第22話 捌
「これ、やっぱりお返しします」
雪凪は、宗治郎のテーブルの前にハンカチを置いた。
「…………」
「…………」
それを一瞥したあと、じ、と感情の見えない瞳で見つめてくる宗治郎に、雪凪は少しだけ胸が痛くなる。
あまり我を通すことをしない宗治郎の望みは、叶えてあげたくて一度は手にしたが、先日の潮の様子を見て後悔していた。――だいたい、これを渡してきた宗治郎の様子もおかしかった。分かってはいたのに、宗治郎と向き合うことを雪凪はあの時ためらったのだった。
「一昨日、潮さんとお会いしました。わたしからお呼びしました。」
雪凪は、宗治郎が怒ると思った。
しかし、実際には、動揺しているようだった。宗治郎の表情は読みにくい。けれど雪凪に分かってしまうくらいなのだから、もしかしたら相当、予想外のことだったのかもしれなかった。
「友達になることを提案してきました」
「………………は、あ……??」
「だから、これはもうお返しします。友達を傷つけるものを持っているわけにはいきませんから」
宗治郎は、二の句が告げないようだ。部屋の中には、ペトラの鼻歌とやかんで湯を沸かす音が聞こえている。暖かい陽気の午後だった。柔らかな日差しが、宗治郎の片頬に当たっている。光の加減で、きらきらと輝く長いまつ毛を、雪凪はぼんやりと眺めた。
「………………ぜんぜん、意味が分からない……どうして、そうなったんだ?分かるように説明してくれないか?」
長い時間をかけ、苦しげに紡がれた言葉を聞いた雪凪は、「宗治郎くんがそんなこと言うの、なかなか面白いですね」と他人事のように思ったが、流石に口には出さなかった。
「昔の話なんですが……」
「?」
「友達と大喧嘩したことがあって、いま思い出すと理由も思い出せないんですけど、とにかく当時はもう、絶交だーーってなって…………でも、同級生って私含めて十三人しかいないでしょう?四六時中一緒なんで、気不味いったらなくてですね?」
「……」
「しまいには、なんか、周りの友人たちを含めて険悪な雰囲気になってしまったりして。当たり前ですけと、居心地が悪くって。」
「……」
「で、思ったんです。私。」
雪凪は、目線で先を促す宗治郎の鼻先に、ずびし、と人差し指を立てた。
「人類、みなきょうだい。イエスハッピーライフ」
「……………………………はあ?」
たっぷり間を開けての「はあ?」であった。赤銅色の瞳を細め、少しばかり眉間に皺まで寄せたその表情は流石の雪凪も直視は出来なかった。(恐ろしくて)
「と!いうことなので!これはお返しします!!」
そう言い捨てて席を立った雪凪は、ペトラに一声かけて玄関の扉をくぐった。その後、全力疾走。呆気に取られた宗治郎が我を取り戻す頃には、雪凪は豆粒ほどの小ささになっていた。
「…………」
「あら?セツナは帰ったの?」
「ええ、すみません…。その、いつも、突然で」
「いいのよお。そんなこと、今更でしょう?」
「……」
「ソウジロー?」
「あ……すみません、ぼうっとしてしまって」
歯切れの悪い答えが珍しくて、ペトラは宗治郎をまじまじと見つめた。
「ソウジロー、大丈夫?顔色が悪いわ?」
「大丈夫です。すみません、心配してくれてありがとうございます」
にこり、と少し青ざめた顔で貼り付けたような笑みを浮かべる宗治郎を見て、ペトラは本格的に心配になった。
「ソウジローは、頑張りすぎなのよ。今日はもう、ゆっくり休んだ方がいいわ」
「……そうします。お邪魔しました」
宗治郎はぺこり、と頭を下げると玄関の方へ歩み始めた。
「ソウジロー。また来てね。クラウスも会いたがっているわ。セツナと一緒じゃなくても、よ?」
「…………はい」
見送りにきたペトラが、宗治郎に声をかける。けれど宗治郎は、振り返ることが出来なかった。
「へえ、みなさんで王都の観光ですか。素敵ですね」
