第3話ミノタウロスの特製シチュー

 「ごめんなさい、売り切れです」

八穂やほが頭を下げると、残念そうな二人連れが、肩を落として帰って行った。


 今夜は、特別メニューでミノタウロスのシチューが出るということで、噂を聞きつけた客が、いつもより多かったのだ。


 同郷のAランク冒険者、十矢とうやが差し入れてくれた、巨大なミノタウロスの肉を、コトコト煮続けて五日。ようやく完成したのが昨夜だった。


 もしも、一から作ったなら、とても五日では完成しないのだが、十日以上かけて丁寧に煮出したフォンドボーが、マジックバッグに保存してあったおかげで、期間を短縮することができた。


 フォンドボーは、牛の骨とスネ肉を、オーブンで焦げないように焼いてから、同じく焼いた野菜と、水、赤ワインを入れて、アクを取りながら長時間火にかける。それを、漉して一番スープと固形物に分ける。


 漉して残った固形物に、また同じように野菜と水、ワインをいれて再び煮出し、二番スープを取る。最後に、一番スープと、二番スープを合わせて、フォンドボーが完成だ。


 決して沸騰させない、焦がさない。目を離すことができない地味だけれど大切な作業だ。


 八穂は元の世界で、趣味のお料理教室には通っていたが、本格的なプロの料理を学んだわけではない。

フォンドボーの作り方だって、昔ネットで見たうろ覚えの知識でしかないのだが、必要になれば、成せば成るである。

試行錯誤で時間はかかったが、なんとか納得いくスープが作れるようになった。


  ミノタウロスの肉も、そう何度も手に入るものではなかった。牛に近いだろうと予想はできたものの、当然食べたことも、料理したこともなかった。

異世界の食材を料理するというのは、いつも手探りなのだ。


 ミノタウロスの肉は、ステーキなどで軽く焼いて食べる分には、とても柔らかい。しかし、煮込んでしまうと、固く締まって、かみ切れないほどになってしまう。


 それを、更に更に、何日も煮込んで行くと、ようやく繊維がほぐれて柔らかくなってくる。

普通の牛肉ならば、数時間以上煮てしまうとパサパサになることも多いのだけれど、ミノタウロスに関しては、そうはならなかった。


 そういう少ない経験の学びから、八穂は食堂のメニューを考えていた。

その時手元にある材料で、喜んでもらえる食事を作りたい。それが、彼女のやり甲斐だった。


「こんばんは、まだ残ってる?」

十矢とうやが、入口のドアを手で支えながら声をかけた。

「うわ!」

後を向いて洗い物をしていた八穂は、彼が入って来たにのに気づかなかったのか、ビクッと体を固くしてから、あわてて振り向いた。


「十矢か、びっくりした。残ってるよ、今用意するね」

「おう」

十矢は、いつものようにカウンターに腰掛けると、棚に並んでいるビールの瓶を取って、瓶のまま口に流し込んだ。

「ふう、喉が渇いてた。これが冷えてればなぁ、もっとうまいだろうに」

二口目をラッパ飲みして、ほとんど空になった瓶を振った。


「この世界ではねぇ、魔術師でもいれば冷やしてもらえるんだけど、無理ねぇ」

八穂は言って、温めたミノタウルスのシチューを、カウンターに置いた。


 少し深めの大皿の中央に、長さ四十センチはある大きな肉の塊が鎮座していた。

厚みは十五センチはあるだろうか、ツヤツヤしたデミグラスソースの海に浮いている島のように、インパクトのある姿だった。


中に野菜などは一切入っていなくて、ミノタウロスの肉だけが湯気を立てていた。

肉はもちろん、野菜などのうま味はソースに溶けている。なんとも言えない複雑な香りが漂ってきて、十矢の空腹を刺激した。


「おお、すごいな」

十矢が、添えられていたスプーンですくうと、ほろほろにほどけた肉が、山盛りにすくい取られた。

「すげえ、ナイフで切らなくても食えるなんて」

嬉しそうに口に入れて、目を見開いた。


 口いっぱいに肉が入っているので喋れない。

十矢は、もごもご咀嚼しながら八穂を見て、首が千切れるのではないかと心配になるほど、激しく首を縦に振った。


「よかった、気に入ったみたいね」

八穂は言って、温サラダの器を置いた。


じゃがいも、人参、小カブ、セロリなどを蒸した温かいサラダで、味噌マヨネーズを添えてある。


味噌マヨネーズは同郷の十矢だけに特別に出したもの。神様特典で、元の世界から一緒に転移してきたものだ。

他のお客さんには、酢と蜂蜜で作った甘酢を添えてみた。


マヨネーズも手作りしたいのだけれど、この世界の生卵の安全性は、いまひとつ信用できなかったので、まだ作ったことがなかった。

いつか、自分でドードー鳥を飼うことができたら、試してみたいと思っていた。


 こんな大きな肉の塊は、一般の人なら三人分くらいはあるだろうか。

相手が激しい仕事をしている冒険者だからこそ、これほどの肉を出しても、ペロリと平らげてくれるのだ。


 やはり、作った物を豪快に食べてもらえると嬉しい。八穂はそれが一番のご褒美だと感じた。


「そうそう、あと一皿分残ってるから、マジックバッグに入れて持って行って。食材提供者の特典」

八穂は夢中で食べている十矢に向かって声をかけた。

「それで、また何か狩ったら、よろしくね」


十矢は、相変わらす口の中を肉で一杯にして、スプーンを持っていない方の指で、オーケーのサインを出した。

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