第24話 拾






「すっごい……すっごい体験でした……」



 雪凪は、パンフレットとCDと図録の入ったトートバッグを握りしめながらプルプルと震えた。頬は紅潮しており、「至福……」と言いたげに、に頬ずりまでし始めた。ちょっと引く。



「えへへ……楽しんでくれた?」

「もちろんです!生も……ミュージカルって完全に守備範囲外だったんですが、今までなんて勿体無いことをしていたのかと、過去の自分の横面を引っ叩きたいです!!」



 興奮冷めやらぬ雪凪は、なかなかにが露出し始めたが、ニノはそれが気を許してくれたように感じて、むしろ嬉しかった。



「主人公のアレンが、自分の出生の秘密を知ってしまったところなんて、恥ずかしながら号泣してしまいました……」

「切ないよね。でも、自分が偽物だと分かった後も、家族のためにひたむきに生きる姿、応援したくなるよね!」

「ええ、ええ……!どうなるのか、ハラハラしましたが、最後は見事なまでの大団円!!観客を巻き込んでの、歌え踊れのフィナーレ!さいっこうでした!!DVDも欲しかった……!」

「僕、いくつか持ってるから貸そうか?」

「…!い、いいんですか!?」



 目をきらきら輝かせる雪凪に、ニノは真っ赤になりながら首をぶんぶんと縦に何度も振った。



「ありがとうございますっ!ニノくん!」



 ニノは、しあわせだった。










「なんか、いい感じじゃねえか?」

「うん。まさかのアフタヌーンティー以上のくいつき」

「これはデート…いや、王都観光プランを考えた側からすると嬉しいですね」



 少し離れたところで、レオ、エミリー、ジャックは軽く丸くなり、ひそひそ声で相談をしていた。



「いやあ、この辺で二人きりにしてやりたいところだけどよ…」

「そろそろ門限だもんね」

「まあ、でも、思った以上に仲良くなれたようだし、良かったんじゃないですか?」



 うんうん、と満足気に頷く三人の視線の先で、雪凪とニノは笑いあっている。友人のために一肌脱げた達成感で、レオたちは心地よかった。



「じゃ、そろそろ帰るか」

「あ、も、もうそんな時間なんだね……」

「ええ。楽しい時間はすぐに過ぎますね」

「!……せ、セツナ……今日は、楽しかった?」

「はい!すっごく楽しかったです!アフタヌーンティーのお代、本当に大丈夫ですか……?」

「うん、大丈夫だよ」

「いやー、美味かったよな。サンドイッチが絶品だったぜ」

「またみんなで遊びに行こ!」




 他愛ない話に花を咲かせながら、五人は帰途についた。










「雪凪!雪凪ーー!」

「あ、委員長!」



 ニノたちと別れ、寮に向かって歩いている途中、前から委員長が走り寄ってきた。



「今日ニノくんたちと王都観光に行ったんですが、ミュージカルが最高で……!今度一緒にDVD見ませんか?」

「む!それはひっじょーに興味アリ!沼の予感……ってそうじゃなくて!大変なのよ、大変!」



 腕を組み、顎のあたりを撫でる通称委員長スタイルから一転、近寄ってきたとき同様、両手を広げて委員長は深刻そうな表情になった。



「周君が大怪我したって!」



 雪凪は、委員長の口から転がり出た言葉の意味が、どうにも理解できなかった。いや、理解したくなかった、というのが正しいのだろう。



「え……?」

「馬鹿やってた上級生たちの流れ弾呪文から一年生をかばって……ってどこ行くの!?」

「い、医務室です!」




 行っても入れないわよー!という委員長の声を背中に聞きつつ、雪凪は走った。休日なので、学内に人は少ない。いつもの半分くらいの時間で医務室にたどり着くと、そこは少しばかり人だかりが出来ていた。




 



「もう!何度言わせたら分かるんですか!頭に怪我をしたのです。面会謝絶ですよ。ゆっくり休まらないじゃないの!」

「ですから!周君にゆっくり休んでもらうためにも!僕たちが手となり足となり……」

「話の通じない子ね!キンダーガーデンからやり直したら!?」



 その後も佐野と養護教諭、ポピンズの言い争いは続いていたが、ついにポピンズの堪忍袋の尾が切れて「従属の魔法」を使った。親鳥を待つ雛鳥のように喚いていた佐野一行は、まるで宮殿の兵隊のように直立不動になったと思いきや、列を揃えて行進し始めた。

