回想 越えるデッドラインとロマンスの予感『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第9話』

■5月5日(土曜日) フェアヒラント駅近くの守備位置


 戦車長のメルキセデク軍曹の前に搭乗員全員と護衛の防衛隊員が姿勢を正して整列すると、防衛隊員達には街道を力無く徒歩で通り過ぎて行く避難民や無気力な兵隊達、それに敗残兵や負傷兵を満載してエルベ川の川岸まで行く馬車と車輛をマムートに近寄らせない事と、側面と後方の森の中を含(ふく)めたマムートの全周囲警戒を指示し、乗員達には直(す)ぐにマムートの此処(ここ)の植生(しょくせい)に合わせた擬装(ぎそう)の遣(や)り直(なお)しを命じた。

 僕達は、まだ朝靄(あさもや)が晴れない内に昨日の戦闘と移動で脱落して半分ほどしか残っていない擬装の枝を薪用(たきぎよう)に纏(まと)めてから、マムートが陣取るスペースを開く為(ため)に伐採(ばっさい)されていた潅木(かんぼく)を使い、ゲンティンの駅前で施(ほどこ)した様な厳重(げんじゅう)な擬装で、マムートを周囲の松の森の下生(したば)えと同化させた。

 それが終わると、曇(くも)り空の上に太陽が昇(のぼ)って来たようで、少しだけ大気が暖(あたた)められて、視界に映(うつ)る世界が薄れ始めた靄に明るくなって来た。

 其(そ)のタイミングで遣って来た小型トラックが約束されていた朝食を届けてくれて、緩(ゆる)む気温と共に湧(わ)き出す食欲が美味(びみ)な食事を期待した。

 配給されたアヒルの大きな卵は、熾(おこ)したばかりの炉の火に掛けられたフライパンで目玉焼きにする。

 昨日(きのう)の夕食のシチューの残りを温(あたた)め直したスープ、届けられた焼き立ての熱いパン、貰(もら)って来ておいたバターにジャム、それにパンと一緒(いっしょ)に届けられたピクルスを並べ、熱い代用コーヒーと新鮮なホットミルクも有り、マムートを警護する防衛隊や憲兵隊の若い兵士達も一緒になって、朝からピクニックのような楽しい食事になった。

(ニーレボック村が無事な内は、日に3度、このような幸せな食事が続きそうだ……。でも、あと2、3日だけだろうなぁ……)

 朝食が済むと、再(ふたた)びマムートの守備位置へ布陣完了を第12軍司令部とフェアヒラント村守備隊本部へ無線で知らせ、傍受(ぼうじゅ)するソ連軍の無線交信から攻勢を掛けて来る気配を探(さぐ)って軍曹に報告する。

「軍曹、敵の交信の活(かつ)舌(ぜつ)は滑(なめ)らかで、交戦中の緊迫(きんぱく)さや慌(あわただ)しい様子は有りません。第12軍司令部と守備隊本部への着任完了報告も済ませました」

「御苦労(ごくろう)、アル。それでは偵察(ていさつ)へ出るから、俺の護衛として一緒に来てくれ」

 そう言うと軍曹は、突撃銃と予備弾層が詰(つ)まったポーチを付けたベルトを押し付けると、戦場となる地形の把握(はあく)の為(ため)に街道をニーレボック村の方へ歩いて行き、僕は急(いそ)いで突撃銃を担(かつ)ぎ、ポーチベルトを腰に装着しながら付いて行く。

「これも、腰に持っていろ。戦闘に遭遇(そうぐう)したら、武器は多い方がいいぞ」

 短機関銃を背中に斜め掛けした軍曹が自分の腰ベルトに付けたポーチを叩(たた)きながら、僕へ拳銃が入った厚皮のポーチを押し付けた。

 拳銃や既(すで)に腰から下げている銃剣を用(もち)いるような近接戦闘や白兵戦に巻き込まれたくないと、嫌悪(けんお)の気持悪さが甦(よみがえ)る。

(ロシア人と取っ組み合いで殺し合うなんて、嫌(いや)だ! 敵の声が聞こえる近さなんて、シュパンダウだけでたくさんだ!)

