第7話 そのご





「落ち着いたかい?」

「はい、ありがとうございます。ブライアン先輩。」



 それは良かった、とブライアンは雪凪に向かって微笑んだ。そして、いたいけな(ブライアン目線)一年生女子を泣かせていたもう一人の後輩に冷たい視線を投げかける。



「全く。お前は一体何したんだ?」

「え?いやぁ、俺様、なんかしたかなあ?」

「違うんです……私が、ただ、フェリシアーノ・マルティネス・ロドリゲス先輩のあまりの美技にうっかり酔ってしまっただけなんです。気にしないで下さいと言いたいところですが、部長としてブライアン先輩がどう思っているのか聞いてもいいですか?」 



 じ、と感情の見えない薄水色の視線を向けられ、少したじろぎながらも、ブライアンは口を開いた。



「……それがね、ユルゲンの記事、結構人気なんだよ。」

「に、人気……??」

「一部に熱狂的なファンみたいなものが居てね。一度取り下げたら、脅迫文が送り付けられてきたくらいさ。」



 ごそごそ、と棚を漁ったブライアンは、割とすぐ一枚の紙を取り出した。様々な字体の文字を切り取って貼り付けたそれは、古式ゆかしい怪文書だ。



「……いかに世界最高峰の魔術学園といえど、一定数患者がいるということ、ですね……。」 

「患者?」

「ああ……ブライアン先輩は抗体があるみたいなので、心配しなくても大丈夫です。手遅れかつ感染源はフェリシアーノ・マルティネス・ロドリゲス先輩なので……。」

「「??」」



 雪凪はとりあえず考えるのを諦めた。



「話は変わるんですが。少しお聞きしたいことがあるのですが、大丈夫ですか?」

「今日はもう活動もないし、大丈夫だよ。」

「何だ改まって。」  



 雪凪は、少々ためらいつつも口を開いた。何だか珍妙にして怪奇な縁だが、ここは「新聞部」である。ということは、学内で起きた「事件」のことはひと通り取材をしているはずだ。件の魔王軍によるミハエル拉致監禁疑惑についても何か知っているかも知れない。



「あの、ミハエルさんの事件のことなんですけど、腑に落ちない点がいくつかあって。」

「ほう。話してみなよ。」



 ブライアン先輩は、瞳を輝かせた。新聞部の部室はそれなりに広い。今はいないが部員も二人だけではないのだろう。居心地よく過ごせるようにティーセットなども完備されていた。ユルゲンが慣れた手つきで紅茶を淹れている。見かけによらずまめまめしい男であった。



「噂が出た時期が、タイミング良すぎないでしょうか?それに、先程バックナンバーを拝見させていただきましたが、新聞部は一文説ものことには触れていない。あ、フェリシアーノ・マルティネス・ロドリゲス先輩のコラムとは別として。」



 新聞部も、女王の学徒クイーンズ・スカラーを敵に回したくはないのだろう。決闘のこと自体に軽く触れてその後の事件は静観している。フェリシアーノ・マルティネス・ロドリゲスは違うが、まあ……あれはギリギリセーフのラインなのだろう。それなのに、噂が出て、それが広がるまでの間が妙に早い。ミハエルが退学した後だと言うことも引っかかっていた。



「そうだね。僕たちもそれについては同意見さ。」



 ブライアンがユルゲンの淹れたお茶をすする。つられて雪凪も口にすると、アッサムをベースにふわりと芳醇な花の香りが口の中に広がった。くっ、フレーバーティーだと!?似合わなすぎる……ユルゲンは行動だけが無駄にイケメンだった。行動だけが。 



「僕はね、この事件、何者かが裏で手を引いているのではないかと考えている。」

「と、言いますと……?」

「それは分からないけど、重要参考人がいるんだ。」

「…………それは、誰、ですか?」



 ブライアンはふ、と微笑むと静かに立ち上がった。そして、ゆっくりと窓辺に歩いていく。



「…………。」

「…………。」



 何故、立ち上がる。

 何故、離れる。

 漂い出す緊張感に、雪凪は生唾を飲み込んだ。そして、

 ぴた、と止まったブライアンは、殊更ゆっくり、ゆっくりと振り返り、こう言った。



「――君は、ミハエルに異母弟がいることを、知っているかい……?」



 光に反射し、眼鏡が輝き表情を伺い知ることは出来ない。雪凪は、息を飲んだ。まさか、そんな、やっぱり…………



(…………病は、感染するんですね………………。)