 


「なっ……こ、これは体罰では!?ポピンズ先生!」

「お国柄の違いだわ。それに、わたくしは自分の職務をまっとうしているだけ。怪我人の休養を妨げるお邪魔虫を片付けるというね!」



 横暴だ!学園長に直訴する!などなど…居合わせただけの雪凪でさえ苛立つような言葉を次々とポピンズに投げつける佐野たちに、同郷として恥ずかしくなる。しかし、まあ、この場は佐野たちに感謝するべきなのだろう。ポピンズは佐野たちを引き連れてどこかへ行ってしまった。



「……」



 雪凪はそっと、医務室の扉に「鍵開け呪文」を掛ける。カチリ、と軽やかな音がして扉は開いた。滑り込むように室内に入った雪凪は、白いカーテンで周りを囲まれている一つのベッドにそろそろと近づいた。



 両手で恐る恐るかき分けたカーテンの先には、ベッドに身を預けた宗治郎がいた。



「……」



 雪凪は、宗治郎の顔を覗き込んだ。

 

 真っ白な肌。

 血の気のひいた唇。

 目の下には、薄い隈。

 巻かれた白い包帯。

 

 起きる気配どころか、息をしているのか不安になる様子に、大丈夫だと分かっていても心配になってくる。



「宗治郎くん……」



 ぽつり、と呟いた声に反応したかのように、宗治郎の瞼が震えて、もちあがっていく。現れた赤銅色は、すっきりとした光を携えていた。



「……起きてたんですか?」

「……べつに、意識を失ってたわけでもないし。佐野たちが大袈裟過ぎるだけだ」



 と、いう割に、起きあがろうとした宗治郎の眉がひそむのを雪凪は見逃さなかった。そのままでいて下さい、と雪凪は伝えたが、宗治郎は「大丈夫」と言って、上半身だけベッドに起き上がった。



「…………上級生の流れ弾呪文に当たったって、まさか攻撃呪文だったんですか?」

「そんなに威力はなかったよ。気づくのが遅れただけ。自業自得」



 そう言ってちょっと笑った宗治郎に、雪凪は怒りが込み上げてくるのを感じた。



「そんなわけないじゃないですか!校内でふざけていた先輩方の責任でしょう?それに、一年生をかばったと聞きました。なんでそう、自分が悪いみたいな発言になるんですか!?」

「…そういうつもりじゃなかったんだけど……」



 突然声を荒げた雪凪に、宗治郎は目を瞬かせた。



「じゃあどういうつもりだったんです?」

「いや、あれくらい防護呪文ではじけたはずなのに、咄嗟に身体が動いてしまったから……」

「…………自分から怪我をしにいった、ということですか?」

「まさか」



 宗治郎は笑ったけれど、雪凪は心の柔らかいところがどんどん冷えていくのが分かった。やはり、最近の宗治郎はどこかおかしい。いつからこんな風に、と記憶を辿らなくてもすぐに分かる。潮の件だ。



「ねえ、宗治郎くん。わたし、宗治郎くんが心配なんです。自分でも分かっているのでしょう?最近、やっぱり、何か変ですよ………」



 雪凪は、そう言って宗治郎を見て、驚いた。自らの手元を見つめる宗治郎の瞳が、見たことがないほど冷んやりとしていた。



「……僕がおかしいのは…………」



 そう呟く宗治郎の姿には既視感がある。どこで?……中庭。黒髪の少女……そう、潮と、そっくりなのだ。ぞっとするほどに。



「……ごめん、忘れて。前も言ったけど、少し、疲れただけだから」



 そう言って言葉を打ち切った宗治郎は、笑みを作ろうとしたので、雪凪はとにかく、無我夢中で言葉を連ねた。今、この瞬間を逃してしまえば、もう絶対話してくれないだろう……そういう確信があった。



「潮さんは、宗治郎くんのこと、可哀想だって言ってました」

「……」

「あたしよりも、可哀想だ、って」

「……」

「ねえ、潮さんはどうしてそんなこと言ったんですか?宗治郎くん、何か辛いことがあるんですか?言いたくないことまで、聞こうとは思いませんが、わたしは、宗治郎くんの力になりたいんです……」



