第23話 玖




「寝癖なし!靴磨きオッケー!靴下、新品!ええと、それから……」

「おい、ニノ。それぐらいにしておかないと、流石に遅れるぞ」

「わっ、そうだよね!ありがとう!レオ!」



 生粋の女王の国人のレオからすれば、ニノはちょっとなよなよしていて頼り甲斐がないように思える。しかし、それはお国柄というものなのだろう、ともレオは分かっていた。それに、それを引かなくてもレオはニノの人間性を好ましく思っていた。



 誰とでもすぐに打ち解けられて、誰からも愛される。実は、能力も魔力も高いくせに、不器用なせいでそれを上手く使いこなせていない。ニノが自らの持つ能力を十二分に発揮できれば、グレード4、いや5だって狙えるかもしれないのだ。



(なのに試験では毎回、腹痛だの寝不足だの貧血だの……ニノ自身は真面目な分、更にタチが悪いな)



 けれどもしかしたら、それだからこそ、ニノの周りには人が絶えないのかもしれない。

――その人柄に親しみを持つ者。

――あまりの不器用さに放っておけなくなる者。

――ニノの不憫さに、自らを重ねてみる者。



(かくいう俺も、ニノの可能性に夢を見ている一人……だな)



 グレード3とは、なかなかに厄介な立場だ、とレオは思っている。グレード4秀才には届かず、グレード5天才たちには縁がない……そして1、2をグレード下位と見下すにはあまりに近い。両親からの期待に、時に押しつぶされそうになるレオたちにとって、自分以上にプレッシャーと戦っていながらものびのびと生きているニノのそばにいるのは、息がしやすかった。



「わ、もうこんな時間!レオ、行こう!」

「おー!今日はバシッと決めろよ!ニノ!」

「う、えええ……じ、自信はないけど……頑張るよ!」

「そのいきだぜ!」

 


 レオは、胸を張るニノの肩に手を置いた。瞳に力強い光を宿し、ぐ、と拳を握るニノは、珍しく頼もしく思えた。


 







「ふえええ、む、無理……か、輝いてる……きらきらしてるうう…………」

「………………」



 やれやれ、前言撤回だな、とレオは苦笑しつつため息をついた。待ち合わせの十分前。約束した場所にやってきたニノは、遠目に一人佇む少女が雪凪であることを認識した瞬間、先程までの意気込みが嘘かのようにしおしおとその場に崩れ落ちてしまった。



「おいおい、また今日は始まったばかりだぜ?待ち合わせでそんなことになって、どうするんだよ?」

「ううう……し、しぬ…死んでしまうであります……」

「じゃあしっかりしろって!」

「ぎゃあ」



  ばしっ!と強めに背中を叩かれたニノは、よろよろと数歩進んだ。その気配を感じたのか、水色の少女はニノたちに気がつき、微笑みを浮かべながら(ニノ目線)彼らの方へ歩いてきた。



「おはようございます。楽しみで早く出てきてしまいました。今日はよろしくお願いしますね」

「おー!よろしくな!エミリーとジャックもすぐくると思うぜ!」

「はい」

「よ、よよよよよよろしく!!」



 ニノはぽやーっとした表情で雪凪を見つめている。それを横目で見ながら、レオは不思議に思う。こんな分かりやすいのに、どうして相手に伝わらないのだろうか……と。



「それにしても、休日まで制服でいなくちゃいけないのは、少し窮屈ですね」

「そーだよなあ……まあ、制服を着用させることで、悪さ出来ないようにしてるんだろ?俺たちにも、悪意のある誰かにも」

世界最高峰の魔術学園アストルに喧嘩売って、ただで済むと思う人はいないでしょうしね……」



 と、他愛のない話をレオと雪凪で続けていると、程なく後の二人がやってきた。待ち合わせ五分前。全員が揃ったので、正門の守衛に外出許可証を見せる。年配の守衛は、「羽目を外さず、楽しんできなさい」と微笑んで見送ってくれた。



「よし!それじゃあ、出発だ!」



 壮麗な装飾が施された、雪凪たちの身長の何倍もある石造りの門を潜り抜けると、そこは広葉樹林が整然と立ち並ぶ並木道だ。この道が続くかぎり真っ直ぐいくと、もう一つの門が見えて来る。それが学園の敷地の終わりであり、門をくぐれば、王都の文化・教育機関が集まるエリアに繋がっている。物語に出てきそうな美しい図書館や、博物館が立ち並んでおり、そちらにも興味を惹かれる雪凪であったが、今日の目的はそれではない。

