第19話 伍




「セツナ、今日は元気ないねえ?どうしたの?」



 魔法薬学の実験室。

 いつも通り、ニノとペアを組んだ雪凪は、始業のベルが鳴るまで、ぼんやりと虚空を眺めていた。


 そんな雪凪に、ニノが首を傾げながら問いかける。雪凪はそれに、曖昧な笑みを返した。



「いえ……いつも通り元気ですよ、はははは」

「?変なセツナー」



 もちろんいつも通りではない。

 昨日は結局、クラウスに寮まで送ってもらった。宗治郎と送る送らないで押し問答を繰り返した結果である。


 全く、幼児でもあるまいし、宗治郎くんは過保護なんですよ!と、半ばキレながらベッドに潜り込んだ雪凪は秒で寝た。



 しかし、朝日を浴びて思ったのだ。


 あれ、

 なんか、

 宗治郎くん、すっごく不吉なこと言ってませんでしたか?と。



 回想。



 ――――そこまで言うなら、僕のやることに文句つけないでね?

 ――――どーぞどーぞ?ご勝手に?私も私で、好きにさせてもらいます!







 言っていた。

 しかも、自分は承諾した。



 彼はやる人だ。

 やると言ったら、やる人だ。

 不言実行の彼が、敢えて「やる」と公言したのだ。一体何をやらかす気なのだろうか……雪凪はもう、気が気ではない。

 残念ながら、雪凪の脳味噌だと全く予測が出来ないところも恐怖心を煽る。


 


「……ね、ねえ?セ、セツナ……今日のお昼」



 ニノがもじもじしながら何事かを言いかけた瞬間、始業のベルが鳴り、担当教員が入ってきた。ベアトリーチェ先生は、時間に厳格だ。私語にも厳しい。



 しゅん、とした様子のニノを横目で見つつ、雪凪は思った。



(……お昼……お昼か……委員長もユルゲン先輩も、部室で食べるって言ってましたね。紛れ込ませて貰いましょうか……)



 普通に部外者なのでどうかと思うのだが、宗治郎にあそこまで言われた以上、一応、自衛はしようと思う。一応。



 ちら、ちら、とこちらを見てくるニノには気づかないふりで、雪凪は黙々と課題に取り組んだ。



(……最近、ニノくんの視線をよく感じるのですよね……)


 

 雪凪は手を動かしながら考えを巡らす。

 ニノはとても好感が持てる少年だ。明るく、誠実で、人望も厚い。友達も多く、いつも複数人に囲まれている印象だ。何故か雪凪に対してだけは、もじもじしていることが多いが。



(…………まさか、ね……ははは、自意識過剰ですね、私)



 ふ、とよぎった考えを一笑して、雪凪は頭の中を切り替えた。そして本日の課題「毛染め薬」の製作に取り組む。本日も「優」をもらおう!と自らを鼓舞した。










 終業のベルが鳴る。


 ベアトリーチェ先生が教室を出た途端、雪凪は立ち上がった。部室棟まではそれなりに距離がある。昼休みはゆっくりしたい派の雪凪は、移動時間が煩わしい。

 


「今日もありがとうございました!ニノくん!」   



 談笑する生徒たちの横を通り過ぎ、早歩きでドアに近づいていく。



「えっ、あっ!せ、セツナ……」


 

 その後ろでわたわたと慌てているニノのところに、彼の友人たちが集まってくる。



「何してんだよ〜!今日こそお昼に誘うって言ってたじゃないか」

「そうよ!今行かずしてどうするの!」

「ほら、手伝ってやるから行こうぜ!」

「み、みんなあ…………」


 

 ニノは半泣きで後ろを振り返る。

 友人たちは、力強く頷いた。

 ニノはそれを見て、身体のうちから勇気が沸き起こるのを感じた。



「うん!」



 雪凪は、ドアを潜ったところだった。

 今行けば、間に合う。


 ニノたち一行は、小走りで教室を駆けていく。


 先を走っていた少年がドアを開く。

 ニノたちが、廊下に躍り出る。

 薄水色の少女は、ドアから五歩ぐらいのところに佇んでいた。



(良かった!まだ、間に合う!)



「ねえ、セ……」



 ニノは勇気を振り絞って、声を掛けようとして………後ろから友人たちに羽交締めにされた。



(????)