 宗治郎は、雪凪の薄水色の瞳を見つめた。



「どうして?」

「え?」

「どうして、そんなに俺のこと気にかけてくれるの?」



 友達だから、とそう伝えれば良かったのに、ここでうっかり、本当にうっかり、雪凪は口を



「好きだから、ですかね」

「すき、だから」

「ええ」

「……」

「……」

「……」

「あれ!?」



 雪凪は我にかえった。

 何ということだろうか、あれほど伝えるつもりはないとかうんぬん言って置いて、うっかり口にしてしまったのだ。いや、でも待てよ……宗治郎くんは今までのわたしの告白(?)も全てきちんと勘違いして……と一縷の望みをかけた雪凪は恐る恐る宗治郎を見上げた。



「……僕の、どこがいいの?」

「え、ええ……」

 


 聞いてくる様子が真剣だったので、雪凪は茶化すことが出来なくなってしまった。



「か、可愛いところ……?」

「……」



 そして、またしてもしっかりと口が滑った。何だろうか、可愛いって……

 

「あ、あと、優しいし」


 あんまりだったので、慌てて付け加える。


「そ、それに、頭も良いですし!」


 ちょっと嫌味だっただろうか?そんなつもりはないのだが……しかし、宗治郎が気になったのはそこではなかった。

 


「僕のどこを、可愛いなんて、そう思うの?」



 宗治郎の声音は、落ち着いていて、純粋に疑問に思っているものだった。しかし、雪凪は落ち着いてなどいられない。……そしてまた、テンパった挙句、もう、どうにも取り返しのつかない発言をしてしまうのであった。


 

「も、もうよして下さいよ!好きだと全部、何をやってても可愛くみえちゃうものなんですよ!」

「…………そういう、ものなんだ」



 言ってしまってから雪凪は思った。

 あれ、これ、もう言い逃れできないやつでは……と。



「は、初めは憧れだったんだと思うんです。図書室で初めて会った時、こんなに綺麗な人いるんだ……って感動しちゃって……。憶えているか分かりませんが、その時、励ましてくれたでしょう?それが、本当に本当に嬉しくて。で、留学生会行ったら、なんか………………すごい雰囲気だったじゃないですか?ええ、ちょっと、二次元的に美味しくて……で、そこで得難い友との出会いもありましたし。嫌で嫌で仕方なかった学園生活が、一変したんですよ!灰色だった世界が、一気に彩り豊かになるかんじです!宗治郎くんは、わたしの救世主なんです」



 話し始めると、なんだかもう止まらなかった。押し込めていた思いが、溢れ出して止まらなかった。



「それで……まあ、会報に寄稿を始めることになるんですが……この時は、本当に、アイドルをおっかけるファンの心理という感じで。でも、生徒会室でもう一度会って、そこから一緒に過ごしていくうちに、いつの間にか好きに……なってたんです。作り笑顔じゃない、宗治郎くんの笑顔を見たくて、頑張ってみたりもしました……。でも、伝えるつもりなんてなかったんです。それで、宗治郎くんとギクシャクしたりしたら、ショックで寝込みます。再起不能です。……だ、だから……振っていただくのは全然構わないので、その、こ、これからも仲良くしていただきたく…………」



 後半のあまりにも保身に走った台詞に、自分で言っておいて情けなくなってくる。だけど、嫌だ。宗治郎とこれからも一緒にいるためには、多少情けないくらい……といつの間にか閉じていた瞼を恐々持ち上げて、雪凪はびっくりした。ものすごく、びっくりした。



「……僕のこと好きって、恋愛的な意味……?」



 宗治郎はきちんと勘違いしていたのに、雪凪が自ら本当のことを暴露してしまった。口が滑るどころの騒ぎではない。


 恋愛的な意味……言葉にすると一気に生々しくて、恥ずかしさのあまり、雪凪は赤面した。



「そ……………………そう、です」

「僕は……雪凪に対して、どう思っているのか、まだ分からない。友達なのか、そうじゃないのか」



 分かっていたことだけれど、はっきりそう言われると、やっぱり胸は痛んだ。



「けれど、雪凪のことは大切だ。本当に。僕だって、この先も雪凪と一緒にいたいよ」



 雪凪は、その言葉だけで十分だった。じゅうぶんに、胸がいっぱいになった。



「はい。これからも、仲良くしてください。わたしが、宗治郎くんのことを好きなのは、友達としての意味もあるんです。その、ついうっかり言ってしまいましたが、あまり気にしないで下さい……」