 街道上で避難民や敗残兵達がマムートへ近付かないように誘導している五名の憲兵の中から、法曹(ほうそう)の資格を持つ一人(ひとり)の憲兵伍長が周辺の案内を兼(か)ねて、兵士や避難民の中の犯罪歴が有ったり、矢探(やさぐ)れたりした者が略奪(りゃくだつ)をしたり、性的な罪を犯(おか)していないか、サボタージュなどの敵対行為を行っていないかを見聞(けんぶん)しながら、メルキセデク軍曹と僕の護衛する為に付き添(そ)ってくれている。

「薄い雲で明るいな。だが、雲は低い。1000から1500mってとこだろう。3層に重なっているが、上層の雲は疎(まば)らだな。こんな曇り空じゃ、今日も空から攻められる事は無いだろう」

 手を翳(かざ)して霧の晴れ間から見える曇り空を仰(あお)いで言う軍曹の言葉に、安堵(あんど)が滲(にじ)んでいる。

 少し晴れて来た朝靄の中から次から次へと、艀乗り場へ向かう避難民や負傷した兵士が現れて僕達と擦(す)れ違う。

「対岸を占拠(せんきょ)するアメリカ軍が、戦時捕虜と認(みと)めた、投降するドイツ国防軍の将兵以外を拒(こば)んで渡らせていないらしいぞ。親衛隊や外国人義勇兵、それに役人達は捕(と)らえられてロスケに引き渡すと聞いた。川辺には1万人以上の避難民が渡れるのを待っているみたいだ。どのみち、ソ連軍がエルベの川縁(かわべり)まで迫(せま)れば、アメリカ軍が拒(こば)もうが、銃撃されようが、皆(みんな)が一斉に渡ってしまうのになぁ」

 『多くの犠牲者が出るだろう』の意味を込めて話す軍曹の顔が、『マムートの砲撃で強引に渡河のチャンスを作ってしまおうか』と、言わんばかりに悲(かな)しそうだ。

(自由で民主主義の国、アメリカの兵隊が、自由を求めて逃(のが)れて来る子供や女性や老人を、命令とはいえ、平気で溺(おぼ)れさせて、撃ち殺(ころ)せるのか? そうされるならば、マムートが艀乗り場を防衛する意味は、何処(どこ)に有るんだ!)

 最後の緊迫(きんぱく)する場面になってもアメリカ軍が拒み続けるなら、きっと、軍曹はマムートを河畔(かはん)まで進ませて、残していた榴弾(りゅうだん)で対岸のアメリカ軍陣地を粉砕(ふんさい)するだろう。

(軍曹なら、必ず殺(や)ってしまうはずだ!)

 街道を含(ふく)めて道路沿いには牧草地を囲(かこ)む様に高さ1.5mくらいの長さの杭(くい)が3mほどの間隔(かんかく)で打たれていて、それらの杭を三段で張(は)った有刺鉄線でグルリと結(むす)んでいた。

「ご丁寧(ていねい)に、地雷に注意と書いた白や赤の立て札が有るが、たぶん、地雷は埋(う)められていないな」

 向こうの森の際(きわ)や森の中にも張られた有刺鉄線が見え、敵兵が簡単(かんたん)に抜(ぬ)け出て来られない様に時間稼(かせ)ぎで張られていると軍曹が説明した。

 マムートの重量で凸凹(でこぼこ)にした僅(わず)かに登り傾斜になる街道をニーレボック村へ向かって歩いて行くと、線路からニーレボック村への中間辺りの綺麗に生え揃って来ている新緑の牧草地を両断するように対戦車壕を掘ろうとした跡が有った。

 ニーレボック村から線路までの牧草地の中間辺りに幅3mほどで道路際から森の縁までの草刈りをしただけの真っ直ぐな対戦車壕にする予定線が残っている。

 造ろうとした対戦車壕は、上縁の幅は10mくらいで、壕の底幅が6m以上、深さは4mほどの逆台形断面の溝(みぞ)になる計画だったが、『エルベ川の西岸にアメリカ軍が来て、包囲されていたベルリンが陥落したとの報に、作業は草刈りまでで中止、集められた労働奉仕の近郊の住民達は解散となって家に帰されている』と、警護に付き添ってくれている憲兵伍長が『あれは英断でしたね』の言葉を添えて説明してくれた。

