第17話 参






「よ、よよよよよろしく、マキハラさん!」



 雪凪は一瞬、あれ?もしかしてタイムリープしてます?と思った。あんまりにも既視感がありすぎて。

  


「おはようございます。ニノくん」

「きょ、きょうもよろしく」



 続けて生贄なんて、もしかして彼はいじめられていたりするのだろうか…と、余計な心配を雪凪はし始めた。


 しかしまあ、そうは言っても授業は始まるし、ペアがいないと課題が出来ない。なので、感謝するに留めて、二人で鍋を囲む。本日の魔法薬学の課題は、「水虫特効薬」である。



 にしても、水虫特効薬……出来上がっても処理に苦しむ。父に送りつけようか…と雪凪は思案した。



「あ、あの…マキハラさん」



 話しかけられるとは思っていなかったので、少し動揺したが、なるべく自然に雪凪は微笑んだ。


 絞り出すように声をかけてきた生贄少年の名前はニノ・バルチェリーニと言う。蜂蜜色の髪に、べっこう飴のような瞳という、なんともきらきらしている外見。


 顔立ちも童顔で、外国人には珍しく、雪凪より一、二歳年下にも見える、いわゆる小動物系……びくびくしながらも好奇心が旺盛な子猫のようだ。



「なんでしょう?」

「あ、あああああの!アマネくんとはどういう関係なの?」



 ぴしり、と雪凪は笑顔のまま固まった。

 固まったまま、さりげなく周囲を見回すと、なんとなく聞き耳を立てているような気配を感じる。妙に静かだ。



(……ああ、本当に生贄なんですね……)



 雪凪は心の底から同情した。

 ニノが、周りに無理矢理、「聞いてこい」と言われたのだと勘違いしたのだ。実際には濡れ衣であり、ニノが一人で暴走しただけである。


 兎にも角にも、そんなわけで、雪凪は彼を怒れなかった。正直な心境は「よくもこのタイミングで聞いてくれましたね?何と答えたら満足するんですか??」と、なかなか怒り心頭だった。しかし、彼に言っても仕方がない、と行き場のない感情を宥める。



「……友達です」

「と、ともだち!?」

「……」

「あっ、ごめん!」



 彼の声はよく通る。聞き耳を立てていた少年少女たちが動揺する気配を感じる。

 雪凪は、青筋を立てそうになった。



(……いやいや、八つ当たりは駄目ですよ、私)



 何か文句でもあります?と心の悪魔雪凪がジャブを繰り出している。対して天使雪凪が、いやいや、立場が反対なら、自分だってそう思ったでしょう?とそれを諌める。



 そうして、なんとか落ち着かせたところに、追い討ちをかけられる。



「そーなんだ!全然そんな風には見えなかった!」



 あまりに無邪気な言いように、雪凪はつい、無表情になった。



「…………そうですよね」

「うんうん!じゃあマキハラさんはフリーってことだよね?」

「……???え、ええ、まあ?」



 何故いきなり、恋愛の話になったのか、雪凪は理解が出来なかった。しかし、少しの瞬時の後、



(…………え?わ、私が宗治郎くんのこと、す、きだって……ばれてるってことですか!?)


  

と、思い至った。



(そ、そんなに……分かりやすかったですか……)



 愕然とした雪凪は気付かなかったが、違う。

 そうじゃあ、ない。



 噛み合わない二人は、それでも課題に取り組む姿勢は優秀であり、本日も「優」の太鼓判を押された。嬉しいはずなのに、なんだか素直に喜べない。もやもやとした気分の雪凪に対し、ニノの方は上機嫌だった。気になる女の子に、恋のライバルが存在しないと知ったからだ。



 そんなわけで。



 雪凪のペアは、ニノ、というのが徐々に定番化していった。当たり前のように隣に座って、課題に取り組む。知り合い以上、友人未満。それが二人の関係だった。






「マキハラさんって、もっと怖い人かと思ってたよ」



 ある日の授業後、ニノの友人に言われた言葉である。



「……私が、ですか??」

「気を悪くしたらごめんね?」

「そんなことないです」



 ニノの友人たちは、皆、気さくな人たちだった。本人の人望なのか、ニノは友人が多い。授業前後で、ニノに話しにくるので、場の流れで雪凪も話すことが多くなった。


 初めは一言二言、挨拶のような会話だったが、徐々に親しげに声をかけられるようになった。もしかしたら、ニノが間を取り持ってくれているのかも知れない。


 何のために?とは思うが、遠巻きにされているより全然良いので、有り難く感じていた。





「じゃあ、また授業で」

「うん!またね!セツナ!」



 ニノはとびきりの笑顔で笑う。



(……チワワ……いや、ポメラニアン……?)