 


 魅力的な建物を素通りして歩いていくと、赤煉瓦の駅舎が見えてきた。



「いつ見ても、立派なプラットホームですね……」



 雪凪は、きらきらした表情で壁画や装飾を眺めている。自国のものを褒められれば、生粋の女王の国人であり、王都っ子でもあるレオたち三人は悪い気など勿論しない。


 

「セツナってこういうの好き?」

「ええ、素敵だと思います」

「なら、今日のお店も気にいると思うよ!クラシックなお店なの。穴場で、観光客はあまり来ないのよ」

「地元に愛されるお店なのですね……!それは楽しみです!」



 雪凪は満面の笑みで喜びを表している。東の国人は年齢よりも幼く見える傾向があるので、レオたちはなんとなく微笑ましい気持ちになり、お互いに笑いあって…………ニノが数歩後ろでうずくまっていることに気づいた。



「おいおい、ニノなにやってんだよ……」



 なんとなく今までの付き合いで落ちが分かりつつも、レオは声をかけに行った。(ちなみに雪凪はレオに面倒見キングというあだ名つけている。レオだけに)



「ひい……無理……笑顔……尊い……か、可愛すぎるよおおお…………直視できない…………」

「…………………………」



 あとは「髪を内巻きにセットしてきてくれてる……」「横髪ピンでとめてるのかわわ……」「く、くちびる……いつもより少しピンク色……り、リップ………」とかなんとか聞こえてきたが、レオは笑顔でシャットアウトした。良好な友人関係を保つには、あえてスルーをすることも大事だと、レオはここ最近学んだのだ。



「ニーノ、お前、今日まだセツナとほぼほぼしゃべってないぞ?つか、道端でうずくまるな。引かれるぞ、」



 ぞ?までレオは言うことが出来なかった。ニノがしゃき!と立ち上がって、歩き出したからだ。



「ニノ、大丈夫?体調でも……」

「ううん!違うんだ!靴紐が解けちゃって。一声かければ良かったね。ごめんね」



 心配そうに声をかけてきたエミリーに、ニノは笑顔でそう言った。



「そっか!じゃあ、電車に乗って、王都中心部へゴー!」

「おー!」

「おおーーー!!!」



 一際大きな声で拳を空に突き上げたニノを見て、レオは恋は盲目とはよく言ったものだな……と呆れ……いや、感心をしていた。そして、出来ることなら自分はそうなりませんように、と彼の神に心の中で祈りを捧げたのだった。







 


「こ、こ……ここに、入るんですか!?」

「そーだよ!言ったでしょ?ここ、穴場なんだ」

「あ、穴場……?!い、五つ星ホテルのカフェが……!?」



 雪凪は愕然とした顔で四人を振り返るのだが、彼らは雪凪が何に驚いているのかいまいち分からないようだった。


 言うなれば、育ちの差であり、もっとあからさまに言ってしまえば、経済力の差である。学園は、表面上は実力主義なのであまり見えづらいのだが、学園から一歩出てしまえば、それは如実に現れるのだ。



(王都の五つ星ホテルなんですから、一泊どんなに安くても十万円はしますよね……そのカフェのアフタヌーンティー……ど、どうしましょう……軍資金、ここでほぼ尽きてしまうかもしれません………)



 帰りの電車賃の心配をし始めた雪凪に気がついたのかは分からないが、救いの手を差し伸べたのはジャックだった。



「今日はここ、ニノが予約してくれてお代も要らないんだぜ?」

「えっ、ど、どういうことです?」

「ぼ、僕の父上とこのホテルの経営者が知り合いで……招待してくれたんだ」

「これこんな立派なホテルの……!?ニノくんのお父様、すごいですね……」

 


 雪凪はごくり、と唾を飲んだ。



「や、やだなあ……アマネ君と比べたら大したことないよ……」



 そう言って首の後ろに手を当てるニノを見ながら、雪凪は納得できるようないまいち、出来ないような……不思議な感覚に陥った。宗治郎の家が、世界的にも有名な財閥であることは理解しているが、宗治郎と一緒にいるときに金銭感覚の違いを気にしたことはなかった、と今初めて気づいたのだ。



 ニノはいつものどこかおどおどしている様子が嘘のように、颯爽と入り口に向かっていった。ドアマンが扉を開ける。ニノがスマートに扉の向こうに消えていく。後の四人もそれを追い、雪凪は置いていかれないように必死について行った。



(うわあ……!すごい……!)



