第1-3話

      ◆


 東京シティ警察の建物は立派だが、魔法対策課はそれほどのスペースを用意されていない。

 奥まったところにあり、狭苦しい部屋に二十人ほどがすし詰めになってる。噂ではここに席を持たない要員が四十人ほどいるらしいが、噂は噂だ。僕はおおよそ全員の顔を知っているので噂の程度もわかっている。

 森内が自分の席から立ち、「コーヒーでももらってこいよ」とすれ違いざまに言う。紙コップにコーヒーメーカーから適当に黒い液体を注ぐが、その色が大猿の撒き散らした血を連想させて、少し気分が悪い。

 ミルクと砂糖を大量に入れて、部屋のドアのところで待っている森内と相棒に合流する。

 三人で小さな会議室に入る。プロジェクターに森内が小さなカードを差し込みながら、早速、説明を開始する。

「例の人質事件を起こした魔法使いは、自称ペルー人の、カルロスという名前らしいが、入国管理局とのデータの照合中。どうせ偽名だろうし、出身国も怪しい」

「難民にはチップが埋め込まれるはずだけど? 身分証代わりの、防犯目的で」

「チップの摘出は今や、金が唸りを上げる大産業だって知っているだろ?」

 僕は肩をすくめておく。知らないわけがない。

 旧型のプロジェクターがやっと動き、壁に写真が映される。全部で二十二人分。

 知らない顔だが、一つはわかる。

「例の人質の一覧?」

 僕の指摘に、そうだ、と森内が頷く。

「全員があの経理事務所で働くサラリーマンだ。これといって後ろ暗いものもおらず、前科もない。思想的にも特に問題はないな。家庭環境もそれぞれ、正常の範囲に収まる」

「何が言いたいんだ?」

 見当がつかないので催促すると、森内がプロジェクターにリモコンを向け、画像が切り替わる。

 映ったのは一人の女性だった。胸から上の写真。もちろん、知らない顔だ。エルダーの方を見るが、彼も首を横に振る。

 森内が口を開く。

「大塚渚という名前の女性。件の経理事務所で働いている」

 へえ、と思わず僕は声を漏らしていた。

 それから森内が説明したことは、おおよそ僕の想像の通りだった。

 人質事件が起こった経理事務所の社員だが、事件当日には欠勤。朝に体調不良を理由に休むという連絡があったが、事件後に警察が接触しようとすると連絡がつかず、生活していると思われる集合住宅の一室へ行ってみるともぬけの殻。

