第4話 バレンタインに嘘をとろりとかけて



 今日はそういう日。チョコの甘い匂いが教室にもわもわと充満している気がして、嫌になる日。私はそんな一日を快適に過ごすべく、友達と「ある計画」を立ててみた。ノリのいいみんなは賛同してくれて、お昼時間に集まることになった。場所は、この美術準備室。私はそこを前にして白い木の引き戸をガラガラと開けた。


 「やあやあやあ。負け組ファイブの皆さん」


 パイプ椅子やら丸椅子やらに座ってた彼女たち4人が、一斉に私を見る。「はぁ」とため息交じりで私に抗議の声を上げる。


 「なんだよ。にゃっこもだろが」とマイルドヤンキー系金持ち女子、あっちょ。

 「ひどいわぁ。そない言うの」とゆるふわ系黒縁メガネ女子、やっちん。

 「私は…、誘われただけだから…」とはにかみ系ショートボブ女子、てち。

 「そういうとこだぞ」とプリンス系のっぽ女子、王子。

 「あはは。そうでしたそうでした」と私はどーもどーも的に笑って、みんなの前に立つ。秒で真剣な表情に戻すと、テーブルをばんと手で叩いた。それからみんなをゆっくり見渡した。


 「改めて問うぞ。バレンタインにチョコを渡すような相手はいないんだよな?」


 みんな黙ってうなづく。あっちょが決め顔で私に言う。


 「告るような男なんかいない歴16年の私に死角はない」

 「女もダメだぞ」

 「あははは、ないって、そんなん」


 げらげらと笑うあっちょに、やっちんがひそひそ話をする仕草で、みんなに聞こえるように言う。


 「あっちょさん聞きましたかー? 七瀬先輩が1年の女の子と抱き合ってたという情報があるんやで」

 「それ、どこ情報だよ」

 「シンタニーニョ情報や」

 「えー、新谷かー。嘘くさいな。ああ、でもさ。そうだとすると最近の先輩の行動がわかりみ深くない?」

 「それなー。ふたりでいなくなってるときって確かにあるねん」

 「「ひゃー」」


 あっちょとやっちんが、ふたりで黄色い声をあげる。私はコホンとわざとらしい咳払いした。


 「ああ、君たち。今日の目的をお忘れなく」

 「忘れないよ。今日はそういう日なんだから」


 王子がうんざりした顔で言う。なんだかかわいそうになって声をかける。


 「毎年チョコの海に沈む王子様は何がお望みだい?」

 「コーヒーお願い」と、王子。

 「私、紅茶がいい」と、あっちょ。

 「砂糖つけたってー」と、やっちん。

 「あ、こっちはミルク入れて欲しい」と、てち。

 「みんなバラバラに注文すなー!」と、私はキレながら笑う。


 この美術準備室には小さな流し台があり、電気ケトルやらマグカップやら、私達のだべり用品一式を置いていた。この部屋の主である三浦先生は、こうして勝手に使っていても、生徒の自主性を重んじるという建前を取りつつ、めんどくさいという本音で、見て見ぬふりをしてくれている。

 大きなペットボトルの水を注いで電気ケトルのスイッチを入れる。みんなが私抜きで適当な話をしている間に、となりの石膏像の裏にサプライズをこっそり隠す。それぞれのカップを古い木の戸棚から台へ並べると、私は彼女たちが待つテーブルの席についた。


