第20話 陸






「潮さん。これからカフェでお茶しませんか?」



 同級生の女生徒からそう声をかけられ、潮、と呼ばれた少女は、ぱあっと咲き溢れるような笑みを浮かべた。



「わあ!ぜひ行きたいわ、誘ってくれてありがとう!」



 愛らしい少女の、愛らしい笑みを見て、声をかけた少女は頬を赤らめた。


 潮は、同性の目からみても、とても魅力的な少女だった。人形のように整った外見だけでなく、性格。そして、環境、など。「少女の夢」が詰まっている…と言えば良いだろうか。



 紫藤潮。

 誰が見ても「美少女」だと言うだろう、整った顔立ちの少女。

 長い歴史を誇る東の国の名家の一つ、古くはやんごとなき家系にも連なるという、紫藤家に生まれた生粋のお嬢様。


 性格は優しく、穏やかで慈愛に満ちている。それでいて、自分の美しさを鼻にかけることなく、自然に気遣いが出来る少女の周りには、いつもたくさんの人が溢れていた。


 だから、自分なんかと仲良くしてくれているなんて、夢のようだ……と、潮に声をかけた少女、美玲メイリンは思った。



(……ああ、潮さん。なんて美しく……愛らしいのかしら……)



 美玲はどこか、ぼう、となる頭で潮を見つめた。


 

 彼女は、特別な存在だ。

 まさに、愛されるために生まれてきた存在。

 美しく、

 愛らしく、

 優しく、

 嫋やかである。


 比類なき世界の最高学府、魔術学園アストルからさえ、黒薔薇とくべつと認められた。 



(それに…女王の学徒クイーンズ・スカラーの皆さまとも、お親しい様子だし……) 



 学園の頂点。 

 選ばれし、十三人の学徒。

 美玲は、その中でも特に特別視されている、二年生の四人を脳裏に思い起こす。

 

 王宮魔術師の一族。

 妖精王の系譜。

 魔術王の末裔。


 どれもそうそうたる肩書きだ。しかし、新入生たちの中で、一番話題に上るのは、彼らではない。美玲は、生徒会による新入生歓迎会が行われた日のことを思い起こした。













「――――皆さんもそれぞれ、高い志を持ってこの学園に入学してきたことと思います。しかし、全ての努力が報われるとは限らない。時には、理想の自分との違いに、苦しむこともあるでしょう」



 ふいに、壇上から聞こえてきたこの言葉に、美玲は意識を取り戻した。……いや、取り戻した、と言っても、まさか居眠りをしていたわけではない。




 美玲は、他の多くの生徒同様、家族からの大きな期待と、その期待に応えるだけの能力を持って学園に入学した、と


 そしてこれもまた、多くの生徒同様、すぐにその自信を打ち砕かれることとなった。自分は、選ばれた人間ではなかったのだ、という絶望感とともに。簡単だ。上には上がいる、ただそれだけのこと。けれど美玲は、グレード1その事実をなかなか受け入れられなかった。


 才能に驕ったことはなかった。

 努力は怠らなかった。

 それなのに、この世界にはそれ以上が、有り余るほどいたのだ。そのことを思い知った入学式の日から、美玲は何をしていても、現実感が無かった。人生初めての挫折だった。




「けれど入学したことがゴールではないし、結果グレードだけが全てではない。皆さんの学園生活が、素晴らしいものとなるように、上級生として、そう願っています」

 




 宗治郎のその言葉は、聞く者の置かれた環境によって、印象に違いの出る言葉だ。だから、ある者は聞き流したし、ある者は偽善者め、と心の中で罵った。しかし大半の新入生には、心の琴線に触れる部分があった。現状の自分に満足している者はほんの一部で、多くの者は多かれ少なかれ、自分に失望していたからだ。



 言葉というのは、誰が発したものかでも、その重みが異なる。この場合でも、「周宗治郎が言った」ということが価値のあることなのだ。入学して日の浅い新入生でも、すでに大半のものは知っていたし、知らなかったごく少数の者も、今日この日に強烈に印象付けられることとなっただろう。



