回想 防衛外郭の対戦車砲陣地と美味なる食事『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第7話』

■5月4日(金曜日)フェアヒラント村への街道途中


 午後8時半過ぎ、陽(ひ)が暮(く)れて辺(あた)りが黄昏時(たそがれどき)に暗くなり始(はじ)めた頃、通り過ぎるニーレボック村には、森側の村外(むらはず)れに口径75㎜の対戦車砲が1門と、村内を抜(ぬ)ける通りの中程の風通(かぜとお)しを良くした家屋の中では、アハト・アハトと兵士達に親(した)しがられている口径88㎜の対戦車砲が据(す)え付けられている最中(さいちゅう)だった。

(ドイツ軍の救世主、アハト・アハトだぁ)

 映画館で観る週間映画ニュースに、ファンファーレとマーチのBGMを響(ひび)かせて登場する、我(わ)が軍の窮地(きゅうち)を何度も救(すく)った頼(たの)もしい機能美が間近(まぢか)に見られている。

 アハト・アハトはティーガーE型重戦車にも搭載され、更に、より強力な長砲身のアハト・アハトがケーニヒス・ティーガーや重対戦車自走砲に載(の)せられて、無敵の打撃と防御陣を構成していたはずなのだが、殺(や)られても、殺られても、相手を屠(ほふ)るまで数10倍の数で圧(お)して来る敵に、生産数と多方面の補充(ほじゅう)が追い着かずに、今日(こんにち)の帝国の終焉間際(しゅうえんまぎわ)に至(いた)っている。

 この終焉の黄昏に、映画ニュースで聞いた乾(かわ)いた発砲音の轟(とどろ)きは、天使が吹き鳴(な)らす、世界の終わりを告(つ)げるラッパの音(ね)ように、聞こえるかもと想像してしまう。

(多くの天使が舞(ま)い降(お)りて、打ち倒(たお)されたり、砕(くだ)け潰(つぶ)されたりした人々の魂(たましい)を、次々を天へ召(め)し運ぶ姿が見えてしまうかもな。……自分が浮(う)き上がり、手を繋(つな)いて導(みちび)く、天使の嬉(うれ)しそうな笑顔が見れるかもだ……)

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 漸く暗い森の中を抜けてニーレボック村の外れの低い茂(しげ)みの後ろに土嚢(どのう)で囲(かこ)った浅い塹壕の中から狙(ねら)う75㎜対戦車砲は、砲兵達が火を熾(おこ)して炊事中だというのに、真横へ来るまで全(まった)く気付けず、心臓が止まるかと思うくらい驚(おどろ)いて僕を焦(あせ)らせた。

 村の中でマムートを停めて夕食を摂(と)った後の休息時に見て来た88㎜対戦車砲は、厚い木材の壁の内外を更(さら)に石材と土嚢で厚く防御された、太い梁(はり)と柱の頑丈(がんじょう)そうな広い大きな部屋に床板を剥(は)がして据えられていた。手持ちの弾薬量は知らないが、森の中の曲がりまでを直射できる位置と士気の高い老練(ろうれん)な砲兵ばかりだったから、直撃を受けない限り、弾を撃ち尽(つ)くすまで持ち堪(こた)えてくれるだろうと期待した。

 メルキセデク軍曹は、村内の変則(へんそく)十字路に在る教会の横の広場に沢山(たくさん)の空になったジェリカンが捨(す)てられているのを見付けて、其(そ)の内の20個余りを貰(もら)って来て、細いロープで2個ずつを持ち手で縛(しば)って繋げ、更に、マムートの後部のフック間に張った太めのロープに通してぶら下げた。

 これらのジェリカンはエルベ川を泳(およ)いで渡るかも知れない時の浮き輪代(が)わりにすると、軍曹から聞かされて、『どうか、雪解(ゆきど)けの冷たい川を、泳がなくても済(す)みますように』と、祈った。

