第5話沈黙のグレートクラブ・ロースト

 八穂やほが夕食用の仕込みをしていると、白黒まだら模様の大きな猫が入って来た。

フサフサの長い尻尾を、ゆさゆさ揺らしながら、八穂の足許にうずくまって見上げた。


 彼は、八穂の使役獣リクだ。猫の姿をしているが、八穂の危機にはライオンほどの大きさになって護ってくれる。神獣ドウンという特別な生き物だった。

 

でも、普段はただの飼い猫で、気まぐれ気まま。リクにとって八穂は、ただの同居人で、ご飯係みたいだ。とても飼主とは思われていないように見えた。


「あれ、リクどこへ行ってたの」

何も答えず、だた見上げている。

「お腹がすいた?」

八穂が聞くと、見上げたまま、子犬のように尻尾をパタパタ振った。

「今、あげるね」


リクは八穂の言葉を聞くと、キッチンの隅に置かれた、小さなテーブルの前に、のんびり移動した。

「きょうはシーフード」

八穂は腰につけたマジックバッグから、作り置きのリク用の食事を出して器に入れた。

白身のティレジウス魚と、鬼帆立を茹でて、細かく刻んだものだ。


 猫には、イカやタコ、カニ、ホタテなどは食べさせない方が良いと言われている。生で食べると中毒を起こすことがあるのだが、火を通してあれば、少しは大丈夫。

猫は特にタウリンという栄養素がたくさん必要で、これらの魚貝にはタップリ含まれている。


 リクはたまにしか食べられない魚貝が好物なのだ。

幸せそうに豪快にぱくついて、それでも、少し残して食べ終えた。


「全部食べてくれればいいのに、必ず少しだけ残すのね」

八穂の言葉を聞いても、特に何も反応せず、水の容器に顔を突っ込んでペチャペチャなめた。


「八穂ちゃん いる?」

入口から八穂を呼ぶ声がして、行ってみると、宿屋の女将、リーナさんだった。


「リーナさん、こんにちは」

「よかった、いてくれて」

リーナさんは、ふっくらした体躯で、長く赤い髪をシニヨンに結っている。いつも清潔な白いエプロンをつけて、強面の冒険者にも、ズケズケと物申す肝っ玉母さんだ。


「うちに泊まってる冒険者が、グレートクラブを狩って、持ち込んでくれたんだけど、食べきれないのよ。今日中に食べないとダメになるでしょ。だから八穂ちゃんとこでどうかと思って」

「おお、それは是非。このあたりではなかなか手に入らないもの、嬉しいです」

答えながら、八穂の頭の中は、今夜のメニューをどうするかで一杯になっていた。



 リーナさんの宿屋から運ばれたのは、一番長いのは三メートルはあるかという巨大な蟹脚が二十本。


宿屋の調理人さんが、五十センチくらいの長さに切りそろえてくれていたので、八穂でもなんとか扱えそうだった。


 夕食の時まで、あまり時間がないので、まずはシンプルに焼こうかと考えた。このままオーブンで焼けば良さそうだ。


 つけだれは、お酢と蜂蜜の甘酢。唐辛子を刻んでトマトペーストに加えたピリ辛ソース、オリーブオイルに、ニンニク、塩を入れて温め、刻んだバジルを加えたアーリオオーリオソース。お好みで使ってもらう。


 それから、小さめのカブを、蟹の身を入れて、塩味でやわらかく煮てみた。でんぷん粉でとろみをつけ、茹でたカブの葉を添えれば、カブのあんかけ煮の完成。



「あれ、今夜はなんか静かだね」

馴染み客のサンタンさんが、入口で不思議そうに店の中を眺め回していた。

「なんだ、いっぱいいるじゃないかお客、どうなってるんだ?」


「こっち、こっち」

奥のテーブルに座っていたテニスンが手で招いた。職人仲間らしく、よく待ち合わせて食べに来る。


「みんな食べるのが忙しいんだよ」

テニスンは皿の上を指さして、蟹の殻をフォークで叩いた。


「うおお 蟹か」

サンタンは、興奮して叫んだ。


 他のテーブルで食べている数人の客が、顔をあげて彼を見たが、緊急時ではないと確認すると、また下を向いて、皿に手を伸ばしていた。


「それも、グレートクラブだぜ」

テニスンが、なぜか自慢げに胸を張ると、サンタンは顎のあたりにまばらに伸びている髭を手で撫でながら頷いた。

「そりゃ、黙るはずだ。八穂ちゃん、俺も蟹!」


「はーい、サンタンさん、カブのあんかけ煮も食べる?」

「もちろん、もらう」

サンタンは、カウンターの棚から、ワインの瓶をとり、グラスに注いで椅子に座った。


 グレートクラブの身は、見た目は無骨で大味おおあじに思えるが、食べてみると甘味があって、繊細な味わいだった。 

内陸部ではめったにかぐことのない、しおの香りが口いっぱいに広がってくる。


そして、殻の中から身を引き出す時は、なぜかみんな無口になる。真剣に、大事な宝物を扱うように慎重に集中するのだ。


今夜のほのぼの食堂は、お客が入ってくるたび、一時騒ぎになるが、手元に皿が届くと、またひとしきり静かにもどるのだった。

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