 子猫ちゃん、というよりわんこだなぁ、と雪凪は思った。言ってることはたまに失礼なのだが、悪気はないので憎めないタイプ。それがニノである。


 ニノとその友人たちに小さく手を振って、雪凪は教室を後にした。







「……マキハラさんって、本当にニノの言う通り、普通に良い人、だね」

「そうだねえ。噂も、デマだったんじゃない?」

「今となっては、そうなんだろうと思うなあ」

「あの噂?」



 ニノは緩んだ顔を、少しばかり引き締めて尋ねた。



「お前なあ、もうちょい周りに関心持てよ」

「アマネ君とマキハラさんが付き合ってるんじゃないかって噂よ。聞いたことないの?」

「え、えええええええ、そうなの!?」

「だーかーらー!噂だって!…それに、あの様子じゃ違うでしょ」



 橙色の髪の少女がため息をつく。



「それに、が、だっていうじゃない」

「はー、婚約者かあ。さすが、女王の学徒クイーンズ・スカラー。うん、生き物としての格が違うぜ」

「へえ〜そうなんだ!俺、知らなかったよ!」



 にこにこにこにこ、上機嫌で笑い続けるニノは、何を言っても頭に入らないようだ。恋に浮かれて、周りに花を撒き散らしている。友人たちは、不可解なものを見るような目を彼に向ける。



「……あのさあ、マキハラさんの、どこが好きなの?」



 その場の全員が思っていることである。

 

 マキハラセツナ。

 学園一の地雷物件。

 サワルナキケン、チカヨルナ。

 一時期合言葉のようになっていた、それ。


 何故、よりにもよって、彼女?というのが満場一致の心の声である。


 宗治郎関連以外では特段目立たないし、秀でているものがあるわけでもない。失礼ながら、際立って美人でもない。話してみると普通に良い人、ではあるが、友人にはあんまりなりたくない。


 なんといっても「魔王様と友達」らしいので。本当でも嘘でもどっちにしろ怖い。



「……えー!だって、セツナって、すっごく優しいじゃん!」   



 そ、それだけ……??と、友人たちは思った。



「それにセツナには、あったかいパワーがあるんだ!まるでお日様みたい。一緒にいると、すてきなところに連れてってくれそうな感じがするんだよ!それって、すっごくすっごく魅力的だよね?」



 そう言ってニノは笑った。

 彼の出身国の名は、南の国。

 その別名は、愛の国。

 愛を語らせれば世界で一番とも言われる、情熱的な国だ。小動物系な上、自他共に認める小心者のニノも、その国民性が備わっているようだった。



「はあ〜、早く明日にならないかなあ?」

「そんなに好きなら、メッセージアプリのID交換すればいいのに」

「そ、そそそそそんなとこ、言えないよお……」



 途端にぷるぷると震え始めるチワワ系男子を見て、その場にいた女子たちは、残念そうな目を向ける。これがなきゃ、かっこいいとも言えるかもしれないのに、と。














「はあ……」



 雪凪は、ペトラの庭のベンチに座り、メッセージアプリを開いた。



『ごめん、しばらく忙しくて』



 明日のお昼、一緒にどうですか?のメッセージに対する答えである。こんな感じの会話が、ここ一ヶ月ほど繰り返されているのだ。


 宗治郎と雪凪の生活圏は違うので、約束して落ち合わなければ、学園でほぼ会うことはない。その上、この一か月はすれ違うこともなかった。



(…………避けられてる、わけじゃあ、ない…ですよね?)



