第4話 そのに





「お前か!?裏切り者は!!」

「ち、違いますよ!佐野君!」

「なら、お前かぁぁ?!」



 まさに、鬼の錯乱。

 黒髪を振り乱し、佐野が怒声を浴びせながら暴れ回る。

 第一次、佐野の乱、と名付けよう……と雪凪は遠い目をして見つめた。



「……さ、佐野君、どうしちゃったの!?」



 北清さんが怯えながら委員長に問いかける。



「はるちゃんは、決闘のとき居なかったもんね……実は……。」




 



 今更だが、宗治郎の決闘相手の名はミハエルと言う。自分で申し込んだくせに、勝負に逃げたミハエルに、学園の皆は冷たかった。


 ミハエルは、勝負当日、何者かに監禁され気を失っていたのだ、と主張した。勿論、誰からも相手にはされなかった。さまざま要因はあったが、一番は「ミハエルの日頃の行い」これに尽きた。ミハエルは万年グレード1の落ちこぼれ。授業を無断で欠席するなどしょっちゅうで素行の悪さから監督生にされる常習犯だった。


 、宗治郎に決闘を挑んだものの、当日になり怖気ついた。しかし、行かないわけにも……と、思いついた監禁事件なのだろうと誰もが思った。


 ミハエルは後ろ指をさされ、学園中の笑い者となり、そうして、彼は学園を去っていった。事件が起きてから二週間も持たなかった。しかし、誰も彼に…同情はしなかった。



 平穏な日々の中で起きた、少しだけ風変わりな出来事。一ヶ月もすればみんな忘れる……そういう事件のはずだった。しかし、事態は思わぬ方向へ転がっていく。



 が流れ始めたのだ。

 初めは誰も真剣に取り合わなかった。

 しかし、徐々にその噂は広がり……やがて、ほぼ全ての生徒が知るところとなると、風向きが変わってくる。いかに屈指のエリート達といえど、彼らはまだ幼い。「何が正しいことなのか自分で判断する」ことは難しいことであった。



 その噂とは、

 あの決闘の日、東の国出身と思われる少年少女たちが、ミハエルが監禁されていた、と主張していた倉庫付近を彷徨いていた、というものである。そしてそれは、留学生会のメンバーだった……というものだった。





 


「ならあ!!おまえかああああ!!!!」



 佐野の御乱心は続く。

 しゃくれあがった顎と眉間の皺がすごい。もはや顔芸の域である。某千年のパズルをかちゃかちゃする漫画に出てきた白い髪の人のようだ……と雪凪は思った。



「ひいッ……。」

「…………。」

「あ、あちゃー……。」



 見ていられない、というように北清春香は両手で顔を覆った。委員長でさえ、腰が引いている。普通に恐怖なので逃げたいが、逃げたら追って来られそうで動けない。



「ね、ねえ?佐野君、どうしてあんなに怒ってるの?」

「そ、そうだよな?まだ噂が本当って決まったわけでもないのに……。」



 塚本絢子と竹本理人の瞳も怯えの色が隠せていない。



「……それが、今日、周君が、学園長に呼ばれたって……。」

「え、」

「が、学園長に!?何で??」

「………………分からないから、悪い方に考えて、ああなってるのよ。」




 女王の学徒クイーンズ・スカラーとは、頂点であるからして、女王の学徒なのだ。頂きに登る人物は、配下の人間をする必要がある。つまり、この度のことは、周宗治郎の監督不行き届き、として処理されるのではないかという上級生の考察を、佐野は間に受けているのである。



(……というか、留学生会の面々は、宗治郎君の手下でも親衛隊でもないはず、なんですが…………。)



 しかし、佐野達はそう思っていなさそうだ。勝手に自分たちをと思い込んでいる。そんなこと、宗治郎は望んでいない。雪凪は、生徒会役員室で夕陽を背に、宗治郎が言った言葉を思い出していた。



(うん、やっぱり……宗治郎君は、佐野君たちと………。)