 提供(ていきょう)された晩飯は、牛の筋肉と玉葱(たまねぎ)をトロトロに煮込(にこ)んだ塩味のシチューと穴ボコだらけのエメンタルチーズ、所々の穴に青カビが生えている独特の臭味(しゅうみ)のブルーチーズっぽくて旨(うま)かった。

 他にも山羊(やぎ)の乳から作る柔(やわ)らかいシェーブルチーズが有り、それに加(くわ)えて焼きたてのパンと、パンに塗(ぬ)るバターとマーマレードも出されていたし、飲み物には澄(す)んだ井戸水と新鮮な牛乳が有った。

 出されたバターは本物で、配給品のマーガリンではなかった。

 マーマレードは、ドイツ語では英語圏のジャム全体を含(ふく)めた言葉だが、食卓(しょくたく)に並べられたのはオレンジの皮や粒が入った本来のマーマレードに苺(いちご)や林檎(りんご)や杏(あんず)のジャム、それに本物の蜂蜜(はちみつ)まで揃(そろ)えられていて、子供の僕には大きく真ん丸に目を見開いて、喜びで小躍(こおど)りするくらいの驚(おどろ)きだった。

 どれもこれも本物で、本物が無いから代(か)わりとして、巷(ちまた)で出回っているエアザッツと呼(よ)ばれている紛(まが)い物の容易(ようい)に手に入る原料で作られる代用品ではなかった。

「ねぇ、マーガリンは石炭から作るって噂(うわさ)だったけど、それは本当なの?」

 僕は予(かね)てから疑問に思っていた事を、隣で食べていたラグエルに訊(き)いてみた。

「ん? マーガリンが石炭から……。ああ、本当だぞぉ。でもな、工業用のメチルアルコールの様な毒じゃない」

 燃える鉱物の石炭からのマーガリンに毒性は無いと、不思議な事をラグエルは言う。

「普通に石炭を齧(かじ)ったら、不味(まず)いし、死にそうになるんじゃぁ……」

「そりゃあ、石炭を其のまま食べたら中毒で半身不随(はんしんふずい)になるか死んでしまうだろうな。でも、石炭は太古(たいこ)の植物が化石になった固形物だろ。だから植物質の油分だけを抽出(ちゅうしゅつ)するんだ。石油も太古の植物や動物からだけど、まだ固(かた)まる前の液体だから石炭のような純粋(じゅんすい)な抽出ができない。故(ゆえ)に石炭から植物油らしいぞ」

『うーん、本当かなあ?』と思いながらも、僕はラグエルの説明の続きを聞く。

「戦況が悪化するまではマーガリンを髭鯨(ヒゲクジラ)類の皮や骨から採取した鯨油(げいゆ)で製造していたんだよ。図鑑(ずかん)で見る、あのデカい白長須鯨(シロナガスクジラ)も髭鯨類だ。でも、制空権も、制海権も連合軍が支配して遠洋漁業が出来なくなって鯨は捕(と)れない……。だから、石炭を蒸(む)し焼きにして出たガスをパラフィンにして、それを毒性の無い食用の油脂(ゆし)にしたのが合成マーガリンなのさ」

「蒸し焼き、ガス……、パラフィン? 結構(けっこう)、技術の手間(てま)が掛かっているんだねぇ」

「そうさ、石炭から作ると言うと不安な気持ちになるけど、全く毒性が無い安全な食品なんだぞ。アル、お前がベルリンで食べていたマーガリンは不味くなくて、そこそこイケていただろう?」

 確(たし)かに合成マーガリンは美味(うま)くて、固(かた)い配給パンに重ね塗りをしていたのを思い返して、『うん!』と頷(うなず)いた。

「話は変わるが、アル、合成燃料とか、人造石油とか、耳にした事は有るか?」

「いいえ、家には石油を使う道具が有りませんでしたし、学校や野外実習では石炭と薪(まき)ばかりでしたから」

「ベルリンじゃあ、機械を操作する工員か、自動車や船舶や航空機の関係者か、軍の整備兵や補給部隊しか詳(くわ)しい事は知らないだろうな。人造石油はマーガリンと同じ化学プラントで製造されているんだ。石炭をガス化してから燃焼成分を加えて合成反応させたのが人造石油さ。精製の度合いによって軽油、灯油、ガソリンが出来る。代替品のエアザッツ油と言われているが、性能に問題は無い。製造プラントと製造コストは石油に比(くら)べて倍ほどの差だけど、品質は一級品だ。軍が消費する燃料の殆(ほとん)どが合成石油で、このマムートに給油したハイオクタン価のガソリンもそうだぞ」