「…………ううん。きちんと考えるから」



 少しおどけて言ってみたが、宗治郎は真面目に答えた。それがとても気恥ずかしくて、雪凪は戦略的撤退をはかることにした。



「……それじゃあ、わたし、そろそろ行きます。ゆっくり休んでください」

「ありがとう」

「いえ、また」

「うん、また連絡するよ」



 思いがけず、片思いが知られてしまった雪凪だったが、案外、すっきりしていた。これで宗治郎に隠し事はなくなったわけだし。それに、宗治郎と少しだけ踏み込んだ話ができるようになった気がした。



(いつか、わたしが頼りがいのある存在になれたら……話してくれるかもしれません)



 雪凪は嬉しくなった。

 意気揚々と医務室の扉を開け、通路に出て自寮に戻ろうと………



「あなた、誰の許可があって中に入ったのかしら?」

「ひぃっ!」

「あら、なんて失礼な子なの」



 そこには、仁王立ちをしたポピンズ先生が待ち構えていた。



「罰則よ。あなた。ついてきなさい」

「え、あ、いや」

「あなたも行進させられたいの?」

「着いていきます……」



 そうして雪凪は、例の反省文を書かされることになった。自室で心のこもらない反省文を書きつつ、明日は委員長にニノたちと行った王都観光の話をしよう、と思いを馳せる雪凪はやっぱりしあわせだった。幸せだったのだ。








 



「全く、怪我人なんだから、しっかり休まないと。治るものを治りませんよ」

「すみません。ありがとうございます」

「仕事なんだから、お礼なんていいのよ」



 雪凪が去った医務室で、宗治郎とポピンズが話していた。



「いえ、そうではなく……待っていてくださったんでしょう?」

「何のことかしら?」



 ポピンズは湯気がたつマグカップを、宗治郎に差し出した。



「ホットミルクなんかじゃないわよ?それを飲んで今日は寝てしまいなさい。明日には治っているわ」



 一体何がどうしたらこんな色になるのか……という魔法薬を手渡された宗治郎だが、顔色一つの変えずに飲み干した。



「あと、子どもは余計なことに気づかなくていいの。あたしは何も聞いてないわ。……ゆっくりおやすみ」

「はい。おやすみなさい」



 静かに扉が閉められる。


 


 真っ白なシーツに身体を横たえた宗治郎は、遮光カーテンの隙間から漏れてくる夕日に、目を細めた。


 薬の効果だろう。

 思考がぼんやりとして、まとまらなくなってくる。そのことに恐ろしさを感じながら、宗治郎は瞼を下ろした。……宗治郎は、自分の歪さをよく理解していた。



 常に、考えていないと

 いつも、何かをしていないと

 そうじゃないと………つかまってしまいそうになる




 


『ねえ、宗治郎くん。わたし、宗治郎くんが心配なんです。自分でも分かっているのでしょう?最近、やっぱり、何か変ですよ……』

『好きだと全部、何をやってても可愛くみえちゃうものなんですよ!』

『宗治郎くんは、わたしの救世主なんです』

 



 雪凪の言葉が、次々と浮かんでは消えていく。

 


 ……雪凪。

 初めてできた、友達。

 いつの間にか彼女の存在は、宗治郎の中でとても、大きなものになっていた。失うことに、とてつもない恐怖心を抱くほどに。

 


 だから、言えない

 だって


 

(僕が……僕たちがおかしいのは、いまに……はじまったことじゃない……)



 僕も潮も、囚われ続けている

 生まれた家に

 呪われた一族に




(僕は、雪凪に、)



 いつも笑っていて欲しい

 好きなことをして、好きな人といて、健やかに過ごして欲しい



 それも本当。

 …………だけど、

 ……………………だけど、心の奥底の願いは、きっと違う。だから、

 



(僕の、は……)




 あの子と同じだ。

 諸共に身を滅ぼす、強い執着。

 

 絶対に、愛と名のつくものではない。

 こんな醜いものが、愛のはずがない。




(…………僕は、潮とは、違う。雪凪に……依存したく、ない……)

 

 




 

  

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