 類は友を呼ぶ。










「……で、何でフェリシアーノ・マルティネス・ロドリゲス先輩はついてくるんです?」



 後ろを振り返り、じと…と睨んでみる。しかし、ユルゲンは、にか!と笑い、頭の後ろで手を組むだけだった。



「いや、だって……オマエ、行くだろ?!」

「シュザイ??」

「アレ?行かねーの?東の国のオタクは、良い作品を作るためなら例え火の中森の中水の中なんだろ?」


 

 不思議の国のアリスと同じイントネーションで言わないで欲しいし、なんとかマスターにもなりたくない。というか、シュザイじゃない!友達のエンザイを晴らしにいくんです!と言いたいが、また妄想扱いされて終わりだろう。



「……すこし、興味があるだけです。」

「またまた〜!アレだろ?シンカンのためなんだろ?ナア頼むぜ!俺、一つの作品が出来上がる過程を見てみたいんだ!……あっ!セーヘキに文句とかつけないから!妄想するのは個人の自由だしな!」



 めちゃくちゃ良い笑顔を向けられて気づいた。何故かユルゲンの顔を見ていると、イラッとすることが多かったのだが、これは、あれだ。デフォルトの表情がドヤ顔に近いせいなのだ。常にうっすらドヤ顔。そしてキメ顔もドヤ顔。悪い人ではないのだが、一緒にいる、ただそれだけで相手に疲労感を与える男。それがユルゲン・フォン・バイエルンである。雪凪は無性に宗治郎に会いたくなった。あの穏やかな笑みに癒されたい。



「はあ、なら静かにしていてくださいね。とりあえず今日は偵察だけなんですから。」

「おー!まかせとせ!」


 

 にかーー!と輝くような笑顔を向けたユルゲンを見て、大型犬のような人ですね……と雪凪はため息をついた。しかし、その表情はどこか安堵の感情が滲んでいる。なんだかんだいいつつ、雪凪はホッとしていた。「監禁事件」の事を探るなんて、少し荷が重過ぎる。だから、ユルゲンがついてきてくれることとなり、心強かった。まあ、すぐに後悔することになるのだが。




 ――――ユルゲン が なかま に なった!









「あれか?」

「あれです。」



 翌日。グレード3、4用のカフェテリアの端で、「望遠の魔法」を使用中のでこぼこ二人組がいた。



「へー、なんつーか兄とは似ても似つかない奴だなあ。」

「そうですね。弟のラルフ・シューマッハはグレード4の秀才。兄のミハエル・シューマッハは万年グレード1の落ちこぼれ、だそうですよ。」




 視線の先には、友人と談笑しているラルフの姿がある。兄は長髪の金髪だったが、弟は短髪で兄より薄い金髪をしていた。スカイブルーの瞳に知性が宿る、清々しい雰囲気の青年である。



「というか、同学年ですよね?知らなかったんですか?」

「あのなあ、同じ学年に何人いると思ってんだよ?千人越えてんだぞ?話したことないやつなんて大勢いるだろ。」



 呆れた顔で言われて気づく。

 そりゃ、そうだ。いつも側に規格外な存在がいたため、常識の方を忘れかけた。



「……確かに、そうですね。」 

「だろー?」



 会話をしつつ、「聞き耳の魔法」で情報収集を絶やさない。しかし、特に有益な情報もなかった。 



「なんか、お兄様とは違ってとても温厚そうな方ですね。ご友人も多く、慕われているようですし。」



 輪の中心になるタイプではないが、複数人の友人と共に歓談する姿は楽しそうであった。にこにこと周りの人間の話を聞き、時折尋ねたり相槌を打ったりしている。



「ま、今日は人柄を拝見できただけで良しとしましょう。」



 いきなり本人に「ねえねえ君のお兄さんって何で退学しちゃったの?」なんて聞けないし、そもそもお前誰だって言う話に……



「ナアナア、お前の兄貴って何で退学したんだ?」 



 「聞き耳の魔法」で、直接頭の中に聞こえるそのダミ声に雪凪は意識を失いそうになった。



「君は……バイエルン君、だよね?」

「おー!俺様のこと知ってんのか!」

「……君は有名人だもの。」



 なんとも壁のある顔で微笑んだラルフに構うことなく、ユルゲンは「ここ、いーか?」なんて言いながら答えを聞かずにラルフと友人たちとともにテーブルを囲む。行動力の塊のような男だった。  