 雪凪は不安になった。

 もし、そうだったら……どうしよう。

 何か、嫌がることをしてしまったのだろうか。


 悪い方向にばかり思考が回って、胸がくるしい。


 昨日はそれで、うまく眠れなかった。いくらベッドで悶々としても、長くても三十分くらいでぐっすり快眠の雪凪である。朝方まで寝付けなかったのは、人生で初めてだった。



 ぴろん



 メッセージアプリの着信音が聞こえ、素早くスマホのロックを外す。しかし、メッセージは芳乃からだった。雪凪は少し、がっかりする。(失礼)



『今日の放課後、カフェの新作スイーツ食べない?』



 クマのスタンプとともに送られてきたメッセージ。それに、『いいですね!行きましょう』と、返す。



「……ふーー……」



 スイーツを食べに行くなら、お昼のパンは夜食にでもしよう。雪凪はパンが入った包みをバッグに戻し、目を瞑る。睡眠不足で眠気がすごい。残りの昼休みは仮眠にあてよう、と決意した。




 ――あたしは、お兄様がだあいすき


 ――自分の本当の望みは何か考えないと、後悔するにも手遅れになるわよ


 ――友達じゃないものになりたいなら、傷ついたり、変わっていくことを恐れたりしてはいけないのよ




 ああ、ほら、やっぱり目を瞑ると、たくさんの言葉たちがあふれてくる。雪凪はそれら全てから逃げるように、睡魔に身を委ねた。












「あ、雪凪〜!」



 ぴょんぴょんと飛び跳ねる緑色の美少女。芳乃である。



「……眼鏡はずしたら美少女とか、今どき流行らないんですよ……」



 雪凪は文句を言いつつ芳乃に近づく。広い学園内、待ち合わせ場所に行く前に会えたのは、運が良かった。



「ちょっとお久しぶりですね」

「そうね!新刊の締め切りに追われてて〜!あ、昨日終わったのよ!出たら渡すね!今回は、ダイジョウブよ!!」



 グッと親指を立てる芳乃。

 何がだ。


 しかし、芳乃の賑やかさに、少し、救われる。



「あー!楽しみ〜!食べることと妄想しかこの学園楽しみがないじゃない?ほらっ、チケット買っておいたのよ!」



 幸せそうに笑う芳乃を見て、雪凪は張り詰めていた気持ちが緩んでいくのを感じる。



(これは、委員長に感謝、ですね)



 芳乃にお礼の言葉を伝えようと口を開いた、その時だった。カフェテリアに続く広い廊下に騒めきが走る。放課後で人が多いため、何が起きたのかはわからなかったが、少し、嫌な雰囲気だ。


 しかし、騒めきはすぐにおさまり、徐々に静けさに包まれていった。え、何?どうしたの?とか、みんないきなり静かになっちゃって…とか、不安気だったりはやしたてるような誰かの声が生まれては消えていく。



 雪凪は、何故か予感がした。



「え、ちょっと雪凪……?」



 芳乃が心配そうに声をかける。

 雪凪は人並みをかきわけ、前の方へと進んでいく。後ろから芳乃が追いかけてくる気配を感じる。けれど、雪凪は止まらない。



 躍り出た人並みの先。

 ぽっかりと空いた廊下の先に居たのは、思った通り、女王の学徒クイーンズ・スカラーの二年生四人だった。


 気だるげな顔をした背の高い少年ノア

 無関心を装った、中性的な少年リュウ

 どこか不満気な様子の少年サーシャ


 そして、口元にだけ薄い笑みを貼り付けた宗治郎……。





 けれど、それだけじゃなかった。いたのだ。



 美しく背に広がる黒髪。

 黒曜石のような瞳。

 薔薇色の、頬。  

 

 愛らしく笑った少女が、宗治郎の左腕に自らの腕を巻き付けながら歩いていた。




 ――と、最前列にまろび出た雪凪と、少女……潮の視線が交差する。


 

 薄い水色の瞳と黒い瞳の間に、ぱちん、と何かが、走ったような気がした刹那。


 潮が笑った。


 口元を宗治郎の腕に隠し、美しい瞳を細めて雪凪を見たのだ。しかし、雪凪は気付いた。誰が気付かずとも、自分だけは気付いた。




 微笑ったんじゃない、嗤ったのだ。



 

 ――――その時の心境を、後に雪凪はこう語る。


 カンカーンと、ベルが鳴ったようでした、と。

 ……もちろん、青空に響き渡る教会の鐘ではなく、血潮沸き起こる、リングで鳴り響く方のタイプである。






 

 気が付くと、雪凪は宗治郎の右腕を握りしめていた。宗治郎が雪凪を見て、目を見張る。その気配に気付きながらも、雪凪は彼の方は見なかった。勢いのまま、雪凪は宗治郎の腕にしがみつく。