 石炭から石油を精製するなんてマーガリンの合成と共に驚きだった。

 流石(さすが)はルール工業地帯の熟練工員だ、工業に関する巷の噂の事なんて、調べて自分が納得できる情報を得(え)ていると、感心してしまった。

 軽油は造れると言ったが、船舶用の重油はどうなのか、ラグエルに追加質問をしようと思いながら、美味(おい)しい食事に僕は夢中(むちゅう)だった。

 年配者や飲み慣(な)れている者には、食後の珈琲(コーヒー)として今は手に入らない珈琲豆からではなく、乾燥させたタンポポの根を焦(こ)げ茶色になるまで焙(あぶ)り、それを挽(ひ)いた粉粒(こなつぶ)で淹(い)れた味と香りが珈琲っぽい代用の飲み物だ。

 他にも珈琲豆の代用には、公園の植え込みに自生する巷(ちまた)でチコリと呼ばれる淡(あわ)い青色の花が咲くハーブの菊苦菜(きくにがな)の根を焙煎(ばいせん)した物が有って、一般的にタンポポの根からより多く飲まれている。

 ふと、父親が菊苦菜の代用珈琲を好(この)んで飲んでいた事を思い出した。

 公園で摘(つ)んで来た黄色いチコリの若菜も母親が、よく料理に使っていたけれど、あの苦(にが)みを僕と妹は嫌(きら)いで、母親の目を盗(ぬす)んではサラダに盛り付けられたチコリの大半を窓から外へ捨(す)てていた。

(両親と妹は無事に南部の親戚宅へ疎開(そかい)できて元気でいるだろうか? 其処が既にアメリカ軍の占領地になって、もしも僕が、此の最終戦を生き残れてエルベ川の西岸でアメリカ軍に捕らえられたら、戦争終結後に会いに行けるだろうか? 捕らえられた後、直ぐに手紙を書いて『ロスケ共に占領されたベルリンへ戻らない様に、捕虜から解放されたら急いで会いに行く』と伝えられるだろうか?)

 そんな事が何度も頭と胸の中を過(よ)ぎり、不安と悲しみで気持ちが沈んでしまう。

 二人の兄の消息(しょうそく)も心配だった。

 上の兄は志願して国防軍に入隊してからは、休暇で家に帰って来た事が2度有った。だが、何処の戦線にいるのか、何を見て何をしたのか、自分の体験を話す事は無く、2度目の少尉になった時の御祝い休暇で帰って来た以後は手紙も来なくなっていた。

 下の兄は徴兵されて空軍の整備兵になっていると休暇の際に軍隊での様子を話してくれたが、彼も何処の空軍基地にいるのか尋(たず)ねても教えてくれなかった。

 二人とも、イタリア戦線や西部戦線で捕虜になっているか、生き残っていて欲しいと暗い夜空を見上げて願うが、東部戦線で戦っていたのなら戦死している確率が非常に高く、運良く降参して捕虜(ほりょ)になっていたとしても、森林原野で酷寒(こっかん)のシベリアの地で奴隷(どれい)のようにロスケ共に扱(こ)き使われて、生きて帰郷できる見込みは何処にも無い。それに反ナチスの抵抗勢力のパルチザンやレジスタンスに捕(つか)まれば、残酷(ざんこく)な殺し方で処刑されるしかない。

 ただ、二人の戦死や行方不明の通知は届いていなくて、両親と僕と妹は其の事で二人が生きていて帰って来ると信じている。

 消息の分からない二人の兄の事を考えると、今、僕が戦っている相手が野蛮(やばん)で残忍(ざんにん)な振る舞いを共産主義で統制して肯定(こうてい)されたロスケ共だという現実を、強く再認識させてやり場の無い怒(いか)りが込み上げて来る。

