回想 待ち伏せ場所に到着『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第8話』

■5月5日(金曜日)午前零時過ぎ フェアヒラント駅の近く


 夜半過ぎ、ニーレボック村から僅(わず)かな傾斜で下る街道を降り切ると、正面の真っ直ぐに続く街道の果て、暖(だん)を取る為にエルベ川の土手際で大勢の敗残兵や避難民達が隠(かく)れて燃(も)やす、多くの焚(た)き火(び)に赤く色付けされる闇(やみ)を背景に、フェアヒラント村の家並みのシルエットになって見えていた。

 案内された街道脇の待機というか、待ち伏せの場所は、カンテラで照(て)らして回って見た限りでは、細い切り株と雑草の草地が所々に残る礫(れき)と粘土混(ま)じりの砂で固(かた)められた宅地跡だった。

 生い茂(おいしげ)っていた細い幹の潅木(かんぼく)は全(すべ)て切り除(のぞ)かれて、敷地の片隅(かたすみ)に束(たば)ねるように置かれている。

 クルーの六人が、それぞれに両足を揃(そろ)えて飛び回り、片足で跳(は)ね回っても、足が嵌(はま)る様な柔(やわ)らかな場所は無くて、マムートを乗り入れても沈み込む事は無いと判断された。

 フェアヒラント村から来た警護兵のリーダーが言うには、中世のプロイセン王国から第1次世界大戦で滅亡するドイツ帝国までの封建期を通して敷地は、渡し場へ行き来する通行人と荷物を吟味(ぎんみ)する関所(せきしょ)と兵士の番所が在ったそうだ。

 それがヴァイマル共和国になってからは廃止されて人と荷物の渡し銭を乗船時に徴収(ちょうしゅう)するのみになり、関所と番所に使われていた建材は、建物の土台から解体されて村の家屋の修理や新築材として持って行かれたらしい。

 だから、まだ太い松の木が生えていない固い地面で、手っ取り早(ばや)くマムートの駐車場に出来る此(こ)の敷地が選(えら)ばれていた。

 敷地の範囲は、此処(ここ)からフェアヒラント村寄りの直ぐ近くに在(あ)るフェアヒラントの駅舎の向こうの空(あ)き地から踏切(ふみきり)までだそうで、話の内容から戦闘機動でマムートが方向転換するには十分な広さの様に思えた、

 ゲンティン市内の街道並みに地面が固められているのなら、超重量のマムートが駅舎を楯(たて)に奮戦(ふんせん)できると思うけれど、アルテンプラトウ村の駅舎前でのメルキセデク軍曹とバラキエル伍長の静かなる闘志による勇戦を思い返すと、そんなに動き回る事は無いだろう。

 マムートの乗り入れは、最初に街道上で砲塔を180度の後方へ回転させて砲身を、闇の中で障害物との衝突(しょうとつ)による損傷を避けるのと、敵が来そうな方向への警戒の為(ため)に向けた。それから、恐(おそ)る恐る地面の凹(へこ)み具合を度々(たびたび)カンテラの明かりで確認して極低速で進ませて行く。

 酷(ひど)く凹まないのがわかると、ゆっくりと車体を超信地旋回させて街道側へ向かせながら、砲塔はその向きを保(たも)つように車体の回転速度に合わせて逆回転させて戦闘体制にさせる。

 車体の大きなマムートは、敷地の奥まで下がらせてやっと、砲身の先が街道上に掛(か)からなくなった。

 少し離れて敷地周囲の森の中に塹壕を掘り始(はじ)めた警護兵達は、新(あら)たに加(くわ)わった憲兵隊の兵士と共に六名ずつの交代で辺りの警戒と街道の通行規制を行ない、クルーも半数の3名ずつが交代でマムートの上に立ち、不穏な動きの警戒にあたった。

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 濃厚な霧(きり)が辺りを覆(おお)って、辺りがぼんやりとも見えない、まだ薄暗い早朝に全身を揺(ゆ)すられて起こされた。