 ちょうど其処から街道を挟(はさ)んで反対側の森の東端の茂みの中に1mばかりの深さに掘られた砲座が有って、ニーレボック村方向の街道正面と牧草地を側面から掃射(そうしゃ)できるように88㎜対戦車砲が潜(ひそ)んでいた。

(此処にも、アハト・アハトだぁ)

 ほぼ正面からマムートが狙い撃ち、右側面からはアハト・アハトが叩く。

 此の開(ひら)けて見渡しの良い射界となる放牧地に停車する敵戦車は、マムートの128㎜戦車砲の絶好の標的になるだろう。

 街道の北側沿いには太い松の木の深い森が、マムートの周囲や駅舎が在る線路を越えてフェアヒラント村の東際まで続いている。

 随伴(ずいはん)して牧草地を走り抜けて来るだろう敵の歩兵や工兵は、アハト・アハトの周辺の森の中に掘られた塹壕で機関銃を構えている第12軍の兵士達が撃ち倒せるように配置されている。

 塹壕周りに地雷原が在る事を示す表示は無かったが、更に近付くとパンツァーシュレックやファストパトローネが迎え撃つ為の兵士が潜む塹壕の中に見え、其の弾薬と手榴弾も壕の縁に並べられていた。

 ニーレボック村のいた兵士達や此処にいる兵士達の皆(みんな)は、着古(きふる)して草臥(くたび)れたヨレヨレの迷彩服を着ていて、上下が灰緑色(かいりょくしょく)の軍服のみの兵隊を見掛けていなくて、どの兵士も死線を幾度も潜(くぐ)って来た歴戦の強者(つわもの)の様に思えた。

 ヨレていない真新(まあたら)しい国防軍迷彩服を着ていたのはアルテンプラトウ村から一緒(いっしょ)に来てマムートと僕達を守ってくれている若き警備兵達だけだった。

 灰緑色の軍服の上に迷彩柄(がら)のポンチョやスモックを被(かぶ)り着(ぎ)している者もいたが、大半は上の制服と下のズボンが迷彩柄の生地(きじ)で仕立てられている物を着ていた。

 国防軍の角張(かくば)った迷彩パターンに武装親衛隊の斑点(はんてん)模様、それに森の灌木(かんぼく)や土地風景を模(も)したドイツ的ではない柄の迷彩服が有った。

 どの迷彩柄の戦闘服にせよ、単一色の軍服に比べて、いかにも戦闘的で暴力好きな野蛮(やばん)さを感じさせて、外見の脅迫(きょうはく)さと威圧(いあつ)さに気持ちが萎縮(いしゅく)してしまいそうだった。

 森の中や砲座で朝食中の兵士から聞こえて来るドイツ語以外の言語に、よく見ると、ドイツ人に殆(ほとん)ど見られない顔立ちや立ち振る舞いの外国人が多くいて、丸顔で黒髪の背が低い東洋人達も混(ま)ざっているのを知った。

 半数以上がドイツ人と違うように見えて、軍服の迷彩柄がバラバラだった。

(そういえば、ニーレボック村でも、意味の分からない外国語が頻繁(ひんぱん)に聞こえていたなあ。てっきり、軍隊のスラングだと思って、注意を払わずに聞き流していたっけ)

 彼らはドイツ陸、海、空軍と親衛隊の補助兵や義勇兵で、祖国に戻れば裏切り者の戦犯とされ、戦後社会から抹殺(まっさつ)される。

 大抵(たいてい)は絞首刑か、終身刑だ。

 ソ連軍へ降伏しても、其の場で射殺か、シベリアで飢(う)えに苦しみながら死ぬまでの重労働だ。

 ならば尚更(なおさら)、好(い)い思いをした第3帝国と運命を共にすると考えるのも当然だろう。

 此の場に至(いた)っては、戦う理由や動機が何であれ、守備に就(つ)いている誰もが、他人を幸福にする為に自(みずか)らを犠牲(ぎせい)にする『一粒(ひとつぶ)の麦』なのだ!

