第8話

12


弥栄子の話を黙って聞いていた権藤は、苛立っているのか貧乏ゆすりを始めた。


モデルのような長い足を組み、右足だけを上下に揺らしている。


切れ長の目に、鷲鼻という顔立ちから、爬虫類のような印象を受ける。


髪にはパーマをあて、顎髭を生やし、首の後ろには、タトゥーが入っている。


腕も長く、その腕を鞭のようにしならせ、相手を殴り倒す。


その様はまるで、べビが獲物に巻きつくようで、対戦した相手はその変則的な動きに全くついていけず、一方的にいたぶられる。


何度もその場面を目撃している弥栄子は、権藤の機嫌を損なわないように、常に警戒していた。


「報告は以上か?」


「すみません。最後にもう一点だけ。渡井蓮のことです」


権藤が顔をしかめた。


「ワタライレン?」


「前に説明しましたが、特Aに昇格させるアルバイトのことです」


「あーなんとなく覚えてる。かなりの高値で取引されるやつだったか。そいつがどうした?」


一週間前に報告したばかりなのに、もう忘れているようだ。


「本人に昇格することを伝えたところ、同意してくれました」


「そうか。ギャラの件も同意したのか?」


「もちろんです」


「なら問題はない。以上か?」


「本日は以上です」


権藤の貧乏ゆすりが止まった。


「では私はこれで・・・」


弥栄子が立ち上がろうとすると、権藤が言った。


「最近、商品の出荷数が、以前と比べて減っているようだが、原因はなんだ」


弥栄子が動きを止めた。


「それは・・・人手不足で製造が遅れてしまって・・・今、募集をかけているので、もう少しすれば、前のような安定供給に戻る予定です」


「それはいつだ?」


間髪入れず権藤が問い詰める。


ゴクッと唾を飲み込んだ。


「再来週には戻ります」


「来週分はどうする?」


権藤が追い打ちをかける。


また、貧乏ゆすりが始まった。


「らっ来週分は、今いるスタッフ総出でなんとか間に合わせます」


「間に合うのか?」


「もちろんです」


背中を嫌な汗が伝う。


鋭い眼光でこちらをじっと見据える。


心臓が口から飛び出してしまいそうなほど、大きく脈を打っている。


実際は数秒のことだったが、何時間もそうしているのではと錯覚してしまう。


すると権藤がふっと目元を緩め、貧乏ゆすりを止めた。


「来週分は必ず間に合わせろ。いいな」


「わかりました」


弥栄子は、大きく息を吐いた。


「そういえば三日前の夜はどうしてた?仕事終わりに連絡したんだが、つながらなかった」


三日前の夜と言えば、蓮と岩谷英司のマンションにいたときだ。


「あの日は確か・・・仕事場にスマホを忘れてしまって。それで連絡がとれませんでした。何かありましたか?」


「いや・・・特に大事な用じゃない。もう忘れてしまったが」


「すぐに連絡できず申し訳ありません」


弥栄子が深々と頭を下げた。


「三日前っていうと、画家の岩谷英司が死んだ日だ。知ってるか?」


「はい。ネットニュースで見ました。けっこう有名な画家だったんですよね。来年にはニューヨークで個展を開くとか」


「そうなんだ。実はその画家の絵が好きだったんだ。少し前に個展にも行ったことがある。だから残念でね」


「権藤さんが絵を・・・意外です」


「俺にも芸術脳ってものはあるんだ」


弥栄子がフッと口元を綻ばせた。


「何だ?」


権藤が訝しむ。


「いえ。前に私には芸術脳がないと言われたことがあって。それを思い出して」


「確かにお前にはなさそうだ」


権藤が鼻で笑った。


「でも仕事柄、少しは持っていた方がいいと思いますが」


「別にそんなもんは必要ないだろう。単なる偽造サインや贋作だ。芸術とはほど遠い」


ふと気になったので、弥栄子はどうしても聞いてみたくなった。


「あの・・・権藤さんはなんでこの仕事を?」


「ん?」と眉をひそめた。


「いえ、芸術が好きな権藤さんが、なぜこんな・・・その・・・」


「芸術を冒涜するようなことをしているのかって」


権藤が足を組み替え、苦笑した。


「そんな冒涜だなんて・・・そこまでは」


「言いたいことはわかる」


椅子の背にもたれた権藤は、両手を組んだ。


「大した理由はない。・・・金のためだ」


(金のため・・・)


