回想 エルベの渡し場を襲撃するソ連空軍機の群れ『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第11話』

■5月6日 (日曜日) フェアヒラント駅近くの守備位置


 ドイツ軍には珍しく真夜中の午前3時から強行された1個中隊規模の戦車と突撃砲の混合戦力を主体として、各種兵科の志願者で編制された1個連隊の兵力にも満たない戦闘団による夜戦の反撃は、明け方まで戦闘騒音の響(ひび)きが続き、戦闘の行方(ゆくえ)の気掛(きが)かりと心配の緊張(きんちょう)はピークに達して、興奮して冴(さ)え切った頭と目に全然眠れず、再(ふたた)び眠り直(なお)すどころではなかった。

 森の向こうのアルテンプラトウ村とゲンティンの町の方向から2時間ほどの間、激しい射撃音と爆発音の轟(とどろき)が響(ひび)いて、南東の空が地上の戦闘に因(よ)る大小の閃光や連続した輝きで朝焼けのように明るくなり続けていたが、其の後は散発的な射撃音と爆発音が聞こえて来る撃ち掛け合いになり、それらも、夜明けと共に止(や)んで静かになり、侵攻していた敵にも、反撃した戦闘団にも、全く動きが見られない。

 其(そ)の静けさに誰もが、壊滅的(かいめつてき)な損害を戦闘団が被(かぶ)ったのを悟(さと)っていた。そして、早朝の白い靄(もや)に包まれた森の中から現れる敵軍と、白い靄が立ち込める草原を前屈みで潜むように動き回る敵の斥候兵(せっこうへい)を警戒した。だが、ソ連軍は戦闘団の反撃で大きな損害を被(こうむ)ったのか、攻(せ)めて来る気配はなかった。

 ソ連軍の攻勢を警戒する中、昨日と同じメニューの美味(びみ)な朝飯を運んで来た運転手は、昨日とは違った白髪混じりの老練(ろうれん)な炊事兵(すいじへい)で、彼は未明の反撃の様子を話してくれた。

 反撃はゼードルフ村からゲンティン駅へと線路沿いの国道を、未明にの反撃を敢行(かんこう)した戦闘団のパンター戦車の中隊は、アルテンプラトウ村とゲンティンの町の通りや広場に集結して攻撃の為の再編成中のソ連軍戦車軍団の真っただ中へ強襲して、集結したソ連軍の戦車や砲兵部隊を次々と破壊しながら橋を渡ってゲンティン駅まで攻め込んだ。

 アルテンプラトウ村の中を通るニーレボック村への街道に並んでいた敵の重戦車中隊の半数以上と、ゼードルフ村へ進もうとしていた戦車縦列の全車を撃破した。更に、運河沿いに砲列を敷(し)いた敵の砲兵部隊も潰(つぶ)したが、戦闘団の主力は戦車の全車が擱座(かくざ)破壊され、戦車隊に随伴(ずいはん)した主力の装甲車部隊まで全滅して仕舞(しま)った。そして、戦闘に加わった主力部隊の装甲車輛は1輌も戻って来ていなかった。

 戦闘団の主力から別れてアルテンプラトウ村の西側に在るゼードルフ村へと向かった戦車小隊と、東側に在るブラッティン村へと迂回(うかい)するように進んだ装甲車輛小隊は、小競(こぜ)り合いの戦闘だけで被害も無く、主力部隊が鎮圧(ちんあつ)されて反撃が行き詰まると、ブラッティン村へと進んだ小隊は速(すみ)やかに撤退して来ていたが、ゼードルフ村に到達できた戦車小隊は防衛戦の前衛として其の場に留(とど)まっているそうだ。

 戦闘団の戦車に袴乗した兵士や装甲車に搭乗していた兵士の大半が外国人の義勇兵達だったと、夜の森の中をアルテンプラトウ村の近くまで見に行っていた彼は、其の戦闘全般の様子を話してくれた。

 明日は終焉を迎える世界大戦を侵略的に始めたドイツ第3帝国に賛同して加担した外国の義勇兵達……。

 それぞれの義勇兵には、それぞれの義勇兵になった理由が有る筈(はず)だ。

 共産主義社会や君主政治の統制された不自由な体制などへの反発的な主義主張、ナチス党の国家全体主義体制への賛同など、建前では金銭的報酬を求めずに、自(みずか)ら志願した者は正規軍の外人部隊に入隊できて戦時国際法で人権が保障される。だが、困窮(こんきゅう)した生活から脱出する為(ため)の金銭的報酬への渇望(かつぼう)から、ただ単に殺戮(さつりく)や略奪(りゃくだつ)が合法的な犯罪になるからを理由とした無職者や無秩序者(むちつじょしゃ)やサディストなど、傭兵(ようへい)の方が向いている者も多い。

