第9話 わたしに任せてくださるんですね?言質とりましたよ。
しょんぼり呟くわたしに、王子が気の毒そうな視線を向けて来る。
すっと立ち上がって足を引き、ゆっくり石から離れると、それに伴って周囲を満たしていたチクチクと肌を刺す敵意も薄れて行く。どうやら本当にわたしが悪者認定されているらしい。
別に87人の「他人」に敵対心を持たれたところで心が折れることはない。商売やデザインは競争無くしては成り立たないから、他人と争うのは大前提だし、恐れるのは無意味だもの。だからわたしは、常に敵対心を感じるヒリヒリした状況に慣れているはずなのよ。
――けどあなたは別よ!!
「地味に敵意だけ送って来ても、何の具体的効果も進展もないわよ。そんな曖昧な真似は許さないんだから……。別れたいとか、離れたいんならちゃんと口に出して言いなさいよ!」
沸き上がる腹立ちや恐怖のせいなのか、心臓がドクドクと嫌な鼓動を打つ。けど深呼吸ひとつして、ただ冷ややかな視線を向けて来るハディスの、深紅の瞳に向き合ってみれば自分の想いがやっと理解できた。引き留めたい気持ちが一番勝った。
「勿論こんな魅了術にかかったみたいな貴方と別れてあげる気はないけどね!」
無関心は許さない!わたしを見なきゃいけないように仕向けてやるんだからっ!
「なっ……セレネ嬢ストップ!!!」
ハディスに向かって大きく一歩踏み出して、振り上げた右拳をアポロニウス王子にがしりと掴まれた。
「アポロン様!?この迂闊な婚約者の目を覚まさせたいんですけどっ!?」
「グーは駄目だ!いや、そうじゃない!!これ以上、この沢山の人間が集まるこの場で騒ぎを起こすな!何かあれば正常な判断の出来ない彼らを危険にさらすぞ!!恐らく叔父上は今、『女神の御石』の中の者達に操られている状態だ。そこに規格外の戦力のセレネ嬢を投入すれば、どれだけの被害が出るか分らんぞ!!」
「――は?」
とんでもない言われようだけれど、必死な王子は気付いていないのか、肩で息を吐きながら真顔で言い募る。おかげで冷静な気持ちが戻ってきた。石に目を向ければ、警戒感も顕わな視線を向けた黄金ネズミが大切そうに「一節の竹」を抱えて、即座に引っ込む。
と同時に、88人の男達からの刺すような圧力が増す。
くるりんと顔の向きを変えて男達の方を見遣ると、一斉に警戒心の糸は途切れ、彼らはこれまでの様に石に視線を向けてぼんやりとし出す。
も・一回、と石に向き直ると、再び増す敵愾心の空気。
そしてくるりんと反対を向けば、一瞬で弛緩する男達の緊張感。
『だるまさんが転んだ』も真っ青な団体行動にちょっとだけ浮かれていると、胡乱な視線を感じた。
「遊ぶな」
「あまりに見事なのでつい」
てへ・と小首をかしげると、アポロニウス王子は頭痛を堪える様に額に片手を当てる。
「それに、今の一糸乱れぬ団体行動を見て分かったと思うが、叔父上1人を正気に戻したところで根本的な解決にはならないぞ。だから原因が分からない今のうちは抑えて欲しい」
「婚約者の浮気を見逃せってことですか……。つまりこれはアポロン様公認の浮気だと?」
「正気に戻す方法はセレネ嬢に任せるから。全員を元に戻せる目途がつくまで黄金ネズミたちを刺激しないで欲しいという私の願いだ」
「わたしに任せてくださるんですね?言質とりましたよ」
「あぁ……」
「それなら、良いです」
ホントは嫌だけど仕方ない。今後のために王子に恩を売っておくのも悪くはないはずだからね。けどハディスめ……どうやって正気に戻してくれよう。
わたし以外を見つめながら、切なげに目を細めた焦がれる表情のハディスに、胸の奥が黒く染まる気がする。正気でないと言われても納得できないのは、それだけわたしもハディスに執着しちゃっているんだろう。これは、ちょっとやそっとのやり方じゃあ、モヤモヤが治まらない気がする。
そんなわたしを余所に、アポロニウス王子が『女神の御石』に向き合い、凛とした声を発する。
「王族の一員として誓おう、あなたたちに決して危害が及ばぬように手を尽くそう。」
わたしは敵認定されちゃうから、石には背中を向けたまま、黙って王子の宣言を聞いている。
「ただ、その代わり……彼らを家へ帰してはくれないだろうか。彼らにも愛する家族がいる。家族に―――恨ませたくはないのだ。ここに眠る開祖のお2人がそうであった様に、愛情ゆえの恨みと云うものは深く救いのないものだからな」
後半は、打って変わって黄金ネズミ達を思い遣る気持ちの滲み出る、柔らかな声音だった。
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