確かに、この仕事は金になる。


弥栄子も同い年の人の、平均年収の約五倍の額をもらっている。


やっていることは、犯罪行為なので、警察に捕まってしまえばそれまでなのだが、そのリスクと天秤にかけても、魅力ある金額だった。


だから、権藤が金のためだというのも理解できる。


しかしそれだけではないような、もっと別の理由があるような感じがした。


「お前だって、金のためだろう」


「・・・はい」


弥栄子が小さく頷いた。


この仕事を始めたのは、約七年前だ。


当時勤めていた会社を辞め、路頭に迷っていた時に、たまたま権藤と飲み屋で知り合い、手伝ってくれないかと誘われたのがきっかけだ。


まさかそれが犯罪行為だとは、夢にも思っていなかったが、人生に絶望し半ばヤケになっていた弥栄子は、権藤の仕事を手伝うことを決めた。


大学卒業後、OLとして働き始めた弥栄子だったが、持ち前の負けん気と正義感から周りとの折り合いが悪く、数カ月で孤立してしまった。


そんな時、手を差し伸べてくれたのが、同じ部署の主任だった男だ。


男は、仕事終わりに弥栄子を食事に誘うと、親身になって相談にのってくれた。


心を許し始めた弥栄子が、男と肉体関係を結ぶのに、何ヶ月もかからなかった。


男には、妻子がいたが、家庭は冷めきっていて、すぐにでも離婚したいと嘆いていた。


弥栄子はその男の言葉を信じ、何年も待ち続けた。


ところが、一向に男は離婚する気配がなく、しびれをきらした弥栄子が問い詰めると、逆上し暴力をふるうようになった。


暴力をふるった後、泣いて謝る男の姿を見て、弥栄子はひたすら待つことを決めた。


しかし事態は、悪い方向に進む。


弥栄子の妊娠がわかったのだ。


そのことを知った男は、驚愕しすぐにでもおろしてほしいと懇談した。


弥栄子がそれを拒否すると、男は会社と妻に自分が不倫をしていたことを暴露してしまう。


最初に誘ってきたのは弥栄子の方で、自分は被害者だ。


付き合いを続けなれば、お前の人生をめちゃくちゃにしてやると脅されたと嘘の事実をでっち上げた。


弥栄子もそれは嘘だ、自分はそんなことはしていないと訴えたが、会社の中で孤立してしまっていた弥栄子に味方するものは、現れなかった。


会社での居場所を失ってしまった弥栄子は、自分から退職届を提出し、残っていたわずかな貯金を使い、堕胎手術を受けた。


権藤と出会ったのは、そんな時だった。


仕事も金も恋人も友人も、全てを失ってしまった弥栄子には、犯罪行為くらいがちょうどよかった。


全てを失い、吹っ切れた弥栄子は、自分では思いもしなかった才能を発揮し、次々とたくさんのビジネスを取りまとめていった。


犯罪行為なので、働く連中は一癖も二癖もある者ばかりだ。


そんな連中を、手のひらで上手に転がし、思い通りに動かしていった。


二年ほど経つと、権藤のビジネスは大きくなり、関わる人間も増えていった。


その分トラブルも多くなる。


金庫から金を盗んで逃げるもの、一緒に仕事をしていて気にいらないものを半殺しにしてしまうもの。


表の世界では、真っ当な生き方をできなかった連中の集まりだったこともあり、血生臭い争いが後を絶たなかった。


それらを全て上からの圧倒的な力で、押さえつけたのが権藤だ。


権藤は裏切った者に、容赦なく制裁を加え、二度と逆らえないよう、一生消えない恐怖を植え付けた。


それでも逆らう者の中には、命を奪われた者もいる。


弥栄子は、そんな現場を何度も、目にしてきた。


初めのうちは、気分を害し吐き気を覚えた弥栄子だったが、何度も目にしているうちに次第に感覚が麻痺してしまい、今では日常のほんの小さな出来事として、受け取ることができるまでになっていた。


弥栄子はもう自分は、OLをしていたころの自分には、戻ることはないのだと悟った。


権藤との、打ち合わせを無事に終え、外に出た弥栄子は、ほっと胸をなでおろした。


事務所代わりに使っている、薄汚れた雑居ビルを一度だけ見上げると、踵を返し歩き始めた。


その様子を、窓の隙間から権藤が、切れ長の目を光らせ、じっと見つめていた。


13


警察が現着したのは、通報から10分後のことだった。


「マンションの部屋で、血まみれで倒れている」


岩谷英司のマネージャーの通報で駆けつけた警察官達が、被害者の死亡を確認。


現場の状況からすぐに殺人事件と判断され、警視庁から刑事が捜査にやってきていた。


「死亡推定時刻は昨夜22時から24時の間、凶器は現場に落ちていた灰皿で、後頭部に一回、そのあと顔面を複数回殴打されています」


スーツ姿の長谷部が、捜査用のタブレットを、スライドしながら言った。


「被害者は岩谷英司さん、32歳。職業は画家だったようです。第一発見者は彼のマネージャーの戸嶋新さん35歳。朝の9時に迎えのためにマンションの下で待っていたそうですが、被害者が時間になっても現れなかったため、この部屋の合鍵を使って中に入り、血まみれで倒れている被害者を発見しました」


