回想 ナチス党の選民主義の矛盾『超重戦車E-100Ⅱの戦い 後編 マムートのフィナーレ 第3話』

■5月4日(金曜日)アルテンプラトウ村からフェアヒラント村への街道


 学校で教わる社会と歴史の科目は、思想的要素や神話的要素が多く書かれていて、民族のルーツからの精神支配を強要されているような感じが、僕は苦手(にがて)だった。

 実際に有ったかも知れない伝承からの神話は、御伽噺(おとぎばなし)のようで好きなのだけど、そんな超常現象みたいな出来事を現実と関連付ける授業には違和感(いわかん)を持っていた。

 だから、ヒトラー・ユーゲントの集いでリーダークラスが語(かた)る優越人種論とユダヤ人弾劾(だんがい)には、僕は表情や言葉にこそ現(あらわ)さなかったが、気持の底からうんざりしていた。

(歴史と世界に選ばれた優秀な民は、ドイツゲルマン人だ! ……なぁんて、嘘(うそ)っぱちだった!)

 例(たと)え、ゲルマン民族のドイツ人に資質が有ったとしても、選民的なナチス思想で染められたドイツ人じゃない!

 世界を支配すべく蛮族(ばんぞく)のスラブをシベリアへ駆逐して、北極圏のバランツ海からウラル山脈の西側をカスピ海のボルガ川河口を結ぶまでのロシアの肥沃(ひよく)な西部地域と、フィンランドを除く北欧一帯に、併合(へいごう)したオールトリアを含むドイツ本国を合わせた土地を領土の範図とする、一千年(いっせんねん)の繁栄を約束されたゲルマン帝国に住まうのは、彫(ほ)りの深い顔立ちで金髪碧眼(へきがん)の白人、純粋種のアーリア人だ。

 深く思考をする理解の速い頭脳と高い運動能力を産まれながらに持つゲルマン人は、アーリア人直系の優越民族で、他の全(すべ)ての民族はドイツゲルマン人に支配される為(ため)に存在する、家畜並みに劣等な奴等(やつら)だと学校の優秀人種学の授業で教え込まれた。

 其(そ)のアーリア人は、古代に中央アジアのイラク辺りに居て、エジプト文化圏の中東アジアを攻めて支配したヒッタイト人と共に、ヒッタイト人が神と崇(あが)める神格の民から授(さず)かった製鉄技術を、更に、発展させて開発した鉄製の武器と高度な戦術によってケルト人のヨーロッパに攻(せ)め込み支配した。

 人種学の授業は、古代の歴史ロマンも学ぶので、僕の得意な科目の一(ひと)つだった。

 コーカソイドの白人で金髪の僕は授業内容から最優秀の純血種アーリア人かもと自惚(うぬぼ)れた。でも、僕の母方の祖母の両親はフランス人で、母は全然碧眼じゃないし、碧眼の僕はアジア人の平面顔ほどじゃないけれど、彫(ほ)りが浅いと思う。

 口角泡(こうかくあわ)を飛ばしながら、総統や宣伝相の演説張りに力説する若い先生の人種学の授業を受ける度(たび)に、透(す)き通るような白い肌に金髪と碧眼の彫りの深い顔の骨格だけの外見判断で、ドイツゲルマン人が直系の純血種アーリア人とする根拠は曖昧(あいまい)だと、僕は感じていた。

 他の種(しゅ)の人体骨格と比べて、此処(ここ)がこうなので、此処も違うからドイツゲルマン人は優(すぐ)れていて、他の種は劣等なのだ、なんて、それだけで優秀とか、有り得ないと思う。

 確(たし)かに、勤勉で生真面目なドイツ人は世界最先端の精密工業製品を開発して販売している。

 なのに、開発したドイツ人エンジニア達の写真を見る限り、金髪は少なかった。

 ドイツ人だと商売の才能は乏(とぼ)しくて融通(ゆうずう)が利(き)かないし、駆け引きは苦手だし、故(ゆえ)に儲(もう)けは少ないので、いつまでも生活は豊かにならない。だから有名な大企業は何処もセールスと経理をドイツ人に頼(たよ)らずにユダヤ人任(まか)せにしていた。

