別世界は彼らの手の中

和泉茉樹

賞金稼ぎと生命の価値編

第1-1話

      ◆


 騒然としている群衆は、事件現場を取り巻く黄色いテープをさらに遠巻きにさせられていた。

 人々の興味本位の視線を背中に、僕と相棒は警官の横を抜ける。一度は制止しようとした制服警官は、僕たちの顔を思い出したらしい、舌打ちでもしそうな顔で先へ通した。

 黄色いテープをくぐる。今度は武装警官がいるが「仕事を依頼された賞金稼ぎだよ」と声を向けてやると、こちらは遠慮なくはっきり聞こえるように舌打ちしてきた。

 唾を吐かれなかっただけでも上等ってものだ。

 事件現場の建物の正面玄関の前に、警察の装甲車が横付けにされ、周囲には完全武装の機動隊員が控えている。全員がこちらを敵意剥き出しで見るが、さすがに詰め寄ったりはしない。

 僕たちとは違う、訓練された猟犬といったところ。

「よぉ、来たか」

 声の方を見ると探している相手がタバコを吸って立っている。さっと手を挙げて、歩み寄る。

「どこかに外注に出すとは聞いていたが、お前たちか、美月、エルダー」

 僕は肩をすくめるだけ。相棒は興味ないといったようにそっぽを向いていた。

 その顔の左側には傷跡があり、左目な潰れているように瞼が閉じられていた。

 東京シティ警察の魔法対策課の刑事である森内は不審そうに僕たちを見比べ、口をへの字にする。

「もっと仲良くしろよ。組んでいるんだろ?」

「戦場で連携が取れればそれでいいと思うけど、もちろん、こういう場所じゃなければ仲良くやっているよ」

 僕の軽口に、横に立つ相棒のエルダー・エンダ・アルギュストはそっけなく「その通り」と頷いている。

 指揮車の中で話をすればいいようなものを森内はこの場で手短に説明をした。

 手短に、というより簡潔に、だ。

 森内は刑事の中でも賞金稼ぎに理解があるが、刑事の全てに同じ価値観を求めるのは酷だろう。僕たちを認めるくらいなら辞職する、などという気概もないだろうけど。

 問題の事件現場は平凡なオフィスビルである秋橋ビルの、その三階。

 経理事務所のフロアになっており、そこに正体不明の男が乱入し、魔法を行使したのが今から三十二分前。通報はその五分後。警察の到着はさらに五分後で、交渉人が殺されたのはもう十分後。

 やっとの事で今から五分前に怒りに燃える機動隊が配置完了。

「別に僕たちが手を出す理由はないね。機動隊に任せるべきじゃないかな」

 率直な僕の指摘に、森内は苦り切った顔になる。

「相手はかなりの魔法を使う。ついでにこれは世間話だが、南米出身の難民という噂でね、何が起こるかわからない」

 そういうことか。

 南米は中東に次ぐ紛争地帯となり、そこでは実戦的に魔法が使われている。

 国際条約など誰も守らないし、そもそも国際社会という名の先進国は泥沼に足を踏み入れたくないという姿勢でいるから、紛争の当事者は国際社会を無視している。

 現地では自動車爆弾などという小規模なものではなく、また大量殺戮兵器のように無差別でもない、制御された暴力として魔法が用いられている。皮肉なことに、その利便性が魔法という技術の一側面だ。

 南米の紛争は終わりが見えず、難民が世界中に散っている。日本にもそんな難民はおり、彼らは身元を偽ることが多い。そもそも身元を保証する書類などが付け焼き刃の、形だけの書類であることが多い。パスポートなど夢のまた夢。

 そうして暴力の使用に慣れた魔法の使い手が日本にやってきて、裏に表に、こうして暴力沙汰を起こすことになる。もっとも、日本生まれの日本育ちの日本人による魔法犯罪もないわけではないし、むしろ増加傾向だ

