さらば、愛しきマムート!『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第20話』

■5月7日 (月曜日) フェアヒラント村の艀乗り場からエルベ川へ


「気を付け!」

 マムートの正面に整列した全員が、直立不動(ちょくりつふどう)の姿勢を取り、メルキセデク軍曹の言葉を聞く。

 後ろに組んだ手に持つのは、あのキューポラの上に差して日除(ひよ)けにしていた日傘(ひがさ)だ。

 てっきり、被弾や爆風で吹き飛ばされて失(うしな)われたと思っていたのに、しっかり戦闘前に仕舞(しま)っていて西岸へ持って行くつもりなのだろう。

 巻(ま)いて畳(たた)んだ日傘を持つ軍曹は、まるで、映画館で観た戦争映画に登場する、イギリス軍のステッキを持つ貴族の将校みたいに凛々(りり)しく見える。

「最善を尽(つ)くして義務を果(は)たし、此処(ここ)にいる。俺達は誇(ほこ)れる事を成(な)し遂(と)げたんだ。周(まわ)りを見てみろ。もう誰(だれ)も残っていない。あの2艘(そう)の艀(はしけ)が最後だ。そして、これから、全弾を撃ち尽くすまで敵を撃滅(げきめつ)し続けて俺達を守り、俺達を生き残らせてくれたマムートを、エルベの川底深く沈める。この場に放棄(ほうき)してソ連軍に鹵獲(ろかく)させるに忍(しの)びない。以上!」

「軍曹殿に敬礼(けいれい)!」

「回れ、右! マムートに敬礼!」

 バラキエル伍長の掛け声で回れ右をした横1列に、軍曹も並んでマムートに健闘(けんとう)と戦果を讃(たた)え、感謝と別れの敬礼をする。

「これより、マムートをエルベ川の中へ進ませ、我々は向こう岸、……西側へ渡る。掛(かか)れ!」

 タブリスとメルキセデク軍曹がマムートに乗り込むと、エンジンを噴(ふ)して砲塔を真後(まうし)ろへ回した。

 他の四人(よにん)は、突撃銃を抱(かか)えて後部上面のエンジングリルに座(すわ)り、迫(せま)り来るソ連兵を警戒した。

 10個の空のジェリカンを繋(つな)ぎ合わせて岸辺に浮かぶ筏(いかだ)には、残されていたカバンやバックは中身を捨(す)て、食い物や生活道具をパンパンに詰(つ)めて乗せられている。

 其(そ)の筏に結(むす)ばれたロープを握(にぎ)るラグエルとイスラフェルの腰には、浮き輪代わりにジェリカンが一(ひと)つ縛られていて、僕と伍長の首にも細いロープで繋げた二(ふた)つのジェリカンが浮き輪として掛けられていた。

「タブリス、前進だ」

 キューポラから上半身を出している軍曹が頃合(ころあ)いを見て、マムートを発進させた。

 エンジングリルに座る僕達を転(ころ)げ落ちそうにさせるくらい大きく車体を揺(ゆ)らしながらマムートは川に入り、ゆっくりと水面(みなも)を進んで行く。

 転輪と履帯が完全に水面下になった岸から30mほどの辺(あた)りで、筏に結んだロープを手繰(たぐ)り寄せていたラグエルが、軍曹に敬礼しながら『先に行っています』と告(つ)げて、イスラフェルと一緒(いっしょ)に水に入り、筏を押しながら流れに乗って対岸の方へ泳(およ)いで行った。