 それに、新たな開発の発想は、ドイツ人以上に他民族が多く着想している。

 だから僕は、禁断スレスレの質問を、帰宅途中の先生に駆け寄ってしてみた。

「先生、人種学での質問をしても、宜(よろ)しいでしょうか?」

「おおっ、アルフォンス・シュミット君か。質問を認(みと)めよう。でも、表(おもて)の通りでは、質問内容にもよるけれど、答えられないな。これは、お互いの為だよ。だから、君に時間が有るのなら、私に付いて来たまえ。先生の部屋で、君の質問に答えてあげよう」

 人種学と違って世界史を教えてくれる丸メガネを掛けた初老の先生は、いつも穏(おだ)やかなしゃべりで、全生徒の名前を覚(おぼ)えていて、いつもフルネームで呼ぶ。

 ピシッと、叱(しか)る事は有っても、命令調で断定と肯定ばかりの他の教師達とは違って、激昂(げきこう)して大きな声で怒鳴(どな)ったり、執拗(しつよう)に体罰を振(ふ)るったりする、そんな恐ろしい姿を見た事が無く、鞭(むち)も持っていなかった。

 アパートに間借(まが)りした先生の部屋で、蓄(たくわ)えていた配給品から提供してくれたのだろう、砂糖を多く入れたホットミルクを僕だけが飲みながら、質問の続きをした。

「ゲルマン人と直結するアーリア人は、なぜ、中央アジアにいたのですか? 先生」

「普通は鵜呑(うの)みにして、疑問を持たない子ばかりだけど、君は違うのだな、アルフォンス・シュミット君」

 まだ熱くて飲めないホットミルクに、ふぅ、ふぅ、と、息を吹き掛ける僕を覗(のぞ)き込む先生の目を見て頷(うなず)いた。

「私が読んだり、調べたりした書物には、何処(どこ)から来たのか書かれていませんでしたが、他の民族とは交(まじ)わりを持たないまま、中央アジアに散らばっていた放牧民じゃないかと、私は考えています」

「或(あ)る時、彼らはオアシス周りの砂礫(されき)の土地を耕(たがや)し、安定した収穫の農耕による定住をしようと考えました。それは既(すで)に得た炭作りと金属を溶(と)かす技術で作った青銅の農具を用(もち)いて始めたのですが、小粒でも硬(かた)い砂礫に青銅製の鋤(すき)や鍬(くわ)の先は曲がったり、欠(か)けたり、削(けず)れたりして直(す)ぐに使えなくなりました。それで彼らは青銅よりも硬い金属を求めて、幾(いく)つもの鉱物を錬金術のように試(ため)したのです。そして、より高い熱を得る為の強い風が通る丘の上に造った溶鉱炉で、遂(つい)に砂鉄を溶かして鉄器を作る事に成功しました」

「アーリア人が世界で初めて、鉄器をつくったんですか? 先生」

「ああ、そういう事になっているね。でも、製造に参加していたのは、アーリア人だけじゃなかったのでしょう。神格に教えられた製鉄技術を千年以上も隠(かく)して、そして、受け継(つ)いで来たヒッタイト人も一緒(いっしょ)に、開発と改良に取り組んでいたと思いますね。だけど、技術を発展させる着想と研究はアーリア人特有の資質だったのですよ。ヒッタイト人の宗教の根幹(こんかん)も、アーリア人の神と宗教の教えだから、ヒッタイト人は、尊敬と畏怖(いふ)の意味を込めて、『優(すぐ)れた者』、即(すなわ)ち、『アーリア』と呼んで讃(たた)えたのです。此処(ここ)までは解(わか)りますね、アルフォンス・シュミット君」