 しかし、物思いに耽っている場合ではなかった。




「ハア……ハア……ハア……おいっ!!誰でもいい!誰か!見たやつはいないのか!?」



 佐野はぎらぎら輝く瞳で周囲をぐるり見回す。



「おいっ!なら!貴様ら全員有罪だあああああ!!!」



 そんな無茶苦茶な、と雪凪は思った。普通なら誰も相手にしないだろう。むしろ全員からひんしゅくを買って終わりだ。しかし、集団の力、この場を包む熱……それが、人間の判断力を低下させる。



「そ、そういえば……あの日、かもしれない。」

「ぬぅあに!!ほんとうかァ!!誰だァ!!」

「女子だったと思う!」

「あ、ああ、そういえば見たかも……。」

「わ、わたしも!!」



 一人が言い出してしまえば、「何も言わないと自分になってしまうかもしれない」という恐怖心から、次から次へと発言が出てくる。初めは、女子かもしれない、次に、女子だった、さらに茶色の髪…長い髪……と物語は膨れ上がっていく。



「……となるとォ………………犯人はお前かあ!西川ァァァ!!!」



 十分に間を開け、ぐりん!と後ろを振り返った佐野。目が血走り、口からは少し、泡を吹いている。



「な、な、あ、あたし、あの日、みんなと一緒に会場にいたじゃない!ね、ねえ!夕子!麻里恵!」

「…………。」

「…………。」

「ウソはァ良くないぞぉ!!そういえば、お前は前にもウソをついたなあ???」

「ひ、ち、ちが……あ、あたしは嘘なんて…………。」

「うそつき!うそつきうそつきうそつき女ァァァァ!!!」



 腕を掴まれ壁に背中を叩きつけられる。



「かはっ!」



 杏奈は、愕然とした気持ちで周囲を見回した。



「ね、ねえ……。じょ、冗談でしょ?ね、ねえってば。」

「自白しろ。」

「え……?」

「自白しろ。自白しろ自白しろ自白しろ!!」



 背の高い佐野にぬ、と上から覗き込まれるのは、恐怖以外の何者でもない。



「自白しないなら…………させるまでだ!!!」



 佐野が手を振り上げる。



(な、なんでこんなことに……?!)



 友人たちを見ても、誰も目を合わせてくれない。みんな分かっているはずなのに――



(あ、あ、だ、誰か……助け……)







「ぺげらっ!!!!」



 突然、目の前が開けた。今にも鉄槌を下そうとしていた正義の巨人が、横腹に入った一撃に吹き飛ばされていったのだ。



「な、な……貴様ぁぁぁ!!!許さんぞおおお!!」

「許さないのはこちらです。」



 そう言って杏奈を守るように立ちはだかったのは、薄水色の髪の少女だった。



「お、お前は………………」

「牧原雪凪です。とりあえず、落ち着きません?頭に血、登りすぎです。冷静になりましょう。」



 しかし……冷静ではない人間に「冷静になれ」は、万国共通の失言である。



「俺は!!冷静だーーーーーーーー!!!」



 佐野は山の神の成れの果てのような姿で迫ってきた。



(う、不意打ちならまだしも、流石に体格差が…………)



 と、雪凪が怖気ついた、その時。 

 ガチャリ、とドアを開ける音がし、新たな人物が部屋に入ろうとして…………薄水色と紅色の視線が交差した。ゆっくりと見開かれた猫のような瞳。しかし、すぐさま状況を把握した宗治郎は、佐野を睨みつけながら、口を開き…………








「……ガッ!!!!?」



 佐野は、何が起きたか分からなかった。

 冷たい床の感触。

 全身の痛み。

 何も無いのに……見えない何かにような感覚……これは…………。






「従属の、魔法……。」


 