 「それではいきますか」

 「いいよ」

 「「「「せーのっ」」」」


 がさっという音を立ててたくさんのチョコたちが、テーブルの上に広がる。


 「「「「おおー」」」」


 みんながその光景ににやけて喜ぶ。

 私はしたり顔で言う。


 「残念な私達が、このバレンタインという死にイベントを幸せに過ごす方法。それが『みんなで好きなチョコを持ち寄ってめっちゃ食べちゃおうぜ』会である」

 「名前長いよ」

 「そういうあっちょはどう?」

 「うん、これは悪くない」

 「チョコいっぱいの幸せ空間やーん」


 やっちんがめっちゃ喜んでる。その隣で王子がひとつの箱を指さす。


 「ちょっと待って。てちが持ってきたのってもしかして」

 「うん……。手作り」


 あっちょが可愛らしいピンクの紙箱から、ハート形のチョコをひとつつまむ。じっくりとそれを見ながら驚いた声をあげる。


 「すごくない、これ。つやつやでさ。売ってるのと変わらないじゃない」

 「いや……。あっちょが言うほどじゃないし……」


 顔を赤くしてうつむいているてちに王子がたずねる。


 「でも、いいの? 誰かに渡すんじゃないの?」

 「これは、そういうのじゃないから……」

 「我が会の趣旨が守られた!」

 「にゃっこ、泣くほどのことかよ」

 「あはは。では、味見しますか」


 いただきますをして、てちのチョコをお口にぱくりとする。


 「「「ううーん。甘ーい。おいしー」」」


 濃くて甘くてとろっとして。ああ、これってヌガーって奴か。

 あっちょが感心したように言う。


 「ちょうどいい感じかな。うん、いいよ。おいしい」

 「ほんと? うれしい。あっちょが言うなら間違いないね」

 「ええ……、なにそれ」

 「なんか高級レストラン食べ歩いていそうだし」

 「そんなに食べてないって」


 やっちんがあっちょへ本場のノリでツッコミを入れる。


 「食べてるんかい」


 みんながあははと笑う。


 「違うぞ、てち。そこは『午前3時のすかいらーくで舎弟を前に冷めたコーヒーをだらだら飲んでいそう』だぞ」

 「おい、えらいピンポイントだな」

 「食べてるのはたらこスパゲッティな」

 「だから、なんでだよ。たらこスパゲッティに恨みでもあるのかよ。食うだろ普通」


 みんながまた笑う。あっちょがたらこスパゲッティ好きなのはみんな知ってるから。私達と最初に食べた味だから。

 カチリという音がして、電気ケトルがお湯が沸いたことを知らせた。

 王子がテーブルに手をついて、よいしょっと立ち上がる。


 「コーヒーいれるね」

 「おお、ありがとう。王子」


 王子が流しの前に立つ。背がすらりと高く、とてもいい姿勢でカップへお湯を注ぐ。


 「お茶を入れる王子もなかなか優雅なものですな……」と私が小声で言うと「そうですな……」とあっちょが相槌を打つ。「デザイン的に優れてる」と、てちが言うと「眼福眼福。ぷくぷくぷく。ありがたやー」とやっちんがおどけて手を合わせる。


 私はその反応が嫌だった。嫌なら自分から言わなきゃいいのに。でも、言わないとおかしいし……。正解がない自問自答を始めてしまう。私は話題を変えたくなって、テーブルの上にあるチョコに手を伸ばした。


 「さて、次はやっちんのかな」

 「お、来たでー。我が故郷の味、モロゾフやー!」

 「あれ、モロゾフってどこだっけ?」

 「神戸やでー」

 「へえ。それで漏れ出る方言がエロいんだ」

 「なんやねん、それ」

 「なんやねんって胸がエロい」

 「関係ないやーん」


 私が胸をつつく真似をすると、やっちんがそれをぺしぺしと叩いて撃墜する。あっちょが「お、ケンカか?買うぜ」みたいなノリで参戦してくる。


 「ねえって。食べようよ」

 「ごめんて、てち。それじゃ…、はむっ。あ、これ、パリパリとする。おいしいな」

 「なめらかだね。チョコの脂質というのかな。それが多いのかも」

 「さすがパティシエ。てちはよく知ってるね」

 「いや……、それはない……」


 てちは照れるとかわいい。私は目をそらしてうつむくその姿が見たくて、こうしてことあるごとにてちを褒めてた。あっちょもやっちんも、それをによによと眺めながらモロゾフのチョコをかじってる。