 星や月の見えない真っ暗な夜空を見上げる瞳(ひとみ)に溜(た)まった涙を拭(ぬぐ)い、まだ命が有り、あと1週間は戦闘で生き残って其の後も生き続ける為に、現在、頬張(ほおば)って食べている目の前の美味な料理を僕は楽しむ。

 酒を嗜(たしな)む年配者には、半カップ分の赤や白のワインも配られていて結構楽しい食事になっていた。

 此の辺(あた)りは酪農(らくのう)主体の農業が生業(なりわい)だそうで、毎日1頭の乳牛が屠殺(とさつ)されて、半身が村に残る住人と守備兵の3食に料理されていた。残りの半身はエルベ川河畔まで運ばれて、渡河を待つ避難民や兵隊に食べさせていた。

 スプーンで掬(すく)ったトロトロに煮込(にこ)まれた肉を見ながら、牛乳を搾(しぼ)る為の肉牛ではない乳牛が殺(ころ)されて食べられるのを、ちらりと哀(あわ)れむ気持が湧(わ)くけれど、僕達の方が生存率が低いかもと、自分を憐(あわ)れんで嘆(なげ)きそうになってしまう。

 アルテンプラトウ村でも屠殺されているから、戦争が終わってロシア人に搾取(さくしゅ)されるまでは食う物に困(こま)らないと、ニーレボック村の北外れの料理場で大鍋からシチューを大盛りで粧(よそ)ってくれた年輩の炊事兵が話してくれた。

 戦争の最末期の最後の脱出路で温(あたた)かくて柔らかい肉料理とチーズを美味(おい)しくいただけるのは、『生きていてよかった』感いっぱいの幸せさで、凄(すご)く嬉しい。

 明日は豚肉と馬鈴薯(ばれいしょ)の煮込みで、朝食にアヒルの卵(たまご)と茄子(なす)のピクルスが配られるとも言っていた。

 1時間半の食事休止を終(お)えて、守備位置までの移動が再開された。アルテンプラトウ村から来てくれた護衛兵に、『あと、3㎞ほどの距離ですが、路肩を崩(くず)さないように、低速で移動して下さい』と、願(ねが)われた軍曹の指示で、ノロノロと時速1㎞の最低速でマムートを動かすタブリスが、『かえって燃費が悪くなる』とぼやいていた。

 こんな低速で慎重に動かしているにも拘(かかわ)らず、ところどころでマムートの重量に耐(た)え切れない路面がボコリと凹(へこ)んで、ヨチヨチ歩きみたいになっていた。

 時々、発砲炎は見えなかったが、ロスケの偵察隊との小競(こぜ)り合いだと思われる小銃や短機関銃の射撃音が、東や南の森の奥の遠くの方から夜半過ぎまで断続的に聞こえていた。

 時折(ときおり)、北方の防衛ラインから入る、『敵の攻撃を退(しりぞ)けたが、包囲されて救出を求(もと)む』とか、『耐え切れずに、後退して戦線を縮小した』との無線内容を、砲塔の前縁に突撃銃を抱えながら座るメルキセデク軍曹へ大きな声で伝(つた)えながら、マムートと前を進むフェアヒラント村から来てくれた兵士達を追い抜いて歩いて行く避難民と敗残兵のシルエットに怪(あや)しい動きがないかと、僕はハッチ脇に置いた短機関銃に指を掛けながら見ていた。

 学校で習(なら)った「フォルク(国民)とライヒ(帝国)の困難を除去する」が1933年3月23日に制定されると、翌3月24日には「受権法(じゅけんほう)」が可決されてヒトラー総統が全権を把握(はあく)した。そして、犯(おか)した行為への罪と刑を定(さだ)める民主的な罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)を排除(はいじょ)して、総統から権限を与(あた)えられた国家組織の各責任者が短絡的(たんらくてき)に死罪(しざい)と量刑(りょうけい)を決定できる、「死刑執行法(しけいしっこうほう)」が3月29日に公布(こうふ)された。

