回想 マムートの信頼できる五人のクルー 『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第6話』

■5月4日(金曜日) フェアヒラント村へ移動中


 1926年生まれのメルキセデク・ハーゼ軍曹は、1936年4月20日の総統47歳の誕生日のプレゼントとして第3帝国の10歳から14歳までの男女全員を対象とする、ヒトラー・ユーゲント内の小国民隊やドイツ少女団内の幼女隊へ自発的に入隊した満10歳になった少年少女の一人(ひとり)だった。

 だがそれは、小学校の学業以外に小国民隊の活動カリキュラムが課(か)せられる、負担と不自由さを伴(ともな)う事だから、ナチス政権下の社会的なムードでも、過半数以上が啓発(けいはつ)された自主的な入隊ではなく、政治思想に興味の無い子供達が扇動的(せんどうてき)な誘導に流された不十分な理解での入隊や、軍曹のような縛(しば)りを嫌(きら)う放任(ほうにん)な子供達が強要されての入隊だった。

 純粋多感な時期にヒトラー・ユーゲントへ盲目的(もうもくてき)に入隊した彼は、その攻撃的な刺激(しげき)と開放的な理想に感化されて中隊指導者を任(まか)されるまでになっていた17歳の時、志願した空軍の飛行士とは違(ちが)う武装親衛隊へ配属され、機甲兵として特化した軍事訓練を6週間の短期で受けた。

 着任した第12SS装甲師団の第1戦車大隊は、ハンガリーのバラトン湖周辺での攻勢以外は防御、後退、反撃、退却、待伏せ、敗走を繰り返すだけの防戦と撤退戦(てったいせん)ばかりで、偶然(ぐうぜん)に軽い負傷だけで生き残り続けている内に軍曹まで昇進して戦車長になり、果敢(かかん)な戦闘の戦功で1級鉄十字章を拝受(はいじゅ)された。しかし、強大な敵との混沌(こんとん)たる戦いと悲惨な損害の現実に、ヒトラー・ユーゲントとしての理想の理念は打ち砕(くだ)かれてしまったと、理想のアーリア純血種の美形顔の頭に巻いた包帯が痛々しいメルキセデク軍曹は言っていた。

 軍曹より1歳年下の1927年生まれのバラキエル・リヒター伍長も、17歳でヒトラー・ユーゲントの理想の理念に燃えて志願したドイツ陸軍へ入隊していた。

 教練中に素早(すばや)い暗算力を見い出された彼は、希望通りに戦車隊へ配属されて砲手席に座(すわ)る事になった。

 其(そ)のラテン系をイメージさせる明るくて軽い容姿から、想像もできない精密な射撃は、胸の銀色戦車突撃章が伊達(だて)ではない事を乗員達に知らしめた。

 そんな彼も防衛戦と敗退続きの挙句(あげく)、ソ連軍が厚く包囲するベルリン南方のハルベの森からの困難極(きわ)まった脱出戦闘で、これまでの人生観を否定してしまいそうな虚(むな)しさを抱(かか)えてしまった。

 それでも今は、虚しさの埋(う)め物を探すようにマムートの砲手に専念している。

 ラグエル・ベーゼとイスラフェル・バッハとダブリス・クーヘンの三人は1928年生まれで、ルール地方のパーダーボルン市に在るクルップ社の軍需工場の工員だ。

 義務教育の基礎学習期間である10歳までの初等学校を卒業して、直(す)ぐに就職しているラグエル・ベーゼとイスラフェル・バッハの二人(ふたり)は、既(すで)に7年間の兵器工場での労働経験が有る熟練組立技能者で、4年制の中等科を卒業してから作業工程と部品の設計補佐に就(つ)き、技術者として3年余りが経(た)つ、タブリス・クーヘンをリーダー格として慕(した)っていた。

 三人が就労当初に指導を受けて師(し)と仰(あお)ぐ、それぞれの親方達は、日々、緊迫(きんぱく)が増す厳(きび)しい戦況で昨年末に召集(しょうしゅう)されて居なくなり、故(ゆえ)に彼らは10代の若年(じゃくねん)ながらも、老齢な未経験の作業者や外国人労働者を働(はたら)かして作業工程を監督するなど、中堅(ちゅうけん)クラスの仕事を任(まか)されていたそうだ。

 タブリスは、ヒトラー・ユーゲントに籍(せき)を持ち、ラグエルとイスラフェルはヒトラー・ユーゲントから国家労働奉仕団へ籍を移していたが、フル稼働、フル生産を続ける工場の忙(いそが)しさに、全(まった)く其の活動に参加していなかった。

 それに、重労働だった戦闘履帯への交換作業を終えた気の緩(ゆる)みで、『ずっと緊張しっぱなしの毎日は、辛(つら)くて飽(あ)きて来たなぁ。ああ、早くエルベを越えて、自由な西側へ行きたいよ』なんて、グチが近くにいたタブリスに聞こえてしまい、『しまったぁ! 自己犠牲の精神も、義務を果たす意欲も無いクズと罵(ののし)られてしまう……』と、慌(あわ)てる僕の間近にラグエルとイスラフェルと共に彼は来て、『俺達はゲシュタポが捕(と)らえて公開処刑した仲間の報復に、密告したヒトラー・ユーゲントの隊員や其の小隊リーダーを誘拐(ゆうかい)して、公開処刑と同じ場所に吊(つ)るしている、アンチ・ヒトラー・ユーゲントのエーデルヴァイス海賊団と接触した事が有るんだ』と、こっそりと耳打ちで身震いする事を言った。

 『お前なあ、街中で今の言葉を聞かれると、ゲシュタポか、保安警察に連行されて強制収容所行きだぞぉ。其処で思想矯正と重労働になるぞぉ』

 『ちゃぁんと生き残れば、おまえもルールに来て、ドイツが落ち着くまで好きにしてればいいさ。ルールに来りゃ、戦後の後片付けと復興事業の仕事で、直ぐに大儲(おおもう)けできるぞぉ!』と言ってから、 『そうなりゃ、親も呼んで一緒(いっしょ)に暮(く)らせるしな』と付け加えて、ラグエルとイスラフェルとタブリスの3人は大笑いした。


つづく

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