第18話 肆
「あら、なんだか久しぶりじゃない?」
玄関のベルが鳴り、扉を開けると、雪凪と宗治郎が立っていた。ぜはぜはと、息を切らしている少女と、いつも通りの少年。
「入って入って!今日はクッキー焼いたのよ〜」
二人揃っての訪問は、一か月ぶりだろうか。ペトラは笑顔で二人を中へ迎え入れた。
「……」
「……」
窓辺の席に、向かい合って座る。
ペトラはお茶とクッキーを二人に出すと、ソファで編み物の続きを始めた。
「身体は大丈夫?どこか痛いところとか、ない?」
口火を切ったのは、宗治郎だった。そう言えば、放心していた間も、なんだかそんなことを言われていたような気がする、と雪凪は思った。
「大丈夫です、それに、ここまで走ってきたのですから……」
「……僕が謝って済む問題じゃないのだけれど、本当に、すまない」
宗治郎は目を伏せながら言った。思い詰めたような表情だった。そんな表情を見たのは初めてで、雪凪は戸惑う。
「う、潮さんって……何者なんです……?さっき、何しようと、しました……?」
本当は、聞かなくてもなんとなく、分かってはいた。分かってはいたけど、信じられなくて、宗治郎に問いかける。
「少し長くなるけど……」
そう言って話し始めた宗治郎の声は、聞いたほどがないほど固いものだった。
――紫藤家は、周家の遠縁にあたる。
周家も紫藤家も、古くから「異能」で栄えた家だった。「魔法」として体系化された西洋の国とは違い、口伝や家伝で伝わった「異能」の技。その中で一、二を争う需要が、「呪術」であった。
周家も、紫藤家も、共に「呪術」で栄えた家。
しかし、周家が「呪術」で手に入れたツテや、自身の才覚を養い、経済や政治の場へ進出していったのと異なり、紫藤家はあくまで「呪術」にこだわり続けた。
その、成れの果てが…………
「前に、黒薔薇の話をしただろう?」
「ええ、はい。夏休みのことですよね」
「その時、
雪凪の脳裏に、夏の匂いがよみがえる。
――――それに、掛け合わさってない存在は、稀に『先祖返り』が起きる…………
――――古代の力がそのまま発現する。一代限りだし、狙って出来るものでもないから、力を保ちたい魔術師たちにとっては魅力的な選択ではないけどね…………
「はい、おぼえてます。もちろん」
「それを狙って、生まれたのが、
「ね、狙って……?でも……」
「狙ってできるものではない。けれど、紫藤家の人々は、そこに活路を見出した」
「活路……?」
「先祖返りを輩出することを商売にしているんだよ。紫藤家はそれなりに強い異能……いや、魔力を持ち合わせているが、名家であるとは言えない。しかしだからこそ、術師である、ということに執着するのかもしれない。彼らにとって、潮は
あまりにも世界が違う話で、雪凪はなかなか、宗治郎が言っていることが受け入れられなかった。
――先祖返り、を商売?
――最高傑作……商品?
「潮さんを、愛してくれる人は……いなかったんですか?」
「幼いころに愛着が形成されなかった人は、善悪判断が難しいらしい…潮は、出会った時から変わらないよ。あのままだ」
雪凪は、想像してみた。
長い歴史のある家。
「先祖返り」を意図的に誕生させようとする家が、一体どんなことをするのか、雪凪には分からないし、あまり、知りたくもない。
その家で、常に「商品」として見られる潮。
彼女の、潮の、血の滲むような声が、脳内で再生される。
――――あなた、家族がいるんでしょう?友達もいるんでしょう?あいしてくれる人がいっぱいいるのでしょう?……あたしには、お兄様しかいないの。お兄様しか、あたしのことをあいしてくれる人はいないの。だから、奪わないでよ、盗らないでよ、もうたくさん持っているのに、これ以上何を望むのよ!!!
