第1-2話

       ◆



 大猿の横を僕は走り抜ける。

 その手がこちらへ伸びてきたが、エルダーが振るう巨大な剣が、その腕を肘で両断。すっ飛んだ手が窓をぶち破り、屋外に消える。

 ガラスが粉砕される音を聞きながら、僕は女事務員を拘束する男のすぐそばまで滑り込んでいた。

 再びの燐光。男による魔法の発動の痕跡。

 何かがこちらへ飛来。

 かなり早い。エルダーほど常人離れしていない僕の知覚でも、なんとか視認できる。

 コウモリのようだが、もちろん、この世界のコウモリではない。

 無害なわけもない。

 俺の意志力が右のアルダに流れ込み、位相変換を開始。

 コウモリが俺の眼前で急停止。

 そのままコウモリが強制分解され、塵となって消し飛ぶ。

 僕の魔法による魔法妨害の方が圧倒的に強力だからできる芸当だ。

 男が再び剣を振る。

 正確には振ろうとした。

 動きが奇妙な位置で停止し、拘束されていたはずの女事務員が違和感に動きを止める。

 男は血走った目で僕を見るが、声のひとつも漏れない。呼吸さえも止まっている。

 やれやれ。厄介なことだ。

 鈍い音がしたので、そちらを見ると大猿が床に倒れ込み、エルダーの刃がその首を跳ね飛ばすところだった。黒い血が周囲を染めるが、その血痕さえも煙を上げて消えていく。

「もう大丈夫ですよ」

 女事務員に手を差し伸べると、彼女は恐る恐る硬直しているままの男の腕の中を逃れ、僕の方へやってきた。

 すでに安全なのだけど、女性はまだ恐怖に囚われているようで、足をもつれさせると僕の胸に飛び込むような形になった。

 さっと手を伸ばしてそれを抱きかかえる。

 瞬間、男の動きが再開する。

 意味不明な怒声と同時に、光が弾け、甲高い音が響いた。

 男が倒れ込み、その手には刃をほとんど根元で叩き折られた剣がある。

 愕然とし顔で、男が自分の得物を見た。

「こういうのを片手落ちというんだ、美月」

「ごめん、ごめん」

 冷徹な声と、強烈な殺気には気温を下げるような錯覚が伴う。

 相棒が憮然とした顔で目の前に立ち、男の剣を折った刃を肩に担いでいる。

 魔法を行使する鍵を失い、男は無様に尻餅をついて相棒の長身を見上げるしかできなかった。

 ここで何か、かっこいいことでも言えれば、と思ったが、瞬間、無数の足音が交錯し、部屋に警察の機動隊が飛び込んできた。魔法化されていない彼らでは巨大ミミズにも大猿にも苦労しただろう。

 相棒がくだらない仕事だったと言いたげに溜息を吐き、自分に行使していた魔法を解除する。全身の鎧と兜が消え、曲刀も元のそれに戻る。その間に機動隊は現場を確保し、犯人の男を拘束した上で人質の様子を確認し始めていた。

 犯人は全く無抵抗だったが、それは僕たちの手柄にして良いだろう。たぶん。きっと。

 僕が抱えていた女性も機動隊が引き取って行った。残されたのは背広のちょっとした血のシミだけだ。

「何か食べて帰るか」

 すでに何もかもが終わったと判断した相棒が、ぼんやりした顔で窓の外を見ながらそう言ったが、考えているのは食事のことではなく、先ほどの戦闘のことだろう。

 食事の席で僕に説教したい、というあたりじゃないかと想像出来る。

 ちょっと口論をしながら二人で玄関から外へ出ると、路上で警察が何かを調べているのが視界に入った。どうやらエルダーが切り飛ばした大猿の腕がそこへ落ちたようだ。アスファルトが砕けている以外の痕跡はない。