 典型的な行方不明。

 これは何かありそうだ、と誰でもわかる。

「防犯カメラをチェックする、というような初歩的捜査は終わっているんでしょう?」

「集合住宅を中心に確認済みだよ。大塚渚は九時過ぎに外出。そして、見失った」

 椅子に腰掛けている僕は僕で、壁に寄りかかっている相棒は相棒で考えを深める。

 見失ったのは、おそらく魔法を使った移動。もしくは欺瞞。そうでなければ、大塚渚は自分の生活する範囲の監視カメラの位置をおおよそ把握していたか。

 ともかくこれは失踪ではないと捉えるべきだろう。

 人質事件の起きた現場で働いていたのが、突然の欠勤。なるほど、見逃せる情報ではないし、捜査線でもない。

 まだ事件は終わっていないのか、それともこれから終わるのか。

「追跡というのは本業ではないな」

 エルダーが口を挟む。僕と森内が視線を向ける先で、「しかし」と相棒の言葉が続く。

「金はあるに越したことはない。ついでに面白そうだ」

「そう言ってもらえると助かるよ。うちの捜査員は忙しい」

 勝手に森内とエルダーの間で合意が形成されていくが、もちろん、僕としても仕事があるに越したことはない。

「二手に分かれよう」

 僕の提案に、エルダーがこちらを見る。

「僕は人質事件の関係者を洗う。エルダーは大塚渚の失踪の実際を魔法的に調べてくれ。何か痕跡があるかもしれない。それくらいは許されるよね、森内さん」

 警官を同席させればな、と森内は苦り切った顔で許可した。

「オーケー、森内さんの要請で、捜査に協力する。警察は僕たちに協力への感謝か何か、そんな名目で報酬を支払う。金額は……」

 僕はさっと指で数字を作る。

 高すぎる、と森内が別の数字を出す。こちらもまた数字を出し直す。

「足元見るなよ、美月。そもそもお前たちが解決できるって決まっているわけじゃないんだし」

「やる気の問題だよ。士気は重要だろ?」

 もう一度、数字を突きつける。

 結局、森内が折れた。

「ついでにこれもなんとかして欲しいね」

 ポケットから駐車違反の違反切符の券を渡すと、うんざりした顔で彼はそれを受け取った。

 こうして僕とエルダーは仕事を開始したが、思ったよりも退屈な滑り出しになった。

 僕はひたすら人質事件の被害者から事情を聴取し、大塚渚は仕事熱心だとか、仕事が正確だとか、人付き合いはいいとか、身持ちが固いとか、酒をおごってもらったことがあるとか、とにかく無害で、どこにでもあるありきたりな話を聞き続けた。

 夜になるとエルダーと合流し、古い倉庫を改造した事務所で情報を擦り合わせた。

「どうも失踪には魔法の気配がする」

 作業台で烈火のカルカローンを整備しながら、エルダーが言う。僕も日課の剣の手入れをしていた。

「気配がするという表現は、歯切れが悪いな。魔法か、そうじゃないか、判然としないの?」

「しないな。少なくとも、露骨な魔法ではない。かなりの使い手だ。俺の手には余る」

 エルダーが明言できないのは、相当に高位の魔法を連想させる。

「それは気になるな。大塚渚はやり手の魔法使いに拉致された?」

「そうなると、人質事件がやけにずさんだ。実行したものを比べると、魔法の技能に差がありすぎる」

「例の犯人、カルロスという男は、陽動のようなものかな。もしかして、あの男が騒動を起こす裏で、大塚渚を拉致するのが目的の計画だった?」

 答えが出ないところまで話を詰め、後は作業に集中した。

 日付が変わる前に二人ともが整備を終え、明日以降の計画を立てた。

 やはり拉致現場を実際に僕も見てみたかった。エルダーは自身の体を位相変換することには長けるが、外的な作用は苦手としている。僕が行けば新しい何かが見つかるかもしれない。

「お前には何か見通しがあるのか? 美月」

 話の最後に、エルダーが疑問を向けてくる。

「いや? 何もないな」

「その割には余裕だな」

「解決できなければ、収入がない、というだけで済むんだ。命がなくなるわけじゃない」

 ふざけた奴だ、とエルダーが失笑する。

 その日は解散になり、僕は一人で借りている集合住宅の一室に戻った。事務所からは徒歩で移動できる。エルダーは単車で帰って行った。

 帰り道、幾つかのシチュエーションを頭の中で確認した。

 まず大塚渚が、本人の予想外に拉致された場合。その時は拉致を実行した誰かは大塚渚の行動を調べ上げて予想していたか、欠勤する様子などを見張っていたことになる。

 次に大塚渚が自ら失踪した場合。この時は、被害者と実行犯が同意しているので、より容易に実現できる。これなら大塚渚が欠勤したのも計画のうちで、逃亡に近い要素が出現する。

 最後は、大塚渚には何かしらの計画があり、ここまで二つ目の可能性と同じだが、違うのは実際に逃亡する場面になった時に何らかの逸脱が起きた場合。これは大塚渚は経理事務所が襲われることを知っており、誰も知らない計画があったが、その計画が破綻したということになる。

 そもそもからして、大塚渚は何故、人質事件の日に欠勤したのか。偶然でないとすれば、事件の発生後、自分が追及されるのは日を見るより明らかだ。

 織り込み済みなら、事件後も姿を消さずに何食わぬ顔をしているのが自然なはず。欠勤は偶然です、という姿勢を貫き通せないなら、僕だったら人質事件の現場に加わるだろう。

 それなら大塚渚は人質事件の発生を知っており、わざと現場にいなかったことになる。

 失踪したのは、事前の計画かもしれない。

 もしそうなら、防犯カメラに記録が残るのは、片手落ちになる。

 拉致されたとすれば、彼女の考えとは違う展開というわけか。

 興味深い事件と言える。

 しかし興味云々より、まずは生計を立てなければならない。

 人質事件の解決への報奨金でとりあえずは息ができるが、賞金稼ぎ稼業など、まともではない。

 まずは金だった。



(続く)

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