 雪凪は、ぽかん、と座り込んだまま、宗治郎を見上げた。



 大理石の床を靴音を鳴らしながら宗治郎が近づいてくる。

 息もできないような緊張感。

 静寂……。

 聞こえてくるのは、宗治郎が出す衣擦れの音と、佐野の苦悶の吐息のみ、だった。






「ぐ、うう」



 宗治郎は、佐野の前までやってくると、冷たく問いかけた。



「何を、している。」

「ぐ、う……ぅ」

「何をしているか聞いているんだ。」


 

 佐野は、威圧感のあまりか、話すことができない。



「あ、周君!!あ、あの、さ、佐野君は、周君のためを思って……!」



 驚くべきことに、これだけのことを仕出かしていても、佐野は西川より人望があったようだ。意を決したように話し始めた女生徒に冷めた視線を向けながらも、宗治郎は最後まで、話を聞いた。しかし、魔力の放出を緩めることはしなかった。


 



「ぅ、うう……」




「僕が一番嫌いなもの、分かるか?躾のなってない犬……物分かりの悪い駄犬……ここまで言えば、分かるだろう?」



 全身にかかっていた圧力が消える。

 佐野が、震える手で、上体を支え……顔を上げる。



「今のオマエのことだよ……佐野。」



 照明で逆光となり、宗治郎の表情は見えない。しかし、見えないからこそ、人は勝手に想像し、恐怖心を増長させるのだ。



「ア、ヒ、す、すみません!周君、すみませんっ……!ゆ、許してください……ゆ、許して…………。」

「はあ……どいつもこいつも……いちいち全部説明しなくては分からないのか?」



 宗治郎は、佐野をじ、と見下ろした。

 何の感情も入っていないようで……しかし、確実に何かを訴えるかける、その視線。

 ――分からないか?

 ――――分からないなら、もうオマエは、



「へ?あ、あ、ああ…………」



 佐野はずりずりと両腕で這った状態で、雪凪と、その後ろで呆気に取られたままの杏奈へ近づいていく。



「ヒ、」

「……。」



 ごん、という鈍い音が響く。

 佐野が大理石の床に額を打ちつけた音だった。



「ご、ごめんなしゃい。」



 ごん



「ごめんなしゃい。」



 ごん



「ごめんなしゃ、ごめんなしゃいいいいいいいいい!!!」

「も、もういいですって!!佐野君、やめてください!西川さんも、いいですよね!?」


 


 杏奈は無言のまま、がくがくと首を縦に振った。しかし、



「ごめ、ごめんな、ごめんなしゃ…………」



 がつ、がつ、がつ、



 佐野は止まらない。段々とその額に血が滲んでいく。



「佐野、やめろ。」

「…………。」



 ピタ、と止まった佐野は、そのまま微動だにしない。



 

 痛いほどの静寂。 

 動いていいのは、ただ一人だけ。

 残りの者は、横暴な主人の命に耐える奴隷のように…………悪辣な王の気まぐれに付き合う家臣のように……ただ、嵐が過ぎるのを待つ、それしか無い、と彼らは思った。しかし。




「お前たち、何か勘違いしてないか?」 



 ビクッ、とその場にいた全員が肩を震わせる。



「何度言わせるつもりだ?僕は、」

「ご、ごめんなさい!!」

「ごめんね!西川さん!!」

「あ、あんなちゃ、わ、わたしたち、ずっと一緒に居たよね……ご、ごめんなさ、ごめんなさ…っっ……!」

「牧原さん、だ、大丈夫??」

「ごめんね!!ホントにごめんね!!」

「佐野を止められなくて、すまない!!」



(……う、わ…………)



 必死で謝り続ける少年少女たち。

 その光景は、どう見ても、異様だ…………狂気さえ感じる。


 怖い。

 とても、とても………怖い。


 なのに、この光景を作り出した張本人は、その様子を、を見るように眺めている。


 美しさとは、時に凶器であることを、雪凪は知った。







「佐野。」

「は、はい!!」

「次は、ない。」

「は、はい!!あ、ありがとうございます!か、必ず!挽回してみせます!」

「……お前は僕の何だ?」



 その言葉に、佐野は顔を上げた。

 周宗治郎。

 周宗治郎は、佐野にとって…………。



(彼は……王、だ。俺の、唯一の王。)