 続いて伍長も、軍曹に『先に行きます』と、敬礼して泳ぎ始めた。

 軍曹とタブリスの分のジェリカンは、キューポラのレールに結んである。

 それを見ていた僕は、まだ、遣(や)り遂げなければならない事が有ると悟(さと)った。

 立ち上がった僕は、軍曹に近付いて悟った事を言葉にした。

「軍曹、僕が残ってタブリスを補佐(ほさ)します。体が小さい僕の方が、車内を動き易(やす)いですし、脱出を手伝えます。御願いです。僕に残らせてください」

 少し驚(おどろ)いた顔になった軍曹が、上官と車長の立場から困(こま)った素振(そぶ)りをする。

「アル、泳ぎはできるか?」

「はい、速いですよ。遠泳も得意(とくい)です」

「そうか、俺は、泳ぎが得意じゃないんだよな。アルが、其処(そこ)まで交代を進言してくれるのなら、タブリスを頼(たの)めるかな」

「了解しました。ありがとうございます。軍曹」

「御前(おまえ)にも、ありがとうだ、アル。無事に渡って来いよ」

 そう言った軍曹はキューポラから出て、首に掛けていたジェリカンを僕から受け取ると、うねる流れの中をバチャバチャと下手(へた)な泳ぎで向こう岸へ近付いて行った。

 軍曹が川に入った後、僕は砲塔内へ入り、少しでも浮力(ふりょく)を保(たも)とうと、キューポラのハッチを閉(と)じてから持ち場の無線手席に向かう。

 操縦手席の隣の無線手席に、いつものように座る僕を、『なんで、御前が残っているんだ?』と、不思議(ふしぎ)そうにタブリスが見ている。

「軍曹と交代して貰(もら)ったんだ。僕が付き合うよ。タブリス」

「いいのか、アル」

「いいさ。泳ぐのは得意だし、それに、僕の方が気楽だろ」

「あはっ、そうか。そうだな」

 笑うタブリスに、空想科学冒険小説『海底2万リュー』の海底探検する気分になってしまう。

『ガクン、ゴトッ、ゴトゴトッ』、流れの主流まで達(たっ)したのか、マムートが右へ大きく揺られて向きを変えた。

 あれだけ被弾(ひだん)しているのに亀裂(きれつ)や隙間(すきま)が発生していない様子で、内部の何処(どこ)からも水道の蛇口(じゃぐち)から水が出ている様な音は聞こえて来なくて、僕はダブリス達の仕事の良さに感謝した。

 全(すべ)てのハッチを閉じた車内に空気の浮力が有るとはいえ、100tを越す重量のマムートを、其(そ)の高密閉性と大流量で高圧力の流れの所為(せい)なのか、沈(しず)ませながらも、全ての転輪のサスペンションが伸び切って垂(た)れ下がったかの様に、フワフワと漂(ただよ)う感じをさせて、深みへと運んで行く。

 無線手席のペリスコープに水面が迫(せま)り、タブリスに、『もう脱出しても、いいんじゃないか?』と、言い掛けた時、僕へ振り向いたタブリスが、忙(せわ)しない早口(はやくち)で言った。

「脱出だ、アル! 直ぐに、深みへ沈むぞ! 急(いそ)いでキューポラから出るんだ。先に行け!」

 彼の声に呼応(こおう)するかのように、無線手席のペリスコープのミラーに水中から見上げる水面が広がり、頭上の車体上面のハッチの隙間からバチャ、バチャ、バチャと冷たい川水が落ちて来出した。

 後部上面のエンジングリルのスリットから入った水がキャブレターを塞(ふさ)いだのか、ピタリとマムートのエンジンが止まり、車内に鳴(な)り響(ひび)いていた12気筒の拍動(はくどう)と排気音と多くの金属の触(ふ)れ合う騒(さわ)がしさが消え、代わって『ゴボゴボ、ゴォォォ』と、マムートを巻き込んで流れる水の泡立(あわだ)つ音が大きく聞こえ出した。

 直(す)ぐに席を離れて砲塔バスケットの床(ゆか)に飛び込み、装填手席から砲尾の上へ上がり、更(さら)に、軍曹が座っていた車長席に立った。

 キューポラに備(そな)え付けられている、全周視認用の七(なな)つのペリスコープから外の様子を確認する。

「タブリス! 砲身が水面に沈んだばかりだ! 水はまだ、砲塔の上に来ていない!」

 そう大声で言って、キューポラのハッチの開閉レバーを握(にぎ)りながら、後ろを振り返ると、タブリスが来ていない。

 何処に行ったと、屈(かが)んで真下の床から操縦席へと、タブリスを探(さが)して視線を流す。

《いた! ……なんか、もたついている》

「タブリス! 其処(そこ)で、何をしているんだ! 早く来い!」

 ターレットバスケットの縁(ふち)に座る彼の後姿が見え、何やら、焦(あせ)ったように肩と背中が動いていた。

「右足が引っ掛かって抜(ぬ)けないんだ! アル! 助けてくれ! 手が届(とど)かない!」

「分かった! 今行く!」

 助けを求(もと)めたタブリスに、『其処へ行く』と、即答(そくとう)してしまった僕は、彼を助けられるか不安になった。

 『助ける事ができた時点で、既(すで)に、キューポラまで水没していれば、水圧でハッチが開けられなくなってしまい、車内に水が満ちて、ハッチを開く事ができるまで、冷たい水に浸(つ)かる命は耐(た)えられそうもないし、彼を見捨(みす)てて脱出する無感情さも、僕は持ち合わせてないから、最善(さいぜん)を尽くすしかないな』と、考えている内に、タブリスの処(ところ)まで来てしまった。

