第1-5話
◆
いきなり市街戦とはね。
警察署の喫煙所で、盛大に煙を吐き出しながら森内が唸る。
このご時世、喫煙などどこでも許されないが、警察署には何かの嫌がらせのように喫煙所がある。一説では勾留中の被疑者に喫煙中という状態で事情を聞くためにあるというが、まさか喫煙所で音声を録音するわけでもないだろう。
つまりはただ改修が追いついていないだけの、過去の遺物である。
「現場はうちで押さえたが、何かわかったか?」
そう森内が続けたのは、かなりな驚きだった。
「魔法対策課で現場を押さえたの? あれだけの現場を?」
魔法対策課は俗称で、正式名称は「魔法事件対策課」である。魔法犯罪の増加と反比例して人員も予算も縮減されていく、謎な課だった。僕の感覚からすると、権力闘争の道具にされているか、組織内の駆け引きの材料にされている、そのために存在しているようにしか見えない。
森内は不服そうに、それくらいはできる、と煙と一緒に言葉を吐いた。
「しかし一日だ。明日にはテロ課がやってくる」
テロ課というのは公安十課のことで、魔法犯罪の中でも大規模テロに直結するような事案を専門に扱うが、警察内部では「外様」とか「お客」と呼ばれる組織である。全てがベールに包まれ、しかも人員は警官ではなく外部の人員だという。
「十課も忙しいだろうね、都心のすぐそばで大規模魔法犯罪とは」
形の上で同情してやるが、別になんとも思いはしない。
森内がわずかに声を潜めて、僕の耳元に顔を寄せる。喫煙所に監視カメラがあるとややこしいことになるし、盗聴器があれば破滅するかもしれないが、森内の気色悪い動作はそれらが存在しないことを示している。
「十課の奴らは魔法管理機構を経由して、お前たちの剣にまで辿り着くかもしれん」
そいつは楽しみ、と笑ってみせると、森内が嘔吐しそうな表情になる。
僕もエルダーも、それぞれに持っている剣を魔法管理機構に届け出ているが、全ての魔法用武装に施されているという触れ込みの、管理のための測定装置は実は誤魔化してある。
なのであの市街地での僕の魔法も、エルダーの魔法も記録の上ではだいぶ弱いようになっているはずだ。
今回は敵らしい二人組が必要以上に大規模な魔法を使ってくれたので、僕たちの魔法の痕跡はそう簡単には辿れない。
と、思う。思いたい。思わなきゃやってられない。
できることなら、敵対する奴らは僕たちが死なない程度に大規模にやって欲しいところだ。
今回程度の命の危機はちょっと、本当にちょっとだけは歓迎である。
死んだらそんなことも言えないけど。
「で、何がわかった?」
森内の問いかけ。表情が青白いが、気を取り直したようだ。
「大塚渚は間違いなく拉致されている。彼女の仕事はなんだったんだ?」
「経理の事務仕事を代行するのが、例の人質事件の現場の会社の業務内容」
「経理の事務を代行する?」
聞いたこともない仕事だ。
経理といえば企業の財務や商取引に関する事柄を知るには、もってこいの現場だ。
疑念をそれとなく表情に覗かせてやると、知ってか知らずか、森内が乗ってくる。
「大半は公的機関だよ。どこも公務員に高い給料と手厚い保険、老後が安泰な年金をホイホイと出せる時代ではないんだよ」
「それは警官も一緒?」
「警察も同じだ。しかし殉職した時の遺族への見舞金は増額されている」
最悪な職場だな、と思ったが、せめてもの遠慮で指摘しないでおいた。
「で、大半は公的機関、と、わざと大半などという言葉を付け加えているということは、例外があるんだよね?」
ぐっと森内が頷く。
「幾つかの中小企業が経理を任せている。有能な経理に通じる社員を雇えないような会社だ。もちろん、守秘義務があるし、例の代行会社でも情報の社外への持ち出しは絶対厳禁。しかし、この先はわかるよな?」
「もちろん、わかる」
守秘義務があろうと情報を漏らす奴は漏らす。社外へ持ち出すなと言われても、持ち出す奴は持ち出す。それが世の常だ。
「じゃあ、大塚渚は顧客の情報を外部に漏洩させていたのか?」
僕の問いかけに、わからん、と森内はいつの間にかフィルターだけになっていたタバコを灰皿に投げ捨てた。
「わからない、とは?」
「あの経理事務を代行する会社を叩いてはいるが、埃が出ない。莫大なデータ、会社の帳簿、社員のプライベートまで、それこそ叩けるところがないところまで叩いているんだが、何も出ない」
「何も出ない、ということは、優良企業ということかな」
「不自然なほど埃の出ない企業は、どこか不健全さ」
どうやら森内はまだ調べるつもりらしい。
僕の推測を言わせてもらえれば、問題の代行会社は、かなり念入りに自分たちとそれに関わるものをクリーニングしている。だからおかしな情報は一つも出ない。
しかしそれは数字や文書、金銭と情報の上でのことだ。
人間は誰にも隠したいことがあり、過ちがある。
これを隠すのは難しい。だから警察が個人を探り始めれば、ちょっとしたものは転がり出てくる。きっとすでに、黙っているだけで森内はそういう情報の一つや二つを手に入れているだろう。
僕たちに打ち明けられない事情でなければ、入手した情報が僕たちの、もしくは森内たちの捜査の役に立たないネタ、ということになる。
僕もエルダーも現場の人間で、捜査は警察の仕事であり、調査は調査会社の方に一日の長がある。
これは、情報を待つより、実際的なところから辿るべきだろう。
「危険手当の契約を結ばなくて正解だったよ」
喫煙室を出ようとする森内の言葉に「あなたのポケットから出るわけではないでしょう」と応じてみたが、返事がない。まさか僕たちへの報酬を森内が払うんじゃないよな、と不安になる。
喫煙所の外でエルダーが壁に寄りかかって立っていた。別にニコチンなんて体内の組成を変えれば無毒化できるはずだが、エルダーは匂いが嫌いだという。僕は喫煙者ではないが、タバコの煙の匂いは好きだった。滅多に嗅ぐ機会もないが、警察と軍にはまだ根深く残っている文化が喫煙であり、そこが喫煙の最後の生存圏だ。
「現場からわかったことがあれば、お前たちには伝える。今、俺の口から言えるのはそれだけだ」
ひらひらと手を振ると森内は廊下を去っていった。
残された僕とエルダーも、玄関の方へ向かって歩を進める。歩きながら喫煙所の中で聞いた話を手短にエルダーに伝える。返事らしい返事はなかった。
「地味な仕事をしなくちゃいけないな」
「任せる」
「任せるなよ。例の人質事件の現場の会社、その取引先を洗う。金はかかるが、情報屋を使おう」
心底から嫌そうな顔でエルダーが僕を見るが、睨み返しておく。
「餅は餅屋、と昔から言うだろ?」
「俺の故郷では、地獄の住人に会うには地獄に行くしかない、という言葉がある」
ちょっと意味不明な内容だったが、聞き流しておく。山奥で暮らす少数部族の世界観は容易には理解できない。
そもそもエルダーは日本で育ったはずだ。
(続く)
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