(……でも、宗治郎くんは
誰と一緒にいるのか。
誰を……好きになり、愛するのか。
誰とともに、人生を歩むのか……それを決めるのは、宗治郎本人である。
「婚約者、という噂ですが……」
「前も言っただろう?僕に、婚約者はいない。そして今後も、潮は婚約者にならない」
「なら…」
「潮だって分かっているさ。だから、今だけなんだよ」
今だけ、という言葉が胸に突き刺さり、つい下を向いた雪凪はだから、見ることがなかった。「今だけ」と言った宗治郎は、ぞっとするほど昏い瞳をしてカップを見ていた。けれどすぐに、元通りの無表情に戻る。雪凪は顔を上げた。
「潮も佐野と同じで、年に数回、家の集まりで会う仲だ。個人的に会ったことは一度もない」
「それなのに、どうして……」
「哀れな子なのだろう。年に数回しか会わない僕に、救いを求めている……何を気に入ったのかは、分からない」
哀れな子だ、と言う割に、宗治郎は瞳は無感動なままだった。
「あんなことをするとは…思わなかったんだ。一緒にいさえすれば、満足すると思っていた」
「だから、宗治郎くんのせいじゃないですって。それ、悪い癖ですよ?なんでも責任持ちたがるの。保護者気質というか、なんというか…」
意外だが、宗治郎は、自己犠牲的な気質があるのだ。いや、自己犠牲とは少し違うか……と雪凪は思い直す。
彼は優秀だ。
雪凪には想像出来ないが、たくさんのことを同時に処理できる能力と受け入れられる容量があるのだろう。
そして常に、人がどう行動するか、先を読む癖がついている。悪い方に事態が転がりそうになったときは、先回りして阻止しているのだ。そうでなければ、あの癖の強い
……それでも、人は、人だ。
機械じゃないし、物語の登場人物でもない。
その時の気分や機嫌によって行動は変わるし、そうでなくても、人は変わっていくものだ。
四六時中共にいるわけでもないし、行動の全てを把握できるわけもない。
けれど、宗治郎はそう思わない。
予測出来たはずなのに、と。
もっと自分が努力すべきだった、と思うのだ。
雪凪はそれが、少し腹立たしい。
傲慢だとさえ、思う。
他人の全てを把握している人間など、どこにもいないのだ。
「潮さんは、私のこと、ころそうとしたんですか?」
聞いておいてなんだが、現実感がなかった。
「さすがに潮も、そこまではできないよ。身体に苦しみを与える呪術だ。呪殺を行うには、それなりに準備が必要だから」
「……」
何てこともないように、宗治郎は言った。雪凪は思った。うん、呪殺うんぬんは聞かなかったことにしよう、と。
(……自業自得ですが、なかなかまずい相手に、喧嘩を売ってしまいましたね……)
後悔はない、とは言い切れないが、もう一度やり直したとしても、同じ選択をするだろうとも思う。
話を聞いてやっぱり思うのは、潮より、絶対自分の方が宗治郎のことを好きだ、という確信だった。
(潮さんは、宗治郎くんが好きなわけではない。宗治郎くんに、縋りたいだけだ。そんなの、好きって……言えないです)
「この後、潮と話してくるよ。そして、誤解は解いてくる」
「誤解……?」
「潮は、その、勘違いしていると思うから……」
勘違い…?何の……、と思ったところで雪凪は思い出した。呪殺うんぬんですっかり頭から飛んでいたが、そういえば!!告白していたのだった!!!
しかし、顔に血が集まりかけてすぐに下がった。
(勘違いって……言いました?)
つまり、
宗治郎には、伝わって……いない?