 女王の学徒クイーンズ・スカラーとは、伝統に裏打ちされた血筋から選ばれるのだ。本人の資質はもちろんだが、それは前提条件であり絶対条件ではない。だから、定員が十三と決められているだけで、対象者が居なければ空席だ。今も全ての席が埋められているわけではない。



 だから、いかに「東の国では名家」と言えど、魔法という神秘の、歴史が浅い家から選ばれた、というのは異例のことだった。裏返せば、それだけ本人の資質が飛び抜けているとも取れる。


 

 学園は残酷なまでの実力主義だ。

 目に見えて分かる形で区別される。

 グレードごとに生活区域も違うし、入れるエリアも異なる。違うグレードの者が、同じ教室で学ぶなどあり得ない。



 そうやって少しずつ、使われる側と使う側。支配される側と支配する側に分けられていく。それに反発して、雪凪のようにグレードを上げていく者もいるが、意外にも、ここで諦めてしまう者も多い。



 グレードが一つ上がったくらいで何が変わるのだろうか、と。グレード4に登れないなら、それ以下は全部同じ。支配される側でしかない、と。



 スクールカーストトップの彼らを、同じ場所で生きているはずなのに、まるで画面を隔てた向こう側で生きている人間のように見ていた。



 ――きっと、心の中では馬鹿にされているんだ。

 ――ううん、その辺の石ころのようにしか、見えてないのかも……。



 美玲は日に日に、そんな風に思うようになっていった。自分が恥ずかしくてたまらない。こんな姿、誰にも見られたくない……そうやって、自分の殻にどんどん籠っていったのだ。けれど……彼は自分たちグレード1を馬鹿にしなかった。



 宗治郎はその後すぐに降壇してしまったので、美玲はかなり後悔した。ぼうっとしていて、宗治郎がその前に話していたことの記憶があまりない。美玲は久しぶりに、頭がぐるぐると回転し、感情が揺さぶられる感覚を思い出した。


 ――あの人は、どんな人なの?

 ――わたしたちを見下したりしないの?

 ――もっと、知りたい。あの人のこと、もっと……。





 





 美玲は廊下を歩いていた。ふらふらとした姿は少し危なっかしい。やけに人が多い廊下で、彼女は周りから少し迷惑そうな目で見られていた。しかし彼女はそれらには気づかないまま、空いていた柱の影に身を滑り込ませた。



「ノア様本当に来るかな?」

「来るよ。あの四人、本当に仲がいいんだから!」 

「私はサーシャ君に会いたい〜!」

「馬鹿ねえ、会う、じゃなくて、見る、よ」



 隣に来た四人組の少女たちの会話が聞こえてきた。



(やっぱり、私だけじゃないんだな)



 ふと周りを見渡せば、同じように、どこか浮足だった少年少女たちがひしめき合っている。昼休みになると、彼ら四人がこの辺りで合流するのは有名な話だった。だからそれぞれ、お目当ての人を一目見ようと集まってきたというわけである。





「おい、うぜえんだよ。」



 冷ややかな声が聞こえてきて、美玲はびくっと、身を縮こませた。四人のうちの一人、ノアという名の少年の前に、一年生の男子生徒二人が立っている。怒りの感情に彩られた美しい顔は、とても恐ろしい。



「あ、ぼ、ぼくたち…」

「ご、ごめんなさ……」

「ああ??」


 

 少年たちは恐怖で身がすくんでしまっているようだ。まるで自分のことのようで、見ていられなくて…美玲は助けを求めるように周囲を見回した。しかし。



(……あ……)



 一連の流れを、金髪の少年は、つまらなそうに眺めていた。桃色の髪の少年に至っては、そもそも視界にすら入っていないようだ。……美玲はひんやりとした手で、心臓を触られたような気持ちになる。



(……や、やっぱり……そうだよね。やっぱり、やっぱり……私たちは、ただの石ころみたいな存在なんだ……)