 敵国の占領地で反体制派だったり、雇(やと)われたりして民兵組織に参加した者は、戦況悪化に因るドイツの後退と共にドイツ本土まで移動して来ている。

 彼らは第3帝国の崩壊降伏で降伏投降しても、反逆者、売国奴(ばいこくど)、略奪者、殺人者とされて、奴隷(どれい)のような無期限の重労働を強要さたり、簡易戦争裁判で重罪の戦争犯罪人の判決で即時死刑になる事も有り得るだろう。

 捕虜になって母国に強制送還され、社会から受ける過酷(かこく)で惨(みじ)めな扱(あつか)を受けるよりは、嫌悪(けんお)する敵との戦闘で果敢(かかん)に戦い、華々(はなばな)しく散りたいと考えるのは充分に理解できるのだけど、其の悲痛さに僕は憂(うれ)いて俯(うつむ)いてしまう。

 朝食を済(す)ます頃には、霧よりも薄い靄が晴れ初めて、上空は昨日よりも高い雲が空に広がっているのが分かり、当然の如(ごと)くソ連軍機の襲来(しゅうらい)が予想されて、クルーの三人は地上を、三人は上空を警戒する事になった。

 未明の激しい戦いにソ連軍の攻勢を予想したアメリカは、とばっちりの被害を避(さ)けて、岸辺から2㎞ほど離れた丘陵の向こうまで撤退(てったい)して仕舞い、其の事を河畔(かはん)に集まっていた人達は知って、予(あらかじ)め探(さが)して用意していた全(すべ)ての浮き舟でエルベ川を渡り始めた。

 一斉に避難民達がエルベ川を渡り出したのを知られたのか、1時間も経(た)たずにソ連空軍の双発爆撃機の編隊が雲間から現れ、低空で河畔を襲(おそ)う。

 高度3000m辺りに薄く広がる曇(くも)り空を背景に、ソ連機のシルエットがはっきり分かり、猛烈(もうれつ)に撃ち上げる対空機関砲の曳光弾(えいこうだん)の火線が、次々とダイブで迫(せま)り来る双発の攻撃機の先へ、先へと流れ、被弾(ひだん)に砕(くだ)けて裂(さ)ける翼や胴体からパラパラと散り落ちる破片が見えて、空のあちら、こちらで煙を引いたり、火を噴(ふ)き出した敵機がクルクルと舞い落ちていた。

 落ちるのが見えたのは5機で、1機は上空で炎の塊となって爆発四散し、辺りに破片を撒き散らした。

 1機がエルベ川の対岸の方へ落ちて炎(ほのお)と黒煙が立ち、南の森の中へ2機が消えた。だが爆発で上がった炎は一つ(ひとつ)だけしか見えなかった。そして、目の前の牧草地に双発機が滑(すべ)るように不時着(ふじちゃく)して来ると、バラキエル伍長がメルキセデク軍曹の命令を待たずに同軸機銃で撃ち続けて、誰も脱出しないままに爆発させた。

 空襲は、太陽が傾(かたむ)き出すまで執拗(しつよう)に続き、ソ連空軍の引き上げが始(はじ)まるまでに、更に、5機が撃墜されるのを見ていた。

 味方は河川敷に落ちた爆弾で多くの避難民が犠牲(ぎせい)になったが、2隻の艀(はしけ)は軽微(けいび)な損傷のみで無事だった。

 フェアヒラント村の家屋が10棟も燃え、平地の対空陣地が二つ(ふたつ)潰(つぶ)されて、4連装の20㎜機関砲が1基と単装の37㎜機関砲が1門、お釈迦(しゃか)になって、操作要員の全員が死傷していた。

 南隣のディアベン村とノイディアベン村、東側のニーレボック村も被害を被(かぶ)り、幾条(いくじょう)もの上がる煙と焼け落ちる家が見えた。

「とうとうソ連軍は、集まって来る避難民達を東へ戻すのと、ドイツ兵達を捕虜にするのを諦(あきら)めて、抹殺(まっさつ)する事にしたようだな。明日は地上攻撃が、空からと砲撃に支援されて、激しく来るぞ!」