 また口論を再開したところへ、森内が近づいてきて、「怪我人は最小限で済んだようだ」と皮肉げな笑みを向けてきた。僕が怪我しなくてよかった、と正直に言えばいいのに。

 念のために経費について確認し、さらに念を押して今回の仕事の報酬を確認してから僕とエルダーは現場を離れた。

 近くに路上駐車しておいたバンに乗り込もうとすると、路上駐車の違反切符が切られていた。絶対に何か違う。今から森内の元へ戻ろうかと思ったが、さすがに疲れていた。

 運転席にエルダーが腰掛け、助手席の僕がドアを閉める前にエンジンを始動している。しかし一発でかからないのがこのバンのエンジンだった。中古車を買って改造したが、もう限界かもしれない。

 二人で、安価な大衆料理を出すことでほどほどに人気のあるレストラン「ウルズ」へ行った。川に面したテラスがあり、大抵は客で埋まっているが、この時にはちょうど一テーブルだけ空いていた。

 二人でそこに陣取り、料理を注文するが、店員はあまりにも長く長く、長く注文が続くので、職業意識を手放して注文の確認はしなかった。魔法使いは体力勝負で、魔法の行使はカロリーに直結する。さすがに魔法の使いすぎで衰弱死したりはしないが。

 料理が来るまでの間、僕はエルダーに案の定、説教された。口論の結果、僕には反論する余地はなくなっていたので、ここからはワンサイドゲームだ。

 二人で組んでいることを理由に油断するな、という初歩的なところから、連携した戦術の確認にも燃え広がる。

「あの程度の使い手に、遅れを取るようでは高等学院の恥さらしだ」

 エルダーの言葉に、僕は思わず笑ってしまった。

「魔法高等学院は魔法使いという人格破綻者の量産施設だよ。恥さらししかいない」

「例えば?」

 胡乱げな相棒の視線に、僕は堂々と答えてやる。

「宇宙開発機構で魔法式の動力炉を開発しようとした魔法使いが、能力の暴走で施設まるごと消し飛ばした。あれも元は魔法高等学院の卒業生だ」

「そこまでやれば、むしろ褒められるのではないか?」

 褒められるかよ。何人死んだと思っている。

 料理がやってくる。海鮮料理が名物とされているが、天然物の食材はほとんどない。東京シティの目と鼻の先には海があっても、汚染が酷すぎて海洋生物はいるはずだがとても食材には適さない。それどころか食用ではないだろう。

 この店で出てくる魚介類は全て生簀での養殖だ。水も餌も、全て徹底管理されている。

 エルダーは元は日本人ではないが、むしろ逆に食器の扱いは上手い。僕の方がどこか拙いように見えるくらいだ。

 食事の間に今後の方針について話をした。

 とりあえず二人で何でも屋のようなことをやっているが、今日のように賞金のかかった犯罪者に対処する仕事が舞い込んでくることは珍しい。今回は森内の好意と打算と、僕たちの暇がちょうど噛み合っただけだ。

 普段はちょっとした護衛仕事と、講師のような仕事をするがそれが主収入ではないことにしている。本来的な業務として、魔法犯罪の解決、つまり賞金稼ぎを設定している。

 ただ、大手の魔法使い事務所に押され気味で、旨味のある仕事は少なくなる一方だ。

 自然災害の一つ、越境現象と呼ばれる別世界の存在がこの世界に紛れ込む事案が稀にあり、その時の異種族の討伐でも当てにする方が、まだ実入りもよく退屈しないだろう。

 そんなことを思っているところで、いきなり携帯端末が震え始めた。

 スパゲティーの長い麺をフォークで巻き取りながら、片手で端末を取り出すと「東京シティ警察 魔法対策課」となっている。

 仕事の話以外なら出たくはないが、仕事の話なら是非出たい。

 ちょっと考えてからスパゲティーを口に入れ、そうしてから電話に出た。

「もしもし?」

 もごもごとした発音の嫌がらせは当然のように無視された。

「確認したいことがあるんだが、忙しいかい?」

 森内の声だった。

「聞こえている通り、僕の口は今、仕事の最中だ」

「もっと面白そうな仕事の話がある、と言ったら、その仕事を終わりにできるかな」

 冗談が通じているのかいないのか、冗談を口にする場面か、、何もわからない。

 しかし仕事があるのはありがたい。

 相棒は僕の様子から察したのだろう、素早くテーブルの上の料理を腹に収め始めた。



(続く)

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