 此処からは左側の牧草地の彼方のニーレボック村の北方に在るレデーキン村の教会の塔の先端が見えて、右側の牧草地の森際にはニーレボック村から南の森を抜けてエルベ・ハーフェル運河沿いのゼードルフ村へ至る道が見える。

「送電鉄塔の下は要注意だ! 監視を怠(おこた)れないぞ!」

 直ぐに一直線に森を切り開いた送電鉄塔の道の危険性に気付いた軍曹が、罵(ののし)るように言葉を吐(は)き捨(す)てる。

 エルベ・ハーフェル運河から南の森を切り開いて一直線に見通せる送電鉄塔の列は下生えの低木と雑草ばかりで、見るからに敵の戦車が通って来易いと思う。

「此処まで来るロスケ共は、森の道で地雷や仕掛け爆弾で散々苦しめられて、ニーレボック村の前面と通りでも待ち伏せする友軍の対戦車砲に酷い目に合わされている筈(はず)だ。だから此の草原にも何かしらの危険が有ると警戒して、ノロノロとした緩慢(かんまん)な動きで進んで来るだろうな。何しろ、既に進軍目的だった総統は陥落した第3帝国の首都ベルリンで死んでしまっているし、あそこに見える線路を越え、線路から3,400m先のフェアヒラント村の土手向こうのエルベ川を渡る艀乗り場まで行っても、行かなくても、明日の夜明けには、自分達の勝利で戦争は完結する。こんな最後の最期の場面で誰も死にたくないが、ソビエト軍内の共産党員の政治将校が部隊長や兵士達に銃口を突き付けて無謀(むぼう)な突進を強要させるだろう。そんな死にたい奴らを1匹残らずアハト・アハトと俺達のマムートが潰(つぶ)して遣るんだ!」

 森の縁の街道上に仁王立(におうだ)ちで周囲を見回す軍曹の独り言(ひとりごと)のような声が、外国人義勇兵を観察していた僕の耳に聞こえて来る。

 東側と南東の地形と防衛ラインの戦力の確認をした軍曹と僕は来た道を引き返してマムートに戻(もど)ると、不測の事態の戦闘警戒に砲手のバラキエル伍長とラグエルとイスラフェルの二人(ふたり)の装填手をに残して、今度は警護役の僕と、艀乗り場までの道筋と状態を覚(おぼ)えさせる為に操縦を担(にな)うタブリスを連れて南側と西側の視察に行く。

 先ほどの憲兵伍長も一緒に来てくれているけれど、軍曹が僕を警護に付き添わす理由は、クルーの中で一番失ってもマムートの戦闘力に影響が少ないのが僕だからだ。

 それは悲しいけれど、理解できて自覚(じかく)している。

 フェアヒラント村の中の通りや外周の家屋の庭には、土嚢や瓦礫を組み上げたような防衛拠点が一つ(ひとつ)も無く、軍人や裕福な民間人がエルベ川を渡る為に乗り付けた、多くの軍用車輛や自家用車が道端に縦列駐車をするように、或(ある)いは道路を封鎖(ふうさ)するバリケードのように横並びで停められているだけだった。

 街道から川岸へ徒歩で向かう多くの避難民や兵士が艀(はしけ)に乗せる事の出来ない家財道具や荷車類を辺り構わずに捨てて行き、それらは艀乗り場に近付くにつれて多くなった。

 彼らは特に大事な物や高価な物だけを手荷物に纏め直して、背に担(かつ)いだり、手に持ったりして重い足取りで歩いている。

 見て廻る限りでは、村の南外れに在る艀乗り場と其の周辺も、司令部となる施設や防衛戦闘の陣地は造られていなくて、乗り捨てたトラックや乗用車ばかりが目立っていた。

 横でダブリスが『行く手を塞(ふさ)ぐトラックや馬車は踏み潰して行くしかないな……』と、僕の肩を軽くたたきながら呟(つぶや)いていた。

 西方へ脱出するタイトな通過点となる村内や渡し場は、小隊規模の憲兵部隊が秩序を保たせて、負傷者を傷の程度で選り分け、決めた順番で乗船する列に並ばせていた。

 敢(あ)えて言えば、フェアヒラント村の防衛指揮官は秩序ある渡河を指揮する憲兵隊の部隊長の若い中尉で、メルキセデク軍曹は其の中尉に全員が脱出する大体の所要時間を訊(き)いていた。