 店内は、大きな鏡が壁面のほぼすべてを覆っており、光量の落とされた店内を、二倍、三倍にも広く見せていた。天井と壁面の鏡の縁は、金と深緑色の装飾に覆われ、椅子は紅い革がはってあり、真っ白なテーブルクロスがとても映えていた。



(わあー!わあー!わあー!)



 あまりの美しさと、非現実さに雪凪の心の中は大騒ぎである。しかし、ばっちりドレスコードに身を包んだ他のお客やウエイターの手前、表面上はいつもの無表情のままだった。



「どうぞ」



 いつの間にか、案内された席についたようで、ニノが椅子をひいてくれた。



「あ、ありがとうございます……」



 その仕草がとても自然だったので、これが国民性というやつなのか……と内心驚愕していた。ニノといえば、いつも小動物のように震えているのが常なので、立ち回りの無駄のなさが意外だった。



(他のお客さんは皆さんドレスアップしていますが、私たち、制服のままで良かったのでしょうか……)



 不安になり、ちらり、とウエイターを盗み見ると、案内してくれた若い男性が、壮年の男性に何事かを話しかけているところだった。一瞬、雪凪たちの方に視線を向けていた。



(……やっぱり、場違い、とかでしょうか)



 何となく気落ちした雪凪は、「謎の学園ルールのせいで……」と肖像画でしか知らない学園長を恨んだ。しかし、先程の壮年の男性がこちらに歩んできたのを見て、落とした肩を慌てて上にあげた。「何の用でしょう……」とドギマギし始めた心臓を宥めながら相手の出方を伺っていると、驚いたことにその男性は支配人であり、ニノの父の知り合いだと言う。



(…こんな高級なところに、子どもだけで、しかも制服で来たことを怒られる……とか、ないですよね?)



 若干卑屈な思考に傾きそうな雪凪だったが、それは杞憂に終わった。支配人の男性は、ニノたちの訪問を喜び、またで来たことも喜んでいるようだった。二人の会話から読み取ったところによると、学園の制服は上流階級の人間にとってステータスらしく、制服を来た学生たちがいると店に箔がつく……らしかった。



 終始丁寧な態度を崩さなかった支配人の男性を席から見送りつつ、雪凪はなんとも不思議な気持ちになる。大人からこのように丁重に扱われたことは経験がなかったし、何ともむず痒い気持ちになるものだった。だいたい、雪凪はこのお店に一銭も払っていない。対価も支払わず、最上級のもてなしを受けるのは、なんとも居心地が悪かった……のだが、そんな些細なことは、運ばれてきたセイボリーを見て消え失せた。なんと、セイボリーだけで三段である。雪凪は目の色を変えた。



「えっ……セイボリー、おかわりできるんですか!?」

「セイボリーだけじゃないよ。スコーンもケーキも。もちろんお茶もね」

「茶葉も一回だけなら変えられるよ」

「でも、VIPのニノがいるんだから、言えば何回でも変えられるんじゃないか?」

「そ、それは流石に悪いので……」



 驚いたことに、女王の国ではこれが普通らしい。しかし、時間帯やウエイターによっておかわりの作法は異なるらしく、ある日はお茶飲み放題だったが、今度行けばそうではない、はザラらしい。(セイボリーやスコーンなども同様)東の国出身の雪凪からするとなかなか理解に苦しむが、それが文化というものなのだろう……。雪凪は考えるのを辞めた。



 生演奏のピアノをBGMに聴きつつ、セイボリーを食べ進め(もちろんおかわりをした)ると、次に運ばれてきたのは、ゼリーとスコーン、ケーキの三段スタンドだった。スコーンはしっとりとしたタイプで、たっぷりのクロテッドクリームや自家製ジャムで堪能(もちろんおかわりをした)し、ケーキもぺろりと完食した雪凪に、レオたちはちょっと驚いていた。(ニノは嬉しそうに眺めていた)



「何だか、夢のような空間ですね……」

「気に入った?」

「ええ。本場のアフタヌーンティーに行く、という夢、かないましたもの。誘っていただいて、ありがとうございます」



 エミリーとジャックはケーキまで食べ進められなかったので、お土産に包んでもらい、五人は店を出た。支配人の見送りを受けつつ、町を歩いていると、時たまに視線を感じることに雪凪は気づいた。