 王子が私の目の前にカップをほいと差し出した。


 「ほら、にゃっこ。コーヒーね」

 「ありがとう王子」

 「あっちょは、紅茶」

 「うっす」

 「てちは、コーヒーにミルクでよかったっけ」

 「うん」

 「やっちんもコーヒーだよね」

 「あらー、砂糖は?」


 そういえば買い置きも切れてったっけ。私はやっちんに短く言う。


 「砂糖ないぞ。買ってきてないし」

 「なんやてー。ブラックはちょっといややなー」

 「まあ、チョコかじりながら飲めばいいんじゃないの?」

 「にゃっこ天才やー。さすが我が軍師」

 「ほめても何も出ないぞ」

 「そこはてちを見習わんとなー」

 「私はかわいくない女だよ」


 私が少しむくれると、あっちょがいつものように空気を変えようと王子へ話しかける。


 「王子は何持ってきたの?」

 「今まで食べたなかだと、これがおいしくて」

 「あ、ロイズの生チョコだ。……ん? 今まで食べたなかで? それは女子たちにもらったなかで、ということかな?」

 「それは……。ご想像に任せるよ」


 やっちんが私に楽しそうに振り向く。


 「私はうっかり見てしまったねん……。今朝、王子の下駄箱からチョコがあふれたとこを……」

 「なんだと。それじゃアニメかラノベじゃないか」

 「いやー、現実にそんなことがあるなんて、私は恐怖に震えましたわー」

 「もう。仕方ないじゃないか。そういう日なんだし」


 苦笑いする王子に、そんなに仕方ないなら、髪を伸ばして女の子らしくすれば……と言いかけて止めてしまった。

 その代わりに私が生チョコをほおばる。


 「とろけるー! まったーり!」

 「英語で言うとメルティやねんなー」

 「おいしい……」


 あっちょが生チョコを食べながら、気が付いたように言う。


 「あれ、そういえばにゃっこのは?」

 「忘れた」

 「ええー。ありえなくない?」

 「まあまあ。明日マックでもおごってやるから」

 「主催者がそれとはたるんどるぞ」

 「え、おなかのこと?」

 「むにむにしてやろうか?」

 「あはは」


 手を伸ばしてきたあっちょの手を私がぺしぺし叩く。

 王子がそこに割り込む。


 「あっちょは何持ってきたの?」

 「ああ。これ。これだよ」


 これまたシンプルな黒い箱だった。中は大きな枝っぽい、ごつこつとした棒のようなチョコが何個も入ってた。


 「どうせあれだろ、ゴディバとかだろ」と、私。

 「ピエール・エルメ・パリかもー」と、やっちん。

 「ジャン=シャルル・ロシュ―とか」と、てち。

 「和光という手も」と、王子。


 あっちょがこめかみを押さえて言う。


 「ちょっと待て、お前ら。やけに詳しいな」

 「それはまあ。彼氏いなくてもおいしいチョコは探すし……」と言うてちに「悲しいな、おい……。泣くぞ」とあっちょが肩に手を回す。「まあまあ。食べようよ」と王子は微笑んで言う。


 私はあっちょのチョコを手に取る。大きいのでひとかじり。……お? なんだこれ。


 「オレンジに緑系のすがすがしい香り…。食べたことない味だな……」

 「でしょー。いやあ、どうせならみんなにおいしいの食べさせたくてさ」

 「おいしいけど、この香り何?」

 「山椒なんだって」

 「うなぎにかける?」

 「そ」

 「へえー。まさかこれ、売り物じゃなくて……」

 「そ、作ってもらった。成田さんに」

 「は? 成田さんis誰?」

 「有名な人らしいけど。最近麻布のお店閉じちゃってさ。常連特権で作ってもらって…、ってその顔なに?」

 「こいつ、金持ち過ぎる……」

 「普通じゃない? たまに作ってもらってるし」

 「ゴディバなんか目じゃないな……。値段ないし、これ」

 「でも、おいしかったでしょ?」


 それぞれ「うん」「それはもう」と言い出す。


 「じゃ、いいじゃん。私はそれでおっけーだから」


 あっちょはいつもそう。みんなが喜ぶとあっちょはとてもうれしそうに笑う。

 私はテーブルのチョコたちを見渡す。


 「しかし、甲乙つけがたいな」

 「私は……、生チョコがいい」

 「とろっとしているところがいいねんなー」

 「ってか、うちら食べすぎじゃね?」

 「ほんとそれな」


 みんなの笑い声に校舎に鐘の音が混ざりあう。


 「あれ、もう予鈴か」


 残念がるあっちょに私は立ちながら声をかける。


 「んじゃま、私が適当に片付けておくから」

 「いいの?」

 「すぐ終わるし。帰った帰った。次は志賀っちょ先生の数学だろ」

 「あ、そうか。私、日直だった」

 「ほらほら」


 引き戸を開けてやる。「じゃまた放課後―」「ありがとうな」「またね」とそれぞれ言いながら、私以外は教室へと戻っていく。

 私は一番後ろを行くその人に向けて声をかける。


 「てち、がんばりなよー」

 「え、うん…。ありがとう……。がんばる。ふんす!」

 「あはは」


 てちは普段そんなことしないのに。おどけた姿につい笑ってしまった。




 みんな教室に帰ってくのを眺めた後、引き戸を閉めて流し台へ戻る。しなびたスポンジに洗剤をつけて、みんなのカップを洗っていく。

 水を流し始めたときに、引き戸がガラガラと開いた。

 振り向かずに私はカップを洗い続けた。誰かはわかっていたから。


 「忘れ物かい?」

 「うん、忘れ物」


 後ろから王子に抱きしめられる。私より頭ひとつぶん背が高いせいか、王子に抱きしめられるとすっぽりと包まれた感覚がする。それはあたたかくてやさしくて……。このまま目をつむって感じていたい。けど……。