『今年の冬は寒気団の勢力が強くて、上流の山岳部や平野部の積雪は例年よりも多かった、其の所為で、今の時期でも雪解(ゆきど)けでの増水は、艀へ乗り込む位置を通常よりも高い水位にして、川幅をいつもの150mから200mに広げている。だから往復の所要時間が4,5分ほど余計には掛かっているが、今、乗船待ちしている人数が倍になっても、明後日までには全員が渡り終えるだろう。ただし、アメリカ軍が避難する民間人も渡らせてくれるのならの話しだがな……』

 村内の川縁と艀乗り場周辺の川原には、既に、1万人以上の避難民と敗残の兵隊達が居て、小さなフェリーは重傷者を優先に負傷兵を、アメリカ軍の衛生兵や軍医が治療の見極め判別をする対岸の船着場へと運んでいて、負傷兵が列を成して乗船順番を待っていた。

 憲兵中尉の話しでは、軍曹が言っていたように避難民達は、まだ乗せて貰えていない。

『4月24日にアメリカ陸軍第83歩兵師団の兵士がエルベ川の対岸に現れる前なら、殆ど自由に民間人は艀で向こう側と行き来できていたのだけど、現在は降伏する軍人のみになっている。此方側へエルベ川を渡って来ないアメリカ軍の様子については、噂(うわさ)通りに共産主義共と前進停止の密約をしている所為(せい)だとしたら、人道主義を主張していたアメリカは情(なさ)けなく、非常に残念な振る舞いだ!』と憲兵中尉は涙目で憤慨(ふんがい)していた。

 村の教会敷地内と艀乗り場には、救護の野戦病院とエルベ川を渡ろうと集まって来る人達への炊(た)き出しの炊事場所が設営され、其の為の要員と警護の兵士達もいた。

 防衛陣地らしきモノは、見通しの良い村外れの少し離れた場所に広い間隔で配置された対空砲が有った。積み重ねた土嚢で囲って土と草木で擬装した5箇所の対空砲陣地には、4連装の20㎜機関砲が1機、単装の20㎜機関砲が2門、それと、単装の37㎜機関砲が2門、それらが対空戦力として配置されている。

対地防衛火力としては、村の南外れの道路脇に1門の88㎜対戦車砲が隠されているだけで、攻め込まれ易(やす)そうな南側の防御としては心細い。

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 ぼくは訝(いぶか)しんだ。

 東方から僅かな食べ物と手荷物だけを持ち、蛮行を働く野蛮な共産主義者共から逃れてエルベ川を渡り、更に西方への避難を希望する疲れ果てた婦女子と子供と老人ばかりの難民達を、エルベ川西岸のアメリカ人達は渡って来る事を拒(こば)んでいて。ドイツ国防軍の軍人以外は西岸に上陸した時点で射殺すると宣言していた。

 人道主義で善は必ず悪に勝つ正義漢(せいぎかん)の集まりだと自負(じふ)するアメリカの軍隊は、第一次世界大戦で散々ドイツ軍に痛め付けられていたし、今度の戦争でも参戦早々に北アフリカでドイツ・アフリカ軍団にヤラれている。

 確か反攻でフランスのノルマンジーに上陸した当初や昨年末のベルギーでも酷(ひど)く苦戦していた筈(はず)だ。

 ドイツ人が思考錯誤(しこうさくご)して造り出す様々な新兵器でこっぴどく連合軍はヤラれている。だから、ドイツ国家とドイツ人には恨(うら)みしかなくて、いつか機会が有れば、地上から抹殺(まっさつ)してやろうくらいは思っているのだろう。

 特にナチス党は思想的にも、行為的にも、政治体制的にも悪と見なし、其の党首たるヒトラー総統は地上に現(あらわ)れた悪魔の化身(けしん)とされて最優先の浄化消滅の対象だった。