「ええ、ありがとうございます。解(わか)り易(やす)いです、先生。でも、鉄の利用は、アッシリア人になっていますよ」

 僕は、ニコニコ顔の先生に、感謝の意と新たな疑問を問う。

「そうだね。現在は、トルコの国になっている小アジア半島東部のアナトリアに居(い)たヒッタイト人は、直ぐに鉄で武器を作って、南方の憧(あこが)れの文明国を征服しようと攻めたのです。結果はエジプト本土へ攻め入れないままに講和停戦となってしまいました。其の国力を消耗(しょうもう)したヒッタイトを征服したのが、イラク北部を支配していたアッシリアです。そして、ヒッタイトが秘匿(ひとく)していた鉄の製造技術を奪(うば)ったという訳です。其の後は、アッシリアが全(すべ)ての戦争に鉄の武器を使ったから、まるで、アッシリアが世界史で最初に鉄を製造したかのようになっていますね。だが違う。最初に鉄を製造して利用したのは、アーリア人とヒッタイト人だ!」

 冷(さ)めて来たホットミルクを二口(ふたくち)啜(すす)った僕は、興味深深で聞き入っている。

「イラン北部とトルコ東部は国境を接しています。イランという国名はアーリアと同義の『優れた民』だそうです。アーリア人が住んでいた中央アジアのイラン北部は、ヒッタイト人が居たアナトリアの御近所さんなのですよ。因(ちな)みにイラクの意味は、川に挟(はさ)まれた豊かな地という名の古代都市国家と同じらしいです」

「イランとイラクは、国名が似(に)ていますけど、民族が違っていそうですね。先生」

「面白いところに気付いたみたいだね。アルフォンス・シュミット君。ちょっと脱線するけど、其の通りで、とても似ているのです。イラン人はアーリア人の直系の民、ぺルシャ人。イラク人はアッシリア人系のアラブ人。そうなるのでしょうねぇ。鉄の製造に必要な木炭を作るのに、ヒッタイト人がアーリア人の土地の森林まで伐採(ばっさい)し過(す)ぎたので、乾燥し易い内陸気候の中央アジアは砂漠化が進んで、アーリア人の農耕定住に相応(ふさわ)しくない土地になってしまいました。故(ゆえ)に、新たに安住の地を求(もと)めてアーリア人の移動が始まったと、先生は考えています」

「土地が痩(や)せて住めなくなってしまったんですか……。それで全員が、はるばるヨーロッパまで移動したのですか? でも、なぜ、東の中国じゃなくて、西なのでしょう? 先生」

「いや、たぶん、意見が分かれて仕舞(しま)い、大小のグループが全方角へ移動していったと思います。まあ、其の方が、民族が絶滅し難(にく)いですよね。中国方面はヒマラヤ山脈や崑崙(こんろん)山脈の連(つら)なる高山と、広大な砂漠に阻(はば)まれるまで移動して、現在のペルシャ系の住民の先祖になったのでしょう。其処から南のアラビア海まで移動したグループは、更に海沿いを東へ進み、インドに到達しました。インド人はアーリア種と違いますが、カースト制度の最上階のバラモンとマハラジャはアーリア人です。彼らの進んだ思想と武器が、土着民の支配を成功させたのです」

「あの奴隷制みたいなカーストは、アーリア人が作ったのですか? 先生!」

 アーリア人が賢(かしこ)くて支配層になるのは分かる。でも、傍目(はため)には理解できない非人間的な扱(あつか)いを強(し)いるカーストを整備したのも、アーリア人だなんて、ペルシャ人が子孫説と共に、先生の話は驚(おどろ)く事ばかりだ。

(……となると、ゲルマンドイツ人が直系と説(と)くナチスは、公表できない非道な事を強制収容所の中で行っているかも知れない……)

