第9話麹

 八穂やほが、ガラスの保存瓶を両手で振ると、シュワッと白い泡が吹き上がった。


「あと少し」


泡が激しく立ち上るのを眺めながら、満足そうに頷き、瓶を棚にもどした。


 この世界にも、ガラスの食器があった。ただ故郷の物のように、薄くて繊細なガラスではない。

厚みがあって重い。形が歪んだりして揃っていないし、内側に気泡が入っていたりもした。


 それでも、陶器の壺と違って、外から中のようすが確認できるのが便利だ。


 実はパオサンド用の蒸しパン、パオを作るのに、米で酒を造っている東地方の酒蔵から、酒種さかだねを分けてもらってているのだが、食堂のお客さんが増えて来たせいか、足りなくなってきているのだった。


 タウルまで運んで来るにも十日余りかかるため、それなら材料を分けてもらって自分で作ってみようということになった。


 材料は、米とこうじ。それぞれ乾燥させて、冷暗所に置けば保存性も良い。

だが、八穂には、日本のこうじとは少し違うように思えた。


 米は日本米よりさらに粒が細かいせいか、普通に炊くと水っぽくなった。

また、糀菌は日本独特のものだから、米を発酵させても、まったく同じとは言えないかもしれない。


 それでも、米の酒が造れるのだから、近い物はできるだろうと予測して、お試し中だったのだ。


 ガラス瓶を煮沸しゃふつ消毒してから、冷ましたご飯と麹を入れて水を注ぐ。

よく混ぜて、コルクのフタをしたら、そのまま夏は涼しいところ、冬は暖かいところに置く。それだけ。


 毎日、瓶を振ってかき混ぜて、その後、フタを開けて外の空気を入れてから、またフタを閉める。それを繰り返しながら五~七日すると、たくさん泡が出てくる。


 さらに繰り返していると、振ってからフタを開けた時、勢いよくたくさんの細かい泡が吹き上がってくるようになる。そうなったら完成だ。


できれば冷蔵庫などに入れて、菌の活動を弱めて低温保存すると良いのだけれど、この世界に冷蔵庫がないので、大量の作り置きは難しい。

その代わり、一度作っておけば、種継たねつぎぎしながらしばらくは使える。


 今作っているのは、はじめての試作なのだが、順調に育っていた。


「さて、一休みしようか」

 

八穂はコンロに乗っている小鍋から、中身をカップに注ぐと、ひとくち口に含んだ。


「うん、甘くなってる」


 久しぶりに飲む甘酒だった。

母が健在だった頃は、学校から帰宅すると、よくおやつに作ってあった。

『甘酒は疲れがとれるのよ』そう言って渡してくれた。


 母が亡くなってからは自分で作るようになった。


普通甘酒は、ご飯と糀を混ぜて発酵させるのだが、母直伝の甘酒は、ご飯を入れず、糀とぬるま湯だけで作る。


 炊飯器を保温にして、フタの間に箸などを挟んで、少し隙間をあけ、四~五時間おくと、甘酒の素、甘糀ができる。


 ご飯を入れないのでアッサリな口当たりなのだが、八穂には飲み慣れた懐かしい味だった。


「さて、夜の仕込みを続けるか」


八穂は飲み終わったカップを持つと腰を上げた。


今夜のメインは、塩糀しおこうじに漬けた赤牛レットカウの予定だった。


 赤牛レットカウは体調一メートルほどの小さな牛で、ドードー鳥と並んで、家畜として飼われているポピュラーな動物だ。


 八穂が、トワ郊外の牧場で飼育されているのを初めて見た時、驚いたことに、この赤牛レットカウ、背中に小さな翼が生えているのだ。


 さほど高く飛べるわけではなく、少しの距離しか飛べないのだが、その翼を使って、ふわふわ浮いているようすは奇妙な感じがした。


 その肉を塩麹に漬けてあるので、あとは焼くだけだった。

塩麹はもちろん、麹を手に入れた時に作ってあった。塩と麹と水を混ぜ合わせて、十日ほど発酵させる。


 麹の酵素が肉を柔らかくしてくれるので、赤身の多い肉でも柔らかく食べられる。

それに、醤油のないこの世界で、塩だけの素朴味付けに、麹の甘味が加るので、気に入ってもらえるはずだ。


 八穂は考えながら、付け合わせの酢キャベツを作ろうと、千切りキャベツを刻み始めた。

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