 時刻は午前4時、白(しら)み始めて来た上空の雲のボワーとした明かりが、何処(どこ)を見ても暗い灰色の霧の壁(かべ)にしている。

 5時半前には陽(ひ)が昇(のぼ)るから、だんだんと薄れる闇に霧は柔らかな白い靄(もや)となって漂(ただよ)うのだけど、『大気の状態は明るくなっても、視界は50mから100mってとこだろう』と、思いながら、昼近くには靄が晴れて、空は曇っていても視界が広がっている事を願った。

 全天を覆う分厚い曇り空ならば、死神は空から飛んで来ないが、見通しが利(き)かない細かい雨混(ま)じりの濃い霧だと、接近する敵の物音は小さく聞こえて来るし、物音を立てない敵歩兵には気付けず、其の定まらない方角に、遠距離戦向きのマムートは包囲撃滅されるかも知れない。

 朝から夕方まで雨が降っていた4月28日以来、大気は暖(あたた)かくなって来ていたが、曇(くも)りの日が多くて晴れていたのは5月3日と5月4日の午後だけだった。

 無線機で聴(き)いたラジオの天気予報では、中央ヨーロッパへ高気圧が張り出して来ていて、晴れの日が続くと言っていた。

 この天候予報は問題だった。

 快晴になると気流が安定して来襲する翼と胴体に赤い星が描(か)かれた敵機は増(ふ)えて僕達の命が脅(おびや)かされる。

 高くなる敵機の襲撃高度に対空弾幕の効果は薄れてしまう。そして、明るい視界に遠くまではっきり見えて来ると、発見される確率と爆撃精度が上がって、マムートと僕達は殺(や)られてしまうだろう。

 青空に雲が多い時も、雲間から突然に敵機が急降下して来て、対空防御が間に合わないままに爆弾を落とされたり、機銃掃射されたりする。

 だから、戦争が終わるまで、もう少しだけ曇り空が続いて欲しいと、僕は見上げた曇り空に祈(いの)った。

(高気圧が張り出して来ているのなら、この曇り空も残念ながら午前中だけで、午後からは青空が雲間から見えて来るだろうな)

 不安な気持ちで空を見上げていると、ダブリスの「毎朝7時から8時までマムートのエンジンを動かして暖機(だんき)運転を行い、バッテリーを充電します」と軍曹に進言する声が聞こえた。

 暖機の後に極低速で前後左右に移動させて、走行機構に異常が無いか確かめてから、ラグエルとイスラフェルと一緒(いっしょ)に注油と給油の整備を行うそうだ。

 伍長は主砲と同軸機銃と照準器、それと砲塔上に有る専用のペリスコープの手入れと調整を行っている。

 僕は無線機の調整と暗号表を整合確認してから軍曹にマムートの周辺状況を訪(たず)ねると、軍団指令部に定時報告を送信した。

 軍曹へは無線連絡で得た防衛線の戦況とソ連軍の情報を知らせた。

 其の後は自分が覗(のぞ)くペリスコープを外(はず)して分解し、全てのガラス板とプリズムの埃(ほこり)を掃(はら)い、曇りや指紋の痕(あと)が拭(ふ)き取れたのを確認して組み立て、良く見える明るい角度に調節しながら取り付けた。

 それから自分が扱(あつか)う拳銃と短機関銃と突撃銃の手入れと装填確認を済(す)ませた。

 皆(みんな)が調整や手入れをしている間、司令塔に腰かけてフェアヒラント村の南側から左へ、低い丘の麓(ふもと)、線路の土手、対面の森と送電塔の連(つら)なり、そして、ニーレボック村の南側までを不穏(ふおん)な動きが無いかと双眼鏡で警戒している。

 最初に手漉きになった僕は、頭上のハッチから出て砲塔へ上り、軍曹と警戒を交替(こうたい)した。

 警戒は食事時(しょくじどき)や就寝時(しゅうしんじ)でも2名ずつの交替で行い、軍曹と組んだ僕は眠気眼(ねむけまなこ)を擦(こす)りながらも決して警戒を怠(おこた)る事は無かった。


つづく

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