「ちょこちょこ、視線を感じるのですが……何かおかしなところありますか?」

「せ、セツナにおかしいところなんかないよ!!!」



 横にいたニノに聞いたところ、そう力強い返事が返ってきて、雪凪はつい、後退りをした。



「彼らが見ているのは、僕たち、というより僕たちのだね」



 丸眼鏡をかけた少年、ジャックが微笑みながら言った。



「なるほど…わたしが思っていた以上に、学園は特別なのですね。東の国出身だと、そういうところがどうも疎くってだめですね」

「まあ、王都はお膝元だしな」

「その割に、外出する学生も多くはないから、珍しいんだろう」



 それはわかる気がする、と雪凪は思った。歩いているだけでこんなに注目を受けるのだ。身元がバレているのだから、一挙手一投足に気を使わなくてはいけない。そうなってくると、楽しさより煩わしさが勝つのだろう。一度体験してみて実感した、と雪凪は思ったが、実際にはその他にも、外出が許可されているのはグレード2以上だという制限のためでもあった。そしてグレード2も、グレード3以上の同行者が必要であったりと……まあ、いろいろと何事にも理由がある。

 



「さ、着いたよ!ここがおすすめの劇場さ!」

「わあ……立派な佇まいですねえ……」



 案内されてやってきたのは、王都でも有数のミュージカル劇場だった。



「わたし、ミュージカルって初めてです」

「本当!?見たことないの?」



 ニノが驚いた顔を向ける。



「そうですね。映画になったものはいくつか見ましたけど、それも地上波です」

「そっかー!なら、今日のはとても楽しめると思うよ!有名な劇で……」



 水を得た魚のように話し始めたニノを見て、雪凪は何度か瞬きを繰り返した。ニノくんって、ミュージカル好きなんですね、と意外なようで、しっくりくるような感じもして、雪凪はニノの話に聞き入った。好きなものの話を思いっきりしている人を、雪凪は好ましく感じる人間だった。



 




 

「……全く、ニノのやつ。いきなり話し始めたと思ったら、これだよ」

「まあ、でもセツナも楽しんでいるみたいだし」

「がんばれ〜ニノくんっ!」



 雪凪とニノが会話している様子を、レオたちは少し離れたところから眺めていた。



(それにしてもなあ……)



 レオはこちらに意識が向いてないことをいいことに、改めて雪凪を観察した。


 ………レオは、ニノの芸術的な感性をかなりかっていた。かっていた、のだ。彼からもらう誕生日プレゼントは、いつもセンスがよく、それでいて彼らが持っていても違和感のないぎりぎりをせめていた。ニノ自身だって、情けない表情を浮かべずに、図書館の壁際あたりでアンニュイな感じで外を眺めていれば、立派な美少年である。

 


 芸術の国からきたこの友人のことを尊敬していたし、言葉にはしたことはないが、親友だとも思っていたので、尚のこと分からなかった。



(……セツナのどこがそんなにいいんだ……?いや、セツナは、いいやつだ。それは間違いないんだが……その、あんなに盲目になるほどか?)



 分からない。

 どうしても、よく分からない。

 しかし、一つだけ気がついたことがある。



(あいつら、わりと似てるんだよな)



 ニノもセツナも、居るだけで場が明るくなるような、そんな存在とは違う。しかし居ないと何だか、みんなが物足りなく感じる存在なのだ。レオはそのことをうまく説明できる言葉が見つからない。彼に言えるのは、ともかく二人が似たタイプである、ということ。



「ま、類は友を呼ぶというしなあ」

「……レオがいいたいことは、分かるよ」

「あの二人ってどっか似てるもんね」



 顔を赤らめながら一生懸命に話すニノを見ていると、レオたち三人は、彼の思いがどうか報われてほしい、とそう心から思うのだった。しかし、同時に、ちょっといや、かなり難しいのかも、ともレオは思っていた。



「………………なんと言っても、相手が相手、だからなあ……」

「あら。それは分からないわよ?」

「そうかあ?」

「そうだよ!僕はニノくんを応援するよ!」

「…………まあ、そうだけどよお……」



 レオは、すっかりやる気の二人を眺めながら小さくため息をついた。




 



「……………………ま、セツナに自覚がないうちは……大丈夫か?」






 

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