 潮の真っ黒な瞳が、固まったように雪凪に向けられている。彼女はもう、嗤ってなどいなかった。その様子を見て、雪凪は、前回彼女に会ったときは言えなかったこと、すぐそこまで出てきたけれど結局言えなかった言葉が、形となり、口から飛び出そうになるのを感じた。



「わ、私のほうが」



 ――いや、既に口に出していた。







「私の方が!宗治郎くんのこと、大好きです!!」




 ――言った瞬間、やらかしたことを悟った。


 しん、と静まり返った廊下。

 衆目の的。


 雪凪は、反射的に振り返って芳乃を探した。

 もちろんそこには誰もいなかった。



(く……!に、逃げましたね!!!)



 脳内に、「アデュー!」とばかり良い笑顔で去っていく芳乃の姿が再生される。「骨は拾ってあげるわ!」という幻聴も。



 だらだらと冷や汗がすごい。

 なんと事をなんというタイミングで言ってしまったし、やってしまったのだ、と雪凪は顔面蒼白になる。ぎゅううう、と握りしめた宗治郎の服に皺がよる。宗治郎の顔が見られない。



 と、何か、虫の羽音のようなものが聞こえてきて、音源に視線を向けると………………


………………

……

…………まっくらな瞳がこちらを見ていた。  




「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」



 吐息の音だけで紡がれるそれ。

 大きな瞳をかっぴろげながら、潮はぶつぶつと呟き続けている。宗治郎と雪凪にしか聞こえない怨霊だ。いや、音量だ。



 思わず、全力で後退りしたくなった雪凪だったが、幻覚のローラが背後から応援する。あんた、そんな可愛げがある女じゃないでしょ、と。



 ぐ、と目力を込めて睨みつけた雪凪に、何を思ったのか、潮は一瞬真顔になる。いっさいの感情が抜け落ちた白い顔は、ゾッとするほど美しい。



 しかし、すぐに潮は、見惚れるばかりの笑みを浮かべた。花が綻ぶような、うつくしい顔。至近距離で暴力的なまでの「美」を目撃した雪凪は固まる。



 伸ばされる白魚のような手。



 小さく開いた唇が、なにごとかを……………し、

  



「潮!!」



 突如、視界が真っ黒に覆われ、何事かと雪凪は目を瞬かせた。なんとことはない。宗治郎の背中だった。潮を振り払い、雪凪を後ろに庇うように半身を前に出している。



 だから、…………ね、の音は聞こえなかった。




(……あ、あれ…………?)




 雪凪は、膝がわらっていることに気付いた。


 寒気がする。


 胸が苦しくて、涙が出てきそうだ。



(い、いま……今、な、何をしようと、しました……?)



 おそらく、が発動しかけたのだ、と雪凪は思った。それは正解でもあり、不正解でもある。




 しかし、発動しかけた瞬間、宗治郎に



 雪凪は何が発動したのか分からなかったが、宗治郎には分かったと言う事なのだろう。



「最近のお前はどうかしている」

「…………ふふ、あたしがのは、今に始まったことじゃないでしょう?お兄様」



 狂気を孕んだうつくしい笑顔はなりをひそめ、先程までの愛らしい微笑みを浮かべて潮は言う。



「だから、本当にしまったのは、お兄様の方でしょう?……でも、だいじょうぶ。あたしが、ちゃあんと、思い出させてあげます」




 潮は、宗治郎に笑みを浮かべた後、雪凪を見た。



「またね、雪凪さん?」






 そう言うと、潮はぱっ、と黒髪をひるがえし、去っていった。





 大理石の廊下に響く足音が聞こえなくなって、やっと雪凪は動くことが出来た。そうして、雪凪が放心している間、何事かを雪凪に話しかけ続けていた宗治郎の腕を、力一杯、掴む。



「せ、」



 つな、と続いたはずの言葉を宗治郎は飲み込む。






 いつぞやの再演のように、雪凪は宗治郎の腕を掴んで歩き始めた。前回と違うのは、徐々にスピードを上げ、走り始めた点と、目的地がすぐそこのカフェテリアの個室ではなく、わりと離れた位置にあるペトラとクラウスの家、であったことぐらいだ。


 


 


 

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