 そのまま、ずりずりと後ろに引っ張られる。



「えっ??えっ?な、なに」「しーーー!静かに!!」



 耳元でそう言われるのと同時に、誰かに口を塞がれた。……そういえば、四時間目終わりの廊下と思えないほど……異様に、静かだった。



 頭に疑問符を浮かべながら雪凪の後ろ姿を見つめるニノは、ようやく、雪凪の前に人がいることに気づいた。その人物は、雪凪よりも少しだけ背が高い、赤銅色の…………



(あ)



 ニノは、目を瞬かせながら、二人の会話に聞き入った。






 ――場面は数分前に遡る。


 雪凪は、実験室の扉を開いて……そのまま閉じたくなった。




「……」

「……」



 異様なほど静かな廊下。

 行き交う人々がぎょっとしながらそそくさと通り過ぎていく。扉の前で止まった雪凪に、迷惑そうな視線を送る同級生も、雪凪の視線の先を見て、同じように固まった。



「……」

「……そこ、どいたら?後ろの人、迷惑そうだよ?」



 雪凪は、親の仇のような目で後ろにいた同級生を睨みつけた。哀れな少年は、ぶんぶんと首がちぎれそうになるほど横に振っている。



 しかし、宗治郎の言う通りなので、雪凪はしぶしぶとその場を離れ、宗治郎と対面した…………ところに、ニノたち一行が追いかけてきた、というわけである。





(……ここで、一体何してるんですか……)



 雪凪は宗治郎を睨みつけた。

 宗治郎は涼しい顔で雪凪を見返している。




 ――実験室の扉を開けたら、魔王がいました。


 小説のタイトルなら、なんともつまらなそうだ。




 宗治郎は、ステンドグラスの窓を背後に、壁に少し身体を預けた姿勢で雪凪を待っていたようだった。緩く胸の前で組んだ腕。いつものように、寸分の乱れもなく着こなした制服と、黒いガウン。細められた赤銅色の瞳。


 佐野あたりが見たら歓喜のあまり平伏しそうな雰囲気が、あった。



 一体、今から何が始まるのか……いつの間にか、そこそこひとだかりができていた。


 ……そんな中、ニノとその友人たちだけが、雪凪のことを心配していた。




(ど、どどどどどうしよう!?あ、あれ、セツナってアマネ君と友達だって……ま、まさか嘘だったとか!?それで……アマネ君が直々に忠告をしにきたとか?!)



 驚くことに雪凪に恋心を抱くニノでさえ、悪いのは雪凪だと決めつけた。というか、「雪凪が何かした」一択である。


 事情を何一つ知らない生徒たちも、知らないなりに憶測をするのだが、似たり寄ったりな内容だった。


 雪凪はその雰囲気を敏感に感じ取り、宗治郎を睨みつけた。




「ひ」


 と、漏らしたのは、雪凪の表情を確認できる位置にいた男子生徒である。ま、魔王に向かって睨みつけた!?と胸中大混乱である。




「ここで、何してるんですか?」

「見れば分かるだろ?待ってた」


 

 そう言うと、宗治郎は身体を預けていた壁から離れ、一歩雪凪の方へ近づいた。



 あまりに刺々しい会話を聞いて、周囲は震え上がる。待ってた……だ、と?一体この少女は何をやらかしたんだ!?と、これから起きる地獄絵図を想像して勝手に泣きそうになっている者もいた。感受性が豊かである。