「兄のことかい?……さあ、僕たちは関わりの薄い兄弟だからね。正直なところ、よく分からないよ。今は家に引きこもっているらしいよ。」



 そう言ってラルフは肩をすくめる。まるで赤の他人のような口ぶりだなあ、と雪凪は思った。



「なんだよ、赤の他人みたいな口ぶりだな〜。」


 

 ……なぜ、こい……いや、この先輩は思った事をすぐに口に出すのか!?雪凪は思った。外国人ってスゴイナー。



「ふふ、君がそれを言うのかい?君の家だってじゃないか。」

「ふははははは!俺様、自分で言うのも何だが、わりといいお兄ちゃんだからな!そんなことはないぜ!…………あれ、うん。無いよな?ちょっと最近、妹みたいな奴の反応がアレだけど……いや、大丈夫大丈夫。」

「……ふふ、確かに。そんなことは無さそうだ。きょうだいの心境に興味があるんだから、僕たちとは違うよ。……君は良き兄なんだね。羨ましいよ。」

「やめろよ、照れるだろ!」  


 あはは、ふはははははと笑い合う彼らを見ながら雪凪は思う。いや、イイハナシダナーみたいな感じになっているけど、違うからね?





「なーんか、いいやつだったな!」

「ハア…………なんか…………どっしりとした疲労感が………………。」



 グレード5のカフェテリアで反省会である。むしゃくしゃしたので雪凪はこれでもか!とスイーツを頼みまくったが、「やっぱりオマエくらいのやつって甘いもの好きだよなー!」とユルゲンは笑っていた。支払いはブラックカード決済だった。か、金持ちぃ……!と雪凪は内心、地団駄を踏んだ。



(それにしても…………)



 じ、と雪凪はユルゲンを見やる。



「?なんだよ。」

「いえ……どうして先輩は……いえ、何でもないです。アーこのザッハトルテ美味デスネー。」

「??」



 疑問点浮かべながらブラックコーヒーを啜る姿を見て思う。頭も良くてお金持ちでコミュ力も兄力も高いのに、どうしてこうも残念な……残念な感じがするのだろうか…………。



「これが、残念なイケメン……というやつでしょうか……。」

「はあ?……んん!?シンカンの構想か?」



 出来上がったら見せろよなー!と笑う姿を見て脱力感が増す。



「ハア……全然構想が浮かびませんよ。ラルフ先輩は全くの無関係なんですかね……?」

「お?ミステリーものか?」 

「……仮に、ミステリーだったとしたら、どんな事が考えられると思います?」



 何でこの先輩はシンカンから離れられないんだ?そんなにオタ活したいのか??雪凪はやぶれかぶれになって聞いてみた。特に深い意図はなかった。



「んー、ミステリーものかあ……サスペンスものなら考えられっけど。」

「サスペンス?」

「おう!」



 そう言ってユルゲンは顎に手を当てた。勿論ドヤ顔である。



「アー、まず、あれだろ?あいつ、俺んちと環境似てるって言ってだろ?つーことは!愛妾問題で泥沼なんだよ!」



 …………ナンテ?? 



「ま、よくある話っつーか?ウチは俺様の出来がいーから後継者問題では揉めてねーけどよ。あいつんところはよお、駄目だろ?グレード4とグレード1、だけど継承権は兄。まーそれで、弟の方は面白くないってことで…………。」



 ユルゲンはドヤ顔のまま話し続ける。本人得意気で温度差に気付いていない。



「兄を追い落とす計画を立てるんだ!馬鹿な兄貴をけしかけて魔王に勝負を挑ませ、当日に拉致監禁。兄は後ろ指さされて退学に。家督は弟のもの!……ていうのどうだ??」



 ドヤァ!と嬉しそうに話すユルゲンを見て、もう、何かよく分からないもので胸がいっぱいになった。感情が完結しない。キャパオーバーである。しかし、ひとつだけ、ひとつだけ言いたいことがあった。それは…………



「それじゃないですか……?」 

「いやーでもよ、これだと辻褄が合わないところが一つだけあんだよなー!」



 ユルゲンはそう言うと、背もたれに体重を預けた。眉間に皺を寄せ、腕を組んで真剣な顔をしているのを見ていると、わりと整った顔立ちをしていることに気づいた。筋肉質な体型も相まって、これは騎士系のイケメンと言ってもいいかも、と雪凪は思った。ノートキメキだが。



