第8話 そのろく
「……ハア………なんか……まだ、頭が痛い気がします……。」
雪凪は、げっそりとした顔で大理石の廊下を歩いていた。昨日は遅くまで委員長に離してもらえなかった。最近付き合いが悪かったと言う自覚もあり、ついつい、ついつい続けてしまったのだ。今期新作アニメの上映会を。いや、有意義な時間ではあった。その中の一つは比較的大衆向けかつ、コメディ要素が強かったので、宗治郎におすすめしてもいいかもしれない、とそこまで考えて雪凪は立ち止まった。
ごそごそ
睨みつけたスマートフォンのなか。
アプリに通知、なし。「周宗治郎」の名前をタップする。最後の会話の日付を見て、ため息を吐く。
(……何ですか。そっちから、メッセージ送って来たっていいんですよ……。)
だって、アレは宗治郎が悪い……と、雪凪は今でも思っている。心配して聞いたというのに、「何が気に食わないんだ?」ってなんなんだ。全然まるっきり分かっていないような顔だった。子どもの癇癪に戸惑っている様な顔。ああ、思い出したらまたむしゃくしゃしてきた!と雪凪は気持ち、早歩きで歩き始めた。
(というか、何故私、誰からも求められていないのに、宗治郎君からも求められていないのに、事件を探ろうなんて思ったんでしょう……。)
宗治郎への
(と、いうか!元はと言えばミハエル先輩が宗治郎君に決闘なんて申し込まなければ良かったんですよ!どうしてそんな身の程知らずな事を!)
と、そこまで考えて思った。
(…………確かに。そもそも彼は、どうしてそんな無謀なことを……?)
その後のことが大変で忘れていたが、そこが一番不審なところではないだろうか。万年グレード1、とは言え……
「………これって、やっぱり宗治郎君に直接聞いちゃった方が早いやつでは?」
自分がない頭ひねって考えるより、宗治郎に聞いてしまった方が早い気がする、と雪凪は思った。雪凪に自覚はないが、これは彼女と宗治郎が良い友人関係を築けている要因の一つであり、もしかしたら一番大きなものかも知れない。
雪凪は、人と比べて自分に劣等感を抱いたり、変に張り合ったり、ということが無かった。あきらめている、とも違う。例えて言うなら、「あ、私より腕が五本多くあるんだ、いいなー!」ぐらいの感覚である。
能力がある、人より優れている。それだけでは、本人の幸せに直結しないことを何となく理解していた。雪凪は、自分と自分の大切な人たちが幸せに生きていてくれればそれでハッピーな人種なのである。
そして更に、冷静になった頭はくるりくるりと回転し始めた。雪凪のもう一つ、他人より優れていることがあるとすれば、人の表情から感情を読み解くことである。(妄想ともいえるが…)
(宗治郎君はあの時、
雪凪は、自分の心配した心を無碍にされたのだと思った。でも、そうじゃないとしたら?
(……そうだ。そもそも前提から違うのかも知れない。私は、宗治郎君が
雪凪は正直、難しいことはよく分からない。なので、全ての経緯を取り払った、もしかして、に過ぎないのだが。
宗治郎は……真相を、知っている?
(……いやいや、そんなまさか………………。)
だって、それじゃあ、自分が馬鹿みたいじゃ……というか、思いっきりただの馬鹿じゃないか!
ずがーん
と、脳天に稲妻が落ちる様な衝撃だった。
(いや、だって、そうならそうと最初からから言ってくれていれば!!……はっ!!!)
――雪凪は、何がそんなに、気に食わないんだ?
(もしかして、あれって……聞き返してくれていたのですか……?話が伝わってない相手に対して、どこが分からなかったのか教えて、という意味か、話しててなんか話が噛み合わないな、何故?という疑問の意味か…………いや、どちらにせよ、分かりにくいですよ…………。)
しかし。
(……宗治郎君、ちゃんと説明しようとしてたじゃないですか。聞き方がちょっとアレですけど。)
それなのに、自分は勘違いして、キレて、音信不通。今まで、八対二で向こうが悪いと思っていたのにまさかの逆転。
「いや……でも、宗治郎君が圧倒的コミュ症のせい……何故ここに至るまでに対人コミュニケーションスキルが養われてこなかったのか?だから、もう少し割合をあげて…………」
ぶつぶつ……と呟きながら歩く雪凪は気づいていなかった。少し離れたところから、そんな雪凪を見つめる目があることに。
「………………。」
「まいどあり〜!」
「………………。」
雪凪は、何かに、負けた気がした。
握りしめているのは、学内新聞である。今までも気が向いたときに購入したりはしていた……していた。しかし、今回は明確な意図を持って購入した。……購入、してしまった。
◇今週の一言◇
――覇王の風格、ここに極まれり。愚民どもは戦慄する。時は止まり、鼓動も止まる。永遠とも思える刹那、しかし刹那から追い出したものを永遠は返してくれない。震撼せよ!世界!!!