「はあ?」



 雪凪は不機嫌にそう言い放った。

 一部の物好きを除き、周囲の人々は心が死にそうになった。



「私たち、喧嘩中ですよね?宗治郎くんと話すこと、ないんですけど!」



 もうこの後の会話に、彼らは反応できる心の余裕を失ったので、二人の会話文にお付き合い下さい。





「メッセージ、送った」

「通知オフにしてますから分かりませーん!」

「…………へえ?状況分かってる?昨日あれだけ言ったよね?」

「昨日も言いましたけど、気にしすぎなんです!ほっといてください!そのうちなんとかしますから!」

「そのうちっていつ?どうやって?どうせ何も考えていないだろう」

「ああああその人を馬鹿にした態度!ほんっとーーーに腹立ちます!」

「雪凪が適当なだけだろ」



 はっ

 と、宗治郎は鼻で笑った。似合いすぎて既に凍っていた空気が永久凍土へと変わる。



「………………ふん!」



 雪凪はくるっと身体の向きを変え、早歩きで歩き出した。宗治郎はそれに無言で着いていく。



「着いてこないで下さい!」

「話は終わってない」

「私に話すことなんてないです!」

「僕にはある」



 ああああもう!……と、言い合いながら、嵐のような二人は去っていった。残されたのは、未だ悪夢に囚われたようになっている、哀れ犠牲者となった少年少女のみ。





「ええ……やっぱり、セツナとアマネ君って……そういう関係!?」



 ニノは泣きそうな表情で友人たちを振り返る。しかし放心状態の友人たちは、引き攣った笑いを返すのみだった。何言ってんだコイツ。恋は盲目すぎるだろ、が心の声だ。



「お前って……結構……心臓に毛、生えてるよな」



 なんとか捻り出した返事を、赤毛の少年はニノに言ったが、ニノはきょとんとした顔で首を傾げるだけだった。









 ところ変わって。

 グレード2のカフェテリア。


 いつもは平和な庶民の憩いの場なのだが、本日に限っては様子がおかしい。






「お、やり〜!壁際の席空いてんじゃん!」

 


 紫色の髪の少年が、嬉しげに声を出した。

 その声が、思った以上に空間に響き、彼は「あれ」と思う。



「ん?なんでこんな空いてるんだ?」

「確かに…」 



 追いついてきた友人も一緒に首を傾げた。カフェテリアの壁際は、人気なのだ。少し遅れて入ると、もう埋まっている。なのに今日は、一組の男女が座っているだけで、周りに人がいない。



「ま、いっか。とりあえず座ろうぜ?」

「だな、そのうち混んでくるだろ」



 楽観的な彼らは、椅子をひいて座ろうとした。しかし。



「…………………………やっぱ、あっちの席いこうぜ」 

「は、はあ?な、なんでだよ」

「おれ、今日はテラスセキノキブンニナッタンダーホラ、イクゾ〜」



 友人はそう言うと、少年の腕を掴んで歩き出した。



「ちょ、ま……」



 混乱しつつも少年は歩き出す。友人のあまりの剣幕に驚いたからだ。しかし、好奇心に負けて後ろを振り返ってしまった。だって、友人の様子がおかしくなったのは、彼らの後ろの席にいた誰かを見たからだと…………



「…………」



 少年は、友人に感謝した。

 そして、友人に駄々をこねなかった自分の潔さにも感謝した。



(…………な、なんで……)


 

 未知への遭遇。

 例えるならそんな心境だった。



(なんでのカフェテリアに、女王の学徒クイーンズ・スカラーが居るんだ!?)








 

 



 


(……くっ、グレード2のカフェテリアまで着いてくるとは思いませんでした……!) 



 雪凪は目の前の宗治郎をなるべく視界に入れないようにサンドイッチを貪った。気分はやけ食いだ。その様子を宗治郎は冷ややかな目で眺めていた。雪凪が食べ終わるのを待っているようだった。


 自分は食べないのだろうか……と雪凪は考え、いやいや、今は喧嘩中…!とその考えを振り払おうとした。

 しかし……




(……宗治郎くんって、私のこと心配してきてくれたんですよね……)



 満たされた腹は人を冷静にする。

 そうなると、宗治郎に怒りを抱いている理由の幼稚さに思い至ってしまい、しゅるしゅると怒りが治まっていくのを感じてしまった。



(…………いやいや、でも、だって、)



 色々と理由をつけようとした雪凪は、とあるに気がついてしまった。


 じ…と、床のあたりを頬杖をついて見つめている宗治郎の目元に、うっすら隈があった。少しばかりぼんやりとしているような気もするし、もしかして……



(…………寝てない…なんて、まさか、そんな……)



 自分は秒で寝たのだ。

 それなのに、宗治郎は眠れなかった……とか、まさかそんな、と雪凪は否定しようとした。けれど、意外と心配性だと発覚した宗治郎だ。もしかしたら、もしかするのかもしれない。



(そもそも、宗治郎くんってめちゃくちゃ忙しいはず。昼休みは生徒会室にこもってることも多いですし……いや、その前に、四限は!?)



 雪凪は恐ろしいことに気がついてしまった。

 終業のベルが鳴ってすぐに雪凪は教室を出た。授業終わりで間に合うはずがない。ということは、宗治郎は授業に出ていないのだ。優等生の中の優等生の宗治郎が、サボる……。


 雪凪は青ざめた。

 意外と、というレベルではない。

 この人、見た目からはあまり分からないけど、めちゃくちゃ心配しているんだ、と。怒りで上がっていたボルテージがどんどん下がっていき、ついにマイナスに到達した。


 気づかれないように宗治郎を観察すると、いつもより顔色が悪いような気もするし、表情も強張っているような気もする。いつも涼しげな目元には、やっぱり見間違いじゃない、薄く隈がある。瞳もどことなく昏い。 