 佐野家は代々周家の使を排出してきた家だった。明治に入り、身分制度が撤廃され、徐々に疎遠になっていったが、佐野は宗治郎と初めて会った時のことを忘れられない。


 宗治郎は幼い頃から聡明な子どもだった。大人を相手にしても堂々としていた。何をやらせても一番で、なのにそれを鼻にかけることもしない。いつもにこやかに笑っているのに、本当はちっとも笑っていない。その歪さに、佐野は「王」を見た。


 ――この人だ。

 ――――この人が、俺が、一生をかけてお仕えする、「王」だ。


 惹きつけられた。

 憧れた。

 崇敬した。

 だから、



「お、俺は……周君の、下僕です!!」




 その答えを聞いて宗治郎は、とても美しく、笑った。

























「………………。」



 組んだ両腕を額につけて、宗治郎は押し黙っていた。



「アレ、またソウジローはお疲れかい?」

「……………ソウデスネ……。」

「ふうん、なんか知らないけど毎日大変そうだねえ。」



 ペトラは花のお茶を淹れてくれた。優しい香りに包まれて、ほ、と息をつく。雪凪はそれで、自分が緊張していたことを知った。



「宗治郎君。」

「……やりすぎた…。」



 ため息を一つ着いてからあげた顔はいつも通りだった。薄く笑みを貼り付けた、雪凪の好きじゃない表情。



「けど、佐野も多分、気をつけると思うよ。」



 いや、あんな大惨事が起きたのに、反省していなかったら、むしろ尊敬する……とは思ったが口には出さなかった。雪凪はきちんと空気が読めるので。



「佐野には、呪縛があるんだ。に仕えるという。」



 宗治郎はそう言ってペトラが淹れてくれたお茶を飲んだ。



「馬鹿だよね。何の特にもならないのに。」



 遠くを見るような目をした宗治郎を見て、雪凪は昨日の出来事を思い出した。






 











「なら今ここで、二度と僕の意に背かないと、そう誓え。」



 冷たく言い放たれた言葉に、佐野は歓喜した。



「は、はい!!勿論!勿論です!!!御前を離れず、生命尽きるその日まで、二心なくお仕えするとお誓い致します!!!」



 血が滲む額を床に擦り付ける。

 佐野は笑っていた。

 心の底から喜んでいる顔だった。

 幼子のように、無邪気に。



(ああ、やっと、やっと!!俺の忠誠を認めて下さった!!!)



 何度お願いしても、決して縦には振られなかったこの願い。ようやく宿願がかなった。佐野は、満足だった。



(俺の……王だ………。)



 佐野は、うっとりと宗治郎を見つめた。













(………………あの時の佐野君の表情、やばかったですね…………何か、キメてるような顔でしたもん。)



 それにしたって、二人の間には温度がありすぎだった。思い返してみると、瞳孔開き気味で魔王オーラばちばちの宗治郎によくもまあ、あんな恋する乙女(?)みたいな顔を向けられたよな、と思う。



(私だったら失神してますね)



 雪凪は、涼しい顔でお茶を飲む宗治郎を見つめる。



「?なに?」

「……いいえ、何でも。」

「?」



 雪凪はそっと、スカートを握りしめた。





(…………宗治郎君、君は……佐野君と、本当は違う関係を築きたかったんじゃないですか?)




 だって、あの日……夕暮れの生徒会役員室で話してた人の話……きっと……。



「??雪凪?」

「なんでもないですって。」




 そう。

 だって、もう今更どうしようもない。

 あの時はああするしかなかった。あの場をやり直せたとしても、きっと同じ行動を私はとる、と雪凪は思った。



 だから、雪凪が勝手に苦しいだけなのだ。



 ――――宗治郎と佐野の関係を決める、決定的な瞬間を作ってしまった。きっと、もう、二人は戻れない。




「はーーー……。」

「………………?」




 







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