 昼過ぎには、南東の森の一部を伐採(ばっさい)した送電線の鉄塔が並ぶ切り通しの向こうに在るゼードルフ村の辺りから多くの黒煙が立つのが見え、聞こえて来た激しい銃砲撃の響きは、日没真際にピタリと止んで静かになった。

「南の森の向こうの防衛線は、ロスケに破(やぶ)られたようだな。昨日の未明に反撃に出てゼードルフ村に留まっていた戦車小隊は、新(あら)たな動きの無い様子から、残念だが全滅したのだろう。明日はそっちからと、ノイディアベン村から廻(まわ)られて来るな」

 明日は、正面の左から右までの全てから敵が攻めて来るから覚悟(かくご)しろと、軍曹は言っている。

 右側のエルベ川へ至(いた)る退路を断たれたら、『明日は生き残れない』と、晩飯のデカくて柔らかい肉がゴロゴロと入ったビーフシチューに、デカい草刈り鎌(かま)を肩に掛けて真横に座る死神の気配を感じながらも、屍(しかばね)や不具者(ふぐしゃ)になる恐怖に苛(さいな)まれる事も無く、香りと味わいを楽しんでしまう。

 僕の不安と恐怖と怯(おび)えは、シュパンダウの大通りとアルテンプラトウの駅舎前に置きっぱなしになっているのかも知れない。

 実際に直面していない事を予想して深刻(しんこく)に悩(なや)むと、溜(た)め息ばかりが出て、圧迫されて息苦しくなる胸と、速くなる動悸(どうき)の心臓に食欲が無くなって、飯(めし)が不味(まず)くなるので、クルーの誰しもが軍曹の言葉を聞き流して不安材料を話題にしない。

 食後は携行食のチョコバーとフルーツバーでデザートと洒落(しゃれ)て、まだ少し空腹の、デカい肉でも満たされ切れていない胃袋に、味気ない水筒の水よりも遥(はる)かに嬉(うれ)しい、新鮮な卵と牛乳と砂糖を掻(か)き混(ま)ぜて作ったミルクセーキを流し込んだ。

(でも……、こんなまともな食事は、明日の朝が、最後になっちまいそうだなぁ……)

 最後になるかも知れない晩餐(ばんさん)が済(す)み、交代で警戒配置に就(つ)こうとした時にメルキセデク軍曹が、訓示(くんじ)のような言葉と東洋宗教の悟(さと)りのような事を語(かた)り出した。

「未明の混乱から立ち直ったロスケどもは明日、必ず攻めて来るぞ! フェアヒラントに集まっているドイツ人を一網打尽(いちもうだじん)にするつもりだ! 今日の未明に行なわれた反撃よりも、ずっと激しい戦いになるだろう。でも俺達は、エイジスの盾(たて)となるマムートで、最後の弾を撃ち尽(つ)くすまで、守り抜くんだ!」

 既に焚(た)き火の周りはクルー達だけになっている。

 軍曹は、焚き火に照らされて赤い顔の僕達を見回しながら、力強く言葉を続ける。

「幸(さいわ)いにマムートの装甲は厚く、特に、此の2(ツバァイ)は使われている鋼材の質は良い。車体前面と砲塔は傾斜した形状で避弾経始(ひだんけいし)に優れていて、敵の新型T34の口径85㎜やスターリン重戦車の口径122㎜の徹甲弾は弾(はじ)かれるか、突き刺さっても耐えられて貫通はしない。敵の戦車砲弾だけでは我々を殺傷し難(にく)いと思っているが、戦場では予期しない事ばかりが起きて、予想もしていなかった場所を貫通して来てた敵弾が、我々を酷い目に遭わせるかも知れない」