同じくスーツ姿の、黒川が聞いた。


「画家って絵描きのことだろ?それなのに芸能人みたいにマネージャーなんかつけるのか?」


「岩谷さんは、有名な油絵師で、日本のみならず、海外でも作品が評価されています。企業のスポンサーもかなりついているみたいですし、マネージャーの一人や二人つけるんじゃないんですか」


「そんなもんか・・・。それで鑑識の結果は?」


「部屋の中から岩谷さん以外、多数の指紋が検出されたそうです。ただ日数が経過してしまっているので、判別するのは困難なものが多くて・・・。マネージャーの話では、この部屋で仕事の打ち合わせが頻繁に行われていたから、人の出入りは激しかったと。指紋で被疑者を特定するのは難しそうですね」


「この凶器からは?」


保管用のビニール袋に入った灰皿を持ち上げた。


「それが全く指紋が検出されませんでした。犯人が念入りに拭き取っていったようです」


長谷部がタブレットと灰皿を交互に見た。


「他に拭き取られている場所は?」


「家中に拭き取った形跡が残っていました。被害者を殺害後、犯人が拭き取っていったと思われます」


「んー・・・」


黒川が灰皿を凝視した。


「あっ大事なことを言い忘れていました。被害者の財布から現金が抜き取られています。さらにマネージャーの話では、部屋にあった高級腕時計が何点か無くなっていると。無くなったものは、どれもブランドものばかりで、一つ数百万円から数千万円はくだらないと。物取りの犯行かもしれません」


「それを早く言え」


黒川がため息まじりに言った。


「すいません」と長谷部が小さく頭を下げる。


灰皿を元の場所に戻すと、キッチン、バーカウンター、テレビと順番に見て周る。


そんな黒川の後を追いかけながら、長谷部は話を続けた。


「昨日の被害者の様子ですが、マネージャーいわく特に変わった様子はなかったそうです。13時から16時までスポンサーとの打ち合わせがあって、その後はスタッフを連れて飲みに行っていますね。その席でも普段通りだったそうです。ただ19時頃、突然被害者が帰ると言って席を立ったと。いつもは夜中まで飲む人だから、珍しいなと思ったそうです」


「その理由を聞かなかったのか?」


「被害者は、ちょっと用事を思い出したと言っていたそうです」


「用事ね・・・」


テーブルに置かれたグラスに目をやりながら、黒川がつぶやいた。


「エントランスに防犯カメラがあっただろ。その映像は見られるか?」


「今、別の捜査員が、確認しています」


「何かわかったら、すぐに連絡させろ」


「わかりました」


長谷部がスマホを操作し、警備室で防犯カメラの映像を確認している、同僚に伝えた。


黒川は、リビングを出ると風呂場やトイレ、廊下に飾られた絵画、薄暗い創作部屋など、入念に見て回った。


「やっぱり物取りの犯行ですかね」


長谷部の言葉に、黒川が首を横に振った。


「違う。被害者と顔見知りの人物の犯行で間違いない。金や時計を盗んだのは、物取りに見せかけるためのカモフラージュだろう」


「えっ・・・」


「考えたらすぐにわかる。被害者はまず後頭部を一発殴られてる。突然入ってきた物取りを前に、後ろを向くバカがいるか。そんな無防備な態度を取れるのは、信頼している顔見知りが一緒にいたからだ。さらに犯人はその後、顔面を何度も殴ってる。自分が物取りの犯人だったら、取れるものを取って、一刻も早くこの場から逃げたいはずだ。わざわざ時間のかかるようなことはしない。顔面をぐちゃぐちゃになるまで、しつこく殴っていることから見ても、被害者に相当な恨みをもった人物が犯人だ」