「…………何言ってるか全然分かりませんが、何かが起きていることだけは分かりますね……。」
雪凪は、新聞を折りたたんだ。
そう。これを読むだけに購入したのだ。屈辱的だがモブの会を失うと、宗治郎の近況など全く分からなくなるのだ。何せ同学年だけで千人越えである。
「……ふう……。こんな物読んでると、宗治郎君と二人であんなことやこんなことをしていたのがまさに夢というか……妄想だったのではないかと思えてきます……。」
雪凪はスマートフォンの【写真】をスクロールしていく。多くはないが、ペトラと一緒に作ったクッキーやクラウスと一緒に木を伐採しに行った時の写真や、四人でピクニック(学園内)をしに行った時の写真などがおさめられていた。
「……現実でした。良かった、写真撮っておいて。」
す、とスマートフォンを仕舞う。
「……よし、仲直り、しましょう。」
いろいろ意地を張っていたが、仕方ない。だって、雪凪は宗治郎に会いたいのだから。宗治郎が雪凪に会わなくても平気なのは悲しかったが、仕方ない。雪凪が宗治郎に向ける感情の大きさと、宗治郎が雪凪に向ける感情の大きさが違っていた。ただ、それだけのことだったのだから。
もう一度スマートフォンを取り出し、アプリをタップしようとした、その時だった。
「やあ。」
「え……。」
ぬ、と現れたのは、薄い金色の髪。スカイブルーの瞳。ラルフ・シューマッハである。
「こ、こんにちは……?」
「ちょっと着いてきて欲しいんだけど、いいかい?」
後から思えば逃げれば良いと思うのだが、雪凪はこういう咄嗟の出来事に非常に弱い。というか、自分の身に降りかかることに対して、平和ボケの気質が抜け切らないのだ。十三年間平和な世界で生きてきた
なので
「……あの」
空き教室の一室。
ガチャリ、とドアを閉めたラルフが、「音避けの魔法」を掛けたところで、あれ、まずいかも?と、雪凪は思った。
「……君、僕のこと知ってるね?」
トキメキではない方の心臓の音がすごい。そっか、私の先程やらなくてはいけない反応は、「え?ど、どなたですか?」だったのだ!なのに、ほいほいついてきてしまった。普通に失態である。
「ええ……いや……し、知りません……。」
「いいよ、そういうの。バイエルンをけしかけて「聞き耳の魔法」で話を聞いてるなんて、どう考えても訳ありだろう?それに、君はあの東の国の留学生会のメンバー……一体、どういうことかな?」
にこり、とラルフは人好きのする笑みを浮かべた。例の如く目は笑っていない。
「……お兄様が、退学なさった件を調べていたのです。」
「へえ、何のために?」
だらだらだらだら、と汗が止まらない。確かに、何のために?個人的なシュミです?む、無理がある……。
「…………。」
「……言えないことかい?」
「そ、そうではないのですが……。」
「言え。」
え、と顔を上げて驚く。
ラルフが昏い目をしてこちらを見ていた。ぞ、として後退りをする。それがいけなかったのかも知れない。
「言え。」
「……。」
「言え。」
「……。」
「なんだ?薄っぺらい忠誠心か?……なら、黒幕はやはりアマネなのだな。」
は、い……?と雪凪が目を見開く。その様子をラルフは冷めた目で見やった。
「馬鹿な兄をけしかけて自作自演。ふん、魔王サマも底が知れてる。」
真底馬鹿にしたような発言と表情に、雪凪はかっと頭に血が登ってしまった。
「なっ!宗治郎君がそんなことするわけないでしょう!」
「……へえ、やっぱり君は、アマネと繋がっている人間なんだね。人は見かけによらないなあ。」
じ、と見定めるような視線を向けられ、雪凪は墓穴を掘ったことを悟った。
(あ、ああああ!わ、私の馬鹿!馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどやっぱり馬鹿!)
「ほら、もう隠したって意味がないよ。さっさと全部吐いちゃいなよ。」
にこ、とまた優しく笑うラルフを見て、雪凪は理解した。この人、すごく、頭が良い。わざと怖い顔をしてみたり、優しくしてみたり、カマをかけたり……そうやってこちらが自爆したり、陥落するのを狙っているんだ。え、でも、じゃあ何のために?理由がなくちゃそんなことしない、ええと、
「ほら」
「……!」
「早く、今なら許してあげるよ?」
質問を何度も投げかけて、考えさせない様にしているんだ、と雪凪は思った。正常な判断が出来ないようにさせる。本当に、恐ろしいほど人心掌握に長けている。
(と、友達の冤罪?を晴らすため勝手に嗅ぎ回ってました!とかいっても絶対信じてくれなさそうじゃないですか!)
「……アーーめんどくせえなあ。僕は気が長い方じゃないんだよね。」
「え」
ドン!
またしても壁ドン。
「大丈夫。身体に跡をつけずに相手に苦痛を与える魔法なんてたくさんあるからね。」
よかったね、女の子だもん。跡が残ったら嫌だもんね?なんて続けられて、足が震え始めた。
(……え?嘘、ですよね…………?)
ラルフはにっこりと笑ったままだ。
(いや、だって……さすがに、そんなこと……するはず……。)
…………なかった?もしかして、私、ヤバいことに、首突っ込んで、ました…………?