 殺し合うのが戦争だから、クルーの誰(だれ)しもが死傷するリスクを負(お)う。

 マムートは破壊され、六人全員が戦死するかも知れない。

「貫通弾の破片や溶解した鉄の噴流を浴びてしまったり、ハッチから頭を出して索敵中に狙撃(そげき)されて額に風穴(かざあな)を開けられたり、脱出中にズタボロに銃撃されてしまったら、魂(たましい)が身体から離れて天国へ昇るか、地獄へ落ちてしまうだろう。死ぬのは一瞬だ。大怪我(おおけが)で苦しみ続けた果てでも、死は一瞬で訪(おとず)れて全てを消し去って行く。さて、俺が経験した負傷した時の話で申し訳無いが……、あれは小休止で停止した車列の中で自分が指揮する戦車の上に立ち、周囲に敵の動きがないか双眼鏡で探っていた時だった。気付けずに見逃していた敵からなのか、まだ見ていない方向に潜んでいた敵からなのか、其の死神の大鎌は突然に遣って来た。ガーンと大きな音が足元の砲塔から聞こえて来たのと同時に闇で真っ暗になった。それっきりだ。そう、先(ま)ず……とって言っても後は無いが、いきなり真っ暗になるんだ。……それで終わりさ。人生が終わるし、生きているのも終わり。……そうなって、死んでしまうんだ……」

 神妙(しんみょう)に話す軍曹の声の厳(おごそ)かな響きが、人生の最期の瞬間をイメージさせて、瞼(まぶた)を閉じて眠りに付くのが怖くなってしまいそうだと思う。

「俺は運良く、V字に広く掘られた側溝だと思う所へ飛ばされていて、気が付くと仰向(あおむ)けで全身が痺(しび)れて感覚を感じていなかった。手足は動かせず、頭や顔から出血しているらしく、左目の視界は真っ赤、右目は無事のようで冬の澄み切った青空が見えたよ。そして、再び気を失った。……後で知らされた鉄片で抉(えぐ)られた頭の傷は直ぐには死なない程度だっただけで、其のまま気絶していたら容態は悪化して身体は朽(く)ちるままか、戦果の確認に来た敵兵に止(とど)めを刺されて、此処には居なかっただろうな……」

 散々(さんざん)苦しみながら迎える闇より、一瞬で闇へと至(いた)る事を、僕は望(のぞ)みたい。

「召(め)されなくて重度の火傷を負ったり、手足を失(うしな)ったりして醜(みにく)くい容姿に変形した身体に、生涯、辛(つら)い後遺症に悩(なや)まされても、生き残った事に、生きている事に、感謝するんだ! たった一人(ひとり)の生き残りになっても悔(く)やむな! 生き残っている事に感謝するんだ。辛くても、苦しくても、悲しくても、それを楽しむくらいに生き続けろ! 武器を手にしての俺達の戦いは明日で終わるだろう。だが、生き残ったら、生き続ける義務を果たせ! 幸せな日常を目指すんだ!」

 何時(いつ)の間にか、警護の兵士達も集まって来て、静かに聞いていた。

「俺達の天に坐(ましま)す我等が父は、生きている時の善行と犯(おか)した罪によって、死後、天国と地獄へ選(よ)り分けると教えられただろう?」

 両親や年長の家族が信じる信仰(しんこう)によって幼(おさな)い頃から、そう教えられて来た僕達は頷いた。

「それって、主(しゅ)に選(え)り分けられる為に、生きているのかなって思うんだ。そして、どうして、生きるのに苦しんだ人は天国へ、楽に生きていた人は地獄へ行くように、分けられるのかなってね。善行とか、罪って何なんだろうなあ?」

(統一と団結をしていた人類を乱して纏まらない様にした神が決めた事だから、人の心を疑心暗鬼(ぎしんあんき)にさせ続ける為の教義なのだろう)

 此処に集まっている僕達は、ドイツへ攻め込む敵と戦っているだけで、敵国へ侵略の戦争に従軍していた者は誰もいない。軍曹と伍長も防戦と反撃の戦闘しか経験していないだろう。

 今の僕達の戦いは、敵から奪(うば)うのではなくて、侵攻して来る敵の蛮行(ばんこう)に恐怖(きょうふ)して逃(のが)れる人々を守り、此処よりは安全だと思われる西方へ脱出させる為に果たす使命と義務だ。そして、それを邪魔(じゃま)する敵は排除(はいじょ)する。

(それ故(ゆえ)に、見た事も、話した事も無い他国の人を敵と定(さだ)め、殺し、生き残るのは、罪なのだろうか? 善なのだろうか?)