「どうしたんだ。足が抜けないのか?」

 先(ま)ず彼に状況を尋(たず)ねながら僕は、彼の足許(あしもと)の状態を手探りで調べる。

 車内灯を全て点(とも)しているのに、其処だけは影になっていて、しかも、腿(もも)まで来ている水に水中の状態が全く見えていなかった。それでも、タブリスを助けなければならない。

「足が抜(ぬ)けないんだ。ブーツが何かに引っ掛かっている。押しても、引いても外(はず)れない。頼む、何とか外してくれぇー!」

 ブーツを探(さぐ)る指が、レバーの曲がり部分に絡(から)む靴紐(くつひも)に触れた。

「何かのレバーがブーツの紐(ひも)の間に嵌(はま)っている。今外すから、ちょっと動かないでくれ」

「ああっ、水が上がって来ている。早く、早く! 俺は泳げないんだぁー。アル、助けてくれ!」

 いつものクールさが、微塵(みじん)にも感じられないタブリスが、情(なさ)けない声を上げて僕に懇願(こんがん)している。

「分かった、分かっている。何とかするから、足を動かすな」

 手許(てもと)が見えないまま、手探(てさぐ)りで彼の靴紐を解(ほど)いた。

「よし、ブーツを脱(ぬ)がすから、足を引いてくれ」

 ダブリスが足を引くと、スルリと簡単に足先がブーツから抜けて、彼の体は自由になった。

「アル! 足が抜けた。動けるぞ!」

 悲鳴(ひめい)に近い声が聞こえて、ターレットバスケットの床に立ち上がる彼を見ると、嬉(うれ)しそうな笑顔で僕を見ていた。

(そんなに喜(よろこ)ぶなよ、ダブリス。外へ出れば、川の真ん中だぞ。泳げないんだろう。岸辺までソ連兵が来ていたら射(う)たれるんだぜ)

「早くハッチを開けて出るんだ! 出たら伏(ふ)せるんだぞ! 敵がいるぞ! 早く出ろ、ダブリス。マムートが沈むぞ!」

 短い編(あ)み上げブーツから足を抜き取って自由に動けるようになったタブリスを、キューポラのハッチの方へ押し遣(や)った。それから、もう腰までの深さになった水に潜(もぐ)って、手探りで嵌(は)まり込んでいたレバーの間から彼のブーツを取り出して、タブリスの後を追った。

 重い水の流れが、どんどんマムートを深みへ運んで行き、砲尾の上に乗ってタブリスに追い着いた時は、砲塔の天井に頭が着いて、胸まで水面(すいめん)に追い着かれていた。

「アッ、アル! 上手く体が動かない。手伝ってくれ!」

 冷たい水に浸(つ)かった所為(せい)で、ガタガタと全身が震えて動きの鈍(にぶ)いタブリスは、上手くハッチを開かせていたが、もたついて僕の脱出を阻(はば)んでいる。

 ダブリスは、キューポラから出ようと苦労(くろう)していた。

 冷えた体の萎縮(いしゅく)する筋肉で手足に力が入らないのと、周りに広がる水面への恐怖(きょうふ)に、彼は体を支(ささ)える事が出来ず、全然、真上のハッチから出られていない。

「分かった。今、出してやる。出ても溺(おぼ)れるなよ」

 仕様が無いので僕は、彼の両足を抱(だ)くように持って砲塔上へ押し出し、続いて僕も、急いで川面(かわも)に洗(あら)われている砲塔上に出て伏せた。

「ダブリス、大丈夫か?」

「ああ……、なんとか……、でも、体が痺(しび)れて感覚が無い……」

「おいおい、しっかりしろよ。もうちょっとなんだから。聞いてんのかぁ、ダブリス。おーい」

 コクコクと、頭を振って頷(うなず)くダブリスに、早く向こう岸へ渡らないと、迫る危険の予感に不味(まず)いと気持ちが焦った。

 急に元気が無くなったダブリスは、水に浸かり始めた砲塔上に猫(ねこ)のように蹲(うずくま)ってしまう。

(全く、寒さに弱い奴だなあ。それに泳げないし。本当に早くしないと、二人とも流されて、溺れるか、凍死(とうし)しちまう)


つづく

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