 それが、ドイツの戦争難民をロシア側に留(とど)め置くという卑劣(ひれつ)な行為に現れていた。そして、どの様にロシア人がドイツ人を扱うかを分かっていて遣っている。

 ドイツ国防軍はドイツ国家とドイツ国民を守る兵士達だったが、親衛隊や突撃隊などは敗戦で戦争犯罪人となるナチス党とヒトラー総統を護衛する私兵だから、ソ連軍が行う行為と同じ暴力と殺傷で報復(ほうふく)されると聞いていた。

 ヒトラー・ユーゲント出身で武装親衛隊兵士のメルキセデク軍曹は其の対象になってしまう。

 ボルシェビキやパルチザンに捕まれば、振り向かせて後ろから撃たれて終わりだ!

 アメリカ軍を含(ふく)めた連合軍でも同じで、行き成り正面から射殺される。

 捕虜扱(あつか)いはされなくて、戦争犯罪者の人殺しとして即刻(そっこく)、抹殺(まっさつ)される。

 違(ちが)いは、後から殺されるか、前から殺されるかだ!

 だいたい生産の社会的共有での平等を実現しようとする共産社会主義のソビエト連邦と個人を認(みと)めず全ては国家全体の為に有るとしたドイツ第3帝国では、根本思想から相反(あいはん)する部分が多過ぎて、ナチス統制下のドイツはボルシェビキと共存する事はできない。

 人民全体の均等平等と国家繁栄の為の成果では、全く似て非なる主義などではない!

 連邦首都のモスクワ間際(まぎわ)まで侵略されて国土と国民が第3帝国に凌辱(りょうじょく)されて荒廃(こうはい)させられたソ連がナチスドイツへの復讐者となるのは仕方の無い事だと思うが、イギリス連邦のカナダとは違い、今戦争の初期にドイツとの戦いに苦戦するイギリスとフランスを直ぐに助けずに参戦を渋(しぶ)っていたアメリカが、まるで、世界平和の裁定者や調停者の様に今更(いまさら)『人道に対する罪』を裁(さば)く為に参戦したと謳(うた)うのは、14歳の僕でも分かる甚(はなは)だ可笑(おか)しな事だと思っていた。

 今年、ヒトラー・ユーゲントに入団したばかりの僕は、運良くエルベ川の西岸へ脱出できたとして、其処でアメリカ兵に捕らえられたら、どうなってしまうのだろう?

 ヒトラーの子供達の一人として捕虜収容所へ何年も収監(しゅうかん)されて、戦闘に加担(かたん)した罪で拷問(ごうもん)を受け、裁きで極刑になるのだろうか?

 メルキセデク軍曹は武装親衛隊の隊員でナチス党員だ……。

 軍曹曰(いわ)く、ヒトラー・ユーゲントから選抜されて教育省管轄の「ナポラ」とは違うナチス党直轄の幹部を養成する「アドルフ・ヒトラー・シュトレーゼ(アドルフ・ヒトラー学校)」へ進学して優良な成績で卒業すると武装親衛隊の戦車大隊に士官候補生として配属された。だが、ナポラ出で部下の戦果を自分の戦功として報告する上官に強く苦言したところ、忽(たちま)ち「上官への反抗罪」で軍曹に降格されてしまったそうだ。

 其の後も戦果を重ね、転属を申請しながら曹長まで昇級したが、またもや上官の目に余る理不尽(りふじん)な行為への反論で再び軍曹に降格された。

 上官と反(そ)りが有っていれば、予定通りに少尉に昇格して戦車中隊の指揮官になれていた事だろう。

 そんな軍曹が捕らえられたら、狂信的ナチスとして暴行された後に射殺されるか、東部戦線で戦っていたという理由でロスケに引き渡される。

 国防軍でナチス党員でもないバラキエル伍長も例外ではなく、重戦車の砲手として幾多(いくた)の敵戦車を屠(ほふ)った戦争犯罪人として裁かれ、戦争終結後の何年間も奴隷(どれい)扱いされる重労働に就(つ)かされるだろう。

 どちらにしても、アメリカ軍の捕虜になれば、無慈悲(むじひ)な死か豚(ぶた)以下の奴隷扱いが有るのみだ!

