第8話隠し味

「ごめんなさい、まだ準備中なんです」

八穂やほが夕食の仕込みをしていたところに、小柄な女性が訪ねてきた。


ややくすんだ金髪をシニヨンに結った、おとなしそうな人だった。

「お忙しいところ、ごめんなさい」


女性はていねいに頭を下げると、飾り気のない黒いワンピースの胸元に手を当てて、息を整えた。

「トワの孤児院で働いているロジーと言います。お尋ねしたいことがあって参りました」


「はじめまして、八穂です。孤児院と言うと、トワの未来の?」

「はい、あの魔獣事件の時は、彼らが大変お世話になりました」


 魔獣事件というのは、タウルのダンジョンが発見されるきっかけになった事件のことだ。


 孤児院の子供たち四人の冒険者パーティ、『トワの未来』のメンバーが、イルアの森で薬草摘みをしている時に、魔獣エビルボアに襲われたことがあった。

その時、八穂が彼女の自宅に避難させて、冒険者ギルドまで送り届けたのだった。


それが発端となって、イルアの森に新しいダンジョンが見つかり、そのダンジョンを中心として、タウルの町が作られたのだった。


「彼らは元気にしていますか」

八穂は、懐かしくなってたずねた。


「ええ、ええ、元気ですとも。ダンは十五歳になりましたから、孤児院を出て独立しましたけれど、ヨハンとジルは十四歳、ミルワは十三歳になりました。よく手伝いをしてくれています」


「そうなんですね、彼らももう一人前ですね」

八穂が感慨深そうに言うのをみて、ロジーはうなずいた。


「そうなんです、あっという間に成長してしまいます。逞しいけれど、少し寂しい気もします」


「ああ、そうだ、何か御用があったのでしたね、どうぞおかけください」

八穂が椅子を勧めると、ロジーは軽く会釈をして、カウンターの隅に腰掛けた。


八穂は手早くお茶の用意をして、デザート用に煮上がったばかりの、林檎のワイン煮を二切れ、小皿に乗せてすすめた。

「お茶に合いますので、どうぞ」


「ありがとうございます。いただきます」


ロジーは、赤ワインで鮮やかな色に染まった果肉を、フォークで小さく切ってから、口に入れた。

それから驚いたように目を見開いて、薄らと笑みを浮かべ、八穂を見た。


「とても美味しいです。香りが独特ですね」

ロジーは言って、紅茶を口に運んだ。


「それはスパイスの香りです。クローブとシナモン。先日トワの市場で見つけたのでつかってみました」

八穂は、ロジーの横に腰掛けると、自分も紅茶を飲みながら答えた。


「おいしいです、とても」

「ありがとうございます。それで、御用はなんでしたっけ?」

八穂が促すと、ロジーは少し気まずそうに切り出した。


 彼女の話によると、八穂がトワの広場で、ゆで小豆を売っていた屋台を、孤児院が譲り受けたとのことだった。


 八穂がタウルに食堂を構える時に、これから商売を始める若い人がいれば、無料で使って欲しいと、商業ギルドに託してあったのだ。


 子供たちの職業訓練と、孤児院の収入のために、ゆで小豆、ビンガ豆の甘いスープを商いたいとのことで、有意義に使ってもらえるのなら、八穂も嬉しかった。


「それは良いですね。子供たちのためになるのなら、私も嬉しいですよ」

八穂が言うと、ロジーは、緊張していた頬を、少しゆるめた。

「そう言っていただけて安心しました、ただ、ちょっと問題があって」


「穀物店のアズルさんが、格安でビンガ豆を売ってくださることになって、今試作をしているところなのです。でも、なかなかヤホさんのような味にならなくて、アドバイスをいただけたらと思って来ました」


「なるほど、どんな感じなんですか」

八穂がたずねると、ロジーは持っていた包みから小さな壺を出した。

「昨日作ったものなのですが」


確かに、壺の中には、汁気の多いゆで小豆が入っていた。

八穂がスプーンを出してきて、口に含むと、シュガルの甘味が口の中に広がった。

「そうですね……」


「いかがでしょう」

ロジーは、首を傾げて、思案している八穂をのぞき込むようにして言った。

「甘さは、控えめだけど良いと思います。ただ、食べた後に少し渋味が残りますね」


「そうなのです。冒険者ギルドの方達にも試食していただいたのですが、ヤホさんの味と、どこか違うと言われてしまって」

「なるほど」

八穂は言って、渋味の可能性を思い浮かべた。


「ビンガ豆を茹でる時、最初の茹で汁はどうしていますか?」

八穂が聞くと、ロジーはきょとんと目を見開いた。


「最初の茹で汁ですか? ええと、ミュレさんから聞いたのは、お水から火にかけて、柔らかくなったら、シュガルを入れて味付けすると言うことでしたが」

ロジーは、「最初の煮汁」の意味を知らなかったようだ。


 作り方は、冒険者ギルドの受付嬢で友人のミュレに教えてあって、必要なら誰に教えても良いと言ってあったのだが、おそらくミュレは「アク抜き」について伝え忘れたのだろう。


「ビンガ豆を火にかけて沸騰させますね」

「はい」

「沸騰して吹き上がってきたら、お水をカップ二杯くらい入れて押さえます。そして、また沸騰してきたら、一度豆をザルに上げて、ゆで汁を捨てるんです」


「え? 捨てちゃうんですか」

ロジーが驚いて聞き返すと、八穂は笑って続けた。


「最初の茹で汁には、豆のアク。うーんと、何て説明すればいいのかな。味を悪くしてしまうものが溶け込むので、それごと味付けしてしまうと、うま味以外の味も混ざって、味が落ちてしまうんです」

「そうなんですね」


「捨てるのがもったいなかったら、冷めてから、畑や花壇の水やりに使うといいですよ」

「わかりました。そうしてみます」


ロジーは、気がかりが解決したせいか、緊張も解けたようで、ほう、と息をはいて、紅茶を口に含んだ。


「おかげさまで、ここ何ヶ月かの悩みが消えました」

「それは良かったです。それと、あと一つ、多分これはミュレには言ってなかったかもしれません」

「はい、なんでしょうか」


「隠し味です」

八穂は、少し声を低めて、おどけたように言った。

「隠し味?」


「ええ、味付けの砂糖…… シュガルの他に、少しだけ塩も入れると、甘味が引き立ってスッキリした味に仕上がります」

「甘くするのに、塩も入れるんですか?」


「塩辛くなるほどではなくて、ほんの少し。なので隠し味です」

「初めて聞きました」


「塩の量は試作して研究してみてくださいね。塩を入れたのと、入れないのを食べ比べてみるとわかってくると思いますよ」


「ありがとうございます。やってみます」

ロジーは深々と頭を下げた。


「馴れるまでは大変だと思いますが、子供たちと楽しんで作って下さい。トワの皆さんも喜ばれるでしょう」

八穂が言うと、ロジーは嬉しそうに立ち上がった。


「お話しをうかがえて良かったです。お忙しい時間にお邪魔してごめんなさい」

「私も、お話しできて楽しかったです。あ、そうだ」


 八穂は、急いで厨房へまわり、腰につけているマジックバッグから、作り置きしてあったビスケットの包みを幾つか取り出した。


「これを、皆さんで食べてくださいな、『トワの未来』のみんなにもよろしく伝えてくださいね」

八穂は言って、ビスケットの包みを差しだした。

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