 それを国家非常宣言で拡大解釈された「戦争努力の破壊」という名のドイツ軍とドイツ国民及び同盟国の国民へ義務(ぎむ)を果たす事や忠誠(ちゅうせい)を誓(ちか)う事を拒否(きょひ)したり、軍事的や国家体制的に弱体化させる様な行為(こうい)をした者を国家反逆罪で死刑にする法が1938年に執行されている。

 真横と目の前を銃も持たずに手ブラで歩いて行く兵士達の幾人(いくにん)かは脱走兵で、ベルリンが陥落(かんらく)する前なら見付かり次第(しだい)、即決(そっけつ)で銃殺か、街路樹の太い枝や電柱の足掛けにブラ下がっていただろうと、近くの村まで迫るソ連軍と既にエルベ川の西岸までアメリカ軍に占領している現実に、頭を振りながら傾(かし)げた顔で漆黒(しっこく)の夜空を仰(あお)ぎ見て、今となっては第3帝国の理不尽(りふじん)な法律なんて無意味になったなと、長い溜め息を吐(は)いた。

 左隣の操縦を担(にな)うタブリスは全開にしたハッチから頭だけ出して、直接、路面を目視しながら避難民や敗残兵の歩みに合わせてマムートを慎重に進ませている。

 『バラキエル、あんまり体重を掛け過ぎて、機関銃架を曲げるなよ!』、軍曹が掛ける声から、バラキエル伍長は車長のキューポラに腰掛けて取り付けられているMG42機関銃に凭(もた)れているらしい。

 其の銃袈にはアルテンプラトウ村の駅舎から持って来た御婦人用の日傘(ひがさ)が全開にして括(くく)り付けらていた。

 『後部の、でかいハッチは閉めておけよ、ラグエル。火炎瓶(かえんびん)でも投げ込まれちゃ、かなわんからな。二人(ふたり)とも、周囲と近付く者に注意してくれ!』、ラグエルとイスラフェルも突撃銃や短機関銃を持って車体後部上へ出ているようだ。

 マムートの後方や側面には、ゲンティンの町から護衛してくれている12名の若い防衛隊員が付いて警戒している。

 進む街道は、間近を照(て)らす前面装甲板の中央に備(そな)えられた遮光(しゃこう)カバーを着けた前照灯の明かりと、辺りをぼんやりと見せる雲の切れ間から差し込む月明かりや星明りに、道筋を示(しめ)す小さな炎の光で迷(まよ)う事が無かった。

 フェアヒラント村と南隣のディアベン村の間の低い丘の北側に在る、エルベ・ハーフェル運河やエルベ川を運行する水運船やローカル鉄道で使う燃料を貯蔵した小さな石油基地が稼動(かどう)していて、其の施設を囲(かこ)んで防衛拠点が設(もう)けられている。

 低い丘は軍に接収されてトーチカだらけらしいが、強力な火砲がなければ、迂回(うかい)されて容易(たやす)く陥落(かんらく)されてしまうだろう。

 果たして、丘から見える眼下の艀乗り場から次々と西岸へ渡って逃げて行く避難民と敗残兵達を眺(なが)めていて、いったい何人の守備兵達が忠誠心を保ち続けて残り、いったい幾つのトーチカで義務を実行してくれるのだろうかと、僕は怪(あや)しんだ。

 聞こえて来る話し声から、対空機関砲を備えた陣地も在るらしいが、避難民達が渡り終えるまで空からの脅威(きょうい)を追い払って欲しいものだと思う。

 当面、マムートや防衛車輌の燃料補給と近隣の村の生活に使うには充分過ぎる量が確保できていると、マムートのアンブッシュポジションへ案内する為(ため)にニーレボック村までアルテンプラトウ村から迎(むか)えに来てくれた十人ほどの分隊のリーダーが、夜の街道筋を示す50m置きに道脇で灯(とも)す、灯油を燃やすカンテラの小さな明かりを指差して説明してくれた。


つづく

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