 たぶん、戦勝後に世界の警察などと自己評価を言い出すだろうアメリカ合衆国の教育は、正義漢ぶるフェミニストの思想だから婦女子には優(やさ)しくて、幼馴染(おさななじみ)のビアンカが言っていた様にドイツ少女団の女子でも親切にして貰(もら)えるかも知れない。

 先日もゲンティンの駅前広場でメルキセデク軍曹が似たような事を言っていた。

「アメリカの田舎の若い奴等(やつら)は勉強嫌(ぎら)いで、ロシアのオッサン連中と同じ位(くらい)に無学で節操(せっそう)が無いらしいぞ! だから、そいつらを信用するな。言ってる事は嘘(うそ)で、約束は守(まも)らない! ゴロツキどもと同じだからな。暴力的でバカだ!」

「仮(かり)に戦意を失(うしな)って俺達が投降(とうこう)するとしよう。戦闘中の捕虜(ほりょ)なんて邪魔(じゃま)にしかならないから、奴等は平気で俺達を撃ち殺すだろう。投降する様なドイツ兵はいなかったのだ」

 軍曹の横で頷(うなず)いていたバラキエル伍長も言う。

「ドイツ人だろうと、日本人だろうと、一人のヤンキーが捕虜の敵兵を集めて百人、二百人と惨殺(ざんさつ)しても構(かま)わないのさ。戦友から告発されて軍法会議で裁(さば)かれても極刑(きょっけい)にはなる事はない。重営倉(じゅうえいそう)入り、つまり牢屋(ろうや)入りの懲罰(ちょうばつ)が科(か)せられるくらいだ。だが、刑期は特赦(とくしゃ)で半分になるんだ。……何故(なぜ)、刑が軽くなるのか……」

「それはだな。殺す相手が敵だからだ。略奪(りゃくだつ)や強姦(ごうかん)は敵国民の反感を増長させて治安(ちあん)を悪化させてしまう、それは敵を増やしてしまうから極刑も有りだ。だが、敵兵は捕虜になっても敵だ。戦意を失って従順(じゅうじゅん)の様に見えても、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を保(たも)ち、いつ、信条と主義から反抗的になって敵対するか分からない。だから痛(いた)めつけて殺す。つまり、死んで動かなくなったら敵じゃなくなるのさ」

「しかし、パルチザンやレジスタンスは違うぞ。政府が降伏していない敵国の戦線後方の占領地に、抵抗勢力が現(あらわ)れるのは戦術的な敵の動向(どうこう)だ、でも、そいつらは正規の兵隊ではないから国際的な戦争法規を適用される対象(たいしょう)ではないぞ。政府が降伏して占領された地域での抵抗活動は犯罪で、犯罪には厳罰(げんばつ)を以(も)って対処する。亡命政府の指示だと言うが、陳腐(ちんぷ)な言い訳に過ぎないな。いずれにせよ、無差別の殺人、破壊行為、煽動(せんどう)行動は、全て死刑で裁かれるしかない!」

 僕は、二人の言う事が理解できて、もっともだと思っている。

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 他に守備情報として、南側の低くて小さな丘の天辺に配備されている1門の4連装の20㎜機関砲は、高度2000mまでを全周囲で射撃できるそうだ。それに、其の丘の南側に在るディアベン村と、更に、南の要害になる運河の閘門(こうもん)が在るノイディアベン村に、それぞれ2門の75㎜対戦車砲を装備する戦車猟兵中隊が防衛配置されていると、対戦車砲陣地を指揮する陸軍少尉がメルキセデク軍曹に話していた。

 要するに、フェアヒラント村の渡し場を守る戦車や自走砲などの装甲戦闘車輛は、マムート以外に1台も無かった。

 フェアヒラント村と艀乗り場と其の付近の防御状態を確認する道程(どうてい)の御仕舞いは、小規模な燃料貯蔵施設を守る陣地の近くを通って、線路の枕木(まくらぎ)を踏(ふ)みながら守備位置へ戻って来た。