「東洋の宗教では、死ぬと肉体から離れた魂が、新しく産まれる生に宿(やど)り直(なお)すと聞いた事が有る。その教えを輪廻転生(りんねてんせい)と言って、宿り直される生命は人間と限(かぎ)らないらしい。人として生きる現世の記憶や意識は、綺麗(きれい)さっぱり原子に還元(かんげん)される肉体と共に消えてしまい、魂だけが甦(よみがえ)るんだ。甦り先は生前に積んだ徳(とく)で決まるそうだ。徳というのは、善でも、悪でもなく、損得の無い清浄(せいじょう)さだとされている。魂は、人の思いではなくて徳を記憶するんだ」

 ちょっと気持を整理するように、間を於(お)いた軍曹は話を続ける。

「肉体から離れた魂は、色即是空(しきそくぜくう)とか、空即是色(くうそくぜしき)だったかな……? 俺の感覚では、さっぱり分からないが、時間も、空間も、明暗も無い、何も無い所へ行って、其処から転生(てんせい)するそうだ。だから、魂が宿った生は、空間の大きさや隔(へだ)たりに関係なく、時系列にも関係なく、あらゆる場所の現在過去未来に誕生するらしいぞ」

 軍曹は続けて精神と生命と魂の東洋的な究極の真理を話す。

「なぁアル。俺は思うんだ。時空のあらゆる位置に輪廻転生をしているならば、魂は一つ(ひとつ)だけで良いんじゃないかなぁ。そうなると、今現在、俺とアルの魂は同じっていう事だろう。バラキエル達も、家族も、味方も、敵も、其の魂は同じで、過去も、現在も、未来も、其の全ての生命に宿る魂は、たった一つの同じモノになるって事なんだなぁ。そうだとすると、殺し合う事にも、生きるのに足掻(あが)いて苦しむ事にも、幸せに安らぐ事にも、魂は関せずになるだろう。……何か理解できなくて変な感じだよ。凄く不思議に思うよなぁ」

(それって、魂は使いまわしなの? 無から転生する時空は、有限って意味なの? なんか矛盾(むじゅん)している。やっぱり、東洋は神秘的だあ……)

「東洋の精神世界は全然、理解不能だけど、魔術と魔法を失(な)くして、科学と化学に富(とみ)を求めた西洋の物質世界は、今、散々たる目に遭(あ)っている。今は東洋でも、精神世界を忘れかけている同盟国の水龍(みずりゅう)の形をした日本と、敵側の眠れる獅子(しし)の中国も、酷い事になっている。世界は残酷と悲観に溢(あふ)れて、何処も幸せになってないよなあ」

(いやいや、けっこう軍曹は、東洋の教えに詳しい……。知人に、戦争が始まる前に日本へ派遣されたヒトラー・ユーゲントの先輩がいるのかも知れないな)

「富は身体と心を苦しめて悩ませ続けないと、手に入れられないし、心の安息(あんそく)を得たいなら、富を求めなければ良いってんだろう。でもそれなら、どっちが天国へ行けるんだ?」

 僕は明日を生き抜いて、自由になった世界で心の安(やす)らぎと豊(ゆた)かな物品、其の両方の富(とみ)を求めたい。

 信仰に説(と)かれる死後に裁(さば)かれる世界なんて、誰も行った事も、見た事もなくて知らない。

 何百光年先の違う銀河の理想郷の空想話みたいな説教よりも、僕は、今を生きている、見て、触って、聞いて、嗅(か)いで、味わっての五感の楽しみと嬉しさが溢れる、この、幸せな結末にできそうな世界が大切に決まっている。

「俺達の宗教は、死ぬと、無限に広がる死後世界の天国や地獄へ、無限に送られる死者の順番待ちみたいな列に並ぶのさ。でも、送られてからどうなるんだ? 信仰する無限が無ではない教えだと、永久の楽しみと、永久の苦しみのどちらかになる。未来永劫(みらいえいごう)、死者は死後世界に増え続ける。だが、生前への果てしない欲望への未練を持つ死者だけが、天国へ昇る階段を引き返し、地獄への奈落(ならく)の縁(ふち)にしがみ付いて攀(よ)じ登って来てしまう。そんなゾンビどもに、俺達は変身したくないよなあ」

 メルキセデク軍曹は、黙(だま)って真剣に聞いているクルーや兵士達を見渡すと、話を締(し)め括(くく)る。

「皆(みんな)、明日は力の限り戦って、生き残ろうぜ!」

「おおーっ!」

 集(つど)っていた全員が、覚悟を求める軍曹の言葉に大声で呼応(こおう)し、人生の最期になるかも知れない明日への覚悟を強くした。


つづく

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