 私は気持ちを切り替えるように王子へ話しかける。


 「そんなことしてたらみんなに見つかるぞ」

 「カギ閉めたから」


 私はため息をつくと、コップについた洗剤を水で流していく。


 「王子は、チョコ食べてなかったね」

 「にゃっこのを先に食べたくて」

 「まったく。王子と言われるわりには、乙女だな」

 「いや……」

 「王子、いまマンガだったら『かあああーっ』って後ろに文字が書かれてるよ」

 「にゃっこだって、耳赤いよ」


 王子が私の耳を甘噛みした。擬音で言えば「かぷっ」という感じ。


 「んっっ!!」


 びくびくっと体が反応してしまう。立っていられなくなり、思わず流しのふちをつかんだ。

 王子の手で太ももをなでられたり、王子の舌が胸を這っていく感触……。体が覚えているそれが一斉によみがえる。


 「こら……。王子のバカ」

 「にゃっこ、かわいい」

 「違う。これは思い出しビクビクだ。断じて耳で感じたわけでは……」

 「本当に?」


 王子が後ろから強く深々と吸い込むように私を抱きしめる。私はそれに何かを感じて、思ったことを言う。


 「なあ王子。嫉妬すんなよ」

 「やだ。嫉妬したい。他の子の体を触ったり話しかけて欲しくない」

 「困った王子だな」


 私は手を軽く拭き、石膏像の奥へ隠しといた箱を取り出す。


 「これあげるから許せ」

 「持ってきてたんだ」

 「そゆこと」


 王子が体を離す。渡した箱を私のすぐそばで不器用に包装を剥いでいく。そこにも結構手間がかかってんだぞと思いながら見守る。ようやくでてきた丸い小さなチョコを、王子は指でつまんでぱくりと口に入れた。


 「あ、おいしい。あれ。これって、ココナッツにオレンジピールだよね。ざくざくしてるのが楽しいな」

 「王子が好きなの全部入れて作ったよ」

 「ありがとう。ほんとは生チョコなんか好きじゃなくてさ。どうでもよかったんだ。売り場で目に付いただけで」

 「そうだと思ったよ。嬉しい?」

 「うん、それはもう。にゃっこが私のために作ったんだし」

 「まあな。とりあえず、よかった」


 笑顔で答えたあと、私はまた洗い物に戻る。王子が不思議そうに言う。


 「どうしてみんなにこれ出さなかったの?」

 「てちのと、かぶるじゃんか」

 「手作りが、ってこと?」

 「それもあるけど……。てちには好きな人がいるんだよ。こないだ私にだけ教えていった」

 「初耳。誰?」

 「お前だよ、バカ」

 「え、嘘?」

 「にぶいなあ、もう」

 「いやあ……ぜんぜんわからなかった」


 洗い物を終えた私が、ふきんで手を拭きながら、少しうろたえている王子に向き合う。


 「放課後、てちからチョコを受け取ってあげろよ。もう1箱持ってたから」

 「まあ……。え、でも。どうしよ?」

 「素知らぬ顔して受け取って、ホワイトデー期待しててね、ぐらいは言って差し上げろ」

 「そうだけどさ……。なんか悪い感じがして」

 「そうでもしないと、てちが泣くぞ」

 「うーん。それはしたくないけど……」

 「必要な嘘なんだよ、これは」

 「私達のことをみんなに隠してるのも?」

 「そうだよ。仲良し5人組が楽しい高校生活をこれからも過ごすためにはね」

 「寂しいな」

 「安心しろ、私もだから」


 王子を少しだけ見つめた。王子の整った顔に手で触れる。こういう関係を望んだのは私からだった。私は王子にそうさせてしまった罪の意識で目をそらす。それを感じた王子が私の腰をつかんで抱き寄せる。


 「ねえ、いまキスしたらどんな味だろう?」

 「変態め」

 「にゃっこのほうが変態だと思うけどな。昨日だって……」

 「うっさい。そんなこと言う口はこうしてやる」


 少し背伸びする。王子の首に腕を回して顔を近づける。王子が目をつむって私に唇を重ねてくれる。ついばむようなキスにするつもりだったのに、王子はそれがもう当たり前のように私の舌を吸う。

 舌先が絡むたびにとろりとした味がまじりあう。ふたりの嘘でできたその味は、とても甘くて少し苦くて、そしてせつなくて……。



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