「なるほど・・・」


長谷部が大げさに頷いた。


「まずは被害者の人間関係を徹底的に洗い出せ。けっこうな有名人だったんだろ。恨みを持ってる人間が一人や二人いてもおかしくはない」


「わかりました!」


長谷部がタブレットに書き込む。


「あと、昨夜の犯行時刻前後に、怪しい人物を目撃した人がいないか、聞き込みだ。このマンションには警備員が常駐しているんだよな。その警備員からも証言を取ってこい」


「はい」


長谷部がてきぱきとスマホを操作し、玄関に向かう。


一人残った黒川は、廊下を進み創作部屋に入ると、キョロキョロと中を見渡した。


「なあ!この部屋は、ちゃんと確認したのか?」


リビングで書類にペンを走らせていた鑑識捜査官に、声をかける。


「その部屋も一通り見ていますよ。ただ手がかりになりそうなものは、何もありませんでした」


「最近誰か入った様子はなかったのか?」


「それはありましたよ。被害者が絵を描くために使った形跡が。でもそれくらいですかね」


「・・・そうか」


黒川は、創作部屋に足を踏み入れると、部屋の中央に置かれている木の椅子に腰をおろし、腕を組んだ。


「何か気になることでもありますか?」


先ほどの鑑識捜査官が顔を覗かせる。


黒川は、腕を組んだまま首をひねった。


「いや、何故か無性にこの椅子が気になってな」


「警部の今座っている椅子ですか?」


「そうだ」と頷いた。


「この椅子だけ、こんな部屋の中心に、置かれているのはどうしてだ」


「さあ。被害者がいつもそこで、絵を描いていたからじゃないですか?」


「じゃあ、その描きかけの絵は、どこにある?」


「完成したんで、そこら辺に転がっているんじゃないですか?」


鑑識捜査官が視線で、棚に並んでいるキャンバスを示した。


「だったらなぜこの椅子だけ、ここに残してあるんだ。完成したなら、この椅子も一緒に片づけるんじゃないのか」


「またすぐ絵を描くから、いつもそのままにしてあるんじゃないですか?いちいち片付けるのが面倒くさいとか・・・」


「いや、それはおかしい」と言って椅子から降りた黒川は、その場にしゃがみ込んだ。


「ここを見てみろ。椅子がずっとこの場所に置かれたままだったなら、椅子の足と床の接着付近に埃が溜まっているはずだ。だが見ろ」


鑑識捜査官も中に入り、黒川の背中越しに、床を見つめた。


「そう言われると、確かに埃が溜まっていませんね。これだけ埃っぽい部屋なのに」


「そうだ。部屋の隅や窓枠にも埃が溜まっているのに、どうしてだか、この椅子の周りには埃が落ちていない。つまり、この椅子は、いつも動かされていて、ここに置きっぱなしではないということだ。おそらく被害者は、描き終わるたびに毎回、丁寧に片付けていたんだろう。それがなぜか今日に限って、椅子だけが置きっぱなしになっている」


「そう言われると、確かに不自然な気もしてきますね。でもそれが、今回の事件と、何か関係があるんですか?」


「そこまではわからん。だがこの椅子がここに置かれていたということは、その前に描きかけの絵が、置いてあったんじゃないのかと思うんだ。でもそれが今は片付けられていて、見当たらない。おかしいと思わないか」


黒川の問いかけに、鑑識捜査官がうなった。


「どうでしょう。たまたま椅子だけ片付けるのを忘れてしまったという可能性もありますし、それに埃の件ですが、被害者が毎回この場所で絵を描いていたとしたら、その影響で埃は溜まらないんじゃないですか?椅子はずっとここに置かれたままで、人の動きで埃が溜まらなかった。そう考えた方が自然な気もします」


鑑識捜査官の問いかけに、今度は黒川が唸る。


「んー、そういう考えも、できないことはないが・・・」


黒川の思い悩む顔を見て、鑑識捜査官がハッとする。


「あっすみません。私なんかが警部に意見してしまって」そう言いながら頭を下げた。


「いやいいんだ。貴重な意見をありがとう。もう仕事に戻ってくれていいよ」


双眸を崩した黒川に、安心したのか「失礼します」と言って、リビングに戻って行った。


鑑識捜査官が視界から消えるのを確認した黒川は、難しい顔を作ると、また椅子に腰かけ、まっすぐ前を見つめた。


その視線の先には、被害者がこれまで描きためてきた油絵が、綺麗に並べられている。


絵の知識や興味が全くない黒川だったが、並べられている絵を見て、妙な違和感を覚えた。


何か大切なものが欠けているような、未完成のパズルのような、気持ち悪さを感じた。


その時、玄関が開く音がして、誰かが慌てて駆け込んでくる気配がした。


「黒川さん、こんなところにいたんですか」


興奮した様子の長谷部が、黒川の背中に声をかける。


「防犯カメラの映像に怪しい人物が、映っていました。さらに昨日駐在していた警備員がマンションの周りをうろうろしていた不審な男を目撃しています。しかもその男は自分から被害者に会いに来たと答えていたそうで、その警備員が被害者に直接確認したところ、間違いないから通していいと言われたと」


「その警備員はどこにいる?」


「下で待ってもらっています」


スッと立ち上がった黒川は、踵を返し創作部屋を出た。


すれ違う直前、長谷部の肩をバシッと手のひらで叩いた。


<第九話へつづく>

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