「それは、何です?」

「ツマリだなー……」


 

 しかし、雪凪はその続きを聞くことが出来なかった。すぐ近くから、ぎりぎり……と何かを食いしばる音が聞こえてきて集中できなくなったからだ。



「ギリギリギリギリギリギリ……」

「…………。」

「うおわ!お、オマエ……誰だ!?」



 テーブルのすぐ横、深い緑色の少女がハンカチを食いしばって立っていた。認めたくはないが勿論委員長である。



「ヒイッ…アヤカシか!?モノノケか!?」 



 ユルゲンが若干腰を浮かす。アヤカシにモノノケって……文化圏ちがうだろ!?どんだけ東の国のサブカルに侵されているんだ……と、遠い目をすることは出来ない。委員長は勿論、雪凪を睨んでいた。



「あ、あの……委員長??」

「ギリギリギリギリギリギリ」

「ちょ、年齢制限つきそうな絵面になってますって!」

「…………酷い。」

「…………え?」

「私を!除け者にして!!楽しそうにしていて酷い!!うわーん!私を仲間はずれにしないでよーーー!」



 号泣である。

 びえええ、と顔を手で覆った委員長に驚いて立ち上がる。



「ええ!?そ、そんなつもりは……ご、ごめんなさい!ね?だから、ちょっと、ここで泣くのは……」

「うええええええええ」

「なんだ!セイシュンか!?セイシュンものか!?」

「ちょっと先輩黙っててくださいってえええ!!」




 ――イインチョー が こちら を みている!










「……ナルホドな。言い分は、分かった。」



 


 ユルゲンは、胸の前で組んでいた腕を解き、テーブルに肘をついた。



 ここは、伝統と威厳に満ちた世界最高峰の魔術学園。その中でも選ばれし、上位3%の者しか使うことが許されないグレード5専用のカフェテリアである。その白亜と城とも言えるエリートたちの箱庭に、新たなる黒い歴史が刻まれようとしていた。



「オマエらのそれは……カイシャクノフイッチ、だ。」

「……えっ……。」



 緑色の髪の少女が、愕然とした顔でユルゲンを見上げる。



「そ、そんな……そんなはず……!」

「証拠はこれだ!」



 ばっ!と取り出された薄い本(委員長著)を見て、雪凪は咄嗟に視線をずらした。



「そ、そんな……そんなことって……!!」



 委員長はそれを見て、顔を青ざめさせた。



「だから……言っただろ?……オマエも辛いよな。だけど、なら、受け入れなくちゃいけない。」



 ごくり、誰かが唾を飲み込む音がする。



「セツナにとって、【ピーーーーーーーーー】は……ジライ、だ。」

「な、なんて……こと…………。」



 崩れ落ちる委員長。

 肩を叩くユルゲン。



「それにな…………実は、セツナは……ユメジョシなんだ。魔王×自分なんだ。」

「ッッ!!!」



 いや、違う。

 だから、そんな顔で見ないで……と言い出す前に、委員長にがっしりと両手を掴まれた。



「委ん、」

「ごめん!!私!雪凪のこと、何にもわかってなかった!!夢女子に自分の妄想を押し付けるなんて!お、恐ろしい……む、酷い事をしていたわ!!それなのに……それなのに!雪凪は、そっとページを閉じてくれていたのよね……?!ごめん!私、何も分かってなかったッッッッ!!」



 えぐえぐと泣き始める委員長。

 ポンポン、と私たちの肩を叩くユルゲン。



「大丈夫だ。オマエたちは、友達だろ?それもだ。カイシャクノフイッチが起きてジライを相手に押し付けてたときの対応、分かるよな?……そう、スミワケ、だ。」

「うん!……うん!ごめんね、雪凪、本当にごめん!……もう雪凪の前では【ピーーーーー】関連は自重することにするから!でも、私……………………雪凪の夢小説、楽しみにしてる!!」



 委員長はそう言うと、きらきらと美しく輝く、深い森のような瞳を雪凪に向けた。



「よしよし、これで一件落着だな!!しっかりスミワケできて、えらいな!」

「はい!ありがとうございます!ロドリゲス先輩!!」





 






 だから違う!!!!









 ――イインチョー が なかま に なった!



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