友達としての「好き」なのに、潮は勘違いしていると宗治郎が勘違いしている……のか!?そんな馬鹿な!と雪凪は宗治郎を見つめた。いつも通りの無表情だ。
(…………いやこの人、自分に向けられる感情だけ、何故かバグりますからね……本気で、そう思ってるんですね……)
雪凪は宗治郎のせいにしたが、宗治郎がそう思い込んでいるのには、雪凪の責任もある。
それでも、普通なら多分、気付けるのだろう。自分に向けられている感情が、親愛なのか恋愛なのか。そもそも、宗治郎は聡い人間だ。
しかし、彼は気付けない。
気づくことができない。
雪凪は、「そりゃあ、宗治郎くんも苦手なことはありますよね。ちょっと方向性が残念ですが」と、軽く考えていた。
完璧な人間にとって、ちょっとした欠点は欠点とも言えない。むしろ一種の魅力だ、なんて思考を巡らせていた。
だから、後々、宗治郎が
「……多分、難しいですよ。というか、無理です。彼女は納得しないです。むしろ火に油です」
「そ、う…?……こういう時は、雪凪の言ってることが当たるものね。僕には……難しい……」
驚いた。
完璧超人宗治郎が雪凪より苦手なことがある、と口にしたのだ!何事も涼しい顔でやってのけ、泣き言弱音など一切聞いたことのない(件の問題児たち除く)彼の口から、よもやそのようなこと……と、雪凪はある種の感動をおぼえた。
「まあまあ、そんなこともありますって」
呑気にそう返したが、普通に雪凪のせいである。
宗治郎の勘違いを正せば、さすがに彼だって、火に油だということは分かるだろう。
雪凪はちくり、と痛む胸を見ないふりして、勝ち気な微笑みを宗治郎に向ける。
「と、いうことなので。宗治郎くんにあまり出る幕はありません」
「見ただろう?潮は何しでかすか分からない」
「彼女だって退学になりたいわけじゃないでしょうし、大丈夫じゃないですか?」
あれは、自分が煽ったせいだしなあ、と雪凪は思っていた。冷静になれば、彼女だってあそこまで直接的なこと、出来ないはず、と。
「いや、駄目だ。やっぱり危険だ。雪凪は知らないから…呪術の家系が、どんなに恐ろしいか」
「一人にならないようにしますって」
「教室移動のときは?寮から学園に移動するときは?昼にカフェテリアまで行くときは?……雪凪って、あまり友達いないでしょ?」
ぷちん!
雪凪の見た目の割に、わりと短い堪忍袋が切れた。少なくとも宗治郎くんよりはいます!と叫びたかった。
「失礼ですね!宗治郎くんよりはいます!!」
あ、口に出していた。
「へえー?」
綺麗に笑った宗治郎だが、青筋が見えている。赤銅色の瞳をす、と細める様は威圧感ありすぎて平伏ものだが、雪凪には効かなかった。
「まあ?確かに?僕に友達は一人しかいないけど?でも、雪凪だって数えるほどしかいないじゃないか。五十歩百歩、どんぐりの背比べっていうんだぞ」
「はあ〜??友達は数じゃありません!量より質ですよ!だいたい、誰のせいで遠巻きにされてると!」
「ああ、僕のせいだって?そうだね。その通りだね……潮に目をつけられたのも、元はと言えば僕のせいだものね。僕と友達にならなければ、良かったんだ」
ぶちぶちぶちぶち
梱包材を雑巾絞りするかのような勢いで、何かが弾け飛んでいく。
「私は!友達になるかならないかは、自分で決めます!」
だん!と机に手を着く。
「宗治郎くんは悲観的過ぎるんです!案ずるより産むが易しって言うでしょ!」
「雪凪は泥舟に乗っていても気づかないだけだ」
「沈没したら自分で泳ぐので大丈夫です!」
「……はーーーー……。話が通じない」
「こちらの台詞です!」
二人はやおら、立ち上がる。
雪凪は仁王立ちに、宗治郎は胸の前で腕を組んだ。
「そこまで言うなら、僕のやることに文句つけないでね?」
「どーぞどーぞ?ご勝手に?私も私で、好きにさせてもらいます!」
ふん、
そっぽを向いた二人は、それでもほぼ同時に椅子に座ると、ペトラの焼いたクッキーを食べ始めた。ペトラのクッキーは美味しいし、食べ盛りだし、怒るとエネルギーを消費するのだ。
「あら、また喧嘩?」
編み物がひと段落したのか、ペトラがやってきた。
もぐもぐもぐ、とクッキーを頬張り続ける二人を、目を白黒させてみやる。
「喧嘩じゃないです!宗治郎くんがネガティブ過ぎるだけです!」
「喧嘩じゃありません!雪凪が分からずやなんです!」
「あら、まあ……お茶のお代わり、いる?」
「「欲しいです!!」」
最後の一枚を競うように食べる二人を見て、ペトラは笑った。年相応でやっぱり可愛い二人ね、と。
その後はぎすぎすしながらもペトラとおしゃべりしたり、夕飯の手伝いをしてそのままご相伴にもあずかった。やけに刺々しい会話を繰り返す二人に、ペトラとクラウスは笑っていた。人生経験豊富な二人にとって、幼い喧嘩に見えていたし、実際その通りだった。二人はそう思っていないが。
兎にも角にも、ここから……盛大なる茶番が始まるのである。
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