 誰も助けようとしない。遠巻きに見ているだけ。美玲はスカートを握りしめた。







「ノア、また新入生をいじめているのか?」




 ふいに聞こえてきた声に、美玲は、ばっと顔を上げた。


 


「お前たちも、見ていないで止めろ。」

「ええ〜なんで俺が怒られるの?ノアが勝手にキレ散らかしてるのに!」

「見てるだけも同罪だ。」



 あの人だ……!と赤銅色の髪の人物を視界におさめた美玲は、冷え切った心が暖かくなっていくのを感じた。




「ごめんね。彼は気分屋の気が強くてね。怖かっただろう?」

「え、あ、……いえ……」



 そう言って彼は、慈愛に満ちた微笑みを少年らに向けたのだ。



「おい、アマネ。元はと言えばこいつらが……!」

「はあ…。いつものことだろう?良いじゃないか、減るものではないし。まあでも、そういうことだから。君たちもこれからは気づかれないようにね。」



 彼は、宗治郎は、最後まで少年たちに優しかった。それを見て、美玲はあの少年たちの立場が自分だったら良かったのに、と唇を噛み締めた。



(……やっぱり、あの人は、みんなとは違うんだ。私たちを馬鹿にしたり、しないんだ!)


 


 ――あの人は、すごい人だ……。

 ――女王の学徒クイーンズ・スカラーの三人だって、彼には逆らえない。

 ――なら、あの人は間違っていない。

 ――それなら、やっぱり、私たちは無価値な人間ではない……!!あの人が、認めてくれているのだから!



 ここのところ、白黒ばかりだった視界に色がついた。きらきらと輝いているようにも見える。美玲は歓喜した。



(あの人に……近づきたい。もっと、もっと……知りたい)



 こうして、ショーンたちの一件の裏で、またしても信奉者が一人増えていたのだった。それもちょっぴりハード目の。そんなわけで、美玲は彼らの跡をひっそりと追い続けた。ほとんど無意識の行動だった。




「ねえアマネ〜生徒会とか何で入ったわけ〜?ちょーめんどくさそーじゃん」

「頼まれたからね」

「はー……そーゆーとこ、俺ぜんぜんわかんなーい」

「ふん、お前にはわからぬだろうよ」

「だーかーらー!クソインキャぼっちには言ってないだろー??」

「ぼ……ぼっちじゃない!!」

「アマネー、今日の昼飯、なんだ?」



 当然のように昼のメニューを聞く姿を雪凪が見たならば、「宗治郎くんは貴方のお母さんじゃありませんよ??」と突っ込んでいただろうが、残念ながら雪凪はいない。ここにいるのはちょっと頭お花畑の美玲である。なので、彼女は「さすがだわ…やっぱり、周先輩は皆様の中心なのね……」とうっとりしていた。



(……あの……わたし……)



 美玲は手を伸ばした。



(わたし、ずっと貴方を見ていました……)



 ふらふらと、誘蛾灯に誘われるかのように近づいていく。



(だから、どうか、わたしを…………)





「お兄様っ!」

「!」



 可憐な声が美玲の後ろから聞こえてきたと思うと、声の持ち主は美玲を軽やかに追い抜いていった。



「潮さん」

「もうっ、お兄様!酷いわ!そんな他人行儀な呼び方をするなんて!潮って呼んで?」



 するり、と自然に宗治郎の腕に絡みついた少女は可愛らしく笑った。



「アマネ…こいつ、誰?」

「あっ…ご、ごめんなさいっ……お兄様の、お友達……?」



 うる、と瞳をゆるませて少女は宗治郎の影に隠れた。



「あ、あの……あたし、お兄様の幼馴染なの。久しぶりにお兄様にお会いできて、嬉しくて……はしたない真似して、ごめんなさい」



 謝るわりに、すごい主張するじゃあないですか……?と雪凪がいたなら突っ込んでいただろうが、やっぱりいないのでそのまま会話が続いていく。



「ふーん?」



 じろじろ、と三人からの視線を浴びて、少女は怯えたような顔をした。



「そんなじろじろ見るものじゃない」

「お兄様」



 少女を庇うような発言と行動に、美玲はふつふつと腹の奥から湧き出でる溶岩のような感情を…嫉妬をおぼえた。



(…なんなの、あの子…あんな風に、べたべたして……)