ラルフの口が開く。
魔力の高まりを感じる。
あまりの恐怖に動けない。
せ、せめて、あんまり痛くありませんように…………!!と、雪凪が情けなくも目を閉じた、その時。
♪〜♪〜〜♪〜♪〜
響き渡る着信音。
雪凪は、放課後はマナーモードはオフにする派だ。
「うわああああああああああ!!!」
「ッッ!?」
思わず大きな声で叫んでしまった。しかし、突然の奇行にラルフがたじろいだことをいいことに、雪凪は横からラルフの腕をすり抜け、距離を取る、そのままノー思考で電話マークをタップする。だって、この着信音は。
「宗治郎君助けて!!」
と、叫んだのと、空き教室のドアがバンッと大きな音を立てて開かれたのはほぼ同時だった。
「うわあああああああああ!!」
後から考えると恥ずか死ぬほど情け無いが、安心感のあまり宗治郎の後ろに回りこみ、
「…………。」
「…………。」
「うえ、ええ、えぐ……うえええ……。」
(……怖かった!怖かった怖かった怖かった!!)
大号泣である。何度も言うが、雪凪はなんとかなるさー精神のあたたかい家族に愛され平々凡々のびのびあははうふふの世界で生きてきた十三歳の少女である。生まれた時から無表情顔がデフォルトなせいで沈着冷静に間違われがちだが、心の中は基本うるさい。
社会の闇もまだ知らず、人の心の闇にも触れたことがない。まだ綺麗な柔らかい心を持った、普通の女の子。完全なるキャパシティオーバーである。
「……三年生の、ラルフ・シューマッハ先輩ですよね?彼女はこの度の件に何も関わりはありませんよ。」
宗治郎がラルフにそう話しかけた。しかし雪凪は顔を上げられない。宗治郎のベストに鼻水が付かないようにするのが精一杯だった。
「簡潔に言ってしまいますが、ミハエル先輩を監禁したのは、あなたですよね。けれど、あなたは事件後こう思いはじめた。『都合が良すぎる。自分は誰かに行動を予測され、知らぬ間に駒にされたのではないか』と。」
ラルフの声は聞こえてこない。
「お兄様をけしかけたのも、噂を流したのも僕ではありません。
少し冷静になった頭で雪凪は考える。あれ、宗治郎君、煽ってる……?と。いやいや、そんな、エフェクト……エフェクトだよね?と。
「けれど、お兄様を追い落としたかったのは、貴方でしょう?結局選択したのは、貴方だ。それならこの度の事件の首謀者と双方に利益があったとも言える。『駒にされた』という傷付けられた自尊心さえなだめれば、それでよろしいのでは?貴方たちのお家事情ですので、そこに僕たちが関わる必要はないでしょう。」
…………いや、これは……多分、煽ってる。
雪凪は、驚いて涙が引っ込んだ。周りからは誤解されまくっているが、宗治郎は人を傷つける言葉を言ったりしない。その宗治郎が、分かっていて、煽ってる。ラルフにとって嫌なことをわざと言っている。雪凪は震え上がった。
(相手は上級生ですよ!?そ、そんなこと言って……目をつけられたらどうするんですか!)
いらぬお世話なのだが、雪凪はそういう性分だった。さっき痛い目にも遭っているので、余計に宗治郎が心配になった。その「余計な心配」がこのような出来事を引き起こした原因なのだが、しばらく雪凪は気づかない。ので。
「ご、ごめんなさい!!」
ガウンから顔を出し……ながらもラルフの顔は見ることが出来ないまま、雪凪は続ける。
「あ、あの!!き、興味本位で余計なことに首を突っ込んじゃって、ごめんなさい!!は、反省しました……も、もう関わらないようにします!ラルフ先輩、本当にすみませんでした!」
とりあえず、謝れ、とは酔っ払った父の言葉。
仕事終わりの花の金曜日、べろんべろんになった父は笑いながら良く言っていた。
とりあえず、謝れ。それがコミュニケーションを円滑にする秘訣だあ!と。
時には
「………いや、こちらも、決めつけてしまって悪かったね。」
「え……」
恐る恐る見上げたラルフの顔は貼り付けたような笑みだった。ちなみに雪凪は宗治郎のベストを掴んでガウンから首を出した状態のままである。
「では、失礼させていただきます。」
「……ああ。」
え、あれ、と戸惑っているうちに、宗治郎に腕を掴まれ、教室の外へ出る。
「…………。」
「…………。」
すぐにぱ、と手を離され、少し悲しい気持ちになる。
「「あの」」
掛けた声が被った。ものすごい羞恥心に襲われる。
「……どうぞ?」
「あ、あの、助けてくれて、ありがとうございます。あ、あと……」
「待って、ここだと人が来るから。また、後にしよう。連絡するよ。」
「あ、はい……。」
「じゃあ。」
振り返らずに宗治郎は去っていく。すぐに後ろから人の声が聞こえてきた。もしかしなくても気配で分かった?やっぱり規格外だなあ、とかいろいろ思うのだけれど。
「…………。」
雪凪は両手を握りしめた。
こんな時でも気を使われたことが、恥ずかしかった。
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