魔法薬学の授業後、雪凪はニノとその友人たちとテラスで昼食を共にしていた。
「ま、観光っていっても俺たちにとってはほぼほぼ地元だからなあ」
「でもニノくんは王都に行ったことないって言うから。それなら、みんなで紹介しようってなって。二年生からは申請が通れば、週末は学外で過ごせるでしょ?門限早いけど」
「それに制服着てなきゃいけないのが、かったるいけどなー」
和気藹々と、楽しそうな様子を眺めていると、宗治郎との一件でもやもやしていた心が晴れていくようだった。
(ええ……やはり、平和が一番ですね……)
「で、ででででで!!!」
そんなのほほんとした雰囲気を壊したのは、突然奇声を上げたニノだった。
「ど、どうしたんですか?」
「あっ、いやっ、あ、あのその!」
「おいおい、落ち着けって」
「セツナちゃん、ごめんね!ちょおっと待ってね〜」
「?……はい」
そう言うと、ニノを囲んで彼らは小さな声で話し始めた。聞こうと思えば聞ける距離だが、マナーに反すると思ったので雪凪はそちらに注意を傾けないよう、違うことを考え始めた。
(……意外と、その……あっさりしていました)
もっと、しつこく……というと聞こえが悪いが、それこそ、また教室の前で待ち伏せでもされるかと思った。しかし、予想に反して、メッセージアプリにすら音沙汰がない。
(結局、その程度だったってことですよね……?気負いすぎでしたかね)
そう結論づけたものの、雪凪の脳裏では、宗治郎の顔が浮かんでは消えてを繰り返す。自分が納得していないことなど、自分自身が一番よく分かっていた。
「……と、いうことなんだけど!!ど、どうかな!?」
「えっあ、はい、いいと……思います……??」
と、まあ、心ここに在らずだったため、ニノの言葉に空返事をしてしまった。慌ててなんの話だったのかを聞き返そうとした雪凪は、ニノのうるうるとしたつぶらな瞳に気付いて口を閉じた。
「ほ、本当に?本当の本当の本当に?や、やったあああ!!ありがとう!嬉しい!!」
ずい、と近づけられた頬は薔薇色に染まっていた。え、ちょっとま、何のこと……と続けようとした雪凪に、被せるように話しかけたのは、ニノの友人の男子生徒だった。
「お!じゃあ、決まりだな!週末は、みんなで王都観光だ!」
「楽しみだねー!ルートは任せて!地元民だしね!」
「いや、お前はもっと田舎の出身だろ?」
「なによ!あんただって変わらないでしょうが!」
どうやら、空返事をした結果、ニノたちの王都観光に共に行くことになったらしい。
「え、あ、いや、でも、わたし……お邪魔じゃないですか?」
「そんなことないよー!むしろメインだから!」
「え、ええ……?」
にっこりと微笑まれた雪凪は、目を白黒させるばかりだった。
「じゃ、日曜の11時、門の前に集合な!」
「楽しみだね!」
「ほ、本当にいいんですか?わたしも一緒で」
「もー!遠慮しないで!王都の観光したことある?」
なんとか辞退しようとする雪凪の雰囲気を察したのかは分からないが、投げかけられた質問に、雪凪はつい答えてしまった。
「……ないです」
「そっか〜!甘いもの好き?クロテッドクリームが絶品のお店があるのよ?」
「そ、それはつまりアフタヌーンティーということですか!?」
「そうそう!スコーンだけじゃなくて、ケーキやマカロン、季節のムースなんかも!」
「ほ、本場の……!!ぜひ!ご一緒させて下さい!」
数十秒前まで、どう辞退しようか考えていたとは思えないほどの手のひら返しだった。食い意地が前面に出過ぎている。
「王都観光!楽しみにしていますね!!」
雪凪は普段のデフォルト無表情の記憶が霞むほどの笑顔をニノたちに向け、もれなくニノは使い物にならなくなったのだった。
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