 施設の貯蔵タンクの全てと防衛陣地は、幾重にも迷彩ネットで覆われて、遠目には全く建造物が在るように見えなかったから、空からの視認は、低空に降りて来た敵機でも気付けないと思う。

 燃料貯蔵から駅舎への中間点の線路脇で浅い窪地(くぼち)に塹壕(ざんごう)を掘って陣取る、地元のヒトラー・ユーゲント隊員達とも会って、軍曹は過酷な戦車戦と負傷時の事を、僕はベルリン市のシュパンダウ区で経験した実戦を話して、無駄死にをしないように促(うなが)した。

 十二、三人の紺色(こんいろ)の長いスカートを穿(は)いた少女団の女子達もいて、見たところ、年少者で僕と同じくらい、年長者でもタブリスと同じ歳ほどに思えた。

 二十四、五人の少年団の男子達と共に最前線の塹壕の臭(くさ)くて汚(きたな)い泥(どろ)の中で、敵の来襲を待つ彼女達は凄(すご)く勇敢(ゆうかん)だが、僕がシュパンダウ区の大通りで体験したような激しい砲撃を耐(た)え凌(しの)いで、迫り来る敵と戦う恐怖に神経が病(や)んだり、身体が壊(こわ)れてしまわないかと、哀(あわ)れむような悲しみに息が苦しくなってしまう。

 塹壕内に木箱にいれたままで置かれていたファストパトローネを見て、実戦での取り扱いの注意点、狙(ねら)いの構(かま)え方、迫る恐怖に立ち向かう気持の持ち様、僕は生意気にも男気(おとこぎ)が有るのをみせようと、塹壕にいた全員を集めてシュパンダウでの体験を語(かた)ってしまった。

(構えるのも、狙って発射するのも、1度だけでいいんだ。上手(うま)く敵を撃退できたら、直ぐに逃(に)げて、1人でも多く、生き残って欲(ほ)しい……)

 軍曹とタブリスは、マムートが後退するのを見たら、直ぐに船着場へ行って西岸へ逃(のが)れるように強く言うのに、僕は横で大きく頷(うなず)いていた。

 真剣に生き残る事を話すタブリスの視線は、何度も左右に動いて皆を見回すが、必ず一人(ひとり)の女子へ戻って暫(しば)し見ていた。そして、其の視線に答えるように彼女も少し紅潮(こうちょう)した顔で、じっとタブリスを見詰(みつ)めていた。

(おいおい、タブリスさん。何、見詰め合っているんだよぉ)

 タブリスが目を付けた少女は、女子達に指示や注意をする態度と率先(そっせん)した行動から、少女団のリーダーだと思われた。

 膝下(ひざした)10㎝のスカート丈の規則を守らずに短い膝丈(ひざたけ)にしている彼女は、僕に家の近所に住んでいる幼馴染(おさななじみ)のビアンカという名の同級生の女子を思い出させた。

 何処(どこ)と無く仕種(しぐさ)もビアンカと同じようで、彼女もビアンカのような快活(かいかつ)で明るくて優(やさ)しい性格だと思う。

(おおっ、タブリスさんは、意外と女子を見る目が有るねぇ)

 けっこう彼女は美しいし、タブリスも、なかなかのハンサムだから、似合(にあ)いのカップルっぽく見えて、僕のビアンカを想う気持が騒(さわ)いだ。

(でも、このモヤモヤする気持は、ジェラシーだよな……、羨(うらや)ましい……。でも……素直に羨ましいとは思えない……)

(僕達も、彼女達も、ロマンスにときめいて喜ぶには、まだ早い! 戦闘になれば、明後日(あさって)の真夜中までデッドラインを越え続けて生き残らなければならない! そしてエルベ川を渡り終えた時こそ、自由の地にいる嬉(うれ)しさに抱き合ってキスが出来るんだ!)

 マムートへ戻って来ると、ゲンティンの町から付き添(そ)って護衛してくれた防衛隊員達が整列して、町へ帰る旨(むね)を軍曹に伝え、来た道を戻って行った。


つづく

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