきた。東京シティの範囲だから、森内を介せば僕たちの身分と立場は説明できる。しかし問題は森内たち魔法対策課の立場が弱いことだった。
結局、まるで僕たちが犯罪者であるかのように、迅速に、現場を離脱することになった。
これでは何のために魔法管理機構に民間魔法使いとして認定してもらっているか、謎すぎる。
二年に一度の更新のたびに、安くない金を払っているんだぞ。
(続く)
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