「だね。アルフォンス・シュミット君。北へ向かったグループはロシア王朝の始祖(しそ)になって、農奴体制をスラブ人に強要しました。そして、西方は、当時最先端のギリシャやローマが栄(さか)えていた。其処には憧(あこが)れの地中海文明圏が在る住み易い土地で人気が有りました。だから、多くのグループが地中海沿岸の文明と友好を結(むす)んで、北ヨーロッパの森林地帯へ移住したのです。だが、北ヨーロッパにはローマ人が蛮族(ばんぞく)と呼んで、忌(い)み嫌う強力なケルト人が住んでいた。当然、ケルト人は侵入するアーリア人を排除する為に戦いを挑(いど)んで来ます。ローマ人を撃退したケルト人は戦い慣(な)れしていて、地の利を活(い)かした戦術は侮(あなど)れないです。しかし、ケルト人の武器は青銅製でした。強度を保(たも)つ為に太くした刀剣と、防御力を高めて厚くした盾(たて)は、重くて取り回しに苦労します。最初は切れていた刃先(はさき)も直ぐに破損してしまって、切ったり刺(さ)したりするより、叩(たた)いたり殴(なぐ)ったりしたようなダメージしか敵に与えなくなります。それに対して、アーリア人の鉄製武器は、同じ大きさなら青銅よりも軽くて強靭(きょうじん)でした。切っ先は鋭(するど)く研(と)がれて皮の鎧(よろい)ごと骨まで断(た)ち切ります。そして、アーリア人はケルト人を追い詰めて支配しました」

「それって、ヨーロッパの王朝や貴族の始祖もアーリア人って事なんですね。先生」

「そう、察(さっ)しがいいね、アルフォンス・シュミット君。此処までは理解したみたいだから、これから先生が話す事は、君の疑問への私の呟(つぶや)き程度で記憶してくれればいいですし、さらりと忘れてくれてもいいです。でも、現在のナチス党が支配する政治の間は、決して他言してはダメです。民主的で自由で開放された世の中になるまで秘密にしてくれたまえ、アルフォンス・シュミット君。約束です。先生は、誰にも変な考えを話していませんし、そもそも、そんな考えを持っていない事にしています」

(これから、先生が言おうとしているのは、ナチスのアーリア人種論を否定する事だと思う。僕が密告すれば、先生は逮捕されて、警察で拷問(ごうもん)での自供、挙句(あげく)に刑務所ではなくて強制収容所で思想修正の労働と洗脳だ。思想犯は政治犯で、社会体制を転覆させようとする重罪だ。洗脳で従順(じゅうじゅん)にならないと死ぬまで拷問と強制労働をさせられるだろう。そして、密告した僕もどうなるか分からない。それに、先生は異分子を摘発(てきはつ)する秘密警察の一員かも知れない。誘導で話を聞いた僕を逮捕する恐(おそ)れも有る。でも、そうでなかったら、納得できる考えを先生から聞ける。聞いてしまったら、僕は非常に危険な立場になるかも知れないけれど、まっ、かまわないか)

「分かりました先生。約束します。秘密にします。他言はしません。先生も話してはいません」

  10歳に成(な)ると強制的に入団させられるヒトラー・ユーゲントの信条は、個人よりも全体が最優先だ。

 家庭や学校よりも、『国家と民族の為に』が大事とされ、『一人(ひとり)の完全なドイツ人に成る為』、『民族と国家の為に喜んで命を捧(ささ)げる国民になる』が重視される。

 だから団員達は、其の信条に反逆する思想での会話と行為を行う親友や家族を平気で告発して、保安局やゲシュタポに逮捕させ、思想矯正(きょうせい)や重労働の強制収容所へ送り込む。だが、僕はアナーキーという言葉を辞書で見て覚(おぼ)えている。

 無政府主義者の意味だ。

 世間一般やルーツの枠(わく)に嵌(は)まらない行動と考えをする、無粋(ぶすい)な悪役っぽい連中で、怠惰(たいだ)や疎外(そがい)でのドロップアウトとは違う、無法者のアウトローと似たような者達だ。

 僕は、そんなヒールモドキに、少し憧れていた。

(アンチ・ナチスの考えを聞いて秘密にすれば、僕もアナーキーらしくなれるのかもだな)

「先生は、ゲルマンドイツがアーリア人の純粋直系という説は、根拠に乏(とぼ)しいと考えています」

(おおぅ……。先生は考えを声にして僕に語(かた)ってしまった……。先生は国家反逆の罪(つみ)だ!)

 だけど、僕も、そう考えている。

(だから僕は先生を告発したり、密告したりしないし、したくない)


つづく

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