 柱の影に隠れて、美玲は恨みがましい目を向けながら彼らの会話に聞き入っていた。



「おい、アマネ腹減った。行こうぜ」

「ああ。じゃあ、潮。また」

「はい!お兄様!」



(……なあんだ。あれだけ話していて、お昼には誘われないのね)



 美玲は、宗治郎たち四人に小さく手を振る潮の後姿にちょっぴり、勝ち誇ったような笑みを向けた……と、その時。



「ひ」



 潮が美玲を振り返った。表情が抜け落ちた顔。その真っ黒な瞳に美玲が映り込む。


 しかし、



「あら!こんなところにいたの?探してたのよ!」



 次の瞬間、ぱあ、と花が咲くような笑みを向けられ、美玲は混乱した。



「は、え……?」

「ほらほら!あたしたちもお昼に行きましょう?」



 ぎゅ、と先程の宗治郎と同じように片腕にするりと腕を回される。



「…っ!」

「あら?どうしたの?」



 美玲は悲鳴をあげそうになるのを、なんとか飲み込んだ。ギリギリと美玲の二の腕に立てられた爪。きっと、ひどい跡になるだろう強さだ。



「……」

「うふふ?ね?早く行きましょう?」



 傍目から見ると、仲の良い友達のような風情で、二人は歩き始めた。カフェテリアではなく、この時間人気の少ない中庭の方だ。




 ――――こうしてこの日から、二人は「仲の良い友達」になったのだ。












「美玲さん?ぼんやりしちゃってどうしたの?」

「――あ」 



 美玲は、夢から覚めたような心地で目の前の潮を見返した。



「あ……いえ……その、潮さんと出会った時のこと、思い出していて……」

「あら?うふふ。そんなこと思い出してくれていたの?嬉しいなあ」



 潮は鈴の音のような笑い声をあげた。

 その様子を美玲は、「ああ、やっぱり潮さんは美しくて…愛らしいわ……」とぼんやり眺めるのだった。



 潮と一緒にいると、頭の奥のほうがじんわりと熱くなって、多幸感が訪れる。悩みや苦しみなど、もともと存在しなかったように、安らかな気持ちになれるのだ。美玲は、潮さんはみんなを幸せにする力があるのね、と思っていた。


  





「あの、すみません。少しいいですか?」



 突然、掛けられた声に美玲は悲鳴さえあげられなかった。いつの間にそこにいたのだろうか。薄い水色の少女が立っていた。上級生のようだ。グレードも一つ上である。



「あ、わ、な…」

「あら?雪凪さんじゃない?ごきげんよう」



 狼狽えた美玲を尻目に、潮はあっさりと返事をした。どんな知り合いなのだろう、と美玲は二人の様子を観察した。



「潮さん。今から少し時間ありますか?お聞きしたいことがあって」

「あら…何かしら?あ、でも私たち、今からお茶しに行くつもりで……」

「あ、わ、私のことはお気になさらず!どうかお二人でお話ししてください」

「そう?ごめんなさいね?じゃあ、美玲さん、また明日」


 

 美玲はぶんぶんと頭を縦に振ると、ろくに後ろも見ずに走り去った。なんだかちょっぴり、二人の様子が怖かった。



「うふふ、ご用って何かしら?」

「ふふふ、すみませんね?お手間を取らせてしまって」



 上品に笑いながらも、視線ではバチバチと火花が散っている。



「中庭まで、ご一緒してもらえます?」

「……ええ、いいわよ?」




 うふふ、あははと一見にこやかに、一見、友好的に。他愛無い会話をしながら二人は中庭に向かった。キャットファイトと言っても良いのかもしれないが、例えでも猫のように可愛らしくは見えない。十歩譲って猫科の肉食動物の闘いだ。――兎にも角にも、ゴングは鳴り響いた。もう、誰にも止められない。






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