「機動隊は今から五分後に突入する」

 タバコの灰を地面に落としながら森内の口元には不敵な微笑み。

「賞金が欲しければ、それまでに頼む」

「横槍を入れるなよ」

 そう言ったのは相棒で、素早くを身を翻すと問題の秋橋ビルの玄関へ向かっていく。

「それで犯人は何を使う?」

 念のために刑事の方を振り返ると「召喚術らしい」という返事だった。

 それだけ聞けば満足だ。どうせ内部のカメラの映像などは回してもらえないだろうし。

 すでに建物の中に消える長身のエルダーの背中を追いかける。

 古いビルのために、階段は三人も並べばもういっぱいだ。踊り場で折り返すところを、相棒は少しのためらいもなく進んでいく。

「もっと慎重に行ってくれよ」

 こちらからそう声をかけるが、前衛の相棒は鼻で笑った。

「音がせず、匂いもせず、熱も見えず、それでそこにいるとしたら驚異的だ」

「人間に不可能な方法で索敵しないでよ」

 二階を通り過ぎる。

 そこでさすがに相棒も足を止めた。

 階段が赤く染まっている。赤黒い肉の塊が落ちているが、内臓のようだ。すぐそばに人の腕がまるで無造作に転がっていた。肘のあたりで引き裂かれ、無残な断面を晒している。

 相棒が腰から曲刀を引き抜く。烈火カルカローンという銘の、魔法使いがその能力を最大限に発揮する武器の一つ、進行型置換刀剣だった。

 雷光が走ったかと思うと、相棒が身にまとう、ヒマラヤ山脈にほど近いところに住む少数部族の伝統衣装がひとりでにはためいた。

 その次には奇妙な鎧でその全身が装甲されていく。鋭角的で、平面の連続で構成されている鎧。

 兜が頭部を覆い、完全装甲した時、そのエルダーの頭上から何かが降ってきた。

 ミミズか。

 しかし巨大だ。

 人間の数倍などではない。階段のスペースを埋め尽くする巨体が押し寄せてくる!

 僕が後退するのと同時にエルダーが前方に出ると、片手と片足でその巨大ミミズを押し留める。自身の勢いを完全に止められ、反動で身をくねらせたミミズが強化コンクリートの床と壁を破壊する。

 相棒が掲げた曲刀が紫電をまとい、形状を一瞬で変化。

 鋭い刃が伸び、優美な造形を完成させた時、エルダーの腕が霞む。

 ミミズが絶叫し、エルダーが吠える。

 超高速の斬撃の連続に、ミミズはその場で解体されていく。

 エルダーがさらに前進、徹底的な破壊を続行。

 僕はさりげなくハンカチを手に取り、口元を押さえながら階段を上がる。階段自体は半ば崩壊し、ついでにミミズの残骸で足が滑りそうになるが、もはやこの世界にい続ける力を失い、白煙を上げて灰になっていく。そしてその灰さえも消えていく。

 ミミズを完全消滅させた相棒はすでにビルの三階へ踏み込んでいた。

「く、来るな!」

 開きっぱなしの扉から入ったところで、引きつった声が出迎えた。

 端末や書類のファイル、その他のものと一緒に事務机が並んでいたはずのフロアは、今はがらんとしていた。あるいは先ほど消滅した巨大ミミズのせいかもしれないが、とにかく、全てが壁際に吹っ飛んでいる。

 空間の奥、二十名ほどの男女が座り込み、恐怖と絶望が彼らを覆っていた。

 それより少し前に剣を片手に持った男がおり、事務員らしい女性を盾のようにして立っている。

 剣は女性の首筋に触れており、わずかに食い込んですでに出血していた。致命傷ではないが、血液の存在が犯人、被害者の双方を狂気に駆り立てる側面は間違いなくある。

 男の年齢は二十代か三十代。持っている剣は魔法使いが使う武器の中でも旧式だった。エラテク社の量産品で、世界各地でコピー商品が出回っている。しかし当然、現代日本では所持には申請と許可がいる。ついでに販売にもだ。

「助けて!」

 女事務員が叫び、それと同時に首が僅かに動いたせいで剣が首筋を抉る。

 次に吠えたのは女を拘束する男で、剣が打ち振られる。

 燐光が弾け、魔法が発動。

 世界境面に干渉し、位相が変換されていく。

 はるか古代、正確には宇宙創造のその瞬間からこの世界は無数に分岐し、たった今でさえも分岐は続いている。

 魔法とは、その分岐した別世界、異世界にあるものを呼び出す技能だった。

 虚空から毛むくじゃらの腕が伸び、肩、頭部が出現した時には下半身も生まれ、両足が床材を踏みしめている。

 巨大な猿のような生物。エルダーよりも上背があり、その腕は人間の胴体のそれよりも太い。

 まるで巨大な壁のようだ。

「倒しても何も満たされんな」

 相棒が平然と呟きながら、得物を一振りする。

「人質がいるのを忘れるなよ、エルダー」

「お前に任せる」

 やれやれ。魔法剣士は相手を切ることばかり考える。

 ここで重要なのは猿を倒すより前に、人質を守ることなんだけどな。

 僕は右手で腰の後ろに吊っている剣の一振りを引き抜く。

 愛用の剣、多機能増幅刀剣である右のアルダの柄は、僕の心を切り替える作用がある。そういう気分がする、という意味だけど。

 猿が大音声を上げ、突っ込んでくる。

 目線すら合わせず、俺と相棒が前進を始める。



(続く)

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