「……なに?」


 いつの間にか、まじまじと見てしまい、宗治郎に気づかれる。ちょっと刺のある言葉だったが、もう怒りは沸き起こらなかった。(いや、ちょっとむくり、としかけたが)



「心配かけてます?」

「今気づいたの?」

「いや、そこまで心配してるとは、思わなくて……」

「…そう」



 宗治郎は凪いだ瞳で雪凪を見返す。

 雪凪はなんだか、居心地が悪い。


 宗治郎は、ポケットから何かを取り出すと、雪凪の前に置いた。



「ハンカチ……??」 

「拭いてって意味じゃないよ」

「……じゃあ、何です?」

「……雪凪に持っていてもらいたくて」



 雪凪は藍色のハンカチを手に取り、訝しげな視線を宗治郎に送る。しかし、宗治郎は雪凪が手に持ったハンカチを見つめるばかり。その視線に、「見れば分かる」といった意味合いを感じ取り、雪凪はハンカチを広げた。



「    」



 雪凪は、久しぶりに語彙を失った。



「……な、なななななな、なんですか、これ……」



 何か文字のようなものが、複雑な紋様を描いていた。ハンカチの内側にびっしりと連なっている。ゲシュタルト崩壊?集合体恐怖症??……一目見ただけでお腹いっぱいになる気持ちの悪さだ。持ってるだけで呪われそうである。



「呪詛返しの陣だよ」



 あってるんかい!と雪凪は叫びそうになった。

 


「じゅ、呪詛返しって……」

「文字通り、呪詛を受けたら、それを術師に跳ね返す守りの陣だ」

「ま、まさか……これを……」

「作った」



 ぞぞぞ、と宗治郎には悪いが怖気が走る。



「は、はは……いやいや……」



 雪凪はそっと、ハンカチを畳んだ。



「いやあ、こんなもの用意するほどのことです?」

「念のためだよ。何事もなければそれでいい」

「…………わかりましたよ……」

「うん…」



 了承すると、宗治郎は少しほっとしたような顔をした。雪凪はその様子を見て、違和感を覚える。



(……宗治郎くん、なんか……変じゃないですか……?)



 宗治郎は、負の感情を人に見せようとしない。

 また、本当のところの内面は、優しく、繊細(この度心配性という性質も追加された)なのだが、特に「繊細」の部分を見えないようにしようとしている気がある。


 本当の自分を見せないで、それで友達が欲しいとはよく言えたものだな…と、悪口を思いつくこともあるが、恐らく、本人も気がついていない癖のようなものなのだ。友達の代わりに下僕が量産される最たる原因であることにすら、分かっていない。



(……そもそも、あんな些細なことで、宗治郎くんが怒ること自体、おかしなことですよね)



 なんと言っても喧嘩の原因は、「やーい、お前、私しか友達いないくせに〜」である。よ、幼稚だ……というか、冷静に考えると私が恥ずかしい、と雪凪は思った。おそらく、通常の宗治郎なら、「そうだね。僕の友達は雪凪だけだよ」と、ちょっと悲しそうだけど、それでいてそこそこ満足そうな顔を肯定するくらいの出来事だ。


 …情緒不安定なのだろうか?





「宗治郎くん、大丈夫ですか?」

「何が?」



 宗治郎は笑みを浮かべた。

 まるで、雪凪の問いを予想していたかのような反応だ。



「大丈夫じゃないこと、自分で分かってるからその反応なのですよね?」

「考えすぎだよ。でも、そう思うなら、絶対肌身離さず持っていてね」

「……」



 なんだか、言質を取られたような感じになり、雪凪は釈然としない。




「……絶対、だからね?」



 もう、ちょっとしつこいですよ、と抗議しようと宗治郎の顔を見た雪凪は、固まってしまった。



(…なんて顔を……してるんですか…)



 やっぱり、

 何かおかしい……変だ、と雪凪は思った。


 ゆらゆらと揺れる瞳。 

 血の気のひいた白い顔。

 噛み締められた唇。


 

 こんな不安定な宗治郎を見たことがない。


 ここまでくると、「雪凪を心配している」だけじゃ、ないような気がしてきた。強迫観念に迫られているような感じがするのだ。





(宗治郎くん、一体……何をそんなに、恐れているんですか…?)



 潮が、何をしてくるか分からないこと?

 ……雪凪が、傷つけられるかもしれないこと?



 どっちも正解のようで